1996/07/11 - 1996/07/20
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ヨーロッパ文明の源流のひとつ、ギリシア文明。
今では欧州の辺境に過ぎないこの国ですが、二千年前は世界最先端の思想と文化を持った地域だったのです。
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アクロポリスの「パルテノン神殿」とスニオン岬の「ポセイドン神殿」
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ギリシャ「サントリーニ島」の白い街並み★「イア」の町から見た美しい夕陽
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1996年、ギリシャを旅しました。
イタリアの踵、ブリンディシからフェリーでペロポネソス半島のパトラスへ。オリンピアを経由してアテネへと向かいました。
アテネからはフェリーでサントリーニ島を訪れました。
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- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船
-
イタリアの踵、ブリンディシの港からフェリーに乗って一晩(デッキで寝た)。午後1時頃、パトラスの港に到着した。
パトラスからは列車に乗りピルゴスへ、そこからバスに乗り換えてオリンピアへと向かった。
風景は、かなりの田舎風景。本物の田舎だ。
ギリシャはイタリアに比べ物価がかなり安い。
当時(1996年)、ギリシャの通貨はユーロではなく、ドラクマ(1Dr=0.5円ほど)だったが、ピタと呼ばれるサンドイッチが300Drで食べられたし、ユースも1400Drで泊れた。イタリアはこの倍はしたのだ。
写真は、オリンピアの駅 -
翌日、世界遺産、オリンピアの考古遺跡へと向かった。
古代オリンピックは紀元前776年、ここで始まったと考えられている。
当時のオリンピックは全能神ゼウスを崇めるための宗教的な行事としての色彩が強く、そのためローマ時代、キリスト教が国教となると開催は中止されてしまったという。
当時はオリンピアのほかにも、コリントやネメア、デルフォイなどでも同様の祭典が行われていたようである。
当時行われていたのは、1スタディオン(約191m)を走る競争(写真はその競技場)。
中距離走や長距離走、そして、幅跳び、円盤投げ、槍投げ、競争、レスリングを含んだ5種競技。
ボクシング、4頭立ての馬車による戦車競争、総合格闘技パンクラチオンもあった。 -
オリンピアの町にはNew MuseumとOlympic Game Museumという2つの博物館がある。
遺跡もいいが、この博物館もとてもよかった。
神話の彫像や武具、壺やメダルなど展示物が豊富だ。
特に、陶器には当時の競技の様子が描かれていて面白い。
オリンピアはとても小さな町。
10分も歩けば街を一回りできそうなほどだった。
街の外れには丘があった。
そこから眺めたオリンピアの夕景は素晴らしかった。
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古代オリンピック発祥の地、世界遺産「オリンピアの考古遺跡」で競技場跡を見る
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イチオシ
オリンピアからはバスでアテネへと向かった。
写真はご存知、パルテノン神殿。
アケメネス朝ペルシアと戦ったペルシア戦争での勝利を記念して守護神アテナに捧げられた神殿である。
紀元前433年の完成だそうだ。
46本ある柱はドーリア式が中心。この真ん中が膨らんだ形は、遠く日本の奈良時代の建築様式にまで影響を与えているということはよく知られていること。
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アクロポリスの「パルテノン神殿」とスニオン岬の「ポセイドン神殿」
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夕方、アテネの町にある一番高い丘、リカヴィトスの丘に登る。
標高273mの丘まで歩いて登ったので、汗だくになってしまった。
夕暮れの薄紫色のヴェールに包まれたアテネの街が見える。
向こうにはアクロポリスの丘とパルテノン神殿、さらに向こうにはエーゲ海の海が広がっていた。 -
アテネに着いた翌日、アテネの外港であるピレウスからエーゲ海の島、サントリーニ行きの船に乗った。
船賃は4,600Drだった。
船はパロス島、ネクソス島、イオス島と寄港しながら、9時間半かけてサントリーニ島に到着した。
サントリーニ島は、エーゲ海の南、キクラデス諸島の一番南端にある島である。
ギリシャではティラ島と言われている。
メインの町であるフィラは崖の上にあるため、写真のような階段を上っていかなければならない。
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ギリシャ「サントリーニ島」の白い街並み★「イア」の町から見た美しい夕陽
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写真はフィラの町。
このサントリーニ島は火山の噴火によって出来た島で、島は三日月形をしている。
三日月の輪の海の中に火山がぽっかりとあるのだ。
この島が形成されたという噴火は、紀元前1400年ごろ起こったとされている。 -
建物は岸壁の上に建てられている。
白壁で、屋根や扉が青い色で塗られている統一感のある景観が形作られていた。
島には、赤い崖に囲まれた「レッドビーチ」と呼ばれるビーチがあったので、そこで泳いだりした。 -
サントリーニ島には、いくつかの町があるが、旅行者向けのホテルやレストランなどが集まっているのがフィラの町。大抵の旅人はこの町に泊まる。
しかし、この町のハイライトとも言えるイベント、「サンセット」を見るには、島の西北にあるイアの町がベストだ。
そのため、夕暮れ時になると、島中の旅行者がイアの町に集まってくるのだ。 -
フィラからイアまではバスで行く。
バスは断崖絶壁の上を這うように進んだ。
イアの町はフィラよりもこぢんまりとしており、人の数も少ない。
落ち着いたいい雰囲気で、私は日没近くまで界隈をうろつき回った。
サンセットの時間が近づいてきた。
サンセット・ポイントには世界各国からの旅行者たちが集結している。
夕陽が角度を緩める度に、白壁の家並みはその色合いを深めてゆく。
太陽が水平線の彼方に沈む頃、街は青紫色に塗り潰されてしまった。 -
イチオシ
写真は、翌日見たフィラの町からの夕陽。
夕陽により朱色に染まったエーゲ海の海。
その上を一艘のフェリーが長い航跡を残しながら遠ざかっていく。
フィラの夕陽もイアのサンセット・ポイントに負けず劣らず美しかった。
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ギリシャ「サントリーニ島」の白い街並み★「イア」の町から見た美しい夕陽
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サントリーニ島からの戻りの船は夜行だった。
デッキ上の救命ボートのボックスの上に寝袋を敷き、夜を明かした。
アテネに戻った私は、アテネからアポロコースト沿いに南東へ約70キロの所にあるスニオン岬を見に行った(バスで2時間)。
スニオン岬には海神ポセイドンに捧げられた「ポセイドン神殿」がある。
紀元前5世紀半ばの建造で、様式はドーリス式で建てられている。 -
スニオン岬の丘の上に建つポセイドン神殿。
紺碧のエーゲ海を臨むそのロケーションは最高だ。
アテネ市内では、パルテノン神殿のあるアクロポリス、街を一望できるリカヴィトスの丘、土産物屋やレストランが並ぶプラカ地区など見どころが多いが、特におススメなのは、国立考古学博物館。
展示物の中でも、先史文明やミケーネ文明など、古典以前の彫像や壺、メダルなどのデザインが面白かった。
当時のアテネはゴミゴミして薄汚い印象で、街角には物乞いがたくさんいた。
EUに加盟し、アテネ五輪を経験したこの町がその後どうなっているのかは知らない。
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アクロポリスの「パルテノン神殿」とスニオン岬の「ポセイドン神殿」
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