2024/06/05 - 2024/06/05
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キートンさん
この旅行記のスケジュール
2024/06/05
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Oasis Boutique Hotel
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ウズベキスタン観光3日目は、朝にサマルカンド最後の観光をした後、鉄道でブハラへと向かいます。
ブハラとは、サンスクリット語で「僧院」を意味し、古代からサマルカンドと並びこの地域の中心都市でした。
サマルカンドが日本でいう京都だとすれば、ブハラは奈良のようだとたとえられる。
ブハラはこの旅で最も暑さの厳しい場所なので、午後遅めの時間から観光をしようと思います。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- エア・アスタナ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
今日も朝食前の6:30過ぎに宿を出発し、観光にお出かけ。
昨日まで午後と夜に訪れていたレギスタン広場。
午前はファサードに日が差しているウルグベク・メドレセが見られる。レギスタン広場 広場・公園
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7:00前のレギスタン広場は人影まばら。
賑わっているレギスタン広場も悪くはないが、やはり静かな方が良いかな。 -
広場の中では何かの撮影をしていた。
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シェルドル・メドレセの北側に周り込むと、レギスタン広場のすぐ近くまで来れた。
入場しなくても、ここまで来れるんだ。
レギスタン広場にはシェルドル・メドレセの影が伸び、その先に朝日を浴びるウルグベク・メドレセ。 -
その右にティラカリ・メドレセ。
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北に歩き、北側から見たティラカリ・メドレセ。
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イスラム・カリモフ通りを北に進み、毎回素通りしていたビビハニム・モスクへ。
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入場料は40.000UZS(約500円)。
入場は8:00からという情報があったが、7:00過ぎでも入場できた。
現在のビビハニム・モスクは、1974年からソビエト政府によって再建されたものである。 -
中庭中央には、ウルグベクが寄進したラウヒ(書見台)がある。
これはオスマン・クラーンという世界最古のコーランを置く台。
この周りを願い事を唱えながら3周するとかなえられるという。
こういうのはあまりしないのだが、周りに観光客もいないので、旅の安全を願った。 -
イチオシ
ビビハニム・モスクは正面ゲートをくぐると中庭を挟んで正面(西側)に大モスク、左右(南北)に小モスクがある。
中庭中央から見た北側の小モスク。 -
北側小モスク内の上部。
装飾がはがれている部分が目立つ。 -
壁は装飾の跡形もない。
入口を覆う組子細工のような木製枠が美しい。 -
西側の大モスク。
ティムールは、各地から約200人の職人、約500人の労働者、95頭のゾウを集め、このモスクの建設に従事させたという。
1404年、わずか5年という短期間で完成したビビハニム・モスクは、当時世界最大規模を誇るモスクであった。
しかし、完成直後から崩落事故が相次ぎ、礼拝者が減って廃墟化したという。ビビハニム モスク 寺院・教会
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西側の大モスクは閉まっていたが、隙間から内部を見ることはできた。
装飾されていない、やや老朽化した壁で囲まれていた。 -
南側から見上げた大モスク。
内部に比べれば、外観は美しい装飾が見られる。 -
南側小モスク内は近年に修復されたのか、装飾が良好な状態で残っていた。
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イチオシ
天井ドームの美しい装飾。
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ビビハニム・モスクの中では、最も見ごたえのある装飾が見られた。
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完成当時を復元した模型(左上)や崩壊したかつての写真が展示されている。
右下の写真は、1905年から1915年までの間に、カラー写真の先駆者であったセルゲイ・プロクジン=ゴルスキーにより撮影されたもので、1897年の地震によるモスクの崩壊の跡が見られる。 -
イスラム・カリモフ通りを挟んで、ビビハニム・モスクの向かいにはビビハニム廟が建っている。
入場料は20.000UZS(約250円)。 -
ビビハニム廟には、ティムールの第一夫人ビビハニムやその母親、姉妹が祀られているという。
ビビハニム・モスクと同時期に建設された。 -
イチオシ
大きな建築物ではないが、内部のムカルナスが美しい。
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真下から見たムカルナス。
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中央に半地下部分を見下ろす円形の開口部がある。
そこからは5つの棺が確認できた。 -
上から見下ろすだけかと思いきや、下に下りる階段発見。
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階段を下りたところから、正面に2つの棺。
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その左に3つの棺。
どれがビビハニムの棺かはわからなかった。 -
ビビハニム廟を出ると、正面にはビビハニム・モスク。
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北側から見たビビハニム廟。
これにて予定していたサマルカンド観光は終了。 -
8:30にはB&B Bahodirに戻り、本日の朝食。
ここで、現在インドネシア赴任中の青年と兵庫県から来ている私と同年代の女性3人の日本人宿泊者がいたことが判明。
しばらく日本語での会話で、異国での緊張が解けた。
しかし、これがこの旅で出会った最後の日本人となった。B&B Bahodir ホテル
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10:00過ぎにB&B Bahodirをチェックアウトし、トラム乗り場へと向かう。
ハズラティ・ヒズル・モスクへ向かう歩道橋を渡ってから左に折れると、すんなりトラム乗り場へ行くことができた。 -
10:15頃、トラムに乗ってサマルカンド駅へ。
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11:19発のアフラシャブ号は、ほぼ定刻でサマルカンドを出発した。
SRP TRAVELで予約したサマルカンド→ブハラは、エコノミークラスで3,500円だった。 -
列車が主要駅に近づくと集合住宅が見られた。
ただ、質素な戸建ての家屋が多く、旧ソビエト連邦の社会主義的な雰囲気はあまり感じられない。 -
アフラシャブ号は、ほぼ定刻通り13:00過ぎにブハラ駅に到着した。
予想通り、サマルカンドより一段と暑さは厳しい。 -
ブハラ駅はカガンという街にあり、ブハラ中心部から約15km離れている。
「タクシー」と言ってくる声は無視して、ブハラの市街地方面に向かう378番のミニバスを待つ。 -
378番のミニバスは日中10~15分毎くらいで運行しているようだった。
冷房はきいてないので、風を通すためかドアを開けて走行した。 -
事前に調べた範囲では、途中で9番バスに乗り換えることになると思っていたが、MAPS.MEで現在地を確認していると意外とブハラ旧市街近くを通って行った。
結局、赤線のルートで進み、ブハラ旧市街の北側を半周してアルク城前から西へ折れて行った。
運賃は3,000UZS(約35円)だった。 -
アルク城付近で降りそびれて少し余計に歩くことになったが、本日の宿までは十分徒歩圏内だった。
結局、1~2km歩くつもりなら、ブハラ駅から378番のミニバス1本でブハラ旧市街に行けることがわかった。 -
イチオシ
アルク城前を通って本日の宿へ向かう。
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カラーン・モスクの西側を過ぎた後、細い路地を通って行った。
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14:30頃、本日の宿Oasis Boutique Hotelに到着。
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比較的新しいホテルだが、日本人のクチコミが多く結構評価が高かった。
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ブッキング・コムで予約し、1泊朝食付で370.000UZS(約4,600円)だった。
クレジットカード(VISA、マスター)払い可だった。 -
部屋もきれいで、テレビ、冷蔵庫、ポット、エアコンなど設備も必要十分だった。
ウズベキスタンの宿にはどこもミネラルウォーターがサービスで付いていたが、ここは500mlが2本だったのもありがたい。 -
タイルが美しい洗面・トイレ。
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シャワーは温度、水圧ともに問題なし。
サマルカンドでまともにシャワーができなかったので、早速使った。 -
16:30過ぎに出かけたが、まだまだ暑い。
日光を避けて、タキ・テルパクフルシャンの中を通る。
タキとは大通りの交差点を丸屋根で覆ったバザールで、かつては関所のような役割もあったという。タキ (タキ ザルガラン、タキ サラファン、タキ テルパクフルシャン) 市場
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旧市街の中心となるラビハウズの東側に、ナディール・ディヴァンベギ・メドレセがある。
1622年に、大臣であったナディール・ディヴァンベギによって建てられた神学校である。
ファサードの前には公園の樹木が多く、全体を写すには苦労する。 -
ファサードは西に向いているので、午後が順光になる。
2羽の鳳凰が白いシカをつかんで太陽に向かっていて、太陽の真ん中には顔が描かれている。
サマルカンドのシェルドル・メドレセと同様に、偶像崇拝を禁じるイスラム教の教義に反している。 -
池の北側に面するレストラン、ラビハウズ。
入口がわかりづらかったので、近くの従業員らしき人に聞いて案内してもらった。
17:00頃なので少し早いが、ここで夕食にする。 -
暑いのでとりあえずビールでしょ。
この旅の初ビール。 -
この旅で初めての本格的プロフ。
味付けは辛めで脂っこいが、レーズンとか甘い具材のせいで独特のテイストになっている。
日本のピラフとはかなり違うが、日本人の味覚にも合いそう。
脂っこいので、クセになりそうというより、時々食べたくなるタイプかな?
見た目よりボリュームもある。ラビハウズ その他の料理
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そして、これもウズベキスタン定番のシャシリク。
違和感なく普通に美味い。
タマネギが付いてるのもグッド。
税・サービス料込みで合計102,000UZS(約1,250円)だった。
内訳はたぶん、プロフ50,000UZS、シャシリク20,000UZS、ビール30,000UZSくらいだったんじゃないかな? -
イチオシ
ラビハウズから東へ徒歩10分ちょっとでチョルミナル。
このあたりの路地はややわかりにくいが、ほかの見どころから離れているので、地元の人があっちだと指さしてくれる。 -
1階の土産屋で入場料15,000UZS(約200円)を支払い、狭い階段を上っていく。
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チョルミナルは、1807年にトルクメニスタン人の大富豪によってメドレセの門番小屋として建てられた。
メドレセはもう残っていない。 -
屋上に出ると、中央にドーム、四隅に小さめのミナレットが立っている。
周りは普通の住宅街が広がっていて、眺望は平凡。 -
西日が当たるミナレットとドーム。
チョルミナルとは、4つのミナレットを意味する。チョル ミナル 史跡・遺跡
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ミナレットのてっぺんにかつてコウノトリの巣があったらしく、今ではレプリカが設置されている。
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チョルミナルから西に歩いて行くと、ウルグベク・メドレセ(左)とアブドゥールアジス・ハン・メドレセ(右)がある。
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ウルグベクは真の教育施設にしたいと考え、サマルカンド、ブハラ、キジュドゥヴァンの3か所に神学校を建てた。
このメドレセは、1418年創建、1585年修復で、現存する中央アジア最古の神学校だという。 -
ウルグベク・メドレセの中庭は無料で見学できた。
一部で修復工事が行われていた。ウルグベク メドレセ (ブハラ) 史跡・遺跡
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ウルグベク・メドレセの向かいに建つアブドゥールアジス・ハン・メドレセ。
ウルグベク・メドレセより200年以上後に建てられた神学校である。 -
アブドゥールアジス・ハン・メドレセのファサード。
アブドゥールアジス ハン メドレセ 史跡・遺跡
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アブドゥールアジス・ハン・メドレセのファサードのムカルナスは、ブハラで最も美しいともいわれる。
この時間帯は日なたと影のコントラストが強過ぎる。 -
タキの独特の形状はサマルカンドでは見られなかった気がする。
個人的にはブハラの印象に残った風景のひとつとなった。 -
カラーン・ミナレットの広場に来てみると、バリケードとゲートが設けられ入場規制が行われているような雰囲気だった。
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イチオシ
広場の中央にレッドカーペット、その先に舞台、両側に観客席が設けられ、催し物の準備が進められている。
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まだ準備段階のせいか、難なくゲートを通過できた。
見学できるうちに、西側にあるカラーン・モスクヘ入場する。 -
入場料は15.000UZS(約200円)。
カラーンとはタジク語で「大きい」を意味する。
その名の通り非常に大きなモスクで、広さは約1ha、1万人が礼拝できるという。 -
イチオシ
中庭を取り囲む回廊が残っていて、その外側に付随するようにカラーン・ミナレットが立っている。
カラーン モスク 寺院・教会
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最も奥(西側)にある礼拝堂の前には、八角形の堂がある。
おそらく手足を清めるための泉水堂だと思われる。 -
カラーン・モスクはシャイバニ朝時代の1514年に建てられた。
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西側のイーワーンとその奥の礼拝堂。
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礼拝堂のミフラーブ。
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中庭を取り囲む回廊は208本の柱で支えられ、288の丸屋根で覆われている。
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ソビエト連邦時代は倉庫として使用されていたようだが、独立後は礼拝所として再開された。
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カラーン・モスクの向かいには、ミル・アラブ・メドレセが建っている。
18:45頃、観客席にも人が増え始めてきた。 -
カラーン・モスクの東側にそびえ立つカラーン・ミナレット。
高さ約46m、ブハラ旧市街で最も高い建造物で、ブハラのランドマークとなっている。
1127年にカラ・ハン朝のアルスラン・ハンによって建てられたという。
壁面を14層の帯状に分けて、レンガの異なる積み方で装飾されている。カラーン ミナレット 寺院・教会
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一旦Oasis Boutique Hotelに戻り、夕暮れ時の20:30過ぎに再び出かけた。
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カラーン・ミナレットの広場では催し物が行われていて、関係者以外は入れなかった。
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こういう催し物は週末に予定しそうなものだが、本日はウィークデイど真ん中の水曜日。
こういう日に当たるとは不運だったとしか言いようがない。 -
何かの表彰式らしい。
いろいろな部門があるらしく、結構長い時間行っていた。 -
カラーン・ミナレットのライトアップ。
上部には16のアーチ型の灯火窓がある。
見張りの塔だったほかに、旅人の目印にもなっていた。 -
イチオシ
催し会場の外側にも、結構な人で賑わっている。
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カラーン・モスクの西側を周り込んで、カラーン・ミナレットの南側に来てみた。
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そこから見たカラーン・ミナレットとミル・アラブ・メドレセのライトアップ。
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下から見上げたカラーン・ミナレットのライトアップ。
壁面の装飾はライトアップでコントラストが強調される。 -
催し物の舞台裏。
本日はカラーン・モスクより東側を重点的に観光した。
明日は午前中にカラーン・モスクより西側を重点的に観光した後、アフラシャブ号でタシケントへ戻ります。
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この旅行記へのコメント (2)
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- あーさーさん 2024/07/09 09:24:21
- 美しいですね
- こんにちは!
20年ほど前にウズベキスタン訪問しましたが、変わらず美しい建築物にうっとりしました。
中央アジアはぜひまた訪れたいです。
他の旅行記も楽しみにしています。
- キートンさん からの返信 2024/07/09 11:22:32
- RE: 美しいですね
- こんにちは、あーさーさん。
書き込みありがとうございます。
20年ほど前の中央アジアって今以上に未知な国だったでしょうね。
近年、観光目的の短期訪問はビザ不要、高速鉄道運行、タシケントの新名所、タシケント地下鉄の写真撮影解禁など、観光しやすくなっていますよ。
まだ、日本より物価も安かったし、カザフスタンもとても面白かったです。
再訪検討の参考になれば幸いです。
キートン
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