反本省派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 23:44 UTC 版)
1891年(明治24年)、山本権兵衛は海軍省主事に就任して以降海軍軍政に手腕を発揮したが、山本およびその系列に反対する集団が存在した。これを艦隊派といい、山本と同じ旧薩摩藩出身でも反山本的立場をとる柴山矢八と日高壮之丞の二人が中心であり、井上良馨を盟主とした。ただし池田清は井上を山本側の人物としており、艦隊派としては柴山、日高のほか片岡七郎、鮫島員規を挙げている。この対立は日露戦争前に山本が主導した高級軍人の予備役編入措置の際に表面化している。
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