福田豊四郎
福田豊四郎
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福田 豊四郎(ふくだ とよしろう、1904年(明治37年)11月27日 - 1970年(昭和45年)9月27日)は、秋田県出身の日本画家。官展から在野へと活動の場を移しながら、生涯日本画の革新を掲げて活躍した[1]。本名は福田豊城。息子に俳優の福田豊土がいる。
- ^ “フロムあきた(通巻2号) 1999年(平成11年) 12月発行 -全18ページ-”. common3.pref.akita.lg.jp. 2021年1月11日閲覧。
- ^ a b c d “福田豊四郎 : 作家データ&作品一覧 | 収蔵品データベース | 練馬区立美術館”. 練馬区立美術館 - 収蔵品データベース. 2021年1月11日閲覧。
- ^ a b c 「福田豊四郎 関連年譜」『生誕100年 福田豊四郎展 わがうたはふるさとのうた』秋田県立近代美術館・宮城県美術館、2004年、110-121頁。
- ^ “福田豊四郎の画業 - 秋田県立博物館”. 湯沢聡. 2021年1月11日閲覧。
- ^ a b c d e 保泉充「福田豊四郎と小松均」『生誕100年 福田豊四郎展 わがうたはふるさとのうた』秋田県立近代美術館・宮城県美術館、2004年、6-9頁。
- ^ a b c d e f “福田豊四郎 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 2021年1月11日閲覧。
- ^ a b 『生誕100年 福田豊四郎展 わがうたはふるさとのうた』秋田県立近代美術館・宮城県美術館、2004年、3頁。
- ^ a b c d e f g h 迫内祐司「戦争を描いた画家たちー福田平八郎」『別冊太陽220:画家と戦争 日本美術史の空白』2014年、 104,105。
- ^ a b c d e 「作品解説」『生誕100年 福田豊四郎展 わがうたはふるさとのうた』秋田県立近代美術館・宮城県美術館、2004年、95-103頁。
- ^ 戦争画の名作を目指して『東京朝日新聞』(昭和14年4月16日)『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p787 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ 「戦争美術の世界」『別冊太陽220:画家と戦争 日本美術史の空白』2014年、20頁。
- ^ “福田豊四郎 1904 - 1970 FUKUDA, Toyoshiro 作品詳細”. 独立行政法人国立美術館. 2022年9月2日閲覧。
- ^ 25年ぶり戦争絵画 報道関係者に公開『朝日新聞』昭和45年(1970年)6月16日夕刊、3版、9面
- ^ a b “ホットアイあきた(通巻386号) 1994年(平成6年) 9月1日発行 -全40ページ-”. common3.pref.akita.lg.jp. 2021年1月11日閲覧。
- ^ a b c “福田豊四郎”. www.ink.or.jp. 2021年1月11日閲覧。
- ^ 訃報欄『朝日新聞』1970年(昭和45年)9月28日朝刊 12版 3面
- ^ 美術評論(1936年)より
- ^ a b 新日本画の動向・搭影(1937年)より
- 1 福田豊四郎とは
- 2 福田豊四郎の概要
- 3 作品
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