いんたーねっと日記

141文字以上のものを書くところ

震災と、「眠りつづけて死ぬ」のこれまでと、これからの話

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当時の写真
2010å¹´8月20日、僕は@の呼びかけで目黒二郎に行くオフ会に参加した。このときは10人くらい集まって、完食したあとみんなでその近くにある目黒寄生虫館に向かった。ホルマリン漬けにされた寄生虫や寄生された動物の標本なんかをはしゃぎながら見ていたのだけど、2階の世界中の寄生虫由来の病気について解説された展示の、病気にかかった患者さんの写真に僕は目を奪われた。
屋外に上半身裸で横たわる男性の写真の下には「このまま眠りつづけて死ぬ」とだけ書かれていた。
これはツェツェバエが媒介する寄生虫トリパノソーマによる病気「睡眠病」の患者の写真で、この男性はこの病気の患者で痛ましい写真のはずなのだけど、その下に「このまま眠りつづけて死ぬ」とだけキャプションが書いてある状況があまりにシュールで、きっとこの言葉を選んだ人はこういう反応を狙っていたわけではないのだろうけど、非常にハイセンスだと思った。目黒寄生虫館を出てから目黒駅まで歩く間、この「眠りつづけて死ぬ」というフレーズのことで盛り上がって、その場でこのフレーズを使ってできる一番面白いことということで、Webサービスを作ることを思いついた。
当時は「なるほど四時じゃねーの」というWebサービスが流行っていて、Twitterを使っている誰もが(と言うと言い過ぎかもしれないけど)「なるほど四時じゃねーの」というフレーズを知っているという状況になっていた。これを真似て、自動で「このまま眠りつづけて死ぬ」と発言するようにすれば流行るんじゃないかと思っていた。そして、たとえば朝に待ち合わせなんかをしたときに、なかなか現れない相手のTwitterの発言を見に行ったら「このまま眠りつづけて死ぬ」と書かれていたらインパクトがあるよな、というふうに考えた。そういう理由で、「8時間発言をしなかったら『このまま眠りつづけて死ぬ』と発言する」という仕様を目黒駅につくまでの僅かな時間で考えた。
このころはまだ夕方に田園都市線沿線の某所で塾講師のアルバイトをしていて、目黒から直接向かうにはまだ早い時間だったし、せっかく面白いWebサービスのアイデアを思いついたので作りたい気持ちもあって、渋谷のルノアールで持っていたネットブックを使って2時間くらい作業することにした。まだOAuthの仕様をちゃんと把握していなかったので、渋谷のルノアールでの作業の半分くらいは認証部分の製作にあてた。このあいだ、hironicaは向かいの席でわりとマジメな作業をしていた気がする。hironicaと別れてアルバイトに向かう間もコードを書いて、5時間のアルバイトのあともコードが書きたくて仕方がなかったので、中央林間のマクドナルドで終電近くまで粘ってコードを書き続けた。
そして基本的な機能が完成して、家に帰ってサービスとして公開した。


サービスは徐々にユーザーが増えて、いつの間にか数千人が使うようなサービスになっていた。それに従ってコードにも手を加えて、発言するまでの時間を自分で設定できるようにしたり、なるべくクロール回数を抑えるようにしたり少しずつ並列化したりしたのだけど、大元の部分はこの日に1日で書いたコードがそのまま使われて現在まで動きつづけている。今年のはじめにたまたま「死ぬ.jp」というドメインが取れてしまったので、URLも http://眠りつづけて.死ぬ.jp/ に変更になった。

2

2011年3月11日、僕は大学院の入学手続のために学校に行くことになっていた。その前日にSkypeのチャットで大学の先生に別の事務手続きを頼まれていて、その2つの用事が終わったらお台場の科学未来館で開かれていた学会に向かうか、夕方からの塾のアルバイトに行くか、時間次第で決めようと思っていた。
事務の手続きは連絡の行き違いなどで手間取って、全部終わったのは14時ごろだった。これは学会に行くのは無理だなと思って、それなら研究室で時間を潰して夕方にバイトに行こうと思っていたところで、大きな地震がきた。その場でiPhoneだけ掴んで机に潜った。もうこれで東京は終わるのかなと思った。潜っていた机のすぐ真横で本棚の上にあったランプが落ちて割れた。
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最初の揺れが収まってみると、あちこちで物が落ちたり割れたりしていた以外に大きな被害はなくて、余震は続いていたものの、研究室のメンバーやネットの向こうにいる人に状況を伝えようと思ってとりあえず写真を撮って、廊下にいた掃除のおばさんに箒やちりとりを借りて片付けをしたりしていた。やがて放送が入って、構内にいる人は全員グラウンドに避難するようにとの指示だったので、グラウンドに避難した。
グラウンドに行っても特にやることもなくて、それより家の冷蔵庫の上にあったお酒の瓶などが割れていないかが心配だったので自転車で帰宅した。
家に帰ると、お酒の瓶は無事だったものの、台所で土鍋が落ちてその蓋と、下敷きになった皿とマグカップが1つずつ、洗い物を干すカゴに入れてあったビアグラス1つが割れていたのと、液晶モニタが1つ落ちていたのと、CDを詰んであった山が崩壊していた。停電の形跡もなかったし大丈夫だろうと思って、電車が止まって帰れなくなっている人がいたら受け入れるという旨をTwitterに書いた。2人がこれに応えたので、営業を再開したスーパーで買い物をしてカレーを作って、3人でテレビ2台をつけっぱなしにして情報を収集しつつ食べた。
この晩、「『眠りつづけて死ぬ』が不謹慎だと言われたらどうしよう」という話をしたりしていたし、そのことをTwitterに書いたりもしていたのだけど、このときはそこまで深刻にそのことを考えていなかった。
地震の翌日は、あちこちで店が閉まっていたり物資が不足していたりしていて、テレビはどこの局も地震の話ばかりしていてノイローゼ気味だったし、無気力に生活していた。
ふと思い立って眠りつづけて死ぬで使用しているデータベースから、地震の直前の24時間に発言していて、そのあとの発言がない人を検索してみたら数十人が出てきた。それと同じころ、「この時期に『眠りつづけて死ぬ』は洒落にならない」「嫌な気分になる」という発言をいくつか見かけて、さらにそういうmentionも飛んで来るようになった。被災地の情報を優先させるためとか節電のためだとか不謹慎だからとかいう理由でTwitterで使用していたbotの運用を止めようなんていう話題もあった。そろそろ限界なのかなとも思った。

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そもそも、「このまま眠りつづけて死ぬ」は最初から不謹慎さや悪趣味さを自覚して作っていた。おかげで作ってすぐの頃に2chに晒して叩こうとした人もいたみたいだし、あまり精力的に探したりはしていなかったけど(なにせ「このまま眠りつづけて死ぬ」というフレーズをばら撒くためのサービスだったので、検索から反響をすべて探すのは不可能だった)万人に好評だというわけではなかった。あたりまえだと思う。僕は別に病気の人をバカにしたり死者を冒涜したりしたかったわけではないし、単に「このまま眠りつづけて死ぬ」というフレーズが面白いからそれをつかって面白いことをしようと思っただけだった。
人の「死」というものに触れたのは小学校高学年のころに父方の祖父が死んだのが初めてで、その数年後に祖母が、眠りつづけて死ぬを作る1年少し前にはお世話になった中学高校の先生が、そして春には母方の祖父が亡くなった。人が、とくに身近な人が死ぬことは悲しいことだと思うし目を背けたくなるのは理解できるけれども、だからといって「死」に関わるものすべてを排除するのはおかしいし、そもそも不可能だ。人はいつか死ぬ。

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眠りつづけて死ぬについて嫌悪感を示されるだけではなくて、具体的にこうしたほうがいいという意見をいただくこともあった。おおまかに分けて「しばらくの間停止させる」というのと、「文言を震災関連のメッセージに変える」という2種類だった。
しばらくの間停止させるのは簡単だけれども、いつ復活させるべきなのかを判断するのが難しいのでやりたくなかった。もうサービス自体をやめてしまって二度と復旧させないのならばともかく、一時的に停止させるならいつか復旧させなければならない。もし誰かに配慮して停止させてそのあと再開させるとしたら、結局配慮した相手の何割か何分か何厘かへの配慮を打ち切って再開することになるはずだし、そんな中途半端なことはしたくなかった。それに、いつでも誰かが死んでいるのに、たまたまたくさん日本人が死んだからそれに配慮して全く無関係なサービスを止めるのも、なんだか不平等・不公平な気がしていた。
さらに、文言を変えるというのは全てのユーザーの裏切りだと思っていた。「一定時間(1〜999時間の間で設定可能)Twitterに発言をしていないアカウントで『このまま眠りつづけて死ぬ』と発言するためのWebサービスです。」という説明でユーザーのアカウントへのアクセス権限を預っている以上、そこから外れる行為をしたくなかった。以前「テスト」と称して「なるほど四時じゃねーの」が特定の発言をfavoritesに追加するという動きをして大問題になったのを覚えている人は多いと思うし、「被災地のためだから」で許されるとはとても思えなかった。
テレビはどの局も地震の話題を流していて、楽しみにしていた番組はぜんぶ放送中止だし、インターネット上でも楽しいことをするのが許される空気ではなかったし、地震のすこし後はかなりうんざりしていた。被災地のことなんてそのときは自分に関係のない話だったし、物資不足でボランティアを受け入れられないという話だったので、義援金を送ったりする以外には積極的に何か動こうなどとは思っていなかった。今思えばsinsai.infoやprayforjapan.jpに何らかのコミットをしておくべきだったんじゃないかと思うけれど。
しかし手元のサービスのデータベースでは、あきらかに東北の被害の大きかったところの人たちが、地震のあと発言を絶っているとしか思えないような検索結果が出ていた。数千人に自分の作ったものが使ってもらえているという状況はこれまでになかったし、やっぱりここで誰かが死んでたら嫌だな、と思った。こうして、このリストを公開することに決めた。
このときTwitterで自分の考えと「お知らせ」として書いたことは、@がtogetterにまとめてくれている。このときはテキストエディタに長い文章を書いて、それを文ごとに切ってなんとなく140字に収まるように調整したのだけど、かなりミスをしてあちこちでハッシュタグを間違えてしまっている。
リストの公開とともに、まず呼びかけたのは「自己判断で、眠りつづけて死ぬの使用を停止したり発動条件を変更したりする」ことだった。自分としてはとにかくこれまで書いた理由でトップダウン的にそういう配慮をしたくはなかったのだけど、ユーザーが自分で判断してするのであれば全然構わなかった。

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このときにリストに載っていた人たちの安否はなんとか確認された(1つだけprotectedのなりきりアカウントが残っているのだけど、なりきりアカウントなので運用を停止しているだけの可能性が高いと判断した)。リストに載っているアカウントを監視して、発言があったり間違いだったりした場合に教えてくださったりリストを編集してくださった方には感謝しています。本当にありがとうございました。
今回は「震災直前の24時間に発言をしていたのにそのあとの発言がない人」を対象にリストを作るやりかたをとったけれども、このやり方はどう考えても完璧ではなくて、たとえば地震にあった直後は無事で発言していた人が、そのあと津波やその他の理由で何らかの被害にあっている可能性がある。たまたま海外に行っていた人を拾ってしまっていた例もあるし、地震前の24時間にたまたま発言しなかったユーザーが地震で亡くなってしまっているかもしれない。それにそもそも、こんなリストを作ったところで誰かが探しに行くわけでもないし、ただその人が発言していないということがわかるだけでしかなかった。自分のやったことは何一つ賞賛に値しないし、クソの役にも立たないサービスを運営している人間が偉そうなことを言って本当に死んでいるかもしれない人をリストアップしただけだった。春休みが1ヶ月伸びたのにそのあいだ暇を持て余していたし、後悔することしかできない。とはいえ、今後もし同じような大災害が起きたら、真っ先に同じようなリストを作るはずだ。もちろんサービスは絶対に停止しない。

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今回の件で少し面白かったのは、地震のあと眠りつづけて死ぬのユーザーが増え始めて、地震のとき4000人程度だったのが現在5700人あまりにまで増えている。そして「実用的な遺言サービス」だとか「災害時に便利」だとか言われていることすらあって多少困惑している。サービスを作ったきっかけは前述のとおりだし、今でもいたずらのつもりで動かしている。
いたずらでやってるつもりなのでチャリティーとかやりたくはないのだけど、自分が眠りつづけて死ぬのグッズを作ってみたかったので、せっかくだからグッズの販売を始めた。1つ売れるごとに500円の収益が発生するようになっているので、もし発生したらそれは目黒寄生虫館での研究活動と被災地の復興支援のために半分ずつ寄付したいと思っている。寄付目当てで買う人は直接寄付したほうがいいし、こんなクソみたいなグッズが欲しいという奇特な人だけが買うようにしてほしい。復興支援は赤十字ではなくて、自治体などに直接寄付したいのだけど、縁のある被災地の自治体が昔住んでいたし今でも親戚が住んでいる千葉県浦安市ぐらいしかないので悩んでいる。どうせ何人も買わないと収益が支払われないので、そのころに買ってくれた人の意見を優先して聴きつつ決めたいと思っている。