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楽浪幻想4:万葉集 日本書紀 国民道徳要領・・・たとえば愛国心

万葉集 日本書紀 国民道徳要領という三つテーマの関係はだんだんハッキリしていくはずだから、しばらくのご辛抱をお願いしたい。

また、私の西洋思想研究がどのように「国民道徳」と関連するのか、これについても少しずつ述べていく予定である。

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戦前の「文検(文部省中等教員検定試験)」受験のための「国民道徳要領」や「修身科」の参考書類を取りあげ、具体的にその内容を批判的に考察し、同時にそれが依拠している当時の出題委員あるいは学問的権威、すなわち主に東京帝国大学の哲学や倫理学や教育学の教授たちの研究業績に関係づける、というのが私の国民道徳研究の方向である。

戦前に中等教員を志した日本人が必死に身に付けようとした「国民道徳」の内容たとえば「愛国心」を、上記の参考書の記述にそくして具体的に検討すること。そしてその「国民道徳」が、当時の国家権力の側にあったいわば高級イデオローグたちの諸研究をどのように通俗化しているのかを明らかにすること。

たとえば私の手許にある『文検受験用国民道徳要領』(大同館書店、総頁数468)は、大正5年(1916)に初版が出て、大正14年(1939)までに32版を数えている。この大正デモクラシーの時代には、ロシアのアナーキスト、クロポトキンの『倫理学』の出版がまだ可能であり、憲兵に虐殺された大杉栄の著書も出回っていたが、同時に、国粋主義の「国民道徳」が、中等教育を担った教員全員に叩き込まれたのであった。

大正デモクラシーと言われる時代に、デモクラシー否定の傾向を持つ「国民道徳」が、大日本帝国公認の道徳として、高級インテリではない中等教員によって、10代半ばの若者たちに教え込まれたということだ。おそらく、丸山眞男も橋川文三も、そのような道徳教育を中等学校で受けていただろう。

だが、この時代、教育現場ではどの程度まで道徳教育が徹底されたのだろうか。大正デモクラシーが終わり、教育勅語発布40周年にあたる昭和5年(1930)、すなわち破滅へと向かうファシズムがその不気味な顔を国民に向け始めたころ、『最新指導 文検修身科受験法』が出版された。ここに面白いことが書かれている。

「修身科の位置 修身は各教科の首班にあって、凡ての教科を善の規範より統一すべき重大任務がある。殊に昨今の思想傾向並びに世相に顧みて殊に必要感を増して来た。然るに従来中等学校の修身科を見渡すに多くは形式一片の教科とし、又は校長の片手間の仕事として、かの様に扱われて来たのであった。此れ甚だ不可解な現象であって、言を教育云々に及ぶ身であり乍ら何等本科の位置の重要味を味得しない憾みが多かった。此れは一に試験の為めの教科に勢力を奪われて、本科の能力を十分に発揮せしめる事が出来なかったかによるとも思われる。然れども学校内に一事件勃発すれば、凡てが修身科擔任者の責任かの様に迄取沙汰する弊も言語道断である。」

この証言からすると、昔も現在と同じように道徳教育はぞんざいに扱われていたようである。実際当時でも、道徳を修身科の文検のレベルで、丸山や橋川に向かってならいさ知らず、ふつうの中学生に理解させるのは困難であっただろう。

この本には、大正2年(1913)から昭和4年(1929)までの修身科の文検論述問題が収録されている。驚くべきことに、西洋思想に関する問題も毎年のように出されていたのだ。カント、プラトン、ベンサム、ミル、ホッブズ、ストア哲学、スピノザ、グリーン、フィヒテ、ロック、ヘーゲル、アダム・スミス、ニーチェ、コント、スペンサー、ケンブリッジ学派についてである。もちろん、西洋思想については、天皇中心主義の観点から批判的に述べなければならなかった。

文検全体の受験者は毎年八千名を下らなかったそうだ。修身科だけで見ると、昭和2年(1927)の受験者は476名で、本試験合格者は63名となっている。「約十名につき一名の合格率という、一般の標準よりはずっとよくなっている。そして本試験の及第者数も多い方であって、此れは他の科目と比較して合格し易い事を物語っている。」

「修身科は理科・博物・物理・化学の如き特別の実験はなく、体操・音楽・手工・図画等の如き技能も要しないから、普通人にして常識を以って研究に従事して然も一年にて完成する事が出来る。」

大正5年(1916)から、文検全科目に「国民道徳要領」の試験が課せられたから、国民道徳に似ている修身の試験は、受験者にとって楽であったのかもしれない。ともかく、「修身科」の試験は、「普通人にして常識を以って研究に従事して」いる者には、比較的楽であったということだ。

では、当時の「常識のある普通人」は、大正デモクラシーの時代にあって「デモクラシーを否定できる」人間であったということだろうか。

大正5年(1916)直前の、明治43年(1910)には韓国が日本に併合され、国内ではいわゆる幸徳事件(大逆事件)が起こり、死刑判決が下された24名中12名が減刑され残りが処刑された。「特別高等警察」が設置され、この暴力組織によって日本国民は自由を失っていく。中国では「革命」すなわち辛亥革命が起こり、清が滅亡する。
(続く)

                          ∴

私が、「漢語」に対して「やまとことば」を強調するとき、日本列島への漢字・漢文の伝来以前に、純粋な「やまとことば」が存在していた、すなわち朝鮮半島や、もしかしてポリネシアなどの島々から影響をこうむっていることのない「やまとことば」が存在していた、と言いたいわけではない。

私のなかの「漢語」と「やまとことば」の区別は、私が欧米語の文献を翻訳するときにしばしばもつ或る違和感にもとづいている。たとえば、日常会話で、「それはちがっている」とは言っても、「そこには差異がある」などとはあまり言わない。しかし、哲学書を訳すときには、「ちがい」よりも「差異」という漢語を使ってしまう。

ドゥルーズの主著の表題を『差異と反復』と訳したが、いつか述べたように、『ちがいとくりかえし』と訳してもよかったかもしれない。私のなかでは、「差異」よりも「ちがい」の方がピンとくる。だが、『ちがいとくりかえし』という「やまとことば」はだらつく。『差異と反復』という漢語の表現の方がスッキリするし、書き言葉ではなぜか「漢語」の方が高尚な感じがする場合が多い。というわけで、『差異と反復』という訳語を採用した。

ちなみに「差異」という漢語はすでに『三国志』に、「反復」は『易経』の「象伝」に現れている古い言葉だ。

万葉集のいわゆる「やまとことば」には朝鮮半島の諸地域の言葉が混じっていると言われている。そのことは、「『万葉集』と古代歌謡」(『日本の朝鮮文化』司馬遼太郎、上田正昭、金達寿編、1972年、所収)以来、さまざまな研究によって明らかにされつつある。万葉仮名のいくつかのヤマトコトバ的発音に、百済、新羅、高句麗時代の朝鮮語の発音を聞き取りうるということだ。(もちろん、すでに明治初期に、『日本書紀』における「保食神(うけもちのかみ)」に関する記述は、朝鮮語で解釈できるという研究が発表されている。)

だから、私が翻訳に際して「やまとことば」の方が体に馴染んだ言葉だといっても、その「やまとことば」には古代朝鮮語が潜んでいるかもしれない。だが、その問題は言語学者たちに任せよう。また、低レベルのナショナリズムに駆られた議論も見受けられるが、こんなものにはかかわらないでおこう。

いま私が問題にしているのは、いわゆる万葉仮名で表記された万葉集の原文、つまり万葉集の漢字原文である。そして、万葉仮名(漢字)を、表音文字というより表意文字として、しかも漢文の文法は無視して読んだ場合、そこに、意味のポリフォニーを聞き取ることでできる、あるいは幻想することができる、というのが私の考えである。
(続く)
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プロフィール

財津理

Author:財津理
思想研究家
法政大学名誉教授

連絡先:[email protected]

主な翻訳(共訳を含む)
ドゥルーズ『差異と反復』(河出書房新社)
ドゥルーズ『経験論と主体性』(河出書房新社)
ドゥルーズ/ガタリ『哲学と何か』(河出書房新社)
ドゥルーズ『シネマ1*運動イメージ』(法政大学出版局)
モニク・ダヴィド=メナール『ドゥルーズと精神分析』(河出書房新社)
メルキオール『現代フランス思想とは何か』(河出書房新社)
メルキオール『フーコー 全体像と批判』(河出書房新社)
オニール『言語・身体・社会』(新曜社)

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