「たら汁」は日本各北陸以北、東北で作られているものだが。
青森県の「じゃっぱ汁」、秋田県の「たら汁」、山形県の「どんがら汁」などはマダラで作る。
新潟県以西は主に「たら(「すけそ」とも。スケトウダラ)」で作る。
塩味の汁、醤油味、みそ味などいろいろあるが、新潟県はなんだろう? と思っていたら、上越市では「粕汁」だという。
「粕汁」と初めて出合ったのは秋田県横手市だが、あまりにも塩辛いのでビックリして味がよくわからなかった。
以来粕汁とは長々と縁がなかった。
だいたいみそ汁に酒粕を入れる文化は、ボクの生まれた四国の町にはなかった。
実際、上越市内のスーパーに行くと、酒粕がたらの切り身の横に置いてある。
「ばら粕」というばらけた酒粕で、ちょうど手に取っていたバアチャンに作り方を聞いたら、最初に湯の中で酒粕を溶かしておくのがコツで、あとは「たらのみそ汁を作ればいい」のだという。
大根やニンジンを入れるといいと聞いたけど、やめた。
とにかく大量に作って正月を越そうと思ったのだ。
作りたてはみそと酒粕のせいで、ちょっと濃厚な味わいではあるが、さほど感心できる味ではなかった。
酒粕のアルコールが残っている気がして、少し煮込んでみたが、やはり味は平凡だった。
想像したよりは、うまい、といったところだ。
青森県の「じゃっぱ汁」、秋田県の「たら汁」、山形県の「どんがら汁」などはマダラで作る。
新潟県以西は主に「たら(「すけそ」とも。スケトウダラ)」で作る。
塩味の汁、醤油味、みそ味などいろいろあるが、新潟県はなんだろう? と思っていたら、上越市では「粕汁」だという。
「粕汁」と初めて出合ったのは秋田県横手市だが、あまりにも塩辛いのでビックリして味がよくわからなかった。
以来粕汁とは長々と縁がなかった。
だいたいみそ汁に酒粕を入れる文化は、ボクの生まれた四国の町にはなかった。
実際、上越市内のスーパーに行くと、酒粕がたらの切り身の横に置いてある。
「ばら粕」というばらけた酒粕で、ちょうど手に取っていたバアチャンに作り方を聞いたら、最初に湯の中で酒粕を溶かしておくのがコツで、あとは「たらのみそ汁を作ればいい」のだという。
大根やニンジンを入れるといいと聞いたけど、やめた。
とにかく大量に作って正月を越そうと思ったのだ。
作りたてはみそと酒粕のせいで、ちょっと濃厚な味わいではあるが、さほど感心できる味ではなかった。
酒粕のアルコールが残っている気がして、少し煮込んでみたが、やはり味は平凡だった。
想像したよりは、うまい、といったところだ。
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基本的に西日本は丸餅、東日本では角餅だ。
ボクの生まれた徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)は当然丸餅圏である。
餅つきをして1個の大きさにならないときがあるが、これはボクたち子供があんこやきなこなどをつけて食べた。
今回の新潟旅、上越市・妙高市は角餅圏で、まず、のし餅にする。
少し固まったら、長方形に切るのだが、長方形にならない切れ端が出る。
これが「はしもち」だ。
このようなものを朝市で見つけるとついつい全部買いするボクだから、いざ全部買い、と思ったら全店舗で2袋しか残っていなかった。
「これなあに」
いかにもエトランゼ(きんきんの影響)らしく聞いてみる。
「はじもち、ねや」
隣にいたオバチャンが、
「あんた訛ってる。はしもちだ」
要するに妙高市・上越市で、この切れっ端を「端餅」というのだが、「はじもち」という人もいるし、「はしもち」という人もいるのである。
言語採取の基本は両方採取する、だ。
ときどき無能な言語採取者がいて、言語を正しいとか正しくないとか区別するが、このような人間はバカそのものである。言語は総て正しい。
丸餅圏生まれのボクはふむふむ、だった。
ボクの生まれた徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)は当然丸餅圏である。
餅つきをして1個の大きさにならないときがあるが、これはボクたち子供があんこやきなこなどをつけて食べた。
今回の新潟旅、上越市・妙高市は角餅圏で、まず、のし餅にする。
少し固まったら、長方形に切るのだが、長方形にならない切れ端が出る。
これが「はしもち」だ。
このようなものを朝市で見つけるとついつい全部買いするボクだから、いざ全部買い、と思ったら全店舗で2袋しか残っていなかった。
「これなあに」
いかにもエトランゼ(きんきんの影響)らしく聞いてみる。
「はじもち、ねや」
隣にいたオバチャンが、
「あんた訛ってる。はしもちだ」
要するに妙高市・上越市で、この切れっ端を「端餅」というのだが、「はじもち」という人もいるし、「はしもち」という人もいるのである。
言語採取の基本は両方採取する、だ。
ときどき無能な言語採取者がいて、言語を正しいとか正しくないとか区別するが、このような人間はバカそのものである。言語は総て正しい。
丸餅圏生まれのボクはふむふむ、だった。
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長浜に来ると、といったもので、要するに徳島県人に馴染みのサルトリイバラの「かしわ餅(一般名称で植物の葉、を膳に用いる餅という意味)」は買わずにいられないのである。
ボクの生まれた徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)では餅ではなく小麦粉生地を蒸かしたものだったが、滋賀県のものはまごうことなく餅である。
ちなみにカシワ(柏)を膳(かしわ)にする東日本と、サルトリイバラを使う西日本に分かれる。
滋賀県が必ずしも「がらたて(サルトリイバラ)」なのかわからないが、有間皇子の歌のように、いちばんありふれた、手に入れやすい葉を膳にしたその名残である。
念のために滋賀県長浜市西浅井でサルトリイバラを探したら、いとも簡単に見つかった。
ボクの生まれた徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)では餅ではなく小麦粉生地を蒸かしたものだったが、滋賀県のものはまごうことなく餅である。
ちなみにカシワ(柏)を膳(かしわ)にする東日本と、サルトリイバラを使う西日本に分かれる。
滋賀県が必ずしも「がらたて(サルトリイバラ)」なのかわからないが、有間皇子の歌のように、いちばんありふれた、手に入れやすい葉を膳にしたその名残である。
念のために滋賀県長浜市西浅井でサルトリイバラを探したら、いとも簡単に見つかった。
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初めてアブラツノザメの棒ざめ(剥き身、むきサメ)を見たのは東京築地場外だった。場外から場内に入ったときにも、並んでいて、奥で切り身にしていたのを見ている。
その切身を見て初めて東京の東、新小岩や小岩で買った謎の切り身(物体)の正体がわかった。アブラツノザメだったのである。北隆館の図鑑を暗記しているときだったので、非常に嬉しかった。
ちなみにこの棒ざめは東京都内下町だけではなく、吉祥寺、武蔵小金井、世田谷、八王子と、どこにでもあるありふれたものだった。
それが今、都内では探さないと手に入らない。
1990年代、八王子にあった東市(築地魚市場)には、小山になっており、商圏の魚屋、スーパーなどが箱買いしていたものだ。
その棒ざめを送り出していたのが、田向商店である。
田向商店の発泡は細長く特殊な形だった。
大型のアブラツノザメの「むき鮫」だからだ。
棒ざめの荷には必ず、田向商店の文字があった。
我が家に丸のままのアブラツノザメを送ってくれたのは田向商店、田向常城(敬称略)である。
それまで宮城県塩釜で買った、ぼろぼろになったアブラツノザメのフィルム画像しか持っていなかったので、深く感謝したものである。
その切身を見て初めて東京の東、新小岩や小岩で買った謎の切り身(物体)の正体がわかった。アブラツノザメだったのである。北隆館の図鑑を暗記しているときだったので、非常に嬉しかった。
ちなみにこの棒ざめは東京都内下町だけではなく、吉祥寺、武蔵小金井、世田谷、八王子と、どこにでもあるありふれたものだった。
それが今、都内では探さないと手に入らない。
1990年代、八王子にあった東市(築地魚市場)には、小山になっており、商圏の魚屋、スーパーなどが箱買いしていたものだ。
その棒ざめを送り出していたのが、田向商店である。
田向商店の発泡は細長く特殊な形だった。
大型のアブラツノザメの「むき鮫」だからだ。
棒ざめの荷には必ず、田向商店の文字があった。
我が家に丸のままのアブラツノザメを送ってくれたのは田向商店、田向常城(敬称略)である。
それまで宮城県塩釜で買った、ぼろぼろになったアブラツノザメのフィルム画像しか持っていなかったので、深く感謝したものである。
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昨年は10月に眩暈で入院。初めて救急車に乗る。
病院でいろいろ言われて、ときどき眩暈体操などするように、と言われる。
なのに、荷が止まって魚が来ない正月前後、たまりにたまった情報を処理している最中に過呼吸と、眩暈で倒れる。
今年は11月から、長年探しに探して手に入れられなかった水産生物が洪水のように来て、長年の疑問が一気に解消する。
滋賀県では1935年前後に生まれた漁師とお別れして、時間の怖さを知る。
今年最後の旅である新潟から帰り着いて、1日10時間近く画像と情報処理をし、新潟から持ち帰ったもので料理を作っている。
去年の二の舞になりたくないので、今日おおつごもりは早々に情報処理を止めて、宮本輝の世界に入り込む。
来年、流転族(確か北上次郎の造語)にもどるべきか、否かを考える。
紅白、スポーツに無関心なボクにはおおつごもりも、正月もない。
まさに不幸な人間の典型となり、なのだ。
* *
写真は少し前のもので、「かきそば」である。
マガキの剥き身は大根おろしで汚れを落とし、水分を切る。
フライパンにごま油を敷き、剥き身を炒めて醤油で味つけする。
これをかけそばにのせただけのもの。
そばは山形県の小川製麺の乾麺、つゆはカツオ節出しに醤油・砂糖で味つけして追いがつおをしたもの。
病院でいろいろ言われて、ときどき眩暈体操などするように、と言われる。
なのに、荷が止まって魚が来ない正月前後、たまりにたまった情報を処理している最中に過呼吸と、眩暈で倒れる。
今年は11月から、長年探しに探して手に入れられなかった水産生物が洪水のように来て、長年の疑問が一気に解消する。
滋賀県では1935年前後に生まれた漁師とお別れして、時間の怖さを知る。
今年最後の旅である新潟から帰り着いて、1日10時間近く画像と情報処理をし、新潟から持ち帰ったもので料理を作っている。
去年の二の舞になりたくないので、今日おおつごもりは早々に情報処理を止めて、宮本輝の世界に入り込む。
来年、流転族(確か北上次郎の造語)にもどるべきか、否かを考える。
紅白、スポーツに無関心なボクにはおおつごもりも、正月もない。
まさに不幸な人間の典型となり、なのだ。
* *
写真は少し前のもので、「かきそば」である。
マガキの剥き身は大根おろしで汚れを落とし、水分を切る。
フライパンにごま油を敷き、剥き身を炒めて醤油で味つけする。
これをかけそばにのせただけのもの。
そばは山形県の小川製麺の乾麺、つゆはカツオ節出しに醤油・砂糖で味つけして追いがつおをしたもの。
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まことに奇妙な魚である。
東京で矢鱈に高いのに、その高さは東京都周辺だけの話で、西に行くとなんだこれは、となる。
最近では大阪でも少々高いと言うが、東京と比べると需要がない。
佐世保で1キロ級を集めて、東京へ飛ばす(出荷する)、という人に会っているが、そのような魚なのである。
大型は東京を目指す。
余談になるが1キロ前後以上は豊洲市場という舞台に立てるが、小さいものはしがにもかからない。
もっと小さいのは明らかに未利用魚である。
ヨロイイタチウオは日本魚類学の父、田中茂穂の命名だが、東京ではもっぱら「ひげだら」である。
大きなくくりではタラに近く、本種のアシロ科で唯一の流通魚である。
今回は長崎産であるが、主に九州、山口県などからやってくる。
昆布締めは締まり具合を見るために、もういいかな? とときどき味見する。
この時間が、とても大好きさ♪ なのだ。
1日、締めた状態で食べたら、食べられたけど、本当に味がよくなったのは3日目である。
昆布の香りが口中を満たしていながら、切りつけた身はそんなに昆布の味はしない。
上品な白身で、ほどよいうま味と食感があるだけだ。
本当の味はほんの少し後から来る。
昆布と白身の合わさったおいしさと、甘さである。
この味わいに時差があるのが昆布締めのよさなのだ。
少しずつ、切りつけてほぼ一週間楽しんだが、昆布を残してなくなって、必ず手に入る、豊洲にまた行きたくなったものの、財布の中身がそれを許さず。残念無念。
東京で矢鱈に高いのに、その高さは東京都周辺だけの話で、西に行くとなんだこれは、となる。
最近では大阪でも少々高いと言うが、東京と比べると需要がない。
佐世保で1キロ級を集めて、東京へ飛ばす(出荷する)、という人に会っているが、そのような魚なのである。
大型は東京を目指す。
余談になるが1キロ前後以上は豊洲市場という舞台に立てるが、小さいものはしがにもかからない。
もっと小さいのは明らかに未利用魚である。
ヨロイイタチウオは日本魚類学の父、田中茂穂の命名だが、東京ではもっぱら「ひげだら」である。
大きなくくりではタラに近く、本種のアシロ科で唯一の流通魚である。
今回は長崎産であるが、主に九州、山口県などからやってくる。
昆布締めは締まり具合を見るために、もういいかな? とときどき味見する。
この時間が、とても大好きさ♪ なのだ。
1日、締めた状態で食べたら、食べられたけど、本当に味がよくなったのは3日目である。
昆布の香りが口中を満たしていながら、切りつけた身はそんなに昆布の味はしない。
上品な白身で、ほどよいうま味と食感があるだけだ。
本当の味はほんの少し後から来る。
昆布と白身の合わさったおいしさと、甘さである。
この味わいに時差があるのが昆布締めのよさなのだ。
少しずつ、切りつけてほぼ一週間楽しんだが、昆布を残してなくなって、必ず手に入る、豊洲にまた行きたくなったものの、財布の中身がそれを許さず。残念無念。
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あくまでスケトウダラとサメの食文化を調べるために走った北国街道だが、新潟県妙高市妙高の『第一スーパー』で面白いもの(言語)を発見した。
「大根の友」だ。
一般的な言葉ではなく、長野県北信地方と妙高高原にある『第一スーパー』の造語かも知れない。
メカジキと、いろんな魚の、と養殖ブリ、の粗が「大根の友」として売られていて、同じく養殖ブリのかまには「大根の友」の文字がない。
かまは塩焼きにしてもいいので、この文字がない、のだろう。
「粗(あら)」は魚を下ろして、使い物にならない、捨てる部分という意味がある。
丸ごとほとんど捨てることなく食べられる魚に、粗などあるはずがないにも関わらず、どこに行っても粗という。
粗として売っている部分の方がうまいにも関わらずだ。
「大根の友」には、大根と煮るとうまいから、買って下さいね、という心憎い気配りを感じる。
「粗(あら)」では手が出ないが、「大根の友」なら、「はいそうですね」と手が出やすい。
大雪の中、こんなところで買うこともないだろう、と思いながら千葉県産大根も1本買った。
メカジキの「大根の友」と煮た大根がやたらにうまい。
うまいとしかいいようがないくらい、うまい。
「大根の友」以上においしい。
箸が伸びるのは大根であって「大根の友」、メカジキではない。
どっちが友でどっちが主役か、がわからなくなる。
もちろん筋っぽい内臓を抱き込んだ部分の味は抜群にいい。
のにも関わらず、大根に箸が向かうのが止められない。
後悔先に立たずというが、メカジキ1に対して大根2でよかったかも。
「大根の友」だ。
一般的な言葉ではなく、長野県北信地方と妙高高原にある『第一スーパー』の造語かも知れない。
メカジキと、いろんな魚の、と養殖ブリ、の粗が「大根の友」として売られていて、同じく養殖ブリのかまには「大根の友」の文字がない。
かまは塩焼きにしてもいいので、この文字がない、のだろう。
「粗(あら)」は魚を下ろして、使い物にならない、捨てる部分という意味がある。
丸ごとほとんど捨てることなく食べられる魚に、粗などあるはずがないにも関わらず、どこに行っても粗という。
粗として売っている部分の方がうまいにも関わらずだ。
「大根の友」には、大根と煮るとうまいから、買って下さいね、という心憎い気配りを感じる。
「粗(あら)」では手が出ないが、「大根の友」なら、「はいそうですね」と手が出やすい。
大雪の中、こんなところで買うこともないだろう、と思いながら千葉県産大根も1本買った。
メカジキの「大根の友」と煮た大根がやたらにうまい。
うまいとしかいいようがないくらい、うまい。
「大根の友」以上においしい。
箸が伸びるのは大根であって「大根の友」、メカジキではない。
どっちが友でどっちが主役か、がわからなくなる。
もちろん筋っぽい内臓を抱き込んだ部分の味は抜群にいい。
のにも関わらず、大根に箸が向かうのが止められない。
後悔先に立たずというが、メカジキ1に対して大根2でよかったかも。
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新潟県上越市・妙高市で、「ほくしん」という言語を何度か聞いた。
上越市・妙高市の南、北信のことで、長野県の地方名である。
長野には何度も行っているのに、どこに行ってもバラバラで理解できない部分が残ってしまうのは、要するに10もの地方に分かれるからだ。
海のない長野県は必ず海と繋がりを持つ。そのとき長野県の地方地方で海が違うのである。
北信では上越市の海辺。
松本平・安曇野では富山県の富山湾になる。
南信州・上伊那などは太平洋こそが海辺だ。
新潟県とか日本海側に行くと、南が寒くて北が暖かいので、よく話がこんがらがるが、北国街道を南下すると急激に雪深くなる。
今回、上越市・妙高市・北信地方(信濃町・飯綱町・長野市)が線として繋がったことによって、長野県の地域を調べるための入り口が発見できた。
これが、今回最大の収穫である。この視点で長野に行ってみたくなった。
上越市・妙高市の南、北信のことで、長野県の地方名である。
長野には何度も行っているのに、どこに行ってもバラバラで理解できない部分が残ってしまうのは、要するに10もの地方に分かれるからだ。
海のない長野県は必ず海と繋がりを持つ。そのとき長野県の地方地方で海が違うのである。
北信では上越市の海辺。
松本平・安曇野では富山県の富山湾になる。
南信州・上伊那などは太平洋こそが海辺だ。
新潟県とか日本海側に行くと、南が寒くて北が暖かいので、よく話がこんがらがるが、北国街道を南下すると急激に雪深くなる。
今回、上越市・妙高市・北信地方(信濃町・飯綱町・長野市)が線として繋がったことによって、長野県の地域を調べるための入り口が発見できた。
これが、今回最大の収穫である。この視点で長野に行ってみたくなった。
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