2018/05/26 - 2018/05/26
51位(同エリア178件中)
tzpapa10さん
- tzpapa10さんTOP
- 旅行記59冊
- クチコミ6件
- Q&A回答0件
- 29,468アクセス
- フォロワー26人
上海駅より高速鉄道で無錫入り。
無錫駅よりタクシーでまず蠡湖風景区へ。蠡湖周辺は風光明媚です。
そこから中国4大美女の一人として有名な”西施(本名は施夷光、中国では西子という言い方もあるそうです)”が隠れ住んでいた西施庄といわれる島に渡り散策。その後夕方より南禅寺エリアへタクシーで移動し、古運河のライトアップを見ながら散策し食事。南禅寺と古運河は近く、多くの人で賑わっています。食べるところも多く運河の遊覧船もありますので行く価値あります。夜は無錫で1泊し、市内から地下鉄で無錫駅へ移動後、上海へ高速鉄道で戻りました。
無錫の有名な実業家である榮宗敬と榮徳生が寄贈した、湖の中央にある長さ300mの宝界橋によって、東蠡湖と西蠡湖に分かれています。
蠡湖の名前は、2400年以上前の春秋戦国時代に、范蠡(はんれい:生没年不詳)と西施(せいし)がこの湖で舟遊びをしたことに由来するそうです。
范蠡は春秋時代に越王・允常やその子・勾践に仕えた政治家・将軍。当時の越は近隣の呉と比べて劣勢であり、勾践は即位早々呉に敗北して呉王・夫差に仕える屈辱の身に落ちた。許されて越に戻ってからは懸命に力を蓄えて復讐に燃え、范蠡はそうした勾践にたびたび効果的なアドバイスや諫言をして、勾践を導、勾践もよくこの言葉に耳を傾け、20余年ののち呉を滅ぼして復讐を成し遂げ、諸侯に勾践の名を知らしめたそうです。君臣ともに長年の悲願であった呉への勝利をものにすると、范蠡はやがて勾践から命を狙われることを察知して、斉に逃亡し、逃亡後は政治とは縁を切り、ビジネスの世界で成功し、巨万の富を得たそうです。
西施はB.C.5世紀ごろに越の国に生まれ、「浣紗」(カラムシの繊維を布にするために水にさらすという意味)をして働いていた庶民の娘だったそうです。呉王夫差に美女を献上して堕落させようと、ある日范蠡が西施の住む村に美女探しに来て、そこで目にとまったのが西施。当時はまだ13、4歳の少女で、西施は都に送られ、そこで数年間、舞や礼儀作法などの教養を教え込まれ、17歳になると夫差に献上されたそうです。すると、夫差は美しい西施を寵愛し、政治に興味を失っていき、越が呉を討ち、夫差が自害に追い込まれたそうです。用済みになった西施は鴟夷子皮(しいしひ)という皮袋に包まれて長江に沈められたという伝説があります。時代が後になると、ハッピーエンド説も生まれ、西施が彼女を呉に送った范蠡の妻となって、西湖のほとりで仲睦まじく暮らしたという話です。
中国の伝統演劇の1つ・昆劇の「浣紗記」では、范蠡と西施のラブストーリーが美しく描かれてるそうです。
また、西施は生まれが浙江省の紹興市諸墍市だと言われており、浙江省の有名な観光地「西湖」は別名「西子湖」とも言い、「西施(西子)」を奉った祠が諸墍城内にあるそうです。第二次世界大戦中、日本軍による空爆のため被害を受けたが、1980年代西施殿景区として修築・増築し、現在は約21,000m2に及ぶそうです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 鉄道 船 タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
マップの左側は無錫で有名な「太湖」その内湖としてあるのが「蠡湖」
マップ右側の内湖は「西蠡湖」と「東蠡湖」に分かれています。
青色の破線で囲まれたエリアは無錫蠡湖国家湿地公園になる。 -
「東蠡湖」部を拡大。左下に浮かぶ島が中国4大美女の1人として有名な「西施」が「范蠡」と隠れ住んだとされる「西施庄」。
マップ右にかかる橋が「蠡湖大橋」で、この橋の両側に「蠡湖大橋公園」がある。
北側の公園のエリアには「蠡湖公園」、「太湖之星遊覧園」、「蠡園」などがある。 -
「蠡湖大橋公園」の入口付近。
この風光明媚なこの地区の一帯は「無錫蠡湖国家湿地公園」だけでなく、「太湖黿頭渚風景区」などもあります。蠡園 (れい園) 広場・公園
-
湖畔から見る蠡湖。
-
周回道路沿いにあった屋台のようなもの。冰糖葫芦。
いちご飴みたいに、フルーツを串に刺して蜜をかけたようなもの。 -
同じく周回道路。江南名園「蠡園」とあり、国家AAAA旅游景区とされています。
-
公園入口にある庭。蓮のような葉をした鉢が多くあります。
-
「蠡園」と書かれた蠡園西北門
-
「百花山房」
白花山房は蠡園風景区に西北門から入るすぐで、南側に位置します。百花山房は西から東に位置し、3つの開いた部屋スタイルで、ホールには「三堂」の銘板がぶら下がっている。展示ボードとショーケースに囲まれ、主に庭の所有者である王氏家族の人生と歴史を紹介しています。 -
更に南へ行くと、「蠡湖煙緑」の碑。風光明媚な様子を表しているのでしょうか?
-
「東蠡湖」に浮かぶ「西施庄」のある小島に渡るため舟乗り場へ向かう途中。船に乗るのを最優先していたので、乗り場に急ぎ蠡園内部の他のエリアはいけず。既に午後3時くらいでした。
-
マップには湖に青い破線がありますが、これが航路を示しています。
南に位置する島が「西施庄」でここへ向かいます。
蠡園は地図の北側のエリア全域と西施庄を含んでいます。 -
「西施庄」の地図。ここでは1時間程度で島を廻る。
-
舟に乗船中。中はこんな感じで、デッキには出られません。
-
出港して舟乗り場方向を撮影。
写真中央の奥に見える建物は「無錫魯能万豪酒店」というホテル。 -
舟から東側の景色。
正面の高層ビルは「無錫君来湖濱飯店」で、観覧車は「太湖之星水上摩天輪」 -
舟から東側御景色。
中央の橋は「蠡湖大橋」。右側の大きな建物は「無錫大劇院」で、そのすぐ手前近くに「蠡湖大橋公園」がある。 -
まもなく「西施庄」に到着。到着する場所を夷光マ頭(マは石へんに馬)といいます。「西施」の本名は「施夷光」というので、その名前がついているのでしょう。
-
乗船した船は同じタイプ。
-
到着したら、すぐに西施のショーが始まるということでその会場へ。
無料です。ショーは各5分程度だったと思います。
「西施園」の中に「西施戯台」という舞台があります。 -
「跨越千年」という合奏と群舞。
水色の漢服を着た女性4人の音楽に合わせた踊りショー。
舞台の手前には「煙雨江南西施情」 -
「沉魚之美」という琵琶演奏と独舞。
一人の女性の踊り。ピンクの伝統的な漢服がきれいです。 -
「西施園」を出て島を時計回りに。
-
赤文字で「西施記憶」と書かれたところに角が2本ある牛のような黒い像が3体あり。
-
西施庄内にはコクチョウ(Black Swan)がいました。
-
コクチョウは、くちばしが赤く先端部分は黄色で特徴的です。
-
西施庄の隣(西側)にはより小さい小島があります。
-
「沉魚井」の近くにあった水車。
-
「浪琴舫」
撮影方向が悪いですが建物は船のような形をしています。
范蠡と西施は人目を避けるように生活をしていたため実際に船に乗って湖に出ることはできなかったので、船形の建物を作り、この中で夕涼みなどをしながら船に乗っている雰囲気を味わったそうです。 -
橋の上から内湖。
-
「西施」の像。
西施(せいし)は、世界三大美女の一人と言われる楊貴妃(ようきひ)や三国志でも有名な貂蝉(ちょうせん)、そして漢の時代の王昭君(おうしょうくん)とともに中国4大美人のうちの一人とされる春秋時代の人。
調べるとそれぞれ欠点はあり西施は足が太めだったらしく、常に丈の長い服装だったそうです。この像も丈が長いです。 -
帰りの船に乗らないとまずいので島を早く回り過ぎた。時間つぶしに乗船場付近でぶらぶら。
写真は遊歩道、橋、建物の全体。遊歩道にはベンチもありゆっくりできる。 -
船着き場近くを湖越しに撮影。
-
島内にある休憩所みたいなところと、湖に浮かぶ蓮。
-
「西施庄」から離れて戻ります。
西施庄到着は午後3時00分過ぎくらいでしたが、戻ってきたのは午後5時30分くらい。大体2時間半くらいは所要時間が必要でした。 -
到着してから蠡園及漁庄と記された「江蘇省文物保護単位」の看板を発見
-
タクシーで南禅寺近くに移動。午後6時過ぎ。
食べるところがたくさん並んでおりにぎやかな通り。 -
これは「冰酸奶」とありました。アイスヨーグルトです。
見ていると写真のような鍋のようなところに飲むヨーグルトみたいな液体を流してドライフルーツなどを入れて固めてました。
鉄板でクレープ焼くみたいで意外。 -
長沙の黒色「臭豆腐」は黒くて有名。
全国各地で見かけます。揚げてあるので臭いはほとんど気になりません。 -
こんな感じに黒い。少し焦がしているのでと思います。長沙は湖南省で、湖南省といえば辣の辛さです。味付けも写真の通り唐辛子で辛く。旨い。串に刺して食します。
この時の臭豆腐が美味しくて、他の所でも同じような店があるとたまに臭豆腐を買うようになった。 -
「南禅寺」牌楼と山門
手前のbingとあるところは、「旅客センター」。 -
牌坊前で記念撮影。
-
奥に入門票売り場があります。既に6時を過ぎているので中には入らず。
-
高さ43.3mの「妙高塔」
北宋の雍熙の時代に建築。 -
南禅寺は、南朝梁の太清年間(547年 - 549年)の創建で、当時は護国寺と称した。唐の咸亨年間(670年 - 674年)、「霊山寺」と改称。北宋の天聖年間(1023年 - 1032年)、仁宗により「福聖禅院」の名を賜った。城南にあるため、通称「南禅寺」と呼ばれている。
1949年以降、南禅寺は廃止され、住民住宅に変更された。1980年代に、政府は資金を投下し南禅寺の再建を行いました。1983年、無錫市人民政府は南禅寺を無錫市文物保護単位に認定。 -
河は「古運河」と呼ばれ遊覧船もある。
奥にあるホテルは「ホテル日航無錫」
川沿いにはレストランなどがならんでいる。 -
「古運河」の遊覧船。奥にもあります。
船の数は結構ありそう。 -
午後7:10頃の様子。ライトアップしているのできれいです。
-
「清名橋古運河景区」に向かう。正面の門の奥がそのエリア。
-
「運河古邑」の扁額のある入口門
-
入口門を逆方向から
-
右手のあるのはスターバックス。左にはハーゲンダッツも。
-
午後7時20分くらいの遊覧船。屋根部分もライトアップしている。
少し全体にボケてますけど。 -
橋の右手には上海料理で有名な「小南国」
目の前の河は「環城河」という。
同じく午後7時20分くらいの遊覧船。 -
近くの「南下塘街」と思われるストリートで食べるところを探す。
-
「老天街」という美蛙魚頭とあるように、蛙と魚の頭の火鍋の店で食べることに。
-
英語では「FishnGrill & Chir Chir」となっている。
-
6月も近かったが「火鍋」の店なので火鍋を。
具材はオーダーしますが、「イカ」「魚団子」「卵餃子」が既に火鍋には投入済み。 -
「蛙」もオーダー。味は鶏肉より少し柔らかいような感じだが淡白な味ですが、見るからに蛙というのが分かる部分もあります。
-
食べ終わって帰る途中。入口付近まで戻ると、中央に移っている石台には世界遺産の表示。
-
「世界遺産」の石台。「中国大運河」とあり下部に江南古運河無錫城区殿とあります。
中国では東北部にある北京から淮水、黄河、長江を通って、浙江省の杭州まで結ぶ、約2500kmの運河はまさしく大運河と呼ぶべきスケールを持ち「京杭大運河」と呼ばれ、世界遺産として登録されているのは、その中でも1011kmの運河と58ヶ所の関連設備などを含むものらしいです。そのうちの1つみたいです。 -
この時間はもう夜8時45分くらい。それでも遊覧船はまだ人が多く乗っていました。
-
翌日帰りに無錫市内から初めて地下鉄を利用。市の中心部からは駅まで距離も近いので、それまでは、タクシーや滴滴出行でハイヤーを呼んでいて乗ったこともなかった。
-
無錫駅前の広場の様子。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
64