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序   事業創造をどう学んでいくか


◆大学は将来を自分で拓く時期
 君は何のために勉強しているか。あなたはどんな人生を歩みたいと思っているのか。何がしたいの
か。あるいは、なぜ仕事をしなければならないのか。
 大学生は、多かれ少なかれこうした真正面からの疑問に悩むものである。今の大人達も若い頃には
皆それを考えていた。自分で進む道を決めた者、決められずにやりすごした者はさまざまであるが、
ともかくもそれぞれの力で今を生きている。
 過去に歴史に名を残した人間も、若き時代には同じように進むべき道を考えていた。土佐に生まれ
た坂本龍馬は倒幕運動の志士として身を立てようし、埼玉の深谷で育った渋沢栄一は尊王攘夷に本気
になって横浜を焼き打ちにする企てを考えた。ソフトバンクの孫正義社長は福岡県久留米の高校を中
退してアメリカに渡り自分の人生を切り拓こうとした。
 それとは逆に、自分で人生を考えて選択することができずに、定められた道を生きるために歩まざ
るを得なかった者も多い。パナソニックを創業した松下幸之助は、家が貧しいために小学4年生で商店
に奉公に出された。トヨタの祖である豊田佐吉は父親の大工の仕事を継ぐしかなく、ホンダを創った
本田宗一郎は家が鍛冶屋だったから自動車修理店に入って子守の仕事をさせられた。皆がそういう人
生を歩まざるを得なかった時代であった。
 現代は昔のそれとは異なっている。幸いなことに、若い頃に考える時間と環境が不足しているわけ
ではない。日本の若者の半分以上は大学に進学し、本人にやる気かあるかどうかは別として、少なく
とも4年間(就職活動を除けば実質的には3年弱)は社会に出る前のトレーニングを大学の内外で受け
る時間はある。

◆重要なのは、社会における「取り決め」
 人は、憲法の基本的人権にあるように、社会で自由に活動することを許されている。学校を卒業す
れば、学校の中の指導や強制からも「自由」になる。しかし、社会では他人が学校のように手取り足
取りでは人生を導いてくれないし、多くの場合は叱ってもくれない。
 人間の実社会とは、自分と他の組織や個人との間で何かを決めて、自分が働き、その分の価値を金
銭で得ることを基本とする世界である。これは当たり前の話だが、わかりやすく言えば、自分が働い
てお金を稼ぐことだ。サラリーマンはもちろん、お笑いタレントでもプロ野球選手でも大学の教員で
も、日々の労働で収入を得ていることには変わりがない。人間でなくとも、生きるためのものを稼ぐ
ことはすべての生物が行っている行為である。ライオンは獲物を追わなければすぐに飢えてしまう。
 人間が賢いのは、生きるための稼ぎ方を「組織的」に行うことができることである。人間は頭を使
えるから、会社という集団の組織を作って、ものを個人が分担して生産し販売し、金を稼いでいる。
しかし、人間がその組織(会社)をうまく運営するには、さまざまな「取り決め」を学び理解した上
で円滑に処理をしなければ、ものがうまく作れない、製品を売っても損が出てしまう、あるいは代金
が回収できないことになる。
 本質的にいえば、経営学部で学ぶ「経営」という学問は、生きるため
に稼ぐことを目的に作った組織を、どのように運営して、満足できる稼
ぎを獲得することができるかを使命としている。稼ぐという言葉にはあ
まり良いイメージがないかもしれないが、この本質から目をそらしては
いけない。稼ぐという言葉が気にさわるならば、価値を創ることと言い
かえても良い。植物は光合成によって水と二酸化炭素という原料から炭
水化物を生産し、生きるエネルギーという価値を生み出している。
 人間は組織を作っているから、他の生物より圧倒的に優れた価値を創
っているけれども、それには多種多様な取り決めが定められて、参加す
る人間がそれに従っているために、円滑な運営が可能になるのである。
このように、円滑に組織を運営する「取り決め」とそれを行う理由を学ぶのが経営学と考えてほしい。
経営学部で学ぶ企業マネジメントも、簿記も会計も、情報技術も、組織を運営する上で(あるいは組
織で働く上で)必要な知識を得ることが目的であるはずだ。




                      ~1~
◆事業創造を学ぶと、組織の本質がわかる
 このテキストでは、ゼロから始まる事業をどのように立ち上げていくか、あるいはそうした事業の
創造(起業)にはどのような特徴があるか、どのような人々が行っているのか、ということを解説し
ている。
 まったくの始まりから事業をスタートさせると、先に述べたような人間の価値の作り方(稼ぎ方)
が現場で見えてくる。会社とはどのように作るのか、社長や部長や従業員はどのような役割の分担が
あるのか、あるいは会社の資金はどのように調達しているのか。大きな会社や役所にいると、その事
業の本質がみえにくくなるものだ。1万人も従業員がいる大企業で働いていると、日々の自分の仕事で
会社の経営が見えるものではない。自動車メーカーで品質管理を担当している係長にとっては会社の
決算書は経理部の仕事でしかないだろうが、新宿でネットワークゲームを作っている従業員5名のベン
チャーでは株主総会で何が議論されたか皆が知っている。

◆自分の頭で批判的に考えることが重要
 会社を作る、運営する、儲ける事とは何かというように、人間の経済活動の本当の意味を探ろうと
して経営を学ぶならば、おそらく自分達が授業を受けている理由や目的も納得できるものになるだろ
う。学生というものは若くて自由だからこそ、社会が決めた取り決めや慣習に対して無条件無批判に
従うだけではなく、まずはその意味を批判的に考えてもらいたい。
 会計や情報技術の授業では、こういうルールだからこのように処理せよと決め事に従うことを強制
させられることが多い。しかし、このテキストで取り上げるアントレプレナーシップは、          「なぜ?」が
重要な学問である。その理由を一言でいえば、考えることなく無批判に生きていては新しい事業は生
まれないからだ。現存するビジネスや社会に疑問を感じて悩んだからこそ、多くのベンチャーが生ま
れてきた。マクドナルドや吉野家は、それまでの飲食店のサービスが遅くて問題だと考えたからこそ、
「早い、安い、うまい」メニューを考え出してきた。ダイエーを作った中内功は小売店の価格が高す
ぎると思ったから、         「安売り」を商売にして日本一になった。
 このテキストはさまざまな情報を解説しているけれども、出てきた内容を覚えなければという義務
感を持つ必要はない。もちろん、太字ゴシックで記した重要項目は覚えてほしいが、大事なことは各
項目のストーリーを読んだ後に批判的に考えることである。このようなクリティカル・シンキング
(critical thinking、批判的思考)を促すために、テキストの各節の終わりに150以上の「設問」を用
意している。講義においては、担当教員がこれらの設問から逐次セレクトして課題を出すことになる
が、受講者は各章を読む前に末尾の設問を一読すると各節のねらいがわかるだろう。

 経営は、社会で生活する限り誰もがさまざまな局面で直面することである。同時に、生きている以
上は誰もが経営に関わらざるをえない。サラリーマンでも、自営業者、公務員、あるいは家庭の主婦
でも、組織や家計に責任を負う者は、それぞれの視点で経営の仕組みを実践的に学ぶことにより、自
分の可能性を高めることができるはずだ。

           学んで思わざれば 則ち罔(くら)し。
           思うて学ばざれば 則ち殆(あや)うし。      (孔子「論語-為政」)




                          ~2~
第1部 アントレプレナーシップ総論


Ⅰ.アントレプレナーシップを学ぶということ
  アントレプレナーシップを学
1.はじめに:6つのポイント
(1)アントレプレナーシップは『新しい経済価値を創出すること』が目標である。
 アントレプレナーシップ(9ページにその意味を掲載)は、新しい物や技術やサービスを現実に創り出すこ
 とであり、経済価値を増やすことを善とし、目標にしている。良い経済社会機能を作ることとか、
 個人や企業が価値を分け合う分配する行動ではなく、あくまでも価値を創ること(商売で売上利益
 を増やすこと)がアントレプレナーシップの目指すものである。

(2) アントレプレナーシップは『実践的』である。
 アントレプレナーシップは、現実の人間の経済活動がほとんど唯一の関心であるから、その学問も
 実践的で現実的なものである。現実のビジネスで商売がうまくいくために学ぶのである。

(3) アントレプレナーシップは、知だけでなく、『経験と行動』が重要である。
 アントレプレナーシップは、教室の講義やゼミナールで学ぶ「知識」だけではなく、現実社会での
 ノウハウ・テクニック等の「経験」が重要であり、また新事業やベンチャーで「行動すること」(も
 しくは行動する起業家を理解すること、観察すること)が最終目標である。
 アントレプレナーシップは大学の中だけで学べるものではない。英語や数学のように教室で学んで
 いくよりも、体育や音楽のように実技が重要な科目と考えたほうがよい。ルールや技術の知識があ
 っても野球ができないように、アントレプレナーシップは頭だけではなく経験と行動が欠かせない。

(4) アントレプレナーシップは『多面的』である。
 アントレプレナーシップは孤立した学問分野ではなく、経営学や経済、金融、法律、政治、社会、
 文化などの多くの要素が影響し作用している。したがって、アントレプレナーシップは経営学だけ
 で考えるのは充分ではなく、他の学問の知識や考え方を借用し活用していかなければならない。

(5) ベンチャーを起業するため、ベンチャーに入社するためだけの学問ではない。
 過去20年の世界では、アントレプレナーシップが人間の幸福を向上させるうえで重要な役割を果た
 してきた。大学生は、ベンチャーに入る以前の段階において、現代の経済社会を理解するためにア
 ントレプレナーシップを学ぶべきである。ベンチャーの経営者を目指すためだけの講義ではない。
 大企業や中堅企業の新規事業や、 社会福祉や社会改善のための新しい取り組み、地方振興の運動も、
 その基盤はアントレプレナーシップである。

(6) 起業家は生まれるのではなく、作られる。 ”Entrepreneurs are made, not born.”
 起業家は、生まれつきの素質を持った人間が起業しているのではなく、成
 功したベンチャー経営者は才能だけで成功したわけではない。マイクロソ
 フトのビル・ゲイツ氏もソフトバンクの孫正義氏も、(すばらしい才能を持
 っているが)生まれつきの天才ではなく、どこかで学習している。その場
 所は大学ではなく、家庭や友人、あるいは職場の仕事からかもしれないし、
 あるいは先輩の経験や失敗談から学んでいるだろう。アントレプナーは学
 習が不可欠である。
 また、起業家は自分の力だけで成功したのではない。ベンチャーで働く仲
 間や部下、活用する技術やアイデア、そして足りない資金を提供する投資
 家があってこそ経営を成り立たせることが可能である。したがって、自分
 自身の知識能力だけではなく、世の中の資源について学んでいくことが重
 要であり、そうした資源の有効活用技術を学んで実践できる能力を持った
 人間が成功していると考えてほしい。




                             ~3~
2.アントレプレナーシップはなぜ重要か?
①教育の根底は、現実を理解すること
 大学は、学術研究を行う場であると同時に、高等教育の場である。高等教育について大学が期待さ
れているのは、学生に対して、充実した人生を送れる良き社会人となるための準備、幅広い知識、労
働意欲、科学的合理性、批判的思考、道徳性や文化教養の養成などを習得させることである。
 これらはどれも重要な目標だが、もっと根本的な学習の目標がある。それは『理解すること』であ
る。私達は、理解もしていない世界を改善することはできず、自分自身を、その強さ、限界、動機を
把握していなければ前に進むこともできない。世の中と自分をより理解可能なものにしていくことに
より、大学教育は人間的成長、創造性、達成、進歩の基礎がためをすることができる。
 「理解すること」が学習の基本的な目標であるとするならば、大学は、現代の生活における経験・
条件を反映するものでなければならない。大学が世界から切り離され、そこに働きかけないのであれ
ば、世界を理解可能なものにすることは難しい。
 大学での学習は、学生に対してこれから生きていく現実をどのように理解しどのように影響を及ぼ
していくかを教えなければならない。孤立し固定されてしまった教育が成功するはずもない。過去の
優れた業績を研究し、人間の本性について問い続けることは、教養ある人間になるための基本である
が、大学の長所はそのダイナミズムと適応力であり、古典的な問題だけでなく、自然・社会・人間の
経験における切迫した目の前の問題に取り組む能力である。

②アントレプレナーシップは、世界の重要なファクター
 新しい事業に取り組んで新しい価値を創出しているアントレプレナーシップという概念と活動は、
世界の経済社会において重要なファクターである。アントレプレナーシップは、世界中の製品やサー
ビスにイノベーションと改善をもたらし、より効率的で入手しやすく効果的なものにしている。アン
トレプレナーシップは、私たちの個人としてのあるいはコミュニティとしての生活レベルを高めてお
り、また人々の働き方やコミュニケーションを変化させている。また、世界的に天然資源が減少し、
人類が持続可能な将来を保っていくためには、イノベーションだけでは十分ではない。我々に必要な
のは、新たなアイデアを実現し多くの人々が利用できるようにする活動であり、これこそアントレプ
レナーシップなのである。
 こうしたアントレプレナーシップをうまく利用できるかどうかは、結局は我々が「理解すること」
にかかっている。理解できないものを考案し改善することはできないのである。訳のわからない物を
修理して直すことはできない。理解することは大学教育の根本的な目的であり、アントレプレナーシ
ップと大学教育は切っても切れない関係である。こうしたことから、アントレプレナーシップが大学
の学部教育のテーマとして取り上げられるのは自然な動きなのである。


        アントレプレナーシップが対象とするのは「ベンチャーだけではない」




                      ~4~
3.日本でアントレプレナーシップが意味を持つ理由
①新しい経済価値創出が求められている
 たとえば、世の中について次の4つを考えてみよう。
  (1)現代の日本は、欧米に追いつけ追い越せという高度成長期までの時代ではない。中国等のアジア
    や新興国に負けないような製品・サービスを新しく生み出していかなければならない。
    - 菅総理大臣の施政方針演説、2011年1月24日、衆議院本会議 -
    ・世界中が、新しい時代を生き抜くにはどうすればよいか模索しています。日本だけが、経済の閉塞、社
     会の不安にもがいている訳にはいかないのです。現実を冷静に見詰め、内向きの姿勢や従来の固定観念
     から脱却する。そして、勢いを増すアジアの成長を我が国に取り込み、国際社会と繁栄をともにする新
     しい公式を見つけ出す。また、社会構造の変化の中で、この国に暮らす幸せの形を描く。今年こそ、こ
     うした国づくりに向け舵を切る。私のこの決意の中身をこれから説明いたします。
 (2)大学生の就職が深刻な状況にある。企業が新卒採用を抑制している理由は、規模の拡大に積極姿
   勢が取れないからである。新しい市場を創りだし、商売によって経済価値を増やしていかなけれ
   ば、社会で活躍すべき若者が損をする。「成長」は若い世代に恩恵をもたらすものなのだ。
 (3)地方をみると、少子化・高齢化や過疎によって沈滞している。たとえば地方都市の商店街はシャ
   ッター通りと化し、働き手の若者がいない。雇用の受け皿であるべき大企業は、地方に工場に建
   設するよりもアジアに工場を作って現地生産をしている。地方はアジアと見えない競争をしてい
   るのである。沈滞を打開しようと、県や市町村は、新しい地場産品、B級グルメの新商品作り、
   海外観光客やプロスポーツの誘致など、さまざまな「地域振興策」を推進している。
 (4)東日本大震災ですさまじい被害を受けた日本は、これから復興の時代になる。戦災の後のような
   東北地方で、何万人もの人々が文字通りゼロから仕事を再開していく。水産業を再開する、小売
   の商店を復活させる。それぞれが加工場を作り直し、店を新築し、新たな生きる糧を創り上げて
   いくことだろう。
 以上は日頃のニュースで聞かされる話であるが、いずれにも「新しい取り組み」というフレーズが
入っている。民間企業だけでなく、国や自治体も地方の人々も学生も、新しいことを考えて企てて再
建していかねばならない。

②それぞれの場におけるアントレプレナーシップ
 だからこそ、新しい取り組みを学ぶことが必要であり、重要である。 新しい経済価値を創出するこ
                                『 しい経済価値 創出するこ
                                    経済価値を
と』を目標とするアントレプレナーシップを学び研究し、21世紀日本の課題に対処していくことが重
要になっているのである。
 もちろん、既存の経済学、経営学、社会学、あるいは理工学の分野から、こういった問題に取り組
むこともできる。しかし、アントレプレナーシップは、これらの学問領域に欠けている新しい知識を
世の中に提供できる概念である。
 実社会の職場において、新しい事業を行う知識技術を活用する場面はどこにあるだろうか。たとえ
ば、下の表で示した職場でアントレプレナーシップをどのように活用できるかを自分で想像してみよ
う。そこで考える中で、アントレプレナーシップの重要性がおのずと明らかになっていくだろう。

                  それぞれの職場における「アントレプレナーシップ」
  職場                   課題と事業構想                    アントレプレナーシップ
NPO法人「カ   人とうまくコミュニケーションできない高校生と社会となじませるプロジェクトを立 民間非営利組織による社会改革運動の新
タリバ」      ち上げNPO法人を設立したが、活動資金もボランティアの数も足りない。     しい取り組み。
       商店街で営業していた古本屋は店を閉めたが、4年前に始めたアマゾンに出
前橋市の古本
       店しているアフィリエートプログラム(古書ECビジネス)が急成長。拡大するた 新しい流通形態(EC)への取り組み。
屋
       めに古書買取の店を作ることを検討中。
       過疎化が進む町において、町独自の新しい地場産品の企画、製品化を模索
福島県の町役
       しているが、大半がうまくいかずに失敗しており、いかに低リスクでそこそこ売れ 新しい地場産品の開発と販売企画。
場
       る製品を作っていくかが課題になっている。
千葉市の社会 千葉市の老人向け介護ケア施設が慢性的に不足で、福祉協議会のメンバー
                                         社会福祉団体の新規事業進出。
福祉協議会  でデイケアセンター開設を考えている。

       生徒のいじめの問題や学校近辺の治安の問題を、保護者や地域関係者を小
上尾市の小学                                     学校での新しい教育支援体制の企画と構
       学校に参画してもらって一緒に学校経営を考えてアクションする取り組みを模
校                                          築。
       索している。




                                  ~5~
4.なぜ大学で「アントレプレナーシップ」なのか?
 アントレプレナーシップは、長らく経済学のテーマの一つにすぎないと考えられてきた。しかし、
最近の研究では、アントレプレナーシップが現代経済における富の創出の主役として先導的な役割を
担っていることが認められている。少なくとも過去20年の世界では、たえず新しい事業が誕生し、そ
れらの事業の原動力であるアントレプレナーシップは人間の幸福を向上させるうえで重要な役割を果
たしている。
 こうした認識がある中で、アメリカの大学ではアントレプレナーシップに関する講義は急激に増加
している。以前からビジネススクールでは一般的なカリキュラムとして扱われていたが、近年は関心
が高まる中で学部教育の中で最も急速に拡大しているテーマである。 ある調査によれば、1985年当時、
アメリカの大学で設置されているアントレプレナーシップ関連科目は約250だったものが、 2008年現在
では5000を超え、アントレプレナーシップを専攻科目にできる大学のプログラムは、1975年の104校
から2006年には500校超へと増加している。
 下の表は、アメリカのアントレプレナーシップ教育で最先端にあるバブソン大学(米マサチューセ
ッツ州)経営学部で開講しているアントレプレナーシップ関連科目のリストである。一見してわかる
ように、大学ではベンチャービジネスの経営だけを教えているのではない。ファミリービジネス(家
業)や大企業のコーポレート・ベンチャー、世界各国のアントレプレナーシップ、あるいは社会問題を
アントレプレナーシップの視点で分析して解決に向け取り組もうとする社会学関係の授業もいくつか
設けられている。これは4年制学部の大学生(ビジネススクール等の院生ではない)に対する授業であ
り、専攻科目としてだけではなく「教養科目」としてアントレプレナーシップが教えられていること
がわかるであろう。

               バブソン大学・経営学部(学部)のアントレプレナーシップ関連科目
    分野        主テーマ                                          講義の名称(英語原文)
   経営管理   事業機会           Entrepreneurship and Opportunity
          成長事業の経営管理      Managing Growing Businesses
          テクノロジー         New Technology Ventures
          起業家論           Great Entrepreneurial Wealth: Creation, Preservation and Destruction
          ファミリービジネス戦略    Key to Success Family Business Enterprises
          起業家としての家業経営    Family as Entrepreneur
          コーポレート・ベンチャー   Corporate Entrepreneurship
          マーケティング        Marketing for Entrepreneurs
          成長戦略           Venture Growth Strategies
          事業の実践演習        The Ultimate Entrepreneurial Challenge
   ファイナンス 資金調達           Raising Money-VC, Angels & Incubators
          ベンチャーファイナンス    Entrepreneurial Finance
     国際   中国の起業          Entrepreneurship and New Ventures in China
          中南米の起業         Entrepreneurship in Latin America
          アジアの起業         Entrepreneurship in Asia
     社会   社会的起業家論        The Enlightened Entrepreneur: Changemakers, Inspired Protagonists, and Unreasonable People
          社会的起業の計画       Social Entrepreneurship by Design
          社会的起業の経営管理     Social Enterprise Management
          社会問題の観察        The Enlightened Observer
          環境と起業          Environmental and Sustainable Entrepreneurship
          トルコの環境関連起業     Social Responsibility through Eco-Enterprise in Turkey
          アフリカの起業と社会     South Africa: Entrepreneurship, Culture, & Society in Developing Economy
     文化   起業的文化          The Creation of Entrepreneurial Culture within your Organization
  ワークショップ 起業体験(一般)       Living the Entrepreneurial Experience (General Focus)
          起業体験(企業)       Living the Entrepreneurial Experience (Corporate Focus)
          起業体験(技術開発)     Living the Entrepreneurial Experience (Technology Focus)
          起業体験(家業)       Living the Entrepreneurial Experience (Family Focus)
          起業体験(社会起業)     Living the Social Entrepreneurial Experience
 (出所)バブソン大学ホームページ。



  さらには、最近の大学自体が、起業活動を行っている。各大学は「技術移転オフィス」               (TLO、
Technology Transfer Office。)を通じて、大学内の教員や研究者がベンチャービジネスを設立して自ら
の研究を市場向けに商品化することを支援している。研究機関としての大学は、イノベーションや、
新たな企業の基礎となるような新たな製品・プロセスの創造という点で、唯一ではないにせよ重要な
源泉となっているのである。大学が教員による重要な活動としてアントレプレナーシップを掲げつつ、
そうした活動を学生たちに教えていないとすれば、学校の使命と実践が乖離してしまう。




                                       ~6~
5.アントレプレナーシップの学び方
(1)アントレプレナーシップ教育の特徴
   アントレプレナーシップ教育の
              教育
①対象が具体的な「現実の活動」
 では、大学生はどのようにアントレプレナーシップを学んでいけばいいのだろう?。
 アントレプレナーシップは、音楽と同様に、テーマを自ら作り出すような学問であって、目標とな
ることを発見するような学問ではない。たとえば、歴史学、社会学、人類学とは違って、アントレプ
レナーシップは、その研究対象を学ぶ者が自分で作り出すものだ。また、アントレプレナーシップの
関心は具体的な現実、すなわち新事業や企業、製品、サービスを作っている活動である。哲学者はも
っぱら他の哲学者を相手に話したり書いたりするだろうが、アントレプレナーや音楽家にとっては、
「観客」や「市場」が必要である。
②音楽との類似
 大学のカリキュラムの中で、アントレプレナーシップがどのように位置づけられるか理解するには、
アントレプレナーシップと音楽を比較するとわかりやすい。アントレプレナーシップ教育とは、音楽
教育と同じように、プロフェッショナルからアマチュアまで広がる連続体に沿って行われる。音楽の
場合、活動の一方の端には作曲家や演奏家がいる。他方の端には、作曲家や演奏家のパフォーマンス
を鑑賞する観客がいる。その中間には、指揮、特定の楽器の習得、理論、歴史など、音楽における多
くのファクターが存在し、音楽という芸術テーマを理解し楽しむことに貢献し、また音楽をより発展
させている。音楽の教育とは、こうした連続体を大切にし、どのファクターも軽視しないものである。
音楽教育では、名演奏家にはどうすればもっと良い演奏ができるかを教え、鑑賞する人達にはどのよ
うに音楽を味わうかを教える。音楽がどのように作用するかを示し、どのように変化しているかを図
示し、その要素を分析する。
 さらに音楽は、アントレプレナーシップと同様に競争が行われる「実力主義」である。しかしその
実力というものは、単純なものでも絶対的でもない。音楽を聴く観客に影響され、観客が音楽のテー
マの形成を手伝い、どのような音楽が大切なのかを聴き手が決める。聴き手の趣味が良くなり、期待
の水準が高まるほど、音楽は良いものになっていく。アントレプレナーシップも音楽と同様に実力主
義の世界だが、アントレプレナーシップの実力は市場(お客、需要家)により決められる。このよう
に、音楽のシステムは、アントレプレナーシップに相当程度あてはまるのである。
③大学それぞれに教育は異なる
 それぞれの大学で、アントレプレナーシップ教育の枠組みを画一的に適用できるとは考えにくい。
学校が違えば、対象とする学生も教員も、歴史も、文化も、目的も別々である。大学はさまざまな教
育的な機能を果たしており、学生の世代も多様化している。たとえば、ビジネススクールを併設する
大学におけるアントレプレナーシップは、ビジネススクールを持たない大学のアントレプレナーシッ
プ教育とは別物かもしれない。アントレプレナーシップは、「この教育でどこの大学にもOK」という
学問ではない。それぞれの教育課程には特有の成果があり、教育対象の学生があり、大学の地元のコ
ミュニティの中で活動している。したがって、アントレプレナーシップ教育は、一つの処方箋がある
わけではないのである。
 アントレプレナーが活動する社会は、偶然によって出現し、続いていくものではない。我々が、そ
れを構築し維持していかなければならないのだ。そのためには、アントレプレナーシップがなぜ大切
なのか、それがどのように作用するのか、そうすればそれを維持できるのかを理解する必要がある。
そうした学習ができる場を提供するのが大学教育なのである。
④アントレプレナーシップは、多面的な要素からなる実践的学問
 先にみたように、アントレプレナーシップは実社会の現実活動がテーマであるが、それは一つ一つ
の孤立した活動ではなく、多種多様な要素に影響される。経営学の実践としてアントレプレナーシッ
プを考えてみても、経済や金融、法律、政治、社会、文化などの要素が活動に影響し作用している。
アントレプレナーシップはこれらの要素(学問の分野)が結びつき、おたがいに強化しあい、そして
理論と実践を橋渡しするシステムになっている。
 アントレプレナーシップは現実のビジネスを重視しているから、理論や思索ではなく具体的なビジ
ネスの成否が重要である。具体的なビジネスは、「学習」ではなく、「行動」である。アントレプレナ
ーシップは、新しい事業を目指す意思や構想から「きっかけ」をつかみ、そして起業活動やそのプロ
セスを理解する「知識」と「経験」を学び、そのような学習が終わった上で新しい事業のチャンスを
とらえて起業していく(行動)というプロセスが望ましい。アントレプレナーシップの教育も、この
プロセスにしたがって行われていくことが最適である。


                      ~7~
「アントレプレナーシップ教育のイメージ」




            Heinonen. J., et al.(2006) ”An entrepreneurial-directed approach to entrepreneurship education:
            mission impossible?”, Journal of Management Development, vol.25, pp.80-94.




(2)どのような科目を学んでいくか
   どのような科目を
         科目
 アントレプレナーシップは、日本では新しい学問領域である。日本で初めてアントレプレナーシッ
プの専門コースが開設されたのは1992年の法政大学大学院の起業家コースであり、それからまだ20年
も経っていない。2008年時点では日本全国の247の大学・大学院でアントレプレナーシップ関連の科目
が教えられているが、まだ教育体系が充分に整備された大学は少ない。
①大学学部で学ぶことが望ましいアントレプレナーシップ領域
 では、学生はどのような科目を取りながらアントレプレナーシップを学んでいくか。大学が設置す
る科目が少ないから、当然、学生が自由に選択する余地は少ない。そのような制約があるものの、現
在の日本におけるアントレプレナーシップからみて必要な学習領域は以下のようなものが考えられる。
しかし、下記のような講義科目が完備している大学は日本には少なく、多くの大学ではキャンパスで
1、2科目の講義を開いて運営しているため、内実は下表のようなテーマをまとめて講義するような
「あれもこれも」の総花的な講義になっているようにも思われる。


     1.経営管理                     ・アントレプレナーシップの意思、機会、事業構想。
                                ・ベンチャーの事業計画(ビジネス・プラニング)
                                                ・      。
                                ・ベンチャーの経営戦略、組織論。
                                ・ベンチャーのマーケティング。
                                ・技術経営。ハイテクノロジーと経営管理。
     2.起業家論                     ・起業家の必要条件、素質、背景。
                                ・起業家の歴史。
     3.制度                       ・ベンチャーの会計、財務管理。
                                ・会社制度、法制度。
     4.ファイナンス                   ・ベンチャーファイナンス。
                                ・株式市場。
     5.ワークショップ                  ・ベンチャーの実践プログラム。
     6.講演、イベント                  ・ベンチャー経営者の講演。
                                ・ビジネスプラン発表会。



                                                    ~8~
②実際に何から学んでいくか
 とはいえ、このような運営の話は大学側の問題であり、当の大学生は与えられた条件の下で学んで
いくしかない。まずは、通う学部のシラバスを読み、講義を聞いてアントレプレナーシップを考え、
講義や書籍で知識をつけ、社会を知り、方向を考えることが望ましい。
 大学の限られた講義を「受け身」で聞き学びながら、自分自身でアントレプレナーシップを主体的
に考えていくのである。アントレプレナーシップは独立した学問体系ではなく、経営・経済・社会・
工学等の学識が組み合わさっている。何から学ぶかといえば、自分が興味あるか役立つかを考えて、
今ある講義を選び学んでいくことである。アントレプレナーシップ教育に、理想的なモデルとするよ
うな履修体系を学生が考える必要はない。しいて言えば、アントレプレナーシップを入門的に教える
講義から選択していけばよく、そこで教員が重点とする内容(分野)を掘り下げて履修していくこと
が最善の選択であろう。
 また、アントレプレナーシップを学ぶ場は必ずしも大学の中だけではない。学内で学ぶことが最も
効率的で体系的と思われるが、真に実践的で最近の知識情報は学外の社会にあるからである。大学の
中でアントレプレナーシップを学ぶと同時に、社会いろいろな経験をし、実社会の先輩に話を聞くこ
とも、アントレプレナーシップ教育の重要な一部分と考えるべきだ。

            (引用:Kauffman Foundation (2008), “Entrepreneurship in Higher Education”)




■設問1
 設問1

 1. アントレプレナーシップは「実践的」であるが、それはなぜか。
 2. アントレプレナーシップで「経験と行動」が重要である理由について、自分の考えを述べなさい。
 3. 大企業はアントレプレナーシップの対象か。また、役所や社会福祉団体はアントレプレナーシッ
   プの対象か。
 4. 東日本大震災から復興に向けて行う仕事は、どこにアントレプレナーシップがあるのか。
 5. アントレプレナーシップは学べるのか。学べない部分があるとすれば何か。
 6. アントレプレナーシップを大学で学べば、実社会でどのように役立つであろうか。自分自身の考
   えをまとめてみよう。




                                 ~9~
Ⅱ.起業家とベンチャービジネス
  起業家とベンチャービジネス
(1)起業家の意味
     (きぎょうか、英語:entrepreneur アントレプレナー 「企業家」とも言う。
 『起業家』         entrepreneur アントレプレナー。
               entrepreneur、アントレプレナー                )とは、自
ら事業を起こす者をいう。日本では、通常はベンチャー企業を経営する人々を指すことが多いが、欧
米では自営業者や家業、あるいは新しい社会的組織の立ち上げ(社会起業家)などを含めて、日本よ
りも幅広い意味に使われている。英語のentrepreneurは、フランス語である"entrepreneur"(アント
ルプルヌール、請負業者・起業家)の英語読みから始まった。
 何かに取りかかる、     事業を興すという意味の言葉としては、英語には「undertake」が一般的である。
しかし、「undertaker」には「葬儀屋」という意味もあることが嫌われて、現在では「entrepreneur」
というフランス語起源の言葉が「起業家」に相当する英語になっている。


       ntrepreneurの定義)
   (Entrepreneurの定義)
   An entrepreneur is a person who has possession of a new enterprise, venture or idea and is
 accountable for the inherent risks and the outcome. The term was originally a loanword from
 French and was first defined by the Irish-economist Richard Cantillon. Entrepreneur in
 English is a term applied to a person who is willing to launch a new venture or enterprise and
 accept full responsibility for the outcome. Jean-Baptiste, a French economist, is believed to
 have coined the word "entrepreneur" in the 19th century - he defined an entrepreneur as "one
 who undertakes an enterprise, especially a contractor, acting as intermediately between
 capital and labor.
  起業家は、新しい事業や挑戦を行おうとする熱意を持った人間であり、リスクや結果への責任を持つ人々で
 ある。この言葉はもともとフランス語から借用され、アイルランドの経済学者リチャード・カンティヨンが初
 めて定義したものである。英語では、起業家という用語は、新しいビジネスや企業を設立し、結果に対する全
 責任を負うことをいとわない人間に対して適用される。フランスの経済学者ジャン=バティストは、19世紀に
 起業家という言葉が生まれたと考えており、彼は、起業家について、資本と労働の中間的存在として活動し、
 その二つの要素の活用を請け負って、企業経営を引き受ける人間と定義した。 (Wikipediaより引用)



(2)アントレプレナーシップの解釈

   Entrepreneurship is the act of being an entrepreneur, which can be defined as "one who
 undertakes innovations, finance and business acumen in an effort to transform innovations
 into economic goods".
  アントレプレナーシップは、起業家、すなわちイノベーションを経済的価値に転換しようとして技術革新や
 金融活動やビジネス技術に取り組もうとする人々の諸活動のことを言う。 (Wikipediaより引用)

 『アントレプレナーシップ』(英語:entrepreneurship)は、日本では通常「起業家精神」   (あるい
は企業家精神)と訳されることが多い。すなわち、心の動き、魂、気力、理念、自尊心といった心理
的気質をあらわすかように認識されることが少なくない。日本では、おそらく「スポーツマンシップ」
(スポーツマン精神)の解釈にまねて、entrepreneurshipの接尾辞である"-ship"を「精神」と解釈し
たかもしれない。
  しかし、上表のように、entrepreneurshipの英語を日本語に訳すと、起業家の活動、新しい事業を
生み出す活動、という意味となっている。つまり、英語のentrepreneurshipは、日本語で「起業家精
神」 と表現される精神的な意味よりも、    新しい事業を起こすという活動の全体的な意味を持っている。
日本の研究者においても、たとえば清成教授は『企業家とは何か』         (清成忠男編訳、東洋経済新報社、
1998年)の序文で「アントレプレナーシップは、正確には精神をも含めた全体的な企業家活動を意味
する」と述べている。




                                             ~ 10 ~
(3)ベンチャービジネスという和製英語
①「ベンチャービジネス」か、「スタートアップ」か?
  日本では、起業家が立ち上げた会社のことを『ベンチャービジネス』                             (venture business)、あるい
は「ベンチャー企業」「ベンチャー」という言葉で表現しており、この3つとも同じ意味で用いられて
                  、
いる。しかし、ベンチャービジネスは英語では使わない。つまり和製英語である。また、英語圏では
「ベンチャー」     という言葉もほとんど用いられておらず、                    一般には  「startup」 という言葉が使われる。
startupは開業全体を指す広い意味があり、日本語で言う「自営業」も含まれる。英語では、新しく組
織を設立して行う事業はすべてstartupと言うのである。
  Wikipediaに"A venture is a major undertaking, synonymous with adventure."と書いてあるよう
に、ベンチャーとは冒険や挑戦に相当するものであって、企業活動を指す言葉ではない。日本でベン
チャー企業を表す「高い成長を目指してリスクに挑戦する企業」という意味に対しては、英語圏で
は”emerging enterprises”、”emerging companies”がよく使われる。また、米国の政策において
は、”Emerging Business Enterprises” (EBE)、日本語でいえば「新興企業」が使われている。これら
の英語はstartupよりも範囲が狭まったもので、                「新規性のある事業を行っている社歴の新しい企業」                  を
指している。

②「ベンチャービジネス」使用の経緯
    「ベンチャー・ビジネス」という言葉をわが国で最初に用いたのは、中小企業庁指導部調査2課長(当時)の佃
   近雄である。1970年5月にOECD工業委員会とボストン大学共催の第2回ボストン・カレッジ・マネジメントセミナー
   に参加した佃は、帰朝報告のなかで米国では「ベンチャー・ビジネス」という新しい中小企業が台頭しているとの
   報告をおこなった。ところが、このセミナーは「ベンチャー・キャピタルと経営」をテーマとしており、佃はベン
   チャー・キャピタルの投資対象としている企業のことを、米国では「ベンチャー・ビジネス」と呼んでいると誤解
   していたのだった。
    そのころ、国民金融公庫調査課長の清成忠男(当時)と専修大学教授中村秀一郎(当時)は国民金融公庫の「小
   零細企業新規開業実態調査」を通して、知識集約型ともいえる新しいタイプの中小企業を発見していた。清成と中
   村は、この新型中小企業と「ベンチャー・ビジネス」とが、酷似していることから佃の報告に強い関心を持った。
   そこで清成は、日本長期信用銀行調査役(当時)の平尾光司の紹介で、長銀主催の報告会で佃と会い、セミナーの
   資料を借りた。そこにはベンチャー・ビジネスという用語は用いられていなかった。疑問に思った清成は文献にあ
   たって調査したところ、米国ではそのような用語法は存在しない事実を確認した。米国ではベンチャー・ビジネス
   は、単に新規事業一般を指しているに過ぎなかった。しかし、清成と中村は発見した新型中小企業を「小さいけれ
   ど、研究開発とか、知識集約的で、イノベーター的な企業は、やはり中小企業と呼ばない方がいい」と考え、あえ
   てそれらの呼称に「ベンチャー・ビジネス」を採用した。
    このように、和製英語としてうまれた「ベンチャー・ビジネス」は、1970年に清成忠男「アメリカにおける新型
   中小企業の展開」 (国民金融公庫『調査月報』114号)によってはじめて紹介された。さらに、1970年末から71年年
   初にかけて、清成と中村が経済雑誌へ相次いで寄稿したことから、     「ベンチャー・ビジネス」が産業界に広く知ら
   れるようになっていった。しかしベンチャー・ビジネスの概念は抽象的であったため、多様な解釈を許すといった
   欠点があった。大企業からのスピン・オフといった一面のみを捉え、当時流行した「脱サラリーマン」と同義に扱
   い、概念が矮小化されるといった事態も生じた。    そこで、このような誤解を改めるため、清成と中村は、清成忠男、
   中村秀一郎、平尾光司(1971)  『ベンチャー・ビジネス』(日本経済新聞社)を執筆した。
                     (山崎泰央「日本における1970 年代「ベンチャー・ビジネス」の展開」より一部抜粋。
                                                              )



(4)ベンチャービジネスと中小企業、大企業の違い
①明確な定義はない
 『ベンチャービジネス』という言葉には、明確な定義は存在しない。概括的に表現すれば「新技術
や高度な知識を軸に、創造的・革新的な経営を展開する中小企業」であり、中小企業の一つのグルー
プである。先に述べたように、アメリカではベンチャービジネスの概念を”Emerging Companies”と言
うことが多いが、これも明確な定義はない。中小企業は、中小企業基本法によって定義が定まってお
り、製造業の場合は「資本金3億円以下の会社ならびに従業員の数が300人以下の会社」である。
 では、ベンチャービジネス以外の中小企業は何と表現すればよいかとなると、アメリカでは通称「ス
モールビジネス」(Small Business)である。上記のようなベンチャーの特徴を持っていない中小企業
はこのようにスモールビジネスと表現すればよい。


                                       ~ 11 ~
②一般的にみてベンチャーはどう違うか
 ここで、基本的なベンチャービジネスの特徴をみてみよう。我々はベンチャーをどのように認識し
ているだろうか。ベンチャービジネス、中小企業(スモールビジネス)、大企業の三者の違いは何か。
下表は、それをあえて明確に特徴づけてまとめたものである。これらは「一般的な傾向」であり、ベ
ンチャービジネスがすべて実力主義で挑戦的であるわけではないし、大企業がすべて安定指向でもな
く、あくまでも全体的な傾向ととらえてほしい。なお、ベンチャービジネスの組織運営や経営の特徴
とモデルについては、第2部で述べているので参考とされたい。
 ベンチャービジネスを学ぶ上で重要なのは、これらの一般的な特徴、あるいは多少の先入観に基づ
いた世間の常識を理解した上で、掘り下げて考察していくことである。なぜベンチャーがそのような
特徴を持つのか。具体的にどのように会社が運営されているのか。信用力のないベンチャーはどのよ
うに資金を調達するのか。問題意識はそう簡単に尽きるようなものではない。ベンチャーがなぜ成功
するのか、なぜ失敗するのか。これらに対する完全な答えはないのである。


                         三者間の特徴の比較
                ベンチャービジネス        中小企業(スモールビジネス)            大企業
 企業規模        小~中規模。              小~中規模。             大規模
 従業員数        概ね300人以下。           300人以下(製造業の場合)。    300人以上(製造業)。数千人も。
 株式          未公開企業。株式公開を目指す。     多くは未公開企業。          大半が公開企業。
 成長性(潜在力を含む) 高い。                 高くない場合が多い。         -
 技術、開発       高い場合が多い。            高くない場合が多い。         -
 信用力         低い。                 低位~中位。             高い。
 資金調達力       低い。                 低位~中位。             高い。
 採用力         低い(人気がなく採用ができない)。   低位~中位。             高い(就職で人気がある)。
 会社の運営       社長のトップダウン、独断。       社長や同族のトップダウンが多い。   組織による集団経営。
             柔軟で自由な運営。           同族会社が多い。           厳格なルール、柔軟性は低い。
             経営の意思決定が速い。                            経営の意思決定が遅い(組織決定)。
             あぶなっかしい運営。                             安定した運営。組織でチェック。
 社風          実力主義、挑戦、急成長指向。                         安定、リスク回避、保守指向。
 従業員         従業員がすぐ辞める。                             長期安定雇用指向。
             アルバイト等の短期雇用が多い。
 給与、福利厚生     低い。                 低い。                良い。福利厚生が良い。
 従業員に求められるもの チャレンジ、リスクを取る姿勢。                        組織に忠実、コミュニケーション。
 従業員にとっての可能性 会社が急成長すると報われる。                         安定していることが魅力。
 従業員の職責      若いうちから高い役職に。                           年功序列。若いうちは平社員。
 会社オフィス      目抜き通りから外れた中小ビル。                        ビジネス街の大規模ビル。
 (注)上表の記述は、それぞれの相対的な特徴を強調して表現したもの。




■設問2
 設問2

 1.「起業家」の意味を一言で説明しなさい。

 2.「アントレプレナー」「アントレプレナーシップ」の語源は何か。
            、

 3.「ベンチャービジネス」「ベンチャー企業」「ベンチャー」について意味の違いはあるか。
             、         、

 4.「ベンチャービジネス」という言葉は、どうして和製英語になったのか。

 5. 英語では、
        「ベンチャービジネス」の意味としてはどのような言葉が使われているか。

 6.「ベンチャービジネス」という和製英語が使われたのは、どのような時代背景があったか。

 7. ベンチャービジネスと大企業の違いについて、主な特徴と考えるものを5つあげなさい。




                              ~ 12 ~
Ⅲ.起業の歴史
  起業の

  起業家の活動は、現代のベンチャービジネスだけを対象に考えるのではなく、人類がどのよう
 に事業を発展させてきたかという世界の歴史の流れから俯瞰して考えることが重要である。
  人類は、古代中世以降の冒険的な交易や、産業革命、工業化の発展、エレクトロニクス・コン
 ピュータ時代、そしてインターネット革命、新興国の発展、という時代の流れの中で、多種多様
 な人々が新しい事業を起こし、その活動によって経済価値を創出してきたからである。
  こうした世界の歴史を追いながら現代にたどり着けば、今日の我々がなぜイノベーションとア
 ントレプレナーシップを重要視しなければならないかが見えてくる。




1.歴史からみた「起業」
(1)古代から中世の冒険的貿易事業
               (引用:「海上交易の世界と歴史」http://www31.ocn.ne.jp/~ysino/index.html)
①ギリシアの「冒険貸借」
 多くの都市国家が勃興した古代ギリシアは、海を使って文明を発展させた。ギリシアは農業に適さ
ない土地であるために絶えず食糧の不足に悩まされており、農作物を輸入するために船が必要だった
が、その資材である木材も輸入せざるをえない状況にあった。こうした中にあって、食糧の3分の2を
輸入しなければならない最大の都市国家アテネは、紀元前6世紀頃からフェニキアと争いながら、エジ
プト、キプロスや、小アジア(現在のトルコ)から穀物を運んでいたが、やがてイタリアのシシリー
島や南イタリアに植民を送り、穀物を生産・輸入する植民地を建設するようになった。
 ギリシアでは、はじめは、自分で船を持ち、船を動かして商品を売買する単純な仕組みであった。
船の所有者も船長も商人も一つの船を持つ集団で行われた。やがて、金のある資産家が船主や商人に
資金を貸すようになった。船主は船舶や運賃を抵当にして航海費用を、また商人は貨物仕入代金や前
払い運賃を資産家から借りた。
 その中で、貿易(海商活動)についての取り決めが発展してきた。その取り決めとは、船舶や貨物
が喪失した場合は貸主(資産家)が丸損とし、金を借りた船主あるいは商人は返済の必要がないが、
それらが安全に到着すると、貸付金にその3分の1といった高率の利子をつけて、貸主に返済されるル
ールを作った。また、船長が人命、船舶、貨物を救うために荷物を海上へ投棄(投げ荷)したり、敵
国や海賊に金品の支払いを強制された場合、その損害に応じて返済すべき貸付金は減額された。こう
した普通の金銭貸借とは異なるルールのファイナンスを「冒険貸借」(Bottomry、海上保険の起源の一
つ)と呼んでいる。このような活発なギリシアの海商活動の中で、その後のヨーロッパ海上交易にお
ける船舶の共有、船主と商人の分離、海事金融や海運取引といった取引の慣行が形成されていった。

  古代ギリシアでは、資金の借り手の航海が失敗した場合には、借り手は貸主に金を全額返済する必要
 のないファイナンスが生まれている。これは現代のベンチャー・ファイナンスの起源ともいえる。


②中世地中海における「組合」の形成
 中世の地中海貿易で活躍したのは、ヴェネツィア、ジェノバなどのイタリア半島の都市勢力であり、
東方貿易(レヴァント貿易)と呼ばれる東部地中海沿岸地域やオリエント地域との貿易で富を築いた。
ヴェネツィアやフィレンツェの都市がルネサンス芸術や都市建築で豊かな遺産を残しているのは、こ
の東方貿易による富の産物である。
 中世イタリアの海商経営は2つの方法で行われていた。その1つは共同冒険組合である。11世紀頃
にまとめられたアマルフィ海法(当時の海上交易の慣習法)では、船主、商人、船員が集まって1つの
組合を結成する。これら持分所有者は自分たちの中から管理船主を選んで、冒険組合の全般的な指揮
をゆだね、他の持分所有者は船員としてあるいは自分の商品を持った商人として乗組む。船主は船価
に応じて冒険組合の一定の持分があり、商人は自ら投じた資金または商品の額に応じて持分が割当て
られ、また船員は自分の提供した労役に対して持分が与えられた。船員が船主また商人である場合、
その持分が追加された。貨物の取引から得た利益はすべて組合の勘定に入れられた。航海が完了する

                             ~ 13 ~
と裁判所で計算書の検査を受け、それぞれの持分数に応じて純益が船主、商人、船員に分配されるこ
とになっていた。
 また、1272年のラグーザ海法では、一定数の商人がそれぞれ船長および乗組員に対して、商品取引
に使用する貨幣や商品を委託する。船主や船員も、自分の計算で投資を行うことができる。共同冒険
組合の対象となった商品の運賃はそれぞれ計算され、また商品の取引から得られた利潤とともに、共
同の基金に入れられる。そして、航海が終了した時、船主と船員がこの共同基金の半分を受け取り、
残り半分は冒険商人がそれぞれの投資額に応じて配分を受けることになっていた。
 もう1つは、船舶の共同所有である。古代のように、自らの所有船を自ら単独で経営する船主や、
代理人を乗せて監督する船主は中世になるとごく稀になり、経営は主として組合方式で営まれ、大多
数の船舶は共有で所有されるようになった。組合員のある者が管理船主になり、他の組合員の全部ま
たは一部が船員となって、 しばしば乗船した。15世紀までは船舶はおおむね24の持分に分かれていた。
1人の組合員が2つ以上の持分を持つことも可能であった。そうした船主は、自らの商品を満船する場
合もあれば、そうでない場合もあった。船主が商人でない場合、商人の組合と用船契約を結んだ。そ
れ以外に単なる融資もあったようで、ヴェネチアでは利子率が20%であったとされる。
 このように、共同冒険組合であれ、船舶共同所有であれ、イタリアの場合、乗組員の全部または一
部がその船舶や海商の持分所有者であって、自分たちの労働の対価は、賃金の形式でではなく利潤分
配の形式でもって報酬を受けていた。それでも、乗組員のなかには持分所有者ではなく、単なる賃金
労働者として雇用された船員を補充しなければならない場合もあった。
 中世イタリアでは古代ギリシアよりも海商活動の取り決めが発展し、資産家でなくても、一定の資
金や労力を出し合えば船舶を所有し、商品を売買することが可能となってきたのである。

  中世イタリアの貿易事業は、船主、荷主の商人、労働者の船員が集まって1つの組合を結成したが、こ
 れは現代の企業の起源と考えられる。
  労働者として本来は賃金を受け取るだけの船員は、一つの航海というプロジェクトで作られた組合の
 持ち分を与えられ、無事航海を終えられるか交易で儲けられるかの事業成果によって、航海で得た利潤
 の一部を「組合の分け前」として与えられた。



 ● ウィリアム・シェイクスピアの戯曲「ヴェニスの商人」
  中世イタリアのヴェネツィア共和国を舞台に繰り広げられる、貿易と借金と恋に
 かかわる喜劇。
  ユダヤ人の金貸しシャイロックが貿易商人アントーニオに金を貸す際に取った
 担保(アントーニオの人肉1ポンド)の証文が現実になったことによって起こる裁
 判と、美しく富裕な貴婦人ポーシャを射止めんとする若者の争いが展開される。
  ・アントーニオ: 貿易商人。正義感が強く情に厚い。
  ・バサーニオ: アントーニオの親友。ポーシャに求愛結婚を申し込む。
  ・ポーシャ: 莫大な財産を相続した美貌の貴婦人。多くの若者達から求愛され
   ている。
  ・シャイロック: 強欲なユダヤ人金貸し。恨みのあるアントーニオに、外洋貿
   易の資金を貸しつけるが、担保として借り手アントーニオの人肉1ポンドを証
   文に得る。
  この劇で描かれたアントーニオはヴェネツィアの冒険商人である。アントーニオの出した船が洋上で難破したと
 いう情報(実は虚偽の情報であった)が入ったことから、シャイロックが訴えて裁判になり、金が返せないアン
 トーニオから担保である肉をシャイロックが切り取る権利はあるや否やという争いになる物語である。
  しかし、実際のヴェネツィアでは先のような共同冒険組合が拡がっており、アントーニオのように貿易船が難破
 しても借金の担保を取られる例は少なかったと思われる。


(2)近世ヨーロッパにおける貿易の株式会社制
  イギリス(イングランド)は、中世には交易面でヴェネツィアやハンザの商人に圧倒されていたが、
15 世紀以降は海上交易で力をつけはじめ、イギリス船は外国船に海賊行為を働いていた。イギリス国
王も貿易による財政収入を増そうと軍艦を建造するようになり、外国人に与えていた特権を徐々に取
戻しつつあった。特に、国王ヘンリー8 世(在位 1509-47 年)はイギリス海軍の創設、王立造船所の開
設、造船補助金の支給などで、海運の発展に大きく貢献した。
  この時代のイギリスの遠隔地貿易や大洋貿易では、国王の許可をえて貿易特許会社が作られていた。
それらは、冒険商人組合(Merchant adventurer's company)やレパント会社と呼ばれたものである。


                            ~ 14 ~
                                              16世紀のガレオン船交易
彼らは、   国王から特定の航路の海商について独占権が与えら          16世紀の交易船
れ、一航海ごとに自ら規約を作り護衛船などの費用を出し合っ
て運営していた。しかし、交易そのものは加入している商人た
ちが自らの勘定で船を所有あるいは用船して、         自らの危険負担
の下で行われていた。    特許を与えた王室も商人達が作った組合
に金を出して組合員になったり、    王室の船を護衛船として貸し
出していた。
 この短期的な組合組織から、会社組織が発展した。組合とい
う一時的に金を出しあう結社ではなく、     会社という自前の従業
員を持った組織集団が生まれた。    アジア貿易で台頭してきたオ
ランダに危機感を持ったイギリスのレヴァント会社          (地中海東
部貿易に従事)の商人は、国王エリザベス 1 世に請願し、1600
年にイギリス東インド会社(The East India Company)を発足
させ、自前の従業員と組織を持った会社(ただし一回の航海に
限定した会社組織)を設立した。東インド会社は、株式を発行して資本金が調達され、一回の航海が
終わると持株に応じて利益が配分された。東インド会社は創業当時には 215 人の貴族や商人の出資者
から 68,373 ポンドの資金を集めた。1612 年までは当座企業制という一航海ごとの会社組織であった
が、その後は数回の航海ごとの投資に変わり、さらに護国卿クロムウェルの特許状によって株式配当
になり、期間を限定した企業形態から、法人と資本の永続性がはかられるようになった。
 現在の会社組織である「株式会社」は、イギリスの直後にオランダで設立されたオランダ東インド
会社(1602 年)が起源である。オランダ東インド会社の取り決めでは、出資者の出資金は(イギリス
東インド会社のように一航海毎ではなく)10 年間固定され、また出資者は出資金のリスク以外の責任
を負わないという有限責任が規定されており、この点で近代株式会社の祖とされている。

 ある事業に対して株式を発行し、資金の出し手(投資家)から出資を募る「エクィティ・ファイナンス」
は、近世ヨーロッパの海上交易の商制度として成立した。
 これは、当時リスクの高かった海上貿易において、資金の出し手が共同で企業を設立して、その事業の
リスクを共同分担することによって一人当たりの危険度を低め、その代わりに、事業から得られた利潤を
出資者の持ち分に応じて皆に分配するという、現代の株式会社と同じ仕組みである。



(3)近代における起業
①産業革命による近代的イノベーション
 数十万年の人類の歴史を1年のカレンダーにすると、  産業革命以降の歴史は12月31日の23時半以降に
あたるほどの極めて短い時間にすぎない。 18世紀半ばから現在までの300年に満たない短い時間の中で
大きな変化が起きた。人類の歴史においては、長い間その平均寿命は30歳以下であり、生まれた子供
は半分以上は成人までに半数以上が死ぬのが当たり前だった。人々は他の動物と同様に常に飢えと直
面して生きており、数十万年の間その状態が続いていた。しかし、西暦1800年前後から急に人々が豊
かになり、今のように世界の主要国では一人当たりで年間数万ドルという所得を得るようになった。
 人類は1万年前までは、狩猟生活で数人の集団で移動しながら生活していた。  農耕による定住生活  (新
石器時代)が人類の第一のイノベーションであり、  農耕によって定住生活に入ることが可能となった。
第二のイノベーションは正確な文字の発明であり、情報を記録し的確に伝えることで大きな組織(国
家)の運営ができるようになった。
 第三のイノベーションは、17世紀後半から18世紀前半にイギリスから起こった産業革命という新し
い生産システムと資本主義といわれる近代システムである。資本主義以前の封建制の下では、人々は
農業を営んでいた。何かモノを作るにしても、1人の職人が1つのものをコツコツと作り上げていき、
その技能は自分の弟子に伝えていった。靴屋ならば1軒の靴屋の中で仕事が完結するという家内工業
で人類は数百年やってきた。それに対し、産業革命では製造技術の機械化が実現した。当時のイギリ
スで盛んであった綿織物・毛織物の繊維産業における織物製造機械の自動化・動力化と、蒸気機関に
                                            、
よる動力の発明というイノベーションである。産業革命におけるもう一つのイノベーションは、     「分業
システム」の導入である。アダム・スミスが「国富論」で述べているが、産業革命以前はピンを1つ
作るにも一軒の作業場で一人の職人が色々な工程をすべて作業し製作していたものが、その工程が1
つの工場の中でそれぞれの作業工程を専門とする工員によって行われるという「工場のシステム」を


                        ~ 15 ~
生み出し、結果としてピンを製造する時間とコストが飛躍的に低減し、安いピンが大量に世の中に出
回るようになった。
 ・1712年、ニューコメン(英)によって、蒸気機関を用いた排水ポンプが実用化された。
 ・1733年、ケイ(英)が、織機の一部分である杼を改良した飛び杼を発明して織機が高速化。これ
  により綿布生産の速度が向上した。
 ・1769年、アークライト(英)が水力紡績機を開発。工場を設け、機械を据え付けて多量の綿糸を
  製造することが可能になり、本格的な工場制機械工業のはじまりとなった。
 ・1785年、ワット(英)が蒸気機関のエネルギーをピストン運動から円運動へ転換させることに成
  功、この蒸気機関の改良によって、様々な機械に蒸気機関が応用されるようになった。
 ・18世紀に、コークス製鉄法がダービー(英)によって開発され、高熱が容易に利用できるように
  なったことから、良質の鋼鉄の大量製造が可能となった。
 ・1807年、フルトン(米)によって蒸気船が実用化された。また1804年、トレビシック(英)によ
  り蒸気機関車が発明され、その後蒸気機関車はスチーブンソン(英)によって改良された。
 この産業革命による工業化で、イギリスをはじめとする欧米では、工場経営に乗り出す資本家
                                        資本家が多
                                        資本家
数誕生し、彼ら中産階級(ブルジョアジー)が発展した。こうした当時の資本家達は、従来のやり方
をそのまま継続する経営者も存在したけれども、その多くは産業革命の技術を使って新しい事業や市
場進出で利得を得ようとする「起業家」でもあったのである。

●リチャード・アークライト
 リチャード・アークライト(英)
 リチャード・アークライト  :水力紡績機で富を築いた起業家
 リチャード・アークライト(1732-1792年)は、1771年に水車を動力とする水紡機(水
力紡績機)を発明した。イギリス・ランカシャー地方のプレストンで生まれ、28歳まで
床屋で働いた。  その後かつらの商売を始め、 かつら向け防水染料を改良して資金を得た。
 1768年、ジョン・ケイとともにジェニー紡績機を改良して、綿糸の強度、長さなど品
質を向上させた。翌年、馬を使った大規模な紡績機を作ったがすぐに水力によって運転
する方法に変更した(1771年) 。ジェニー紡績機のように小形のものではなく、人間の力
では動かないので、   水力利用を考えたが、個人の住宅ではできないので別に工場を設け、
機械を据え付けて数百人の労働者を働かせて多量の綿糸を造り出すことに成功した。大
量生産が可能になり、立地に制約がなくなったうえに紡糸作業に熟練した労働者が必要
としなくなったため、失業を恐れる労働者や同業者などから妨害を受けたが、次々に工
場を作り、品質の優れた綿糸を大量に生産して富豪の1人になった。1786年、国王ジョー
ジ3世より Sir (ナイト)の称号を受けた。


②19世紀後半におけるアメリカの工業化と起業活動
 南北戦争(1861-1865年)が終わったアメリカは、工業化が進展した時代だった。1865年から20
世紀初頭までの間に、アメリカ合衆国は世界でも先進的な工業国に成長した。1880年代前半にアメリ
カは“世界の工場”イギリスを抜いて世界一の工業国へと躍進し、1890年代にはいると当時の花形産
業だった鉄鋼生産でもイギリスを上回った。土地と労働力が豊富にあり、気候が多様で、運河、川お
よび海岸水域など航行可能な水域があることで勃興する工業経済の交通需要を満たした。
 ヨーロッパを中心とする他の大陸からは1840年から1920年までに3,700万人という世界史上で最大
の移民がアメリカに流入して安い労働力を提供し、また未開発の地域に多様な地域社会が形成された。
 さらには、 技術の進歩や輸送機関の発展が拍車を掛けた。  19世紀後半は西部開拓運動の時期であり、
鉄道が西部を開き、誰もいなかった所に農場や町ができた。ただし、インディアンを駆逐し虐待する
負の歴史も並行して起こっている。1869年に最初のアメリカ大陸横断鉄道が開通し、巨大な北アメリ
カ大陸間の移動と輸送が近代化し、さらに鉄道の建設によって広大な市場(西部や太平洋)が登場し、
事業を行おうとする者に大きなチャンスが生まれた。産業の経営手法においても、ヘンリー・フォー
ドが始めた移動組立ラインやテイラーの科学的管理法などの経営面のイノベーションが起こった。
 この時代のアメリカの資本家は、未開拓の市場、第二次産業革命といわれる技術革新、輸送手段の
発展、移民による人口の急増という事業を拡大する上で絶好の条件がそろっており、製造業のみなら
ず、鉄道、運河、輸送などの多様な産業で新しい企業が設立され、富を得た資本家が急増した。アン
ドリュー・カーネギー(鉄鋼)   、ジョン・ロックフェラー(石油)のように、富も人脈も持たない人間
が事業を起こして経営を拡大し、大富豪にのし上がった起業家が多数生まれることとなった。
 また、彼ら資本家は、経営効率を高めるために、持株会社によるトラスト(企業合同)という経営
手法を採用し、大企業はトラストを結んで事業を拡大し、あるいは競合企業を合併して市場を独占す
る行動が支配的となった。19世紀後半のアメリカは労働者運動と政府の競争政策が未成熟で、企業の
自由奔放な行動を規制することは稀であったが、その後、大資本家の市場独占や容赦のない経営に社

                            ~ 16 ~
会から強い反発が起こり、労働者運動や反トラスト運動につながった。

●アンドリュー・カーネギー
 アンドリュー・カーネギー(米) 「鋼鉄王」
 アンドリュー・カーネギー   :
 アンドリュー・カーネギー(1835-1919年)は、スコットランド移民の実業家。
 1835年、スコットランドで手織り 職人の長男として 生まれた。 父親が産業革命
で仕事がなくなってしまった ために、1848年に一家でア メリカ へ移住した。移住
の後、12歳のカーネギーは学校 へ行かずに紡績工場で 働く。そ の後、何度か転職
し、ピッツバーグ電信局の電報配達の仕事につき、電信技士に昇格した。その後、
トーマス・スコットに秘書兼電 信士として引き抜かれ てペンシ ルバニア鉄道へ入
社する。18歳の頃、スコットが ペンシルバニア鉄道の 副社長に 昇進すると、カー
ネギーがピッツバーグ支店の責任者になった。
 カーネギーは、持ちかけられ た寝台車のアイデア を取り上げ、 ペンシルバニア
鉄道は試験的な採用を決めた。 カーネギーは、借金を して寝台 車のための会社に
出資して富を得る。南北戦争後 にペンシルバニア鉄道 を退職し 、事業家となる。
当時の鉄道で多かった木製の橋から鉄製への需要増加を予測し、キーストン鉄橋会社を設立し成功した。さ
らに、技術革新により鋳鉄よりも強靭な鋼鉄の大量製造が可能になり、鉄道のレールや建築へ使用されるこ
とを予見し、製鉄事業の規模拡大に力を注ぎ、    「鋼鉄王」と呼ばれた。カーネギーは1901年に鉄鋼会社をモ
ルガンへ売却し、  後の世界一のUSスティールとなった。 以後は慈善活動を行い、ニューヨークのカーネギー・
ホールやカーネギーメロン大学は彼の寄附により設立されたものである。

●ジョン・ロックフェラー
 ジョン・ロックフェラー(米)
 ジョン・ロックフェラー   :ロックフェラー財閥の祖
  ジョン・ロックフェラー・シニア(1839-1937年)は、実業家。スタン ダ ー ド ・
オイルを創設した。
  ニューヨーク州北部のリッチフォードで、移動販売を営む親のもとに生まれた。
1855年の16歳の頃に転居したオハ イオ州クリーブラン ドで記帳 係として働き始め
た。1858年に、彼は友人と共にク ラーク・アンド・ロ ックフェ ラー社を設立し、
同社は1862年に当時のアパラチア 山脈近郊で発見され ていた油 田事業に目をつけ
て石油会社に投資を行った 。1865年に友人との事業を 解散し、 精油事業を買収し
ロックフェラー・アンド・ア ンドリュース社を設立 した。さら に同年、第二の精
油所を設立した。1867年にロック フェラー・アンド・ アンドリ ュース社はこの精
油所を吸収し、さらに規模 を拡大するために、1870年 にロック フェラー兄弟と他
のメンバーにより ス タンダ ード・オイ ル社 を創設し、ロックフェラーが社長に就
任した。
  スタンダード・オイルは、徐々にアメリカ国内で石油生産の支配権を獲得した。巨大な利益を消費者に還
元せず高価格で販売し続けたそのビジネス手法は、広く厳しく批評され、スタンダード・オイルは反トラス
ト運動の格好の目標として攻撃された。スタンダード・オイル社はアメリカ石油市場の90%を支配するに至
ったため、世論は次第に「反独占」   「反トラスト」へと向かい、1890年にシャーマン反トラスト法が成立し
た。1911年、アメリカ合衆国最高裁判所は、スタンダード・オイルが市場を独占していることで解体命令を
下し、同社は37の新会社に分割された(現在のエクソンモービルとシェブロンなど)        。1901年までに彼には
約9億ドルの資産があり、当時の世界で最も富を保有していた人物と考えられており、ロックフェラーの財
産を現代の価値に換算した場合、2,000億ドルを上回ると推定されている。

●トーマス・エジソン
 トーマス・エジソン(米) 「発明王」
 トーマス・エジソン   :
 トーマス・エジソン(1847年-1931年)は、生涯におよそ1,300もの発明を行っ
た発明家、起業家。
 エジソンは1847年にオハイオ州ミランで生まれた。小学校に入学するも、教師と馬が
合わず中退した。当時の逸話としては、算数の授業中には「1+1=2」と教えられても鵜
呑みにすることができず、国語の授業中にも、   「A(エー)はどうしてP(ピー)と呼ば
ないの?」と質問するといった具合で、授業中に事あるごとになぜを連発していたとい
う。最終的には担任の先生から「君の頭は腐っている」と吐き捨てられ、校長からも入
学からわずか3ヶ月で退学を勧められたという。見放されたエジソンは、基本的な勉強
は小学校の教師であった母親に教わった。母親は教育熱心だったらしく、元々好奇心が
旺盛だったエジソンに対して、家の地下室に様々な化学薬品を揃え、エジソン自身もその地下室で科学実験に没頭
していたという。
 このような少年時代を送ったが、その後は母親の手伝いを得ながら発明研究を続け、1877年、エジソン30歳の時
に蓄音機の実用化
 蓄音機の実用化(商品化)で名声を獲得した。その後、ニュージャージー州にメンロパーク研究室を設立し、研
 蓄音機の実用化
究所では、電話、レコードプレーヤー、電気鉄道、鉱石分離装置、電灯照明などを矢継ぎ早に商品化した。なかで
も注力したのは白熱電球
        白熱電球であり、数多い先行の白熱電球を実用的に改良した。彼は白熱電球の名称を、ゾロアスタ
        白熱電球
ー教の光と英知の神、アフラ・マズダから引用し、   「マズダ」と名付けている。一方で、白熱電球の売り込みのため
の合弁会社を設立し、エジソンは起業家
                 起業家でもあった。鉱山経営などにも手を出すが失敗。高齢となって会社経営か
                 起業家
らは身を引くが、オカルトに関心を移し、研究所にこもって死者との交信の実験を続ける。1914年に研究所が火事
で全焼し損害を蒙ったが、臆せずその後も死者との交信についての研究を続けた。




                            ~ 17 ~
(4)20世紀以降の現代社会における起業
①軍事・産業・学術の複合
 20世紀の世界は、産業革命後に発展を続ける実業界、列強の対立・世界大戦・東西対立で軍事力増
強を必要とした政府、および高度な科学技術が培われた大学の組織が複合的に結束し、技術の進歩の
速度が上がった。この関係は一般に「軍・産複合」として知られており、軍需による技術や製品の需
                  「   産複合」
要、資本と金融の集中による効率活用、および大規模な適用と高度集中管理による技術革新を生む潮
流となった。こうした革新は、医学、物理学、化学、電子計算、航空学、物質科学、造船学、金属学
で生まれたが、ベースとなる技術の進展は軍事目的の研究に負うところが大きかった。
 例えば、航空機と宇宙ロケットの発展は20世紀前半の大きなイノベーションだが、この飛躍は軍事
利用なくしてありえなかったといえる。無線通信や衛星も軍事利用が技術を飛躍させたし、現代のイ
ンターネットの原型であるARPANET(アーパネット)は、1969年にアメリカ国防総省・国防高等研究
計画局による指揮の下に構築されたコンピュータネットワークである。
②幅広い業種での起業                                 ウォルト・ディズニー
                                            (1901~1966年)
 19世紀後半以降、先進国を中心に国民生活が向上し、質の高い製品や多
様で魅力的なサービスへのニーズが高まっていった。 この中で、食料品や娯
楽のような重工業以外の業種でも新しい起業家が急成長する事例も出てき
た。たとえば、 「ミッキーマウス」の生みの親であるウォルト・ディズニー
が1924年に兄のロイと設立したウォルト・ディズニー・カンパニーは、現
在の売上高が3兆円を越える国際的な大企業に発展した。また、1919年には
コカ・コーラ社が創業し、1939年にはカーネル・サンダース(米)がケン
タッキー・フライドチキンの新調理法を考案、 マクドナルドの祖であるマク
ドナルド兄弟(米)は、1940年に開店している。
③現代のベンチャー投資
 起業家と新設立のベンチャーに対する資金提供も、新しいファイナンス技術が登場した。ベンチャ
ーキャピタル(venture capital)という、外部の投資家が起業家の設立した会社の株式を取得(株式
投資)し、会社を監視し経営指導して会社の価値を向上させ、その後に株式売却により利益を得よう
とするスキームの金融業である。
 このようなベンチャーキャピタルが生まれたのは、第二次世界大戦後のアメリカ・ボストンで、ハ
ーバード大学教授のジョージ・ドリオ教授や実業界の経営者によって1946年に設立された。これがア
メリカン・リサーチ・アンド・ディベロップメント(ARD)という投資会社である。ベンチャーキャ
ピタルは戦後のアメリカで始まった投資業であるが、       1970年代に日本にも導入され現在に至っている。
④情報通信技術の急速な発展と起業家
 パソコンやインターネットの発展は、ここで述べるまでもない。しかしコンピューターもトランジ
スターも、初めて世で発明されたのは第二次大戦以降のことであり、また、世界発のパーソナルコン
ピューターを作ったアップルの創業は現在から35年前の1975年である。さらには、インターネットの
商用化は1995年と今から15年前の最近の発明なのである。
 この短い期間において、現代社会は製品・サービスの水準が飛躍的に向上した。半導体産業はトラ
ンジスターが発明された1947年、IC(集積回路)が発明された1958年以降に急速に発展し、コンピュ
ーター産業はその半導体のイノベーションを利用して1980年代に大きく伸長した。アメリカの起業家
やベンチャービジネスが集まっている「シリコンバレー」  (サンフランシスコ市を北端に南に100キロほどの
湾岸地帯、25ページの参考-1)は、シリコンを主体原料とするIC(集積回路)を取り扱うエレクトロニ
クス関連産業が集まったために、1970年代からこのように呼ばれはじめた。
 こうしたイノベーションの過程において、多くの起業家がベンチャービジネスを起こし業績を拡大
させ、 さらに資金調達をはかるために証券取引所に株式を上場 新規株式公開、
                              (        IPO、35ページの参考―2)
させた。これによって、起業家が保有する会社の株式の価値が何百億円(あるいはそれをはるかに上
回る金額)となり、億万長者となる起業家が出てきた。その典型例がマイクロソフトのビル・ゲイツ、
アップルのステーブ・ジョブズであり、現在のアマゾン・ドット・コム、ヤフー、グーグル、フェイ
スブックのようなベンチャーにつながっていく。
 19世紀以前の起業家は、自分の立ち上げた会社からの給与報酬や配当で富を形成したが、20世紀後
半の起業家は、立ち上げたベンチャービジネスを株式市場に公開すること(株式市場で売買取引でき
るようにすること)によって、持株の経済価値を増大させて富を得ているのである。



                         ~ 18 ~
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Entrepreneurship Textbook vol.1

  • 1. 事業創造をどう学んでいくか ◆大学は将来を自分で拓く時期 君は何のために勉強しているか。あなたはどんな人生を歩みたいと思っているのか。何がしたいの か。あるいは、なぜ仕事をしなければならないのか。 大学生は、多かれ少なかれこうした真正面からの疑問に悩むものである。今の大人達も若い頃には 皆それを考えていた。自分で進む道を決めた者、決められずにやりすごした者はさまざまであるが、 ともかくもそれぞれの力で今を生きている。 過去に歴史に名を残した人間も、若き時代には同じように進むべき道を考えていた。土佐に生まれ た坂本龍馬は倒幕運動の志士として身を立てようし、埼玉の深谷で育った渋沢栄一は尊王攘夷に本気 になって横浜を焼き打ちにする企てを考えた。ソフトバンクの孫正義社長は福岡県久留米の高校を中 退してアメリカに渡り自分の人生を切り拓こうとした。 それとは逆に、自分で人生を考えて選択することができずに、定められた道を生きるために歩まざ るを得なかった者も多い。パナソニックを創業した松下幸之助は、家が貧しいために小学4年生で商店 に奉公に出された。トヨタの祖である豊田佐吉は父親の大工の仕事を継ぐしかなく、ホンダを創った 本田宗一郎は家が鍛冶屋だったから自動車修理店に入って子守の仕事をさせられた。皆がそういう人 生を歩まざるを得なかった時代であった。 現代は昔のそれとは異なっている。幸いなことに、若い頃に考える時間と環境が不足しているわけ ではない。日本の若者の半分以上は大学に進学し、本人にやる気かあるかどうかは別として、少なく とも4年間(就職活動を除けば実質的には3年弱)は社会に出る前のトレーニングを大学の内外で受け る時間はある。 ◆重要なのは、社会における「取り決め」 人は、憲法の基本的人権にあるように、社会で自由に活動することを許されている。学校を卒業す れば、学校の中の指導や強制からも「自由」になる。しかし、社会では他人が学校のように手取り足 取りでは人生を導いてくれないし、多くの場合は叱ってもくれない。 人間の実社会とは、自分と他の組織や個人との間で何かを決めて、自分が働き、その分の価値を金 銭で得ることを基本とする世界である。これは当たり前の話だが、わかりやすく言えば、自分が働い てお金を稼ぐことだ。サラリーマンはもちろん、お笑いタレントでもプロ野球選手でも大学の教員で も、日々の労働で収入を得ていることには変わりがない。人間でなくとも、生きるためのものを稼ぐ ことはすべての生物が行っている行為である。ライオンは獲物を追わなければすぐに飢えてしまう。 人間が賢いのは、生きるための稼ぎ方を「組織的」に行うことができることである。人間は頭を使 えるから、会社という集団の組織を作って、ものを個人が分担して生産し販売し、金を稼いでいる。 しかし、人間がその組織(会社)をうまく運営するには、さまざまな「取り決め」を学び理解した上 で円滑に処理をしなければ、ものがうまく作れない、製品を売っても損が出てしまう、あるいは代金 が回収できないことになる。 本質的にいえば、経営学部で学ぶ「経営」という学問は、生きるため に稼ぐことを目的に作った組織を、どのように運営して、満足できる稼 ぎを獲得することができるかを使命としている。稼ぐという言葉にはあ まり良いイメージがないかもしれないが、この本質から目をそらしては いけない。稼ぐという言葉が気にさわるならば、価値を創ることと言い かえても良い。植物は光合成によって水と二酸化炭素という原料から炭 水化物を生産し、生きるエネルギーという価値を生み出している。 人間は組織を作っているから、他の生物より圧倒的に優れた価値を創 っているけれども、それには多種多様な取り決めが定められて、参加す る人間がそれに従っているために、円滑な運営が可能になるのである。 このように、円滑に組織を運営する「取り決め」とそれを行う理由を学ぶのが経営学と考えてほしい。 経営学部で学ぶ企業マネジメントも、簿記も会計も、情報技術も、組織を運営する上で(あるいは組 織で働く上で)必要な知識を得ることが目的であるはずだ。 ~1~
  • 2. ◆事業創造を学ぶと、組織の本質がわかる このテキストでは、ゼロから始まる事業をどのように立ち上げていくか、あるいはそうした事業の 創造(起業)にはどのような特徴があるか、どのような人々が行っているのか、ということを解説し ている。 まったくの始まりから事業をスタートさせると、先に述べたような人間の価値の作り方(稼ぎ方) が現場で見えてくる。会社とはどのように作るのか、社長や部長や従業員はどのような役割の分担が あるのか、あるいは会社の資金はどのように調達しているのか。大きな会社や役所にいると、その事 業の本質がみえにくくなるものだ。1万人も従業員がいる大企業で働いていると、日々の自分の仕事で 会社の経営が見えるものではない。自動車メーカーで品質管理を担当している係長にとっては会社の 決算書は経理部の仕事でしかないだろうが、新宿でネットワークゲームを作っている従業員5名のベン チャーでは株主総会で何が議論されたか皆が知っている。 ◆自分の頭で批判的に考えることが重要 会社を作る、運営する、儲ける事とは何かというように、人間の経済活動の本当の意味を探ろうと して経営を学ぶならば、おそらく自分達が授業を受けている理由や目的も納得できるものになるだろ う。学生というものは若くて自由だからこそ、社会が決めた取り決めや慣習に対して無条件無批判に 従うだけではなく、まずはその意味を批判的に考えてもらいたい。 会計や情報技術の授業では、こういうルールだからこのように処理せよと決め事に従うことを強制 させられることが多い。しかし、このテキストで取り上げるアントレプレナーシップは、 「なぜ?」が 重要な学問である。その理由を一言でいえば、考えることなく無批判に生きていては新しい事業は生 まれないからだ。現存するビジネスや社会に疑問を感じて悩んだからこそ、多くのベンチャーが生ま れてきた。マクドナルドや吉野家は、それまでの飲食店のサービスが遅くて問題だと考えたからこそ、 「早い、安い、うまい」メニューを考え出してきた。ダイエーを作った中内功は小売店の価格が高す ぎると思ったから、 「安売り」を商売にして日本一になった。 このテキストはさまざまな情報を解説しているけれども、出てきた内容を覚えなければという義務 感を持つ必要はない。もちろん、太字ゴシックで記した重要項目は覚えてほしいが、大事なことは各 項目のストーリーを読んだ後に批判的に考えることである。このようなクリティカル・シンキング (critical thinking、批判的思考)を促すために、テキストの各節の終わりに150以上の「設問」を用 意している。講義においては、担当教員がこれらの設問から逐次セレクトして課題を出すことになる が、受講者は各章を読む前に末尾の設問を一読すると各節のねらいがわかるだろう。 経営は、社会で生活する限り誰もがさまざまな局面で直面することである。同時に、生きている以 上は誰もが経営に関わらざるをえない。サラリーマンでも、自営業者、公務員、あるいは家庭の主婦 でも、組織や家計に責任を負う者は、それぞれの視点で経営の仕組みを実践的に学ぶことにより、自 分の可能性を高めることができるはずだ。 学んで思わざれば 則ち罔(くら)し。 思うて学ばざれば 則ち殆(あや)うし。 (孔子「論語-為政」) ~2~
  • 3. 第1部 アントレプレナーシップ総論 Ⅰ.アントレプレナーシップを学ぶということ アントレプレナーシップを学 1.はじめに:6つのポイント (1)アントレプレナーシップは『新しい経済価値を創出すること』が目標である。 アントレプレナーシップ(9ページにその意味を掲載)は、新しい物や技術やサービスを現実に創り出すこ とであり、経済価値を増やすことを善とし、目標にしている。良い経済社会機能を作ることとか、 個人や企業が価値を分け合う分配する行動ではなく、あくまでも価値を創ること(商売で売上利益 を増やすこと)がアントレプレナーシップの目指すものである。 (2) アントレプレナーシップは『実践的』である。 アントレプレナーシップは、現実の人間の経済活動がほとんど唯一の関心であるから、その学問も 実践的で現実的なものである。現実のビジネスで商売がうまくいくために学ぶのである。 (3) アントレプレナーシップは、知だけでなく、『経験と行動』が重要である。 アントレプレナーシップは、教室の講義やゼミナールで学ぶ「知識」だけではなく、現実社会での ノウハウ・テクニック等の「経験」が重要であり、また新事業やベンチャーで「行動すること」(も しくは行動する起業家を理解すること、観察すること)が最終目標である。 アントレプレナーシップは大学の中だけで学べるものではない。英語や数学のように教室で学んで いくよりも、体育や音楽のように実技が重要な科目と考えたほうがよい。ルールや技術の知識があ っても野球ができないように、アントレプレナーシップは頭だけではなく経験と行動が欠かせない。 (4) アントレプレナーシップは『多面的』である。 アントレプレナーシップは孤立した学問分野ではなく、経営学や経済、金融、法律、政治、社会、 文化などの多くの要素が影響し作用している。したがって、アントレプレナーシップは経営学だけ で考えるのは充分ではなく、他の学問の知識や考え方を借用し活用していかなければならない。 (5) ベンチャーを起業するため、ベンチャーに入社するためだけの学問ではない。 過去20年の世界では、アントレプレナーシップが人間の幸福を向上させるうえで重要な役割を果た してきた。大学生は、ベンチャーに入る以前の段階において、現代の経済社会を理解するためにア ントレプレナーシップを学ぶべきである。ベンチャーの経営者を目指すためだけの講義ではない。 大企業や中堅企業の新規事業や、 社会福祉や社会改善のための新しい取り組み、地方振興の運動も、 その基盤はアントレプレナーシップである。 (6) 起業家は生まれるのではなく、作られる。 ”Entrepreneurs are made, not born.” 起業家は、生まれつきの素質を持った人間が起業しているのではなく、成 功したベンチャー経営者は才能だけで成功したわけではない。マイクロソ フトのビル・ゲイツ氏もソフトバンクの孫正義氏も、(すばらしい才能を持 っているが)生まれつきの天才ではなく、どこかで学習している。その場 所は大学ではなく、家庭や友人、あるいは職場の仕事からかもしれないし、 あるいは先輩の経験や失敗談から学んでいるだろう。アントレプナーは学 習が不可欠である。 また、起業家は自分の力だけで成功したのではない。ベンチャーで働く仲 間や部下、活用する技術やアイデア、そして足りない資金を提供する投資 家があってこそ経営を成り立たせることが可能である。したがって、自分 自身の知識能力だけではなく、世の中の資源について学んでいくことが重 要であり、そうした資源の有効活用技術を学んで実践できる能力を持った 人間が成功していると考えてほしい。 ~3~
  • 4. 2.アントレプレナーシップはなぜ重要か? ①教育の根底は、現実を理解すること 大学は、学術研究を行う場であると同時に、高等教育の場である。高等教育について大学が期待さ れているのは、学生に対して、充実した人生を送れる良き社会人となるための準備、幅広い知識、労 働意欲、科学的合理性、批判的思考、道徳性や文化教養の養成などを習得させることである。 これらはどれも重要な目標だが、もっと根本的な学習の目標がある。それは『理解すること』であ る。私達は、理解もしていない世界を改善することはできず、自分自身を、その強さ、限界、動機を 把握していなければ前に進むこともできない。世の中と自分をより理解可能なものにしていくことに より、大学教育は人間的成長、創造性、達成、進歩の基礎がためをすることができる。 「理解すること」が学習の基本的な目標であるとするならば、大学は、現代の生活における経験・ 条件を反映するものでなければならない。大学が世界から切り離され、そこに働きかけないのであれ ば、世界を理解可能なものにすることは難しい。 大学での学習は、学生に対してこれから生きていく現実をどのように理解しどのように影響を及ぼ していくかを教えなければならない。孤立し固定されてしまった教育が成功するはずもない。過去の 優れた業績を研究し、人間の本性について問い続けることは、教養ある人間になるための基本である が、大学の長所はそのダイナミズムと適応力であり、古典的な問題だけでなく、自然・社会・人間の 経験における切迫した目の前の問題に取り組む能力である。 ②アントレプレナーシップは、世界の重要なファクター 新しい事業に取り組んで新しい価値を創出しているアントレプレナーシップという概念と活動は、 世界の経済社会において重要なファクターである。アントレプレナーシップは、世界中の製品やサー ビスにイノベーションと改善をもたらし、より効率的で入手しやすく効果的なものにしている。アン トレプレナーシップは、私たちの個人としてのあるいはコミュニティとしての生活レベルを高めてお り、また人々の働き方やコミュニケーションを変化させている。また、世界的に天然資源が減少し、 人類が持続可能な将来を保っていくためには、イノベーションだけでは十分ではない。我々に必要な のは、新たなアイデアを実現し多くの人々が利用できるようにする活動であり、これこそアントレプ レナーシップなのである。 こうしたアントレプレナーシップをうまく利用できるかどうかは、結局は我々が「理解すること」 にかかっている。理解できないものを考案し改善することはできないのである。訳のわからない物を 修理して直すことはできない。理解することは大学教育の根本的な目的であり、アントレプレナーシ ップと大学教育は切っても切れない関係である。こうしたことから、アントレプレナーシップが大学 の学部教育のテーマとして取り上げられるのは自然な動きなのである。 アントレプレナーシップが対象とするのは「ベンチャーだけではない」 ~4~
  • 5. 3.日本でアントレプレナーシップが意味を持つ理由 ①新しい経済価値創出が求められている たとえば、世の中について次の4つを考えてみよう。 (1)現代の日本は、欧米に追いつけ追い越せという高度成長期までの時代ではない。中国等のアジア や新興国に負けないような製品・サービスを新しく生み出していかなければならない。 - 菅総理大臣の施政方針演説、2011年1月24日、衆議院本会議 - ・世界中が、新しい時代を生き抜くにはどうすればよいか模索しています。日本だけが、経済の閉塞、社 会の不安にもがいている訳にはいかないのです。現実を冷静に見詰め、内向きの姿勢や従来の固定観念 から脱却する。そして、勢いを増すアジアの成長を我が国に取り込み、国際社会と繁栄をともにする新 しい公式を見つけ出す。また、社会構造の変化の中で、この国に暮らす幸せの形を描く。今年こそ、こ うした国づくりに向け舵を切る。私のこの決意の中身をこれから説明いたします。 (2)大学生の就職が深刻な状況にある。企業が新卒採用を抑制している理由は、規模の拡大に積極姿 勢が取れないからである。新しい市場を創りだし、商売によって経済価値を増やしていかなけれ ば、社会で活躍すべき若者が損をする。「成長」は若い世代に恩恵をもたらすものなのだ。 (3)地方をみると、少子化・高齢化や過疎によって沈滞している。たとえば地方都市の商店街はシャ ッター通りと化し、働き手の若者がいない。雇用の受け皿であるべき大企業は、地方に工場に建 設するよりもアジアに工場を作って現地生産をしている。地方はアジアと見えない競争をしてい るのである。沈滞を打開しようと、県や市町村は、新しい地場産品、B級グルメの新商品作り、 海外観光客やプロスポーツの誘致など、さまざまな「地域振興策」を推進している。 (4)東日本大震災ですさまじい被害を受けた日本は、これから復興の時代になる。戦災の後のような 東北地方で、何万人もの人々が文字通りゼロから仕事を再開していく。水産業を再開する、小売 の商店を復活させる。それぞれが加工場を作り直し、店を新築し、新たな生きる糧を創り上げて いくことだろう。 以上は日頃のニュースで聞かされる話であるが、いずれにも「新しい取り組み」というフレーズが 入っている。民間企業だけでなく、国や自治体も地方の人々も学生も、新しいことを考えて企てて再 建していかねばならない。 ②それぞれの場におけるアントレプレナーシップ だからこそ、新しい取り組みを学ぶことが必要であり、重要である。 新しい経済価値を創出するこ 『 しい経済価値 創出するこ 経済価値を と』を目標とするアントレプレナーシップを学び研究し、21世紀日本の課題に対処していくことが重 要になっているのである。 もちろん、既存の経済学、経営学、社会学、あるいは理工学の分野から、こういった問題に取り組 むこともできる。しかし、アントレプレナーシップは、これらの学問領域に欠けている新しい知識を 世の中に提供できる概念である。 実社会の職場において、新しい事業を行う知識技術を活用する場面はどこにあるだろうか。たとえ ば、下の表で示した職場でアントレプレナーシップをどのように活用できるかを自分で想像してみよ う。そこで考える中で、アントレプレナーシップの重要性がおのずと明らかになっていくだろう。 それぞれの職場における「アントレプレナーシップ」 職場 課題と事業構想 アントレプレナーシップ NPO法人「カ 人とうまくコミュニケーションできない高校生と社会となじませるプロジェクトを立 民間非営利組織による社会改革運動の新 タリバ」 ち上げNPO法人を設立したが、活動資金もボランティアの数も足りない。 しい取り組み。 商店街で営業していた古本屋は店を閉めたが、4年前に始めたアマゾンに出 前橋市の古本 店しているアフィリエートプログラム(古書ECビジネス)が急成長。拡大するた 新しい流通形態(EC)への取り組み。 屋 めに古書買取の店を作ることを検討中。 過疎化が進む町において、町独自の新しい地場産品の企画、製品化を模索 福島県の町役 しているが、大半がうまくいかずに失敗しており、いかに低リスクでそこそこ売れ 新しい地場産品の開発と販売企画。 場 る製品を作っていくかが課題になっている。 千葉市の社会 千葉市の老人向け介護ケア施設が慢性的に不足で、福祉協議会のメンバー 社会福祉団体の新規事業進出。 福祉協議会 でデイケアセンター開設を考えている。 生徒のいじめの問題や学校近辺の治安の問題を、保護者や地域関係者を小 上尾市の小学 学校での新しい教育支援体制の企画と構 学校に参画してもらって一緒に学校経営を考えてアクションする取り組みを模 校 築。 索している。 ~5~
  • 6. 4.なぜ大学で「アントレプレナーシップ」なのか? アントレプレナーシップは、長らく経済学のテーマの一つにすぎないと考えられてきた。しかし、 最近の研究では、アントレプレナーシップが現代経済における富の創出の主役として先導的な役割を 担っていることが認められている。少なくとも過去20年の世界では、たえず新しい事業が誕生し、そ れらの事業の原動力であるアントレプレナーシップは人間の幸福を向上させるうえで重要な役割を果 たしている。 こうした認識がある中で、アメリカの大学ではアントレプレナーシップに関する講義は急激に増加 している。以前からビジネススクールでは一般的なカリキュラムとして扱われていたが、近年は関心 が高まる中で学部教育の中で最も急速に拡大しているテーマである。 ある調査によれば、1985年当時、 アメリカの大学で設置されているアントレプレナーシップ関連科目は約250だったものが、 2008年現在 では5000を超え、アントレプレナーシップを専攻科目にできる大学のプログラムは、1975年の104校 から2006年には500校超へと増加している。 下の表は、アメリカのアントレプレナーシップ教育で最先端にあるバブソン大学(米マサチューセ ッツ州)経営学部で開講しているアントレプレナーシップ関連科目のリストである。一見してわかる ように、大学ではベンチャービジネスの経営だけを教えているのではない。ファミリービジネス(家 業)や大企業のコーポレート・ベンチャー、世界各国のアントレプレナーシップ、あるいは社会問題を アントレプレナーシップの視点で分析して解決に向け取り組もうとする社会学関係の授業もいくつか 設けられている。これは4年制学部の大学生(ビジネススクール等の院生ではない)に対する授業であ り、専攻科目としてだけではなく「教養科目」としてアントレプレナーシップが教えられていること がわかるであろう。 バブソン大学・経営学部(学部)のアントレプレナーシップ関連科目 分野 主テーマ 講義の名称(英語原文) 経営管理 事業機会 Entrepreneurship and Opportunity 成長事業の経営管理 Managing Growing Businesses テクノロジー New Technology Ventures 起業家論 Great Entrepreneurial Wealth: Creation, Preservation and Destruction ファミリービジネス戦略 Key to Success Family Business Enterprises 起業家としての家業経営 Family as Entrepreneur コーポレート・ベンチャー Corporate Entrepreneurship マーケティング Marketing for Entrepreneurs 成長戦略 Venture Growth Strategies 事業の実践演習 The Ultimate Entrepreneurial Challenge ファイナンス 資金調達 Raising Money-VC, Angels & Incubators ベンチャーファイナンス Entrepreneurial Finance 国際 中国の起業 Entrepreneurship and New Ventures in China 中南米の起業 Entrepreneurship in Latin America アジアの起業 Entrepreneurship in Asia 社会 社会的起業家論 The Enlightened Entrepreneur: Changemakers, Inspired Protagonists, and Unreasonable People 社会的起業の計画 Social Entrepreneurship by Design 社会的起業の経営管理 Social Enterprise Management 社会問題の観察 The Enlightened Observer 環境と起業 Environmental and Sustainable Entrepreneurship トルコの環境関連起業 Social Responsibility through Eco-Enterprise in Turkey アフリカの起業と社会 South Africa: Entrepreneurship, Culture, & Society in Developing Economy 文化 起業的文化 The Creation of Entrepreneurial Culture within your Organization ワークショップ 起業体験(一般) Living the Entrepreneurial Experience (General Focus) 起業体験(企業) Living the Entrepreneurial Experience (Corporate Focus) 起業体験(技術開発) Living the Entrepreneurial Experience (Technology Focus) 起業体験(家業) Living the Entrepreneurial Experience (Family Focus) 起業体験(社会起業) Living the Social Entrepreneurial Experience (出所)バブソン大学ホームページ。 さらには、最近の大学自体が、起業活動を行っている。各大学は「技術移転オフィス」 (TLO、 Technology Transfer Office。)を通じて、大学内の教員や研究者がベンチャービジネスを設立して自ら の研究を市場向けに商品化することを支援している。研究機関としての大学は、イノベーションや、 新たな企業の基礎となるような新たな製品・プロセスの創造という点で、唯一ではないにせよ重要な 源泉となっているのである。大学が教員による重要な活動としてアントレプレナーシップを掲げつつ、 そうした活動を学生たちに教えていないとすれば、学校の使命と実践が乖離してしまう。 ~6~
  • 7. 5.アントレプレナーシップの学び方 (1)アントレプレナーシップ教育の特徴 アントレプレナーシップ教育の 教育 ①対象が具体的な「現実の活動」 では、大学生はどのようにアントレプレナーシップを学んでいけばいいのだろう?。 アントレプレナーシップは、音楽と同様に、テーマを自ら作り出すような学問であって、目標とな ることを発見するような学問ではない。たとえば、歴史学、社会学、人類学とは違って、アントレプ レナーシップは、その研究対象を学ぶ者が自分で作り出すものだ。また、アントレプレナーシップの 関心は具体的な現実、すなわち新事業や企業、製品、サービスを作っている活動である。哲学者はも っぱら他の哲学者を相手に話したり書いたりするだろうが、アントレプレナーや音楽家にとっては、 「観客」や「市場」が必要である。 ②音楽との類似 大学のカリキュラムの中で、アントレプレナーシップがどのように位置づけられるか理解するには、 アントレプレナーシップと音楽を比較するとわかりやすい。アントレプレナーシップ教育とは、音楽 教育と同じように、プロフェッショナルからアマチュアまで広がる連続体に沿って行われる。音楽の 場合、活動の一方の端には作曲家や演奏家がいる。他方の端には、作曲家や演奏家のパフォーマンス を鑑賞する観客がいる。その中間には、指揮、特定の楽器の習得、理論、歴史など、音楽における多 くのファクターが存在し、音楽という芸術テーマを理解し楽しむことに貢献し、また音楽をより発展 させている。音楽の教育とは、こうした連続体を大切にし、どのファクターも軽視しないものである。 音楽教育では、名演奏家にはどうすればもっと良い演奏ができるかを教え、鑑賞する人達にはどのよ うに音楽を味わうかを教える。音楽がどのように作用するかを示し、どのように変化しているかを図 示し、その要素を分析する。 さらに音楽は、アントレプレナーシップと同様に競争が行われる「実力主義」である。しかしその 実力というものは、単純なものでも絶対的でもない。音楽を聴く観客に影響され、観客が音楽のテー マの形成を手伝い、どのような音楽が大切なのかを聴き手が決める。聴き手の趣味が良くなり、期待 の水準が高まるほど、音楽は良いものになっていく。アントレプレナーシップも音楽と同様に実力主 義の世界だが、アントレプレナーシップの実力は市場(お客、需要家)により決められる。このよう に、音楽のシステムは、アントレプレナーシップに相当程度あてはまるのである。 ③大学それぞれに教育は異なる それぞれの大学で、アントレプレナーシップ教育の枠組みを画一的に適用できるとは考えにくい。 学校が違えば、対象とする学生も教員も、歴史も、文化も、目的も別々である。大学はさまざまな教 育的な機能を果たしており、学生の世代も多様化している。たとえば、ビジネススクールを併設する 大学におけるアントレプレナーシップは、ビジネススクールを持たない大学のアントレプレナーシッ プ教育とは別物かもしれない。アントレプレナーシップは、「この教育でどこの大学にもOK」という 学問ではない。それぞれの教育課程には特有の成果があり、教育対象の学生があり、大学の地元のコ ミュニティの中で活動している。したがって、アントレプレナーシップ教育は、一つの処方箋がある わけではないのである。 アントレプレナーが活動する社会は、偶然によって出現し、続いていくものではない。我々が、そ れを構築し維持していかなければならないのだ。そのためには、アントレプレナーシップがなぜ大切 なのか、それがどのように作用するのか、そうすればそれを維持できるのかを理解する必要がある。 そうした学習ができる場を提供するのが大学教育なのである。 ④アントレプレナーシップは、多面的な要素からなる実践的学問 先にみたように、アントレプレナーシップは実社会の現実活動がテーマであるが、それは一つ一つ の孤立した活動ではなく、多種多様な要素に影響される。経営学の実践としてアントレプレナーシッ プを考えてみても、経済や金融、法律、政治、社会、文化などの要素が活動に影響し作用している。 アントレプレナーシップはこれらの要素(学問の分野)が結びつき、おたがいに強化しあい、そして 理論と実践を橋渡しするシステムになっている。 アントレプレナーシップは現実のビジネスを重視しているから、理論や思索ではなく具体的なビジ ネスの成否が重要である。具体的なビジネスは、「学習」ではなく、「行動」である。アントレプレナ ーシップは、新しい事業を目指す意思や構想から「きっかけ」をつかみ、そして起業活動やそのプロ セスを理解する「知識」と「経験」を学び、そのような学習が終わった上で新しい事業のチャンスを とらえて起業していく(行動)というプロセスが望ましい。アントレプレナーシップの教育も、この プロセスにしたがって行われていくことが最適である。 ~7~
  • 8. 「アントレプレナーシップ教育のイメージ」 Heinonen. J., et al.(2006) ”An entrepreneurial-directed approach to entrepreneurship education: mission impossible?”, Journal of Management Development, vol.25, pp.80-94. (2)どのような科目を学んでいくか どのような科目を 科目 アントレプレナーシップは、日本では新しい学問領域である。日本で初めてアントレプレナーシッ プの専門コースが開設されたのは1992年の法政大学大学院の起業家コースであり、それからまだ20年 も経っていない。2008年時点では日本全国の247の大学・大学院でアントレプレナーシップ関連の科目 が教えられているが、まだ教育体系が充分に整備された大学は少ない。 ①大学学部で学ぶことが望ましいアントレプレナーシップ領域 では、学生はどのような科目を取りながらアントレプレナーシップを学んでいくか。大学が設置す る科目が少ないから、当然、学生が自由に選択する余地は少ない。そのような制約があるものの、現 在の日本におけるアントレプレナーシップからみて必要な学習領域は以下のようなものが考えられる。 しかし、下記のような講義科目が完備している大学は日本には少なく、多くの大学ではキャンパスで 1、2科目の講義を開いて運営しているため、内実は下表のようなテーマをまとめて講義するような 「あれもこれも」の総花的な講義になっているようにも思われる。 1.経営管理 ・アントレプレナーシップの意思、機会、事業構想。 ・ベンチャーの事業計画(ビジネス・プラニング) ・ 。 ・ベンチャーの経営戦略、組織論。 ・ベンチャーのマーケティング。 ・技術経営。ハイテクノロジーと経営管理。 2.起業家論 ・起業家の必要条件、素質、背景。 ・起業家の歴史。 3.制度 ・ベンチャーの会計、財務管理。 ・会社制度、法制度。 4.ファイナンス ・ベンチャーファイナンス。 ・株式市場。 5.ワークショップ ・ベンチャーの実践プログラム。 6.講演、イベント ・ベンチャー経営者の講演。 ・ビジネスプラン発表会。 ~8~
  • 9. ②実際に何から学んでいくか とはいえ、このような運営の話は大学側の問題であり、当の大学生は与えられた条件の下で学んで いくしかない。まずは、通う学部のシラバスを読み、講義を聞いてアントレプレナーシップを考え、 講義や書籍で知識をつけ、社会を知り、方向を考えることが望ましい。 大学の限られた講義を「受け身」で聞き学びながら、自分自身でアントレプレナーシップを主体的 に考えていくのである。アントレプレナーシップは独立した学問体系ではなく、経営・経済・社会・ 工学等の学識が組み合わさっている。何から学ぶかといえば、自分が興味あるか役立つかを考えて、 今ある講義を選び学んでいくことである。アントレプレナーシップ教育に、理想的なモデルとするよ うな履修体系を学生が考える必要はない。しいて言えば、アントレプレナーシップを入門的に教える 講義から選択していけばよく、そこで教員が重点とする内容(分野)を掘り下げて履修していくこと が最善の選択であろう。 また、アントレプレナーシップを学ぶ場は必ずしも大学の中だけではない。学内で学ぶことが最も 効率的で体系的と思われるが、真に実践的で最近の知識情報は学外の社会にあるからである。大学の 中でアントレプレナーシップを学ぶと同時に、社会いろいろな経験をし、実社会の先輩に話を聞くこ とも、アントレプレナーシップ教育の重要な一部分と考えるべきだ。 (引用:Kauffman Foundation (2008), “Entrepreneurship in Higher Education”) ■設問1 設問1 1. アントレプレナーシップは「実践的」であるが、それはなぜか。 2. アントレプレナーシップで「経験と行動」が重要である理由について、自分の考えを述べなさい。 3. 大企業はアントレプレナーシップの対象か。また、役所や社会福祉団体はアントレプレナーシッ プの対象か。 4. 東日本大震災から復興に向けて行う仕事は、どこにアントレプレナーシップがあるのか。 5. アントレプレナーシップは学べるのか。学べない部分があるとすれば何か。 6. アントレプレナーシップを大学で学べば、実社会でどのように役立つであろうか。自分自身の考 えをまとめてみよう。 ~9~
  • 10. Ⅱ.起業家とベンチャービジネス 起業家とベンチャービジネス (1)起業家の意味 (きぎょうか、英語:entrepreneur アントレプレナー 「企業家」とも言う。 『起業家』 entrepreneur アントレプレナー。 entrepreneur、アントレプレナー )とは、自 ら事業を起こす者をいう。日本では、通常はベンチャー企業を経営する人々を指すことが多いが、欧 米では自営業者や家業、あるいは新しい社会的組織の立ち上げ(社会起業家)などを含めて、日本よ りも幅広い意味に使われている。英語のentrepreneurは、フランス語である"entrepreneur"(アント ルプルヌール、請負業者・起業家)の英語読みから始まった。 何かに取りかかる、 事業を興すという意味の言葉としては、英語には「undertake」が一般的である。 しかし、「undertaker」には「葬儀屋」という意味もあることが嫌われて、現在では「entrepreneur」 というフランス語起源の言葉が「起業家」に相当する英語になっている。 ntrepreneurの定義) (Entrepreneurの定義) An entrepreneur is a person who has possession of a new enterprise, venture or idea and is accountable for the inherent risks and the outcome. The term was originally a loanword from French and was first defined by the Irish-economist Richard Cantillon. Entrepreneur in English is a term applied to a person who is willing to launch a new venture or enterprise and accept full responsibility for the outcome. Jean-Baptiste, a French economist, is believed to have coined the word "entrepreneur" in the 19th century - he defined an entrepreneur as "one who undertakes an enterprise, especially a contractor, acting as intermediately between capital and labor. 起業家は、新しい事業や挑戦を行おうとする熱意を持った人間であり、リスクや結果への責任を持つ人々で ある。この言葉はもともとフランス語から借用され、アイルランドの経済学者リチャード・カンティヨンが初 めて定義したものである。英語では、起業家という用語は、新しいビジネスや企業を設立し、結果に対する全 責任を負うことをいとわない人間に対して適用される。フランスの経済学者ジャン=バティストは、19世紀に 起業家という言葉が生まれたと考えており、彼は、起業家について、資本と労働の中間的存在として活動し、 その二つの要素の活用を請け負って、企業経営を引き受ける人間と定義した。 (Wikipediaより引用) (2)アントレプレナーシップの解釈 Entrepreneurship is the act of being an entrepreneur, which can be defined as "one who undertakes innovations, finance and business acumen in an effort to transform innovations into economic goods". アントレプレナーシップは、起業家、すなわちイノベーションを経済的価値に転換しようとして技術革新や 金融活動やビジネス技術に取り組もうとする人々の諸活動のことを言う。 (Wikipediaより引用) 『アントレプレナーシップ』(英語:entrepreneurship)は、日本では通常「起業家精神」 (あるい は企業家精神)と訳されることが多い。すなわち、心の動き、魂、気力、理念、自尊心といった心理 的気質をあらわすかように認識されることが少なくない。日本では、おそらく「スポーツマンシップ」 (スポーツマン精神)の解釈にまねて、entrepreneurshipの接尾辞である"-ship"を「精神」と解釈し たかもしれない。 しかし、上表のように、entrepreneurshipの英語を日本語に訳すと、起業家の活動、新しい事業を 生み出す活動、という意味となっている。つまり、英語のentrepreneurshipは、日本語で「起業家精 神」 と表現される精神的な意味よりも、 新しい事業を起こすという活動の全体的な意味を持っている。 日本の研究者においても、たとえば清成教授は『企業家とは何か』 (清成忠男編訳、東洋経済新報社、 1998年)の序文で「アントレプレナーシップは、正確には精神をも含めた全体的な企業家活動を意味 する」と述べている。 ~ 10 ~
  • 11. (3)ベンチャービジネスという和製英語 ①「ベンチャービジネス」か、「スタートアップ」か? 日本では、起業家が立ち上げた会社のことを『ベンチャービジネス』 (venture business)、あるい は「ベンチャー企業」「ベンチャー」という言葉で表現しており、この3つとも同じ意味で用いられて 、 いる。しかし、ベンチャービジネスは英語では使わない。つまり和製英語である。また、英語圏では 「ベンチャー」 という言葉もほとんど用いられておらず、 一般には 「startup」 という言葉が使われる。 startupは開業全体を指す広い意味があり、日本語で言う「自営業」も含まれる。英語では、新しく組 織を設立して行う事業はすべてstartupと言うのである。 Wikipediaに"A venture is a major undertaking, synonymous with adventure."と書いてあるよう に、ベンチャーとは冒険や挑戦に相当するものであって、企業活動を指す言葉ではない。日本でベン チャー企業を表す「高い成長を目指してリスクに挑戦する企業」という意味に対しては、英語圏で は”emerging enterprises”、”emerging companies”がよく使われる。また、米国の政策において は、”Emerging Business Enterprises” (EBE)、日本語でいえば「新興企業」が使われている。これら の英語はstartupよりも範囲が狭まったもので、 「新規性のある事業を行っている社歴の新しい企業」 を 指している。 ②「ベンチャービジネス」使用の経緯 「ベンチャー・ビジネス」という言葉をわが国で最初に用いたのは、中小企業庁指導部調査2課長(当時)の佃 近雄である。1970年5月にOECD工業委員会とボストン大学共催の第2回ボストン・カレッジ・マネジメントセミナー に参加した佃は、帰朝報告のなかで米国では「ベンチャー・ビジネス」という新しい中小企業が台頭しているとの 報告をおこなった。ところが、このセミナーは「ベンチャー・キャピタルと経営」をテーマとしており、佃はベン チャー・キャピタルの投資対象としている企業のことを、米国では「ベンチャー・ビジネス」と呼んでいると誤解 していたのだった。 そのころ、国民金融公庫調査課長の清成忠男(当時)と専修大学教授中村秀一郎(当時)は国民金融公庫の「小 零細企業新規開業実態調査」を通して、知識集約型ともいえる新しいタイプの中小企業を発見していた。清成と中 村は、この新型中小企業と「ベンチャー・ビジネス」とが、酷似していることから佃の報告に強い関心を持った。 そこで清成は、日本長期信用銀行調査役(当時)の平尾光司の紹介で、長銀主催の報告会で佃と会い、セミナーの 資料を借りた。そこにはベンチャー・ビジネスという用語は用いられていなかった。疑問に思った清成は文献にあ たって調査したところ、米国ではそのような用語法は存在しない事実を確認した。米国ではベンチャー・ビジネス は、単に新規事業一般を指しているに過ぎなかった。しかし、清成と中村は発見した新型中小企業を「小さいけれ ど、研究開発とか、知識集約的で、イノベーター的な企業は、やはり中小企業と呼ばない方がいい」と考え、あえ てそれらの呼称に「ベンチャー・ビジネス」を採用した。 このように、和製英語としてうまれた「ベンチャー・ビジネス」は、1970年に清成忠男「アメリカにおける新型 中小企業の展開」 (国民金融公庫『調査月報』114号)によってはじめて紹介された。さらに、1970年末から71年年 初にかけて、清成と中村が経済雑誌へ相次いで寄稿したことから、 「ベンチャー・ビジネス」が産業界に広く知ら れるようになっていった。しかしベンチャー・ビジネスの概念は抽象的であったため、多様な解釈を許すといった 欠点があった。大企業からのスピン・オフといった一面のみを捉え、当時流行した「脱サラリーマン」と同義に扱 い、概念が矮小化されるといった事態も生じた。 そこで、このような誤解を改めるため、清成と中村は、清成忠男、 中村秀一郎、平尾光司(1971) 『ベンチャー・ビジネス』(日本経済新聞社)を執筆した。 (山崎泰央「日本における1970 年代「ベンチャー・ビジネス」の展開」より一部抜粋。 ) (4)ベンチャービジネスと中小企業、大企業の違い ①明確な定義はない 『ベンチャービジネス』という言葉には、明確な定義は存在しない。概括的に表現すれば「新技術 や高度な知識を軸に、創造的・革新的な経営を展開する中小企業」であり、中小企業の一つのグルー プである。先に述べたように、アメリカではベンチャービジネスの概念を”Emerging Companies”と言 うことが多いが、これも明確な定義はない。中小企業は、中小企業基本法によって定義が定まってお り、製造業の場合は「資本金3億円以下の会社ならびに従業員の数が300人以下の会社」である。 では、ベンチャービジネス以外の中小企業は何と表現すればよいかとなると、アメリカでは通称「ス モールビジネス」(Small Business)である。上記のようなベンチャーの特徴を持っていない中小企業 はこのようにスモールビジネスと表現すればよい。 ~ 11 ~
  • 12. ②一般的にみてベンチャーはどう違うか ここで、基本的なベンチャービジネスの特徴をみてみよう。我々はベンチャーをどのように認識し ているだろうか。ベンチャービジネス、中小企業(スモールビジネス)、大企業の三者の違いは何か。 下表は、それをあえて明確に特徴づけてまとめたものである。これらは「一般的な傾向」であり、ベ ンチャービジネスがすべて実力主義で挑戦的であるわけではないし、大企業がすべて安定指向でもな く、あくまでも全体的な傾向ととらえてほしい。なお、ベンチャービジネスの組織運営や経営の特徴 とモデルについては、第2部で述べているので参考とされたい。 ベンチャービジネスを学ぶ上で重要なのは、これらの一般的な特徴、あるいは多少の先入観に基づ いた世間の常識を理解した上で、掘り下げて考察していくことである。なぜベンチャーがそのような 特徴を持つのか。具体的にどのように会社が運営されているのか。信用力のないベンチャーはどのよ うに資金を調達するのか。問題意識はそう簡単に尽きるようなものではない。ベンチャーがなぜ成功 するのか、なぜ失敗するのか。これらに対する完全な答えはないのである。 三者間の特徴の比較 ベンチャービジネス 中小企業(スモールビジネス) 大企業 企業規模 小~中規模。 小~中規模。 大規模 従業員数 概ね300人以下。 300人以下(製造業の場合)。 300人以上(製造業)。数千人も。 株式 未公開企業。株式公開を目指す。 多くは未公開企業。 大半が公開企業。 成長性(潜在力を含む) 高い。 高くない場合が多い。 - 技術、開発 高い場合が多い。 高くない場合が多い。 - 信用力 低い。 低位~中位。 高い。 資金調達力 低い。 低位~中位。 高い。 採用力 低い(人気がなく採用ができない)。 低位~中位。 高い(就職で人気がある)。 会社の運営 社長のトップダウン、独断。 社長や同族のトップダウンが多い。 組織による集団経営。 柔軟で自由な運営。 同族会社が多い。 厳格なルール、柔軟性は低い。 経営の意思決定が速い。 経営の意思決定が遅い(組織決定)。 あぶなっかしい運営。 安定した運営。組織でチェック。 社風 実力主義、挑戦、急成長指向。 安定、リスク回避、保守指向。 従業員 従業員がすぐ辞める。 長期安定雇用指向。 アルバイト等の短期雇用が多い。 給与、福利厚生 低い。 低い。 良い。福利厚生が良い。 従業員に求められるもの チャレンジ、リスクを取る姿勢。 組織に忠実、コミュニケーション。 従業員にとっての可能性 会社が急成長すると報われる。 安定していることが魅力。 従業員の職責 若いうちから高い役職に。 年功序列。若いうちは平社員。 会社オフィス 目抜き通りから外れた中小ビル。 ビジネス街の大規模ビル。 (注)上表の記述は、それぞれの相対的な特徴を強調して表現したもの。 ■設問2 設問2 1.「起業家」の意味を一言で説明しなさい。 2.「アントレプレナー」「アントレプレナーシップ」の語源は何か。 、 3.「ベンチャービジネス」「ベンチャー企業」「ベンチャー」について意味の違いはあるか。 、 、 4.「ベンチャービジネス」という言葉は、どうして和製英語になったのか。 5. 英語では、 「ベンチャービジネス」の意味としてはどのような言葉が使われているか。 6.「ベンチャービジネス」という和製英語が使われたのは、どのような時代背景があったか。 7. ベンチャービジネスと大企業の違いについて、主な特徴と考えるものを5つあげなさい。 ~ 12 ~
  • 13. Ⅲ.起業の歴史 起業の 起業家の活動は、現代のベンチャービジネスだけを対象に考えるのではなく、人類がどのよう に事業を発展させてきたかという世界の歴史の流れから俯瞰して考えることが重要である。 人類は、古代中世以降の冒険的な交易や、産業革命、工業化の発展、エレクトロニクス・コン ピュータ時代、そしてインターネット革命、新興国の発展、という時代の流れの中で、多種多様 な人々が新しい事業を起こし、その活動によって経済価値を創出してきたからである。 こうした世界の歴史を追いながら現代にたどり着けば、今日の我々がなぜイノベーションとア ントレプレナーシップを重要視しなければならないかが見えてくる。 1.歴史からみた「起業」 (1)古代から中世の冒険的貿易事業 (引用:「海上交易の世界と歴史」http://www31.ocn.ne.jp/~ysino/index.html) ①ギリシアの「冒険貸借」 多くの都市国家が勃興した古代ギリシアは、海を使って文明を発展させた。ギリシアは農業に適さ ない土地であるために絶えず食糧の不足に悩まされており、農作物を輸入するために船が必要だった が、その資材である木材も輸入せざるをえない状況にあった。こうした中にあって、食糧の3分の2を 輸入しなければならない最大の都市国家アテネは、紀元前6世紀頃からフェニキアと争いながら、エジ プト、キプロスや、小アジア(現在のトルコ)から穀物を運んでいたが、やがてイタリアのシシリー 島や南イタリアに植民を送り、穀物を生産・輸入する植民地を建設するようになった。 ギリシアでは、はじめは、自分で船を持ち、船を動かして商品を売買する単純な仕組みであった。 船の所有者も船長も商人も一つの船を持つ集団で行われた。やがて、金のある資産家が船主や商人に 資金を貸すようになった。船主は船舶や運賃を抵当にして航海費用を、また商人は貨物仕入代金や前 払い運賃を資産家から借りた。 その中で、貿易(海商活動)についての取り決めが発展してきた。その取り決めとは、船舶や貨物 が喪失した場合は貸主(資産家)が丸損とし、金を借りた船主あるいは商人は返済の必要がないが、 それらが安全に到着すると、貸付金にその3分の1といった高率の利子をつけて、貸主に返済されるル ールを作った。また、船長が人命、船舶、貨物を救うために荷物を海上へ投棄(投げ荷)したり、敵 国や海賊に金品の支払いを強制された場合、その損害に応じて返済すべき貸付金は減額された。こう した普通の金銭貸借とは異なるルールのファイナンスを「冒険貸借」(Bottomry、海上保険の起源の一 つ)と呼んでいる。このような活発なギリシアの海商活動の中で、その後のヨーロッパ海上交易にお ける船舶の共有、船主と商人の分離、海事金融や海運取引といった取引の慣行が形成されていった。 古代ギリシアでは、資金の借り手の航海が失敗した場合には、借り手は貸主に金を全額返済する必要 のないファイナンスが生まれている。これは現代のベンチャー・ファイナンスの起源ともいえる。 ②中世地中海における「組合」の形成 中世の地中海貿易で活躍したのは、ヴェネツィア、ジェノバなどのイタリア半島の都市勢力であり、 東方貿易(レヴァント貿易)と呼ばれる東部地中海沿岸地域やオリエント地域との貿易で富を築いた。 ヴェネツィアやフィレンツェの都市がルネサンス芸術や都市建築で豊かな遺産を残しているのは、こ の東方貿易による富の産物である。 中世イタリアの海商経営は2つの方法で行われていた。その1つは共同冒険組合である。11世紀頃 にまとめられたアマルフィ海法(当時の海上交易の慣習法)では、船主、商人、船員が集まって1つの 組合を結成する。これら持分所有者は自分たちの中から管理船主を選んで、冒険組合の全般的な指揮 をゆだね、他の持分所有者は船員としてあるいは自分の商品を持った商人として乗組む。船主は船価 に応じて冒険組合の一定の持分があり、商人は自ら投じた資金または商品の額に応じて持分が割当て られ、また船員は自分の提供した労役に対して持分が与えられた。船員が船主また商人である場合、 その持分が追加された。貨物の取引から得た利益はすべて組合の勘定に入れられた。航海が完了する ~ 13 ~
  • 14. と裁判所で計算書の検査を受け、それぞれの持分数に応じて純益が船主、商人、船員に分配されるこ とになっていた。 また、1272年のラグーザ海法では、一定数の商人がそれぞれ船長および乗組員に対して、商品取引 に使用する貨幣や商品を委託する。船主や船員も、自分の計算で投資を行うことができる。共同冒険 組合の対象となった商品の運賃はそれぞれ計算され、また商品の取引から得られた利潤とともに、共 同の基金に入れられる。そして、航海が終了した時、船主と船員がこの共同基金の半分を受け取り、 残り半分は冒険商人がそれぞれの投資額に応じて配分を受けることになっていた。 もう1つは、船舶の共同所有である。古代のように、自らの所有船を自ら単独で経営する船主や、 代理人を乗せて監督する船主は中世になるとごく稀になり、経営は主として組合方式で営まれ、大多 数の船舶は共有で所有されるようになった。組合員のある者が管理船主になり、他の組合員の全部ま たは一部が船員となって、 しばしば乗船した。15世紀までは船舶はおおむね24の持分に分かれていた。 1人の組合員が2つ以上の持分を持つことも可能であった。そうした船主は、自らの商品を満船する場 合もあれば、そうでない場合もあった。船主が商人でない場合、商人の組合と用船契約を結んだ。そ れ以外に単なる融資もあったようで、ヴェネチアでは利子率が20%であったとされる。 このように、共同冒険組合であれ、船舶共同所有であれ、イタリアの場合、乗組員の全部または一 部がその船舶や海商の持分所有者であって、自分たちの労働の対価は、賃金の形式でではなく利潤分 配の形式でもって報酬を受けていた。それでも、乗組員のなかには持分所有者ではなく、単なる賃金 労働者として雇用された船員を補充しなければならない場合もあった。 中世イタリアでは古代ギリシアよりも海商活動の取り決めが発展し、資産家でなくても、一定の資 金や労力を出し合えば船舶を所有し、商品を売買することが可能となってきたのである。 中世イタリアの貿易事業は、船主、荷主の商人、労働者の船員が集まって1つの組合を結成したが、こ れは現代の企業の起源と考えられる。 労働者として本来は賃金を受け取るだけの船員は、一つの航海というプロジェクトで作られた組合の 持ち分を与えられ、無事航海を終えられるか交易で儲けられるかの事業成果によって、航海で得た利潤 の一部を「組合の分け前」として与えられた。 ● ウィリアム・シェイクスピアの戯曲「ヴェニスの商人」 中世イタリアのヴェネツィア共和国を舞台に繰り広げられる、貿易と借金と恋に かかわる喜劇。 ユダヤ人の金貸しシャイロックが貿易商人アントーニオに金を貸す際に取った 担保(アントーニオの人肉1ポンド)の証文が現実になったことによって起こる裁 判と、美しく富裕な貴婦人ポーシャを射止めんとする若者の争いが展開される。 ・アントーニオ: 貿易商人。正義感が強く情に厚い。 ・バサーニオ: アントーニオの親友。ポーシャに求愛結婚を申し込む。 ・ポーシャ: 莫大な財産を相続した美貌の貴婦人。多くの若者達から求愛され ている。 ・シャイロック: 強欲なユダヤ人金貸し。恨みのあるアントーニオに、外洋貿 易の資金を貸しつけるが、担保として借り手アントーニオの人肉1ポンドを証 文に得る。 この劇で描かれたアントーニオはヴェネツィアの冒険商人である。アントーニオの出した船が洋上で難破したと いう情報(実は虚偽の情報であった)が入ったことから、シャイロックが訴えて裁判になり、金が返せないアン トーニオから担保である肉をシャイロックが切り取る権利はあるや否やという争いになる物語である。 しかし、実際のヴェネツィアでは先のような共同冒険組合が拡がっており、アントーニオのように貿易船が難破 しても借金の担保を取られる例は少なかったと思われる。 (2)近世ヨーロッパにおける貿易の株式会社制 イギリス(イングランド)は、中世には交易面でヴェネツィアやハンザの商人に圧倒されていたが、 15 世紀以降は海上交易で力をつけはじめ、イギリス船は外国船に海賊行為を働いていた。イギリス国 王も貿易による財政収入を増そうと軍艦を建造するようになり、外国人に与えていた特権を徐々に取 戻しつつあった。特に、国王ヘンリー8 世(在位 1509-47 年)はイギリス海軍の創設、王立造船所の開 設、造船補助金の支給などで、海運の発展に大きく貢献した。 この時代のイギリスの遠隔地貿易や大洋貿易では、国王の許可をえて貿易特許会社が作られていた。 それらは、冒険商人組合(Merchant adventurer's company)やレパント会社と呼ばれたものである。 ~ 14 ~ 16世紀のガレオン船交易
  • 15. 彼らは、 国王から特定の航路の海商について独占権が与えら 16世紀の交易船 れ、一航海ごとに自ら規約を作り護衛船などの費用を出し合っ て運営していた。しかし、交易そのものは加入している商人た ちが自らの勘定で船を所有あるいは用船して、 自らの危険負担 の下で行われていた。 特許を与えた王室も商人達が作った組合 に金を出して組合員になったり、 王室の船を護衛船として貸し 出していた。 この短期的な組合組織から、会社組織が発展した。組合とい う一時的に金を出しあう結社ではなく、 会社という自前の従業 員を持った組織集団が生まれた。 アジア貿易で台頭してきたオ ランダに危機感を持ったイギリスのレヴァント会社 (地中海東 部貿易に従事)の商人は、国王エリザベス 1 世に請願し、1600 年にイギリス東インド会社(The East India Company)を発足 させ、自前の従業員と組織を持った会社(ただし一回の航海に 限定した会社組織)を設立した。東インド会社は、株式を発行して資本金が調達され、一回の航海が 終わると持株に応じて利益が配分された。東インド会社は創業当時には 215 人の貴族や商人の出資者 から 68,373 ポンドの資金を集めた。1612 年までは当座企業制という一航海ごとの会社組織であった が、その後は数回の航海ごとの投資に変わり、さらに護国卿クロムウェルの特許状によって株式配当 になり、期間を限定した企業形態から、法人と資本の永続性がはかられるようになった。 現在の会社組織である「株式会社」は、イギリスの直後にオランダで設立されたオランダ東インド 会社(1602 年)が起源である。オランダ東インド会社の取り決めでは、出資者の出資金は(イギリス 東インド会社のように一航海毎ではなく)10 年間固定され、また出資者は出資金のリスク以外の責任 を負わないという有限責任が規定されており、この点で近代株式会社の祖とされている。 ある事業に対して株式を発行し、資金の出し手(投資家)から出資を募る「エクィティ・ファイナンス」 は、近世ヨーロッパの海上交易の商制度として成立した。 これは、当時リスクの高かった海上貿易において、資金の出し手が共同で企業を設立して、その事業の リスクを共同分担することによって一人当たりの危険度を低め、その代わりに、事業から得られた利潤を 出資者の持ち分に応じて皆に分配するという、現代の株式会社と同じ仕組みである。 (3)近代における起業 ①産業革命による近代的イノベーション 数十万年の人類の歴史を1年のカレンダーにすると、 産業革命以降の歴史は12月31日の23時半以降に あたるほどの極めて短い時間にすぎない。 18世紀半ばから現在までの300年に満たない短い時間の中で 大きな変化が起きた。人類の歴史においては、長い間その平均寿命は30歳以下であり、生まれた子供 は半分以上は成人までに半数以上が死ぬのが当たり前だった。人々は他の動物と同様に常に飢えと直 面して生きており、数十万年の間その状態が続いていた。しかし、西暦1800年前後から急に人々が豊 かになり、今のように世界の主要国では一人当たりで年間数万ドルという所得を得るようになった。 人類は1万年前までは、狩猟生活で数人の集団で移動しながら生活していた。 農耕による定住生活 (新 石器時代)が人類の第一のイノベーションであり、 農耕によって定住生活に入ることが可能となった。 第二のイノベーションは正確な文字の発明であり、情報を記録し的確に伝えることで大きな組織(国 家)の運営ができるようになった。 第三のイノベーションは、17世紀後半から18世紀前半にイギリスから起こった産業革命という新し い生産システムと資本主義といわれる近代システムである。資本主義以前の封建制の下では、人々は 農業を営んでいた。何かモノを作るにしても、1人の職人が1つのものをコツコツと作り上げていき、 その技能は自分の弟子に伝えていった。靴屋ならば1軒の靴屋の中で仕事が完結するという家内工業 で人類は数百年やってきた。それに対し、産業革命では製造技術の機械化が実現した。当時のイギリ スで盛んであった綿織物・毛織物の繊維産業における織物製造機械の自動化・動力化と、蒸気機関に 、 よる動力の発明というイノベーションである。産業革命におけるもう一つのイノベーションは、 「分業 システム」の導入である。アダム・スミスが「国富論」で述べているが、産業革命以前はピンを1つ 作るにも一軒の作業場で一人の職人が色々な工程をすべて作業し製作していたものが、その工程が1 つの工場の中でそれぞれの作業工程を専門とする工員によって行われるという「工場のシステム」を ~ 15 ~
  • 16. 生み出し、結果としてピンを製造する時間とコストが飛躍的に低減し、安いピンが大量に世の中に出 回るようになった。 ・1712年、ニューコメン(英)によって、蒸気機関を用いた排水ポンプが実用化された。 ・1733年、ケイ(英)が、織機の一部分である杼を改良した飛び杼を発明して織機が高速化。これ により綿布生産の速度が向上した。 ・1769年、アークライト(英)が水力紡績機を開発。工場を設け、機械を据え付けて多量の綿糸を 製造することが可能になり、本格的な工場制機械工業のはじまりとなった。 ・1785年、ワット(英)が蒸気機関のエネルギーをピストン運動から円運動へ転換させることに成 功、この蒸気機関の改良によって、様々な機械に蒸気機関が応用されるようになった。 ・18世紀に、コークス製鉄法がダービー(英)によって開発され、高熱が容易に利用できるように なったことから、良質の鋼鉄の大量製造が可能となった。 ・1807年、フルトン(米)によって蒸気船が実用化された。また1804年、トレビシック(英)によ り蒸気機関車が発明され、その後蒸気機関車はスチーブンソン(英)によって改良された。 この産業革命による工業化で、イギリスをはじめとする欧米では、工場経営に乗り出す資本家 資本家が多 資本家 数誕生し、彼ら中産階級(ブルジョアジー)が発展した。こうした当時の資本家達は、従来のやり方 をそのまま継続する経営者も存在したけれども、その多くは産業革命の技術を使って新しい事業や市 場進出で利得を得ようとする「起業家」でもあったのである。 ●リチャード・アークライト リチャード・アークライト(英) リチャード・アークライト :水力紡績機で富を築いた起業家 リチャード・アークライト(1732-1792年)は、1771年に水車を動力とする水紡機(水 力紡績機)を発明した。イギリス・ランカシャー地方のプレストンで生まれ、28歳まで 床屋で働いた。 その後かつらの商売を始め、 かつら向け防水染料を改良して資金を得た。 1768年、ジョン・ケイとともにジェニー紡績機を改良して、綿糸の強度、長さなど品 質を向上させた。翌年、馬を使った大規模な紡績機を作ったがすぐに水力によって運転 する方法に変更した(1771年) 。ジェニー紡績機のように小形のものではなく、人間の力 では動かないので、 水力利用を考えたが、個人の住宅ではできないので別に工場を設け、 機械を据え付けて数百人の労働者を働かせて多量の綿糸を造り出すことに成功した。大 量生産が可能になり、立地に制約がなくなったうえに紡糸作業に熟練した労働者が必要 としなくなったため、失業を恐れる労働者や同業者などから妨害を受けたが、次々に工 場を作り、品質の優れた綿糸を大量に生産して富豪の1人になった。1786年、国王ジョー ジ3世より Sir (ナイト)の称号を受けた。 ②19世紀後半におけるアメリカの工業化と起業活動 南北戦争(1861-1865年)が終わったアメリカは、工業化が進展した時代だった。1865年から20 世紀初頭までの間に、アメリカ合衆国は世界でも先進的な工業国に成長した。1880年代前半にアメリ カは“世界の工場”イギリスを抜いて世界一の工業国へと躍進し、1890年代にはいると当時の花形産 業だった鉄鋼生産でもイギリスを上回った。土地と労働力が豊富にあり、気候が多様で、運河、川お よび海岸水域など航行可能な水域があることで勃興する工業経済の交通需要を満たした。 ヨーロッパを中心とする他の大陸からは1840年から1920年までに3,700万人という世界史上で最大 の移民がアメリカに流入して安い労働力を提供し、また未開発の地域に多様な地域社会が形成された。 さらには、 技術の進歩や輸送機関の発展が拍車を掛けた。 19世紀後半は西部開拓運動の時期であり、 鉄道が西部を開き、誰もいなかった所に農場や町ができた。ただし、インディアンを駆逐し虐待する 負の歴史も並行して起こっている。1869年に最初のアメリカ大陸横断鉄道が開通し、巨大な北アメリ カ大陸間の移動と輸送が近代化し、さらに鉄道の建設によって広大な市場(西部や太平洋)が登場し、 事業を行おうとする者に大きなチャンスが生まれた。産業の経営手法においても、ヘンリー・フォー ドが始めた移動組立ラインやテイラーの科学的管理法などの経営面のイノベーションが起こった。 この時代のアメリカの資本家は、未開拓の市場、第二次産業革命といわれる技術革新、輸送手段の 発展、移民による人口の急増という事業を拡大する上で絶好の条件がそろっており、製造業のみなら ず、鉄道、運河、輸送などの多様な産業で新しい企業が設立され、富を得た資本家が急増した。アン ドリュー・カーネギー(鉄鋼) 、ジョン・ロックフェラー(石油)のように、富も人脈も持たない人間 が事業を起こして経営を拡大し、大富豪にのし上がった起業家が多数生まれることとなった。 また、彼ら資本家は、経営効率を高めるために、持株会社によるトラスト(企業合同)という経営 手法を採用し、大企業はトラストを結んで事業を拡大し、あるいは競合企業を合併して市場を独占す る行動が支配的となった。19世紀後半のアメリカは労働者運動と政府の競争政策が未成熟で、企業の 自由奔放な行動を規制することは稀であったが、その後、大資本家の市場独占や容赦のない経営に社 ~ 16 ~
  • 17. 会から強い反発が起こり、労働者運動や反トラスト運動につながった。 ●アンドリュー・カーネギー アンドリュー・カーネギー(米) 「鋼鉄王」 アンドリュー・カーネギー : アンドリュー・カーネギー(1835-1919年)は、スコットランド移民の実業家。 1835年、スコットランドで手織り 職人の長男として 生まれた。 父親が産業革命 で仕事がなくなってしまった ために、1848年に一家でア メリカ へ移住した。移住 の後、12歳のカーネギーは学校 へ行かずに紡績工場で 働く。そ の後、何度か転職 し、ピッツバーグ電信局の電報配達の仕事につき、電信技士に昇格した。その後、 トーマス・スコットに秘書兼電 信士として引き抜かれ てペンシ ルバニア鉄道へ入 社する。18歳の頃、スコットが ペンシルバニア鉄道の 副社長に 昇進すると、カー ネギーがピッツバーグ支店の責任者になった。 カーネギーは、持ちかけられ た寝台車のアイデア を取り上げ、 ペンシルバニア 鉄道は試験的な採用を決めた。 カーネギーは、借金を して寝台 車のための会社に 出資して富を得る。南北戦争後 にペンシルバニア鉄道 を退職し 、事業家となる。 当時の鉄道で多かった木製の橋から鉄製への需要増加を予測し、キーストン鉄橋会社を設立し成功した。さ らに、技術革新により鋳鉄よりも強靭な鋼鉄の大量製造が可能になり、鉄道のレールや建築へ使用されるこ とを予見し、製鉄事業の規模拡大に力を注ぎ、 「鋼鉄王」と呼ばれた。カーネギーは1901年に鉄鋼会社をモ ルガンへ売却し、 後の世界一のUSスティールとなった。 以後は慈善活動を行い、ニューヨークのカーネギー・ ホールやカーネギーメロン大学は彼の寄附により設立されたものである。 ●ジョン・ロックフェラー ジョン・ロックフェラー(米) ジョン・ロックフェラー :ロックフェラー財閥の祖 ジョン・ロックフェラー・シニア(1839-1937年)は、実業家。スタン ダ ー ド ・ オイルを創設した。 ニューヨーク州北部のリッチフォードで、移動販売を営む親のもとに生まれた。 1855年の16歳の頃に転居したオハ イオ州クリーブラン ドで記帳 係として働き始め た。1858年に、彼は友人と共にク ラーク・アンド・ロ ックフェ ラー社を設立し、 同社は1862年に当時のアパラチア 山脈近郊で発見され ていた油 田事業に目をつけ て石油会社に投資を行った 。1865年に友人との事業を 解散し、 精油事業を買収し ロックフェラー・アンド・ア ンドリュース社を設立 した。さら に同年、第二の精 油所を設立した。1867年にロック フェラー・アンド・ アンドリ ュース社はこの精 油所を吸収し、さらに規模 を拡大するために、1870年 にロック フェラー兄弟と他 のメンバーにより ス タンダ ード・オイ ル社 を創設し、ロックフェラーが社長に就 任した。 スタンダード・オイルは、徐々にアメリカ国内で石油生産の支配権を獲得した。巨大な利益を消費者に還 元せず高価格で販売し続けたそのビジネス手法は、広く厳しく批評され、スタンダード・オイルは反トラス ト運動の格好の目標として攻撃された。スタンダード・オイル社はアメリカ石油市場の90%を支配するに至 ったため、世論は次第に「反独占」 「反トラスト」へと向かい、1890年にシャーマン反トラスト法が成立し た。1911年、アメリカ合衆国最高裁判所は、スタンダード・オイルが市場を独占していることで解体命令を 下し、同社は37の新会社に分割された(現在のエクソンモービルとシェブロンなど) 。1901年までに彼には 約9億ドルの資産があり、当時の世界で最も富を保有していた人物と考えられており、ロックフェラーの財 産を現代の価値に換算した場合、2,000億ドルを上回ると推定されている。 ●トーマス・エジソン トーマス・エジソン(米) 「発明王」 トーマス・エジソン : トーマス・エジソン(1847年-1931年)は、生涯におよそ1,300もの発明を行っ た発明家、起業家。 エジソンは1847年にオハイオ州ミランで生まれた。小学校に入学するも、教師と馬が 合わず中退した。当時の逸話としては、算数の授業中には「1+1=2」と教えられても鵜 呑みにすることができず、国語の授業中にも、 「A(エー)はどうしてP(ピー)と呼ば ないの?」と質問するといった具合で、授業中に事あるごとになぜを連発していたとい う。最終的には担任の先生から「君の頭は腐っている」と吐き捨てられ、校長からも入 学からわずか3ヶ月で退学を勧められたという。見放されたエジソンは、基本的な勉強 は小学校の教師であった母親に教わった。母親は教育熱心だったらしく、元々好奇心が 旺盛だったエジソンに対して、家の地下室に様々な化学薬品を揃え、エジソン自身もその地下室で科学実験に没頭 していたという。 このような少年時代を送ったが、その後は母親の手伝いを得ながら発明研究を続け、1877年、エジソン30歳の時 に蓄音機の実用化 蓄音機の実用化(商品化)で名声を獲得した。その後、ニュージャージー州にメンロパーク研究室を設立し、研 蓄音機の実用化 究所では、電話、レコードプレーヤー、電気鉄道、鉱石分離装置、電灯照明などを矢継ぎ早に商品化した。なかで も注力したのは白熱電球 白熱電球であり、数多い先行の白熱電球を実用的に改良した。彼は白熱電球の名称を、ゾロアスタ 白熱電球 ー教の光と英知の神、アフラ・マズダから引用し、 「マズダ」と名付けている。一方で、白熱電球の売り込みのため の合弁会社を設立し、エジソンは起業家 起業家でもあった。鉱山経営などにも手を出すが失敗。高齢となって会社経営か 起業家 らは身を引くが、オカルトに関心を移し、研究所にこもって死者との交信の実験を続ける。1914年に研究所が火事 で全焼し損害を蒙ったが、臆せずその後も死者との交信についての研究を続けた。 ~ 17 ~
  • 18. (4)20世紀以降の現代社会における起業 ①軍事・産業・学術の複合 20世紀の世界は、産業革命後に発展を続ける実業界、列強の対立・世界大戦・東西対立で軍事力増 強を必要とした政府、および高度な科学技術が培われた大学の組織が複合的に結束し、技術の進歩の 速度が上がった。この関係は一般に「軍・産複合」として知られており、軍需による技術や製品の需 「 産複合」 要、資本と金融の集中による効率活用、および大規模な適用と高度集中管理による技術革新を生む潮 流となった。こうした革新は、医学、物理学、化学、電子計算、航空学、物質科学、造船学、金属学 で生まれたが、ベースとなる技術の進展は軍事目的の研究に負うところが大きかった。 例えば、航空機と宇宙ロケットの発展は20世紀前半の大きなイノベーションだが、この飛躍は軍事 利用なくしてありえなかったといえる。無線通信や衛星も軍事利用が技術を飛躍させたし、現代のイ ンターネットの原型であるARPANET(アーパネット)は、1969年にアメリカ国防総省・国防高等研究 計画局による指揮の下に構築されたコンピュータネットワークである。 ②幅広い業種での起業 ウォルト・ディズニー (1901~1966年) 19世紀後半以降、先進国を中心に国民生活が向上し、質の高い製品や多 様で魅力的なサービスへのニーズが高まっていった。 この中で、食料品や娯 楽のような重工業以外の業種でも新しい起業家が急成長する事例も出てき た。たとえば、 「ミッキーマウス」の生みの親であるウォルト・ディズニー が1924年に兄のロイと設立したウォルト・ディズニー・カンパニーは、現 在の売上高が3兆円を越える国際的な大企業に発展した。また、1919年には コカ・コーラ社が創業し、1939年にはカーネル・サンダース(米)がケン タッキー・フライドチキンの新調理法を考案、 マクドナルドの祖であるマク ドナルド兄弟(米)は、1940年に開店している。 ③現代のベンチャー投資 起業家と新設立のベンチャーに対する資金提供も、新しいファイナンス技術が登場した。ベンチャ ーキャピタル(venture capital)という、外部の投資家が起業家の設立した会社の株式を取得(株式 投資)し、会社を監視し経営指導して会社の価値を向上させ、その後に株式売却により利益を得よう とするスキームの金融業である。 このようなベンチャーキャピタルが生まれたのは、第二次世界大戦後のアメリカ・ボストンで、ハ ーバード大学教授のジョージ・ドリオ教授や実業界の経営者によって1946年に設立された。これがア メリカン・リサーチ・アンド・ディベロップメント(ARD)という投資会社である。ベンチャーキャ ピタルは戦後のアメリカで始まった投資業であるが、 1970年代に日本にも導入され現在に至っている。 ④情報通信技術の急速な発展と起業家 パソコンやインターネットの発展は、ここで述べるまでもない。しかしコンピューターもトランジ スターも、初めて世で発明されたのは第二次大戦以降のことであり、また、世界発のパーソナルコン ピューターを作ったアップルの創業は現在から35年前の1975年である。さらには、インターネットの 商用化は1995年と今から15年前の最近の発明なのである。 この短い期間において、現代社会は製品・サービスの水準が飛躍的に向上した。半導体産業はトラ ンジスターが発明された1947年、IC(集積回路)が発明された1958年以降に急速に発展し、コンピュ ーター産業はその半導体のイノベーションを利用して1980年代に大きく伸長した。アメリカの起業家 やベンチャービジネスが集まっている「シリコンバレー」 (サンフランシスコ市を北端に南に100キロほどの 湾岸地帯、25ページの参考-1)は、シリコンを主体原料とするIC(集積回路)を取り扱うエレクトロニ クス関連産業が集まったために、1970年代からこのように呼ばれはじめた。 こうしたイノベーションの過程において、多くの起業家がベンチャービジネスを起こし業績を拡大 させ、 さらに資金調達をはかるために証券取引所に株式を上場 新規株式公開、 ( IPO、35ページの参考―2) させた。これによって、起業家が保有する会社の株式の価値が何百億円(あるいはそれをはるかに上 回る金額)となり、億万長者となる起業家が出てきた。その典型例がマイクロソフトのビル・ゲイツ、 アップルのステーブ・ジョブズであり、現在のアマゾン・ドット・コム、ヤフー、グーグル、フェイ スブックのようなベンチャーにつながっていく。 19世紀以前の起業家は、自分の立ち上げた会社からの給与報酬や配当で富を形成したが、20世紀後 半の起業家は、立ち上げたベンチャービジネスを株式市場に公開すること(株式市場で売買取引でき るようにすること)によって、持株の経済価値を増大させて富を得ているのである。 ~ 18 ~