1996/09/01 - 1996/09/19
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13年前、私はイランを訪れました。
当時、自由旅行でイランに行く日本人はそれほど多くなく、ガイドブックもありませんでした。
まだ、ネットも普及していなかったので情報を集めるのには苦労したことを覚えています。
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イランの旅
https://search-ethnic.com/tag/iran-travel/
1996年9月、イランを旅しました。
トルコから陸路で入国し、タブリーズ、マシュハド、テヘラン、ハマダン、イスファハン、シーラーズ、バムを巡った後、パキスタンへと抜けました。
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- 鉄道 高速・路線バス タクシー ヒッチハイク
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- イラン航空
-
イランへ入国するにはビザが必要です。
13年前、トルコのイスタンブールから東へ向かった私は、アナトリア高原の町、エルズルムを訪れました。
ここにあるイラン領事館でビザがもらえるというのです。
イラン領事館ではトランジットビザを取得できました。
申請に必要なものは、写真2枚と米ドル50ドルの銀行振込証明書。
街の写真屋で写真を撮影し、トルコ・ジラートバンクへ行って、50ドルを振り込んで証明書を貰いました。
午前中申請で午後受け取り。
1週間のビザなので、イラン入国後にビザの延長申請をする必要があります。
ビザ取得後、私は国境近くの街、ドゥバヤズットへと向かいました。
【写真はエルズルムの町】 -
ドゥバヤズットというトルコの町から、ノアの箱舟が漂着したというアララト山を左手に望み、ドルムシュ(ライトバンのバス)で走ること20分、大型トレーラーの連なる国境に到着しました。
スタンプを押して、外貨の申告をする。荷物はノーチェック。
ここの国境事務所には、部屋の真ん中にラインが引かれ、トルコの受付とイランの受付が向かい合う形になっています。
トルコ側には、国父ケマル・アタチュルクの肖像画、イラン側には、アヤトラ・ホメイニの肖像画が掲げられていました。
国境を越えた私は、まず近場の街、バザルガンへヒッチし、そこからタクシーでマクーという町まで行きました。マクーからはバス、イラン西部の大きな町、タブリーズ行きのバスに乗りました。
ところで、私のビザはトランジットビザなので、1週間の期間しかありません。
そこで「ビザの延長」という手続きをすることになります。
ビザの延長は、ポリスオフィスで行うのですが、各都市によって延長してくれる期間が異なります。
この時の情報ではタブリーズが比較的長くくれるという話でした。
タブリーズに着いてポリスオフィスを探しますが、探すのだけで一苦労。
ようやくオフィスに着き、書類を書いて、いくつかの質問に答えます。
「イランの滞在予定地」「これから向かう国」などを訊かれました。
無難なことを言って、オフィサーの心証を良くしようと努めたせいか、係員は20日間延長してくれました。
【写真はドゥバヤズットのイサク・パシャ宮殿】 -
タブリーズで泊った宿は、Hotel Morvarid(10,750リヤル)。
タブリーズでは両替をしました。
私は銀行、ではなく、バザールに向かいました。
怪しいバザールの中での両替、闇両替です。
この当時、イランでは銀行のレートと闇のレートは、確か10倍近くあったと思います(闇ではだいたい、1ドル=4100リヤル、公定レートは忘れてしまいました)。
宿の人も、バザールのおっちゃんも米ドルが欲しいんでしょう。米ドルの闇両替は公然のこととして行われていました。
タブリーズからは、夜行列車でテヘランへと向かいました(15,000リヤル)
テヘランは大都会でした。
特に興味深かったのは、日本語を話すイラン人にたくさん出会ったことです。
彼らはバブルの頃、日本に出稼ぎに来ていた人々で、日本をかなり懐かしんでおり、私が日本人だとわかるといろいろ話たがったり、親切にしてくれました。
テヘランで観光した場所は、写真のアザディ・スクエアと、宝物館(クラウンジュエリー)です。
宝物館には、ダイヤやルビー、エメラルドでちりばめられた王冠や宝剣、地球儀などがあり、トプカプ宮殿の宝物館以上の豪華さでした。
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イランの見どころ(テヘラン・マシュハド・ハマダン)とイラン事情をご紹介
https://search-ethnic.com/travel/iran/ -
テヘランからは飛行機で北東部にある聖地マシュハドに行きました。
飛行機は、街の代理店でゲット。
66,500リヤルです。1時間半の飛行。
テヘランからマシュハドは、東京から福岡くらいの距離があるのですが、飛行機代が1,600円程度とはかなりの安さ。
鉄道だとその半分。バスだとさらにその半分くらいになります。
イランは石油が豊富なので、移動は格安なのでしょう。
テヘランの空港まではタクシーを使いました(4,000リヤル)。
出発は23:30分。夜のフライトでした。
【写真はマシュハドのイマーム・レザー廟】 -
マシュハドへの機内で日本女性とイラン男性の夫婦に出会い、この日の晩は彼らの友人宅に泊めてもらいました。
マシュハドは第八代のイマーム、アリー・アル・レザーの殉教地として知られ、イランにあるただひとつのイマームの廟として、多くの参拝者が訪れるところです。
イマーム・レザー廟には、機内で出会ったイラン男性と共に夜訪れました。
敷地内は広大です。ドームやミナレット、美しいゲートによって囲まれています。
鏡張りの部屋があり。鏡のモザイクが、とてもインパクトありました。
中心にあるイマーム・レザーの墓は人で溢れかえっていました。
ものすごい熱気です。
廟に頭を擦りつけたり、涙を流している人もいました。
写真は廟のチケットです。
ここは、イランの人と一緒でないと入ることは出来ないのかもしれません。
寄付が1,000リヤル。カメラ持込不可です。
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イランの見どころ(テヘラン・マシュハド・ハマダン)とイラン事情をご紹介
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マシュハドの最初の宿泊は、イラン人と日本人の夫婦の友人宅に泊まりましたが、翌日は市内の宿に宿泊しました。
Zahedan Momtaz(ダブル15,000リヤル)。
シャワーはなく、近くのハマムに通います(ハマムは900リヤル)。
イランのハマムはトルコなどとは違って普通のシャワー室でした。
写真はチキンライス屋。
イランの食堂はあまりメニューが豊富ではなく、チキンライスやケバブ、サンドイッチなどが主でした。
一方、スイーツ類(フレッシュジュースやアイスクリーム、ハチミツ漬けのお菓子など)は、かなり充実している印象です。 -
世界最大の湖、カスピ海です。
ここでキャビア、チョウザメの卵が獲れます。
ここは、マハムド・アーバードという町です。
この町はいい所だとイランの人に聞いたので、マシュハドから夜行バスで向かいました。
約6時間の行程。
しかしながら、本当に何にもないところ。
早朝、誰も居ない湖をぶらぶらと散策した後、テヘランに行くという乗合タクシーに乗って街道を飛ばし、たった3時間でテヘランに着きました。 -
写真は、ハマダーンにあるアリサドール・ケイブという洞窟です。
ハマダーンは、イラン中西部にあるハマダーン州の州都で、かつてのメディア王国の首都、エクバタナのあった町だそうです。
市内のミニバスターミナルからミニバスで約2時間(2,500リヤル)。洞窟は5,000リヤルでした。
この辺りは広々とした高原地帯。
ですが、入口を入るとびっくり!
広大な洞窟が広がっています。
内部には水が溜まっており、入場者はボートで移動します(ガイドが3台連結の足漕ぎボートで引っ張る)。
洞内はかなり広く、水がある部分では13mの深さがありました。
水は透き通っており、鍾乳石の造形も見事でした。
暑い外と違って、洞内はひんやりとしています。 -
テヘランから南東へ340キロ、バスで7時間の所にある町、イスファハン。
サファビー朝の都であったイスファハンはかつて、「世界の半分」といわれたほど繁栄した町です。
そのイスファハンで最大の見所が、このイマーム広場です。
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イスファハンの「イマーム広場」とシーラーズの「シャー・チェラーグ聖廟」(イラン)
https://search-ethnic.com/travel/isfahan-shiraz/ -
広場の大きさは512m×159m。
池と噴水が配置された芝生の広場で、周りにはアーケードの回廊がぐるりと取り囲んでいます。
広場の四面には、
南に「マスジェデ・イマーム(王のモスク)」、東に「マスジェデ・シェイク・ロトフォーラー」、
西に「アーリ・ガープ宮殿」、北にはバザールの入り口があります。
写真は、マスジェデ・イマームの入り口にある鍾乳石飾り。 -
これは、マスジェデ・シェイク・ロトフォーラー。
王室専用のモスク、柔らかいクリーム色のドームの色彩がとても印象的です。
イスファハンでは、旅人によく知られている宿、Amir Kabir Hotelに宿泊しました(8000リヤル)。
この宿には数多くの旅人たちが集まってきており、日本人もたくさんいました。
旅の話はいつ果てることもなく続きました。 -
これは市内を流れるザーヤンデ川に掛かる橋、「シオセポル」です。
シオセとは33という意味。33のアーチがある橋です。
下に見えるのはチャイハネ(喫茶店)です。 -
シオセポルの夜。
橋の下のチャイハネでは、水煙草(シーシャ)を吸うことができます。
お酒はありませんが、チャイを飲み、シーシャを吸いながら川の流れやライトアップされた橋、イランの人々が語らう様を見るのはなかなかよいものです。 -
イラン南西部にある町、シーラーズ。
イランではバラと詩人の町として知られています。
イスファハンから夜行バスで8時間半ほどで到着しました。
写真は、シャー・チェラーグ聖廟です。
シャー・チェラーグはシーア派第8代のイマーム、アリー・レザーの弟で、このシーラーズで殉教したのだそうです。
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イスファハンの「イマーム広場」とシーラーズの「シャー・チェラーグ聖廟」(イラン)
https://search-ethnic.com/travel/isfahan-shiraz/ -
シャー・チェラーグ聖廟は、観光客でも入ることができます。
中へは靴を脱いで入ります。
入り口の鏡張りの鍾乳石飾りには、ホメイニ師とハメネイ師の肖像が掲げられていました。
内部は全面鏡張り。向かって左側が男性用で右側が女性用の部屋です。
中央にシャー・チェラーグの墓が横たわっており、参拝者たちは墓に頭をこすりつけたり、キスしたりしていました。 -
アケメネス朝ペルシアの首都、ペルセポリス。
シーラーズの北東約60km、ミニバスとタクシーを乗り継いで1時間ほど走ったところにペルセポリスの遺跡はあります。
紀元前520年、アケメネス朝ペルシア第3代の王、ダレイオス1世の手によって建設が始められたといわれる施設、それがペルセポリスです。
ここでは毎年帝国の新年祭が執り行われ、帝国中の諸民族が王に貢物を捧げたのだそうです。
写真は、遺跡の入り口にある「クセルクセス門」。
2体の人面有翼獣が立っています。この門は「万国の門」とも呼ばれていました。
偶像を禁じるイスラムによって顔の部分は破壊されています。
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どちらも壮大!イランの世界遺産の遺跡2箇所|「ペルセポリス」と「アルゲバム」
http://search-ethnic.com/travel/persepolis-bam -
イチオシ
写真は、ダレイオス1世謁見の間です。
高さ約20mの柱が何本も並ぶ広間。かつて、あの柱の上にはレバノン杉でできた屋根が載っかっていたそうです。 -
アケメネス朝ペルシアが滅んだのはダレイオス3世治世の紀元前330年のことです。
マケドニア(ギリシアの北)のアレクサンドロス大王の侵攻により、帝国は蹂躙され、ペルセポリスは徹底的に破壊されてしまいました。
ペルセポリスへのアクセスは、バスターミナルからマルブダシュト行きミニバスで約1時間。そこから乗り合いタクシーに乗って行きました。
ペルセポリスの料金は当時10,000リヤル。 -
イチオシ
シーラーズから夜行バスでケルマンへ(約9時間)。朝6時ごろ到着し、7時発のバム行きのバスに乗ります。
バムに着いたのが午前10時半。
9月下旬、バムは猛烈な暑さでした。
写真は、バムの最大の見所、アルゲ・バムの遺跡です。
2003年12月26日、バムはマグニチュード6.6の地震に見舞われましたので、この写真は地震で崩壊する前の遺跡の姿ということになります。
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どちらも壮大!イランの世界遺産の遺跡2箇所|「ペルセポリス」と「アルゲバム」
http://search-ethnic.com/travel/persepolis-bam -
アルゲ・バムは16世紀から17世紀の間、サファヴィー朝の時代に建造された都市です。
18世紀にアフガン人の攻撃を受けて廃墟となったとのことですが、それ以後、2003年の地震が起こるまで、その姿を留めていました。
地震で崩壊後、ユネスコの世界遺産に登録され、現在は修復作業が行われているそうです。
私はアルゲ・バムの遺跡を見た後、バスでザヘダンへと向かい、国境を越えてパキスタンに入国しました。
しかし、2001年の同時多発テロ、そして、アメリカのアフガン空爆以後、この地域はかなりリスキーなエリアとなってしまっています。
何はともあれ、とにかく暑かったです。
それが、バムを訪れた私の一番の記憶です。
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