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3月中旬。天気予報が晴れを伝えていたので、どこかへ行こうと考える。そして思い付いたのが、水戸の歴史館で開催されている『鹿島と香取』展である。かの鹿島神宮と香取神宮に伝わる宝物が一堂に会す展覧会である。滅多に観ることが出来ないものも展示されると言うことを聞いていたので、行ってみることにしたのだ。そして、改装された茨城の地酒を楽しめる店にも併せて立ち寄ることにした。<br /><br />(2023.03.18 投稿)

梅香る水戸へ~偕楽園と水戸城跡~

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2023/03/11 - 2023/03/11

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11

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旅猫

旅猫さん

3月中旬。天気予報が晴れを伝えていたので、どこかへ行こうと考える。そして思い付いたのが、水戸の歴史館で開催されている『鹿島と香取』展である。かの鹿島神宮と香取神宮に伝わる宝物が一堂に会す展覧会である。滅多に観ることが出来ないものも展示されると言うことを聞いていたので、行ってみることにしたのだ。そして、改装された茨城の地酒を楽しめる店にも併せて立ち寄ることにした。

(2023.03.18 投稿)

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
グルメ
3.5
交通
3.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JR特急 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 今回の旅は、久しぶりの上野駅からである。かつて、東北北陸への玄関口として、多くの長距離列車が発着した上野駅も、今は常磐線と高崎線の特急列車が姿を見せるだけである。この日乗り込んだのは、8時発の仙台行常磐線特急『ひたち3号』である。

    今回の旅は、久しぶりの上野駅からである。かつて、東北北陸への玄関口として、多くの長距離列車が発着した上野駅も、今は常磐線と高崎線の特急列車が姿を見せるだけである。この日乗り込んだのは、8時発の仙台行常磐線特急『ひたち3号』である。

  • 上野駅を出ると、すぐに車内放送が満席であることを告げた。混み合う理由は、この列車の停車駅で判明した。偕楽園駅に臨時停車するのである。そう、この季節、偕楽園は梅が見頃なのである。立ち寄る予定は無かったのだが、車窓に見えた満開の梅が目に入り、つい降りてしまった。

    上野駅を出ると、すぐに車内放送が満席であることを告げた。混み合う理由は、この列車の停車駅で判明した。偕楽園駅に臨時停車するのである。そう、この季節、偕楽園は梅が見頃なのである。立ち寄る予定は無かったのだが、車窓に見えた満開の梅が目に入り、つい降りてしまった。

  • 園内に入ると、風に乗って梅の香が強く漂って来た。今年は開花が早く、早咲きは散り、遅咲きが満開を迎えているようである。

    園内に入ると、風に乗って梅の香が強く漂って来た。今年は開花が早く、早咲きは散り、遅咲きが満開を迎えているようである。

  • それでも、まだまだ多くの樹が満開で、とても綺麗である。

    それでも、まだまだ多くの樹が満開で、とても綺麗である。

  • 偕楽園には、100種類ほどの梅の樹があるそうだが、その中には、深い紅色の品種もあった。『佐橋紅』と言う名前であった。

    偕楽園には、100種類ほどの梅の樹があるそうだが、その中には、深い紅色の品種もあった。『佐橋紅』と言う名前であった。

  • その艶やかな紅色の花の隣には、純白の花を付けた樹もあった。まるで、お互いを引き立てるように咲き競っている。

    その艶やかな紅色の花の隣には、純白の花を付けた樹もあった。まるで、お互いを引き立てるように咲き競っている。

  • 『春日野』と言う品種で、清らかな白が眩しいほどであった。

    『春日野』と言う品種で、清らかな白が眩しいほどであった。

  • さらに園内を歩いていると、何やら花がむずむずしてきた。これは、花粉が飛んでいると言うことである。そう言えば、かつてこの季節に偕楽園を訪れた時、煙霧に巻き込まれ、酷い思いをしたことを思い出した。そう、ここは、私にとって鬼門であったのだ。

    さらに園内を歩いていると、何やら花がむずむずしてきた。これは、花粉が飛んでいると言うことである。そう言えば、かつてこの季節に偕楽園を訪れた時、煙霧に巻き込まれ、酷い思いをしたことを思い出した。そう、ここは、私にとって鬼門であったのだ。

  • 時既に遅く、くしゃみと目の痒みが出て来てしまった。もう少しゆっくり観ていたかったが、脱出することを優先する。

    時既に遅く、くしゃみと目の痒みが出て来てしまった。もう少しゆっくり観ていたかったが、脱出することを優先する。

  • 梅園を通り抜け、北側にある好文亭表門から外に出た。この門は、偕楽園が開園した天保13年(1842)に建てられたもので、戦災を免れた貴重な建物である。

    梅園を通り抜け、北側にある好文亭表門から外に出た。この門は、偕楽園が開園した天保13年(1842)に建てられたもので、戦災を免れた貴重な建物である。

  • そこから少し歩くと、茨城県立歴史館に辿り着いた。ここで、『鹿島と香取』展が開催されている。中に入ると、偕楽園の賑わいが嘘のように静かであった。興味深い展示であったが、中でも国宝の『直刀・黒漆平文太刀拵』は見応えがあった。以前、鹿島神宮でも観たことがあったが、何度観ても素晴らしいと感じた。

    そこから少し歩くと、茨城県立歴史館に辿り着いた。ここで、『鹿島と香取』展が開催されている。中に入ると、偕楽園の賑わいが嘘のように静かであった。興味深い展示であったが、中でも国宝の『直刀・黒漆平文太刀拵』は見応えがあった。以前、鹿島神宮でも観たことがあったが、何度観ても素晴らしいと感じた。

  • 常設展示も観たが、こちらもなかなか興味深かった。

    常設展示も観たが、こちらもなかなか興味深かった。

  • 歴史館の敷地内には、移築や再建された建物がいくつかあった。すぐに目に付いたのが、茨木県立水戸農業高等学校旧本館である。元々この地に建てられたものだそうだが、移転先で幕を閉じたそうである。現在のものは、創建時の姿で再建されたものだそうだ。

    歴史館の敷地内には、移築や再建された建物がいくつかあった。すぐに目に付いたのが、茨木県立水戸農業高等学校旧本館である。元々この地に建てられたものだそうだが、移転先で幕を閉じたそうである。現在のものは、創建時の姿で再建されたものだそうだ。

  • 敷地の奥へ進むと、茅葺の建物があった。旧茂木家住宅である。江戸時代中期ごろに建てられたとされる農家の住居だそうだ。茨城県南部によく見られた真屋型と呼ばれる形式で、囲炉裏のある板の間がとても広い。

    敷地の奥へ進むと、茅葺の建物があった。旧茂木家住宅である。江戸時代中期ごろに建てられたとされる農家の住居だそうだ。茨城県南部によく見られた真屋型と呼ばれる形式で、囲炉裏のある板の間がとても広い。

  • そこから坂を下ると、水車小屋があった。二階建ての珍しい建物である。今でも、毎時ちょうどに水を通し、水車が回るそうだが、ちょうど終わった直後で観ることは出来なかった。

    そこから坂を下ると、水車小屋があった。二階建ての珍しい建物である。今でも、毎時ちょうどに水を通し、水車が回るそうだが、ちょうど終わった直後で観ることは出来なかった。

  • 出口の方へ戻ると、望楼のようなものがある洋風の建物があった。明治14年(1881)に建てられた水海道小学校本館で、復元移築されたものだそうだ。明治時代らしい、瓦屋根の洋風建築である。松本の開智学校は国宝となっているが、こちらもなかなか美しい姿をしている。

    出口の方へ戻ると、望楼のようなものがある洋風の建物があった。明治14年(1881)に建てられた水海道小学校本館で、復元移築されたものだそうだ。明治時代らしい、瓦屋根の洋風建築である。松本の開智学校は国宝となっているが、こちらもなかなか美しい姿をしている。

  • 歴史館の見学を終え、水戸駅の方へと歩いて行く。途中にで見つけたマンホールの蓋には、水戸らしく、梅の花が描かれていた。

    歴史館の見学を終え、水戸駅の方へと歩いて行く。途中にで見つけたマンホールの蓋には、水戸らしく、梅の花が描かれていた。

  • 大工町の辺りまで来ると、道の向こう側に渋い食堂が見えた。ちょうど昼時でもあったので、入ってみることにする。店内は、昭和の食堂の風情が漂うが、どことなく小奇麗な雰囲気でもある。

    大工町の辺りまで来ると、道の向こう側に渋い食堂が見えた。ちょうど昼時でもあったので、入ってみることにする。店内は、昭和の食堂の風情が漂うが、どことなく小奇麗な雰囲気でもある。

    いづみや グルメ・レストラン

  • 壁に掲げられた品書きを見ると、まさに定食屋である。しかも、安い。訊けば、最近全体的に100円ほど値上げしたそうで、もっと安かったそうである。ラーメンは、350円だったそうだ。チャーハンや餃子定食なども魅力的だったが、他の客に釣られて、カツカレーを注文した。

    壁に掲げられた品書きを見ると、まさに定食屋である。しかも、安い。訊けば、最近全体的に100円ほど値上げしたそうで、もっと安かったそうである。ラーメンは、350円だったそうだ。チャーハンや餃子定食なども魅力的だったが、他の客に釣られて、カツカレーを注文した。

  • 少し待つと、カツカレーがやって来た。何と、味噌汁が付いている。カツはと言うと、かなり控え目である。ご飯もカレー自体も量は少なめだ。値段は安いが、それに見合った味と量であった。しかし、地元の人が引っ切り無しに訪れている。平日なら、昼食時は行列が出来ることだろう。個人的には、量がちょうど良かったので、気に入った。

    少し待つと、カツカレーがやって来た。何と、味噌汁が付いている。カツはと言うと、かなり控え目である。ご飯もカレー自体も量は少なめだ。値段は安いが、それに見合った味と量であった。しかし、地元の人が引っ切り無しに訪れている。平日なら、昼食時は行列が出来ることだろう。個人的には、量がちょうど良かったので、気に入った。

  • お腹も満たされたので、再び歩き始める。そのすぐ先に、立派な建物があった。明治42年(1909)に竣工した旧川崎銀行水戸支店の建物だそうだ。最近まで、大手銀行の支店として現役だったそうである。空襲により、特徴的な銅葺きの屋根が焼け落ちてしまっているそうだが、今後、文化財として、創建時の姿に復元して欲しいものである。

    お腹も満たされたので、再び歩き始める。そのすぐ先に、立派な建物があった。明治42年(1909)に竣工した旧川崎銀行水戸支店の建物だそうだ。最近まで、大手銀行の支店として現役だったそうである。空襲により、特徴的な銅葺きの屋根が焼け落ちてしまっているそうだが、今後、文化財として、創建時の姿に復元して欲しいものである。

  • 道を挟んですぐの所にも、美しい建築物が立っていた。泉町会館として昭和30年(1955)に建てられたものだが、現在は、ワインと季節の薬膳料理を提供する洒落た店となっていた。食事をした後だったので入らなかったが、後でHPを観ると、欧風のかなり洒落た内装である。しかも、昼時の営業は週末だけだとあったので、ワインだけでも飲んで行けばよかったと後悔した。

    道を挟んですぐの所にも、美しい建築物が立っていた。泉町会館として昭和30年(1955)に建てられたものだが、現在は、ワインと季節の薬膳料理を提供する洒落た店となっていた。食事をした後だったので入らなかったが、後でHPを観ると、欧風のかなり洒落た内装である。しかも、昼時の営業は週末だけだとあったので、ワインだけでも飲んで行けばよかったと後悔した。

  • その先は、再開発が進み、巨大な施設ばかりで面白味が無い。泉町から南町へと入ると、アーケード街となった。その一角に、会沢正志斎の屋敷跡があった。会沢正志斎は、藤田幽谷の弟子で、徳川慶喜の師である。水戸学の思想家であり、後の尊王攘夷論に影響を与えた人物とされる。ただ、彼の著書『新論』の一部分だけが、吉田松陰などの過激な尊王攘夷派に利用されたのは残念である。

    その先は、再開発が進み、巨大な施設ばかりで面白味が無い。泉町から南町へと入ると、アーケード街となった。その一角に、会沢正志斎の屋敷跡があった。会沢正志斎は、藤田幽谷の弟子で、徳川慶喜の師である。水戸学の思想家であり、後の尊王攘夷論に影響を与えた人物とされる。ただ、彼の著書『新論』の一部分だけが、吉田松陰などの過激な尊王攘夷派に利用されたのは残念である。

  • そのアーケード街の歩道で、怪しい姿をした『みとちゃん』なるものが描かれているマンホールを見つけた。藁納豆の被り物に梅の髪飾り、印籠を付けた黄門様の衣装。まさに、『みとちゃん』と呼ぶにふさわしい姿である。流行りのご当地ものの中では、分かりやすいくて好印象である。

    そのアーケード街の歩道で、怪しい姿をした『みとちゃん』なるものが描かれているマンホールを見つけた。藁納豆の被り物に梅の髪飾り、印籠を付けた黄門様の衣装。まさに、『みとちゃん』と呼ぶにふさわしい姿である。流行りのご当地ものの中では、分かりやすいくて好印象である。

  • 水戸中央郵便局の手前で北側へ入ると、水戸城跡の西側に出る。そこには、大空堀が復元されていた。水戸城は、徳川御三家水戸徳川家の居城であるが、尾張徳川家の名古屋城、紀州徳川家の和歌山城と比べると、天守も石垣も無く、かなり見劣りがする。戦国時代の東国の城郭そのものなのである。

    水戸中央郵便局の手前で北側へ入ると、水戸城跡の西側に出る。そこには、大空堀が復元されていた。水戸城は、徳川御三家水戸徳川家の居城であるが、尾張徳川家の名古屋城、紀州徳川家の和歌山城と比べると、天守も石垣も無く、かなり見劣りがする。戦国時代の東国の城郭そのものなのである。

  • 旧三の丸には、茨城県庁の旧庁舎が建っている。昭和5年(1930)に建てられたものである。これまで訪れた県庁所在地には、旧庁舎が残っているところが結構多い。戦前に建てられた役所は、頑丈なものが多いようだ。

    旧三の丸には、茨城県庁の旧庁舎が建っている。昭和5年(1930)に建てられたものである。これまで訪れた県庁所在地には、旧庁舎が残っているところが結構多い。戦前に建てられた役所は、頑丈なものが多いようだ。

  • 三の丸跡のすぐ北側に、モスクのような変わった形の建物が見えた。行ってみると、『水戸市水道低区配水塔』と言う施設で、水戸市内の低地部分に配水するため、昭和7年(1932)に建てられたものだそうだ。平成11年まで現役で使われていたそうである。

    三の丸跡のすぐ北側に、モスクのような変わった形の建物が見えた。行ってみると、『水戸市水道低区配水塔』と言う施設で、水戸市内の低地部分に配水するため、昭和7年(1932)に建てられたものだそうだ。平成11年まで現役で使われていたそうである。

  • そのすぐ隣には、弘道館の剣術指南役であった小沢寅吉が構えた道場『水戸東武館』の立派な門があった。現在の建物は、空襲で焼失後に再建されたものだそうだが、なかなか立派なものである。

    そのすぐ隣には、弘道館の剣術指南役であった小沢寅吉が構えた道場『水戸東武館』の立派な門があった。現在の建物は、空襲で焼失後に再建されたものだそうだが、なかなか立派なものである。

  • そこから道沿いに東へと歩いて行くと、弘道館の敷地となる。入ってすぐの所には、学生の時を知らせた『学生警鐘』があった。吊るされている鐘は複製品だそうだが、実物も展示室に保管されているそうである。

    そこから道沿いに東へと歩いて行くと、弘道館の敷地となる。入ってすぐの所には、学生の時を知らせた『学生警鐘』があった。吊るされている鐘は複製品だそうだが、実物も展示室に保管されているそうである。

  • この日は、孔子廟が特別公開されていた。入ってみたが、孔子廟も空襲により焼失後に再建されたものであった。ただ、門だけは焼失を免れたそうである。歩いてみると、水戸市内は、空襲による被害が大きかったことが分かる。

    この日は、孔子廟が特別公開されていた。入ってみたが、孔子廟も空襲により焼失後に再建されたものであった。ただ、門だけは焼失を免れたそうである。歩いてみると、水戸市内は、空襲による被害が大きかったことが分かる。

  • さらに奥へ行くと、八卦堂が建っている。弘道館の中央に建っていた御堂であるが、やはり空襲により焼失している。堂内には、弘道館記碑と言うものが納められているが、空襲により損傷している。それでも、何とか失われずに残ったのは奇跡的である。

    さらに奥へ行くと、八卦堂が建っている。弘道館の中央に建っていた御堂であるが、やはり空襲により焼失している。堂内には、弘道館記碑と言うものが納められているが、空襲により損傷している。それでも、何とか失われずに残ったのは奇跡的である。

  • 敷地内には、水戸藩9代藩主徳川斉昭により創建された鹿島神社も鎮座している。この神社も空襲で失われたため、社殿は再建されたものである。ところが、どこかで観たことがあるような姿をしている。説明を読むと、式年遷宮で建て替えられた伊勢神宮の別宮である風日祈宮の旧社殿を譲り受けたものだそうだ。どうりで観たことがあるわけである。

    敷地内には、水戸藩9代藩主徳川斉昭により創建された鹿島神社も鎮座している。この神社も空襲で失われたため、社殿は再建されたものである。ところが、どこかで観たことがあるような姿をしている。説明を読むと、式年遷宮で建て替えられた伊勢神宮の別宮である風日祈宮の旧社殿を譲り受けたものだそうだ。どうりで観たことがあるわけである。

  • 境内の一角には、二本の巨樹に守られるように石碑が建っていた。『要石歌碑』と呼ばれるもので、斉昭自筆の和歌が刻まれていた。

    境内の一角には、二本の巨樹に守られるように石碑が建っていた。『要石歌碑』と呼ばれるもので、斉昭自筆の和歌が刻まれていた。

  • 鹿島神社に参拝した後、現存する弘道館を見学する。現在、正庁と至善堂、正門が残っているが、他の多くの建物は明治初期の水戸藩内の内紛により焼失したそうだ。相変わらずの広い敷地であるが、当時は、全国最大規模の藩校だったそうである。ちなみに、初代教授頭取の一人は、かの会沢正志斎である。

    鹿島神社に参拝した後、現存する弘道館を見学する。現在、正庁と至善堂、正門が残っているが、他の多くの建物は明治初期の水戸藩内の内紛により焼失したそうだ。相変わらずの広い敷地であるが、当時は、全国最大規模の藩校だったそうである。ちなみに、初代教授頭取の一人は、かの会沢正志斎である。

  • 弘道館の向いには、大手橋が架かり、その先には、令和2年(2020)に復元された大手門が聳えている。以前水戸城跡を訪れた時は、薬医門以外は何も無かったので、隔世の感がある。

    弘道館の向いには、大手橋が架かり、その先には、令和2年(2020)に復元された大手門が聳えている。以前水戸城跡を訪れた時は、薬医門以外は何も無かったので、隔世の感がある。

  • 大手門を入ると、そこはかつての二の丸である。普通、城の中心は本丸であり、天守や御殿が設けられるのだが、水戸城では二の丸が城であり、天守の代わりであった三階櫓や御殿があったそうだ。その西の外れにあったのが、彰考館である。水戸光圀が始めた『大日本史』の編纂が行われた場所である。今は学校の敷地となっていた。

    大手門を入ると、そこはかつての二の丸である。普通、城の中心は本丸であり、天守や御殿が設けられるのだが、水戸城では二の丸が城であり、天守の代わりであった三階櫓や御殿があったそうだ。その西の外れにあったのが、彰考館である。水戸光圀が始めた『大日本史』の編纂が行われた場所である。今は学校の敷地となっていた。

  • 二の丸跡は、そのほとんどが学校の敷地となっているため、立ち入れない場所となっている。その中で、令和3年(2021)に復元された二の丸角櫓は、細い通路を通って見学が可能であった。櫓の1階部分が公開されていて、城跡の絵図の他、大手門の門扉と伝わるものが展示されていた。

    二の丸跡は、そのほとんどが学校の敷地となっているため、立ち入れない場所となっている。その中で、令和3年(2021)に復元された二の丸角櫓は、細い通路を通って見学が可能であった。櫓の1階部分が公開されていて、城跡の絵図の他、大手門の門扉と伝わるものが展示されていた。

  • 二の丸跡の一角に、水戸城跡の大シイと呼ばれる巨樹が立っていた。樹齢約4百年と推定され、戦国時代からあったものと考えられているそうだ。

    二の丸跡の一角に、水戸城跡の大シイと呼ばれる巨樹が立っていた。樹齢約4百年と推定され、戦国時代からあったものと考えられているそうだ。

  • その脇から、学校の校庭沿いに細い道があり、そこを辿ると展望所があった。木々があり眺めは良くないが、水戸城が高台にあり、那珂川の流れが天然の濠の役目をしていることがよく分かる。

    その脇から、学校の校庭沿いに細い道があり、そこを辿ると展望所があった。木々があり眺めは良くないが、水戸城が高台にあり、那珂川の流れが天然の濠の役目をしていることがよく分かる。

  • 復元された杉山門を過ぎると、大きな堀切に出た。二の丸と本丸を隔てるものである。その底を、今はJRの水郡線が走っている。

    復元された杉山門を過ぎると、大きな堀切に出た。二の丸と本丸を隔てるものである。その底を、今はJRの水郡線が走っている。

  • 本丸跡も、学校の敷地であるため、自由に見学は出来ない。だが、その一角に、水戸城で唯一現存する建造物である薬医門が保存されている。その門は、本丸の表門であった橋詰門と考えられ、徳川以前の佐竹氏時代からあったそうである。

    本丸跡も、学校の敷地であるため、自由に見学は出来ない。だが、その一角に、水戸城で唯一現存する建造物である薬医門が保存されている。その門は、本丸の表門であった橋詰門と考えられ、徳川以前の佐竹氏時代からあったそうである。

  • 大堀切の脇を通る坂を下り、城跡の麓沿いに水戸駅へと向かう。駅前まで来ると、s回ほど訪れた二の丸角櫓が少しだけ望めた。それにしても、石垣の無い城に復元した櫓があると、何かしっくりと来ない。まるで、宇都宮城のようである。

    大堀切の脇を通る坂を下り、城跡の麓沿いに水戸駅へと向かう。駅前まで来ると、s回ほど訪れた二の丸角櫓が少しだけ望めた。それにしても、石垣の無い城に復元した櫓があると、何かしっくりと来ない。まるで、宇都宮城のようである。

  • 最後に、水戸光圀の生誕の地を訪れることにする。そこは、義公祠堂と言う小さな社が建っていた。当時、ここには家老三木仁兵衛之次の屋敷があり、光圀はここで生まれたそうである。

    最後に、水戸光圀の生誕の地を訪れることにする。そこは、義公祠堂と言う小さな社が建っていた。当時、ここには家老三木仁兵衛之次の屋敷があり、光圀はここで生まれたそうである。

  • 駅に着くと、まだかなり時間がある。そこで、気になっていた茨城地酒バーに立ち寄ることにした。しかし、梅まつり期間中の週末と言うこともあり、店内は大混雑していた。

    駅に着くと、まだかなり時間がある。そこで、気になっていた茨城地酒バーに立ち寄ることにした。しかし、梅まつり期間中の週末と言うこともあり、店内は大混雑していた。

    いばらき地酒バー 水戸 グルメ・レストラン

    つまみも充実 by 旅猫さん
  • それでも、運良くカウンターに座ることが出来、つまみが付いた三種の地酒が呑めるセットを注文した。

    それでも、運良くカウンターに座ることが出来、つまみが付いた三種の地酒が呑めるセットを注文した。

  • 酒は、よくあるコイン式の試飲器である。茨城各地の酒蔵の酒が48種選べるようになっていて、結構迷う。結局、追加分も含めて5種類呑んだが、どれも美味しく、茨城の酒もかなり良くなって来ていると感じた。その中で、一番気に入った木内酒造の『純米吟醸無濾過生原酒朝詰め』を土産として購入した。

    酒は、よくあるコイン式の試飲器である。茨城各地の酒蔵の酒が48種選べるようになっていて、結構迷う。結局、追加分も含めて5種類呑んだが、どれも美味しく、茨城の酒もかなり良くなって来ていると感じた。その中で、一番気に入った木内酒造の『純米吟醸無濾過生原酒朝詰め』を土産として購入した。

  • この店は、よくある試飲の出来る地酒販売店のようだが、つまみが充実していて、角打ちのようである。ざっと見ただけでも30種類はある。何と、あんこう鍋まであった。その中から、鯖の塩焼きと鶏もも肉の粕漬けを食べたが、どちらも悪くは無かった。

    この店は、よくある試飲の出来る地酒販売店のようだが、つまみが充実していて、角打ちのようである。ざっと見ただけでも30種類はある。何と、あんこう鍋まであった。その中から、鯖の塩焼きと鶏もも肉の粕漬けを食べたが、どちらも悪くは無かった。

  • あまり長居をしては悪いので、後ろ髪を引かれながらも店を出た。しかし、まだ1時間ほどある。どこかで時間を潰そうと、改札の前を通ると、案内表示に臨時特急の文字がある。急いで窓口へ行くと、南浦和駅に停まると言うので、通路側の最後の一席だったが、迷わず指定券を変更し、その16時31分発の臨時特急『水戸偕楽園八王子号』に乗り込んだ。おかげで、予定より早くに帰宅することが出来た。予定外の偕楽園での観梅などがあったが、美味しい地酒も堪能できた良い旅となった。

    あまり長居をしては悪いので、後ろ髪を引かれながらも店を出た。しかし、まだ1時間ほどある。どこかで時間を潰そうと、改札の前を通ると、案内表示に臨時特急の文字がある。急いで窓口へ行くと、南浦和駅に停まると言うので、通路側の最後の一席だったが、迷わず指定券を変更し、その16時31分発の臨時特急『水戸偕楽園八王子号』に乗り込んだ。おかげで、予定より早くに帰宅することが出来た。予定外の偕楽園での観梅などがあったが、美味しい地酒も堪能できた良い旅となった。

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この旅行記へのコメント (11)

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  • hot chocolateさん 2023/04/07 22:53:33
    mitonotabi
    旅猫さま

    こんばんは。
    茨城県は隣の県ながら、あまり行ったことがないのです。
    以前、水戸の偕楽園に行きましたが、梅の時期には早すぎて、寒くて、寒くて・・・
    時期を選べば、もっと楽しめたのに。

    明治14年に建てられた水海道小学校本館は、明治時代らしい、瓦屋根の洋風建築なんですね。
    小学校と云えども、当時の校舎は美しい建築物ですね。
    現代のコンクリート造りの校舎とは大きな違いです。

    旧三の丸に建っている茨城県庁の旧庁舎は、戦前に建てられたものなんですね。
    横浜にある神奈川県庁本庁舎も、戦前に建てられたものですが、茨城県庁の旧庁舎に似ています。
    昔の建築物は魅力的ですね。現代の物は奇をてらったものも多くて・・・

    hot choco

    hot chocolate

    hot chocolateさん からの返信 2023/04/07 22:58:01
    Re: mitonotabi
    旅猫さま

    mitonotabi⇒水戸の旅

    書いている最中に、UPされてしまいました。訂正です。

    hot choco

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2023/04/08 07:35:19
    RE: mitonotabi
    hot chocoさん、こんにちは。

    いつもありがとうございます。
    茨城県は、47都道府県の魅力度で、毎年最下位争いをしている件ですからね。
    茨城に旅に行く人は少ないと思います。
    それでも、梅の季節だけは偕楽園があるので、非常に混みます。

    戦前までの建物は、魅力的な建物が多いですよね。
    戦後は資材不足と高度経済成長期の効率重視、そして、今は風情の無い奇をてらったものばかり。
    どうしてこうなってしまったのか。
    後の世代に、情緒あふれる街並みを残せない。。。

    学校も、もう少し木の温もりのある校舎にすればと思っています。

    旅猫
  • ポテのお散歩さん 2023/03/21 21:32:36
    偕楽園
    旅猫さん こんばんは。

    水戸 偕楽園、快晴での梅の花は綺麗ですね。
    遠くから見ると まとまって見えるのですが、近づいて撮ろうとすると
    枝があちこち向いて、写真を撮るのがとても難しいです。
    タテ向きでの紅梅・白梅のお写真、梅の力強さと繊細さが表現された
    良いお写真ですね。
    偕楽園は随分前に一度だけ行きました。
    梅の季節に再訪したいです。

    梅園は綺麗でしたが、花粉も相当飛散していたようですね。
    私は檜の花粉の方が弱いので、杉が収まった頃が恐怖です(~_~;)

      ポテ

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2023/03/22 07:32:31
    RE: 偕楽園
    ポテさん、こんにちは。

    いつもありがとうございます。
    『鹿島と香取』を観るために訪れた水戸でしたが、ちょうど梅が見頃でしたので、ふらりと途中下車して立ち寄ってしまいました。
    梅の樹は、枝の間隔が離れているので、離れて取らないと難しいですね。
    近寄った場合には、枝を選んで花を強調しないと絵になりません。
    濃い紅色と真っ白な花を付けた二本の樹が隣り合わせだったので、それを対比するように撮りました。

    あの辺りは、スギ花粉がかなり飛んでいます。
    前回も凄かったのを、すっかり忘れていました(^^;
    ポテさんは檜なのですね。
    4月以降が怖いですね(^^;

    旅猫
  • チーママ散歩さん 2023/03/19 21:01:05
    こんばんは
    旅猫さん
    ようこそ茨城へ。
    ちょうど梅の時期に合わせていらしたのですね。
    私は車で行くので電車利用しないのですが。
    偕楽園駅? (^^;)
    そうでしたか。聞いたことはありましたが...
    時期にあわせて期間限定で駅ができるのですね。
    それにしても綺麗ですね。
    『春日野』の枝振りをご紹介している写真がいいですね。

    弘道館の近くもお散歩なさって、最後は酒蔵へ♪
    そうそう、今日ちょっと変わった酒蔵へ行きました。
    30年もワインと同じで琥珀色になるまで
    熟成させて頂く物もあるのですね。
    深い色を見ると美味しそうで下戸でも飲みたい気持ち
    になります(^^;)...


    旅猫

    旅猫さん からの返信 2023/03/21 06:33:02
    RE: こんばんは
    チーママ散歩さん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    茨城へお邪魔しました!
    梅の季節に合わせたのではなく、観たい展覧会があったので訪れたら、梅がちょうど見頃だったのです。
    車窓に梅が見えたので、急遽偕楽園駅で途中下車してしまいました。

    今回は、弘道館を含む水戸城跡を歩いてきました。
    最後は、駅の日本酒バーでまったりしました。
    日本酒には、最近熟成酒が多いのですが、個人的には新酒が好きです。

    旅猫
  • pedaruさん 2023/03/18 13:35:22
    水戸
    旅猫さん こんにちは

    思いついて出かけたのは水戸、即実行ですね。
    戦災に会ったのは残念ですが、徳川御三家のひとつですから、残ったものはさすがですね。水戸と言えば偕楽園、私は車で梅だけ見に行ったことがあります。
    街も歩いてみれば良かったかな、と今思います。
    偕楽園の近くに、刀剣の店があり、気に入った刀がありました。佐野でも、鎌倉でも、
    いい刀、つまり安くて良いもの、を見ました。旅先では良く見えてしまうのでしょうか?いつかはひとつ欲しいと思いながら、ついに買わずじまい、今更という気持ちになり、欲しくならなくなりました(笑)。
    定番の日本酒、つまみ、充実した旅でしたね。

    pedaru

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2023/03/19 18:10:53
    RE: 水戸
    pedaruさん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    今回は、『鹿島と香取』展が気になっていたので訪れました。
    ちょうど梅が見頃と知り、急遽偕楽園にも足を向けましたが、花粉にやられました。
    水戸は大空襲を受けたそうで、市内はほとんど焼け野原になったそうです。
    水戸城も、門が一つ残っただけで、弘道館もほとんど焼けてしまいました。
    この国は、先の大戦で、多くの建物や街並み、文化財を失い、残念です。

    刀剣類は、妖しい魅力があり、憑り付かれるとお金に糸目を付けなくなります。
    私の知り合いにも、それで大きな借金をこさえた人がいます(^^;

    茨城の地酒も楽しめ、なかなか充実した旅となりました。

    旅猫
  • salsaladyさん 2023/03/18 10:03:19
    水戸偕楽園で花【not 鼻?】ムズムズ❓
    ☆梅の花粉でも花粉症を引き起こすのかな? take care of you !

    ☆偕楽園前駅は臨時停車なんですね。昨年秋は知らずに偕楽園下の湖で遊んだのです~

    ☆鹿島神宮&香取神社の違いが判らないまま千葉と茨城の差❓としか感じてない~お粗末~

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2023/03/19 18:01:05
    RE: 水戸偕楽園で花【not 鼻?】ムズムズ❓
    salsaladyさん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    梅の花の花粉は問題ないのですが、あの辺りはスギ花粉が物凄いのです。
    煙霧と呼ばれるくらいで。。。
    偕楽園駅は、下り列車だけが、梅まつりの期間中だけ停車します。
    今年は、偕楽園駅までの切符も買えるようになったそうです。
    鹿島と香取は、伊勢と共に神宮を名乗る神社で、しかも利根川を挟んで両岸に立っています。
    共に歴史の古い社ですが、境内の雰囲気はかなり違っています。

    旅猫

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