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デザインの体幹
Vol.2 物語編集力
2015-06-25 棚橋弘季
このシリーズ、毎回、比較的世の中に知られている絵の紹介からはじめていて、前回のファシリテーション力ではドラクロワの「民衆を
導く自由の女神」からはじめたんですが、今回はこれ。
雪舟『天橋立図』(1501-06年)
雪舟の「天橋立図」の紹介からはじめます。

例によって、なぜ、この雪舟の作品を取り上げたかはあとで説明するとして、今回もまずは「物語編集力」というテーマについて話して
みます。
なぜ、デザインの体幹の1つとして
物語編集力 を取り上げたか?
どうやって?よりも、なぜ?が重要だと思っています。どうやって編集力をつけるか?よりも、なぜ編集力なのか?です。じゃあ、なぜ
か?
デザインは編集の1つの特殊形態だから。
編集という方法の1形態としてのデザイン。僕はずっとこのシリーズのなかで、「いま人はデザイン的な思考しかしていない。だからデザ
イン思考を身につけるというのは間違いで、すでにどっぷり浸かってしまっているデザイン的思考をどう意識化するが重要だ」というス
タンスを取っていますが、その1つとして、デザイン的思考は編集という思考方法の1形態であるということをすこし話してみようと思
います。
説明ではなく、事例的な試みを通じて。
ただ、今回は「編集力」というものを単なる説明というより、事例的な試みをとおして伝えられればと思います。そのスタートがこれ。
雪舟『天橋立図』(1501-06年)
雪舟のこの絵です。『天橋立図』は雪舟晩年の作品です。みたとおり、天橋立という日本の風景を描いています。実はこれが雪舟の発明
なんですね。

雪舟は、中国画そのものの模倣としての水墨画を脱し、日本独自の水墨画風を確立した人と言われていますが、40代の後半の2年間、明
に渡って、中国の本格的な水墨画に触れ、研究をしています。その後、帰国し、豊後や石見(いわみ)で創作活動を行ったりしながら、
1501年には天橋立に赴いて、この作品を残しています。
可翁『寒山図』(14世紀)
もともと水墨画は、禅とともに中国から入ってきて、禅僧が余技として受け止めるところからはじまるといわれています。その時代に描
かれていたのは風景を描いた山水画ではなく、禅僧の肖像や始祖である達磨の肖像などの人物画や花などを描いた花鳥画が主でした。
『竹斎読書図』
伝・周文
(15世紀)
15世紀になると、日本でも中国に倣い、本格的な山水画が描かれるようになります。ただし、当時の山水画の題材となったのは中国の風
景だったんです。

ちなみにこの時代、西洋ではまだ風景画というものが存在しませんでした。風景画に関しては、東洋のほうが先行。
雪舟
(1420-1506)
その流れのなか、日本の風景を描いた水墨画というイノベーションを起こしたのが雪舟なんですね。中国という正統からの脱却。そして、
この時代、新たな文化的イノベーションを起こしたのは、雪舟だけではないんですね。
狩野元信 大仙院方丈障壁画『四季花鳥図』(1513年)
例えば、同じ頃、雪舟の影響もうけつつ狩野元信が水墨画と大和絵の融合を実現させています。

元信は、狩野派の祖・正信の子で狩野派の画風を大成。仏絵ではない世俗的な絵画の発生させた人でもあります。

そう。ここでも正統からの離脱が起こっている。

こうした流れを含めて、ちょっとこの時代の出来事を整理してみます。
1400
1500
1450
1420
1506
1501-06「天橋立図」
雪舟
1402 世阿弥『風火姿伝』
1424 世阿弥『花鏡』
「枯れかじけ寒かれ」
1513「四季花鳥図」
1468-69 明へ渡航
村田珠光
(1423-1502)
1474 一休 大徳寺の住職に
1482 足利義政 銀閣寺建立
心敬
(1406-1475)
武野紹鴎
(1502-1555)
千利休
(1522-1591)
狩野元信
(1476-1559)
1443
世阿弥 没
応仁の乱
1467-77
能から
茶の湯へ
ちなみに、能楽を大成した世阿弥は1つ前の時代の人といえます。その世阿弥の晩年に重なる形で、雪舟とほぼ同時期に生まれたのが、
侘び茶の創始者といわれる村田珠光。そして、その珠光が亡くなる年に生まれたのが、千利休の師である武野紹鴎。そして、利休もすこ
し遅れて生まれている。ここで、能から茶の湯へのシフトが起きている。より多くの人が参加しやすい遊びへの変化です。

その紹鷗が目指した茶の湯の境地は「枯れかじけ寒かれ」は、「冷え寂び」を確立したといわれる歌人・心敬からの引用ですが、その心
敬は1406-1475。ここではじめて冬の美が発見されている。それまでは春や秋の歌しかなかったところに冬の美をうたう歌が生まれた。
そして、心敬が亡くなる頃、狩野元信が生まれた頃に、一休が大徳寺の住職になったり、銀閣寺が建立されたりしている。そして、この
時期、雪舟は中国に行っている。応仁の乱を避けるように。
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1506
1501-06「天橋立図」
雪舟
1402 世阿弥『風火姿伝』
1424 世阿弥『花鏡』
「枯れかじけ寒かれ」
1513「四季花鳥図」
1468-69 明へ渡航
すべての智識・趣味において、一般に今まで貴族階級の占有で
あったものが、一般に民衆に拡がるという傾きをもってきた
内藤湖南『日本文化史研究』
村田珠光
(1423-1502)
1474 一休 大徳寺の住職に
1482 足利義政 銀閣寺建立
心敬
(1406-1475)
武野紹鴎
(1502-1555)
千利休
(1522-1591)
狩野元信
(1476-1559)
1443
世阿弥 没
応仁の乱
1467-77
能から茶の湯へ
文化の民衆化
この応仁の乱を境に、時代が大きく変わったといっているのが内藤湖南さんです。文化の民衆化。
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雪舟
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世阿弥 没
村田珠光
(1423-1502)
心敬
(1406-1475)
武野紹鴎
(1502-1555)
1474 一休 大徳寺の住職に
1482 足利義政 銀閣寺建立
千利休
(1522-1591)
応仁の乱
1467-77
狩野元信
(1476-1559)
1477-78
ボッティチェリ「プリマヴェーラ」
1485
ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」
1495 レオナルド「最後の晩 」
1434
ヤン・ファン・エイク「アルノルフィーニ夫妻像」
1455
グーテンベルク42行聖書印刷
1469
フィチーノ「プラトン全集」翻訳
1462
プラトン・アカデミー創設
1453
東ローマ帝国滅亡
1492 グラナダ陥落
718∼
レコンキスタ
コロンブス米大陸発見
1401 フスの宗教改革
1431 ジャンヌ・ダルク火刑
1522 マゼラン世界就航
1527 ローマ劫略
1506 レオナルド「モナリザ」
1419-34
フス戦争
1415 フス処刑
1517
ルター『95ヶ条の論題』
1526 ポントルモ「十字架降下」
文化の民衆化
文化の世俗化
歴史画
の隆盛
実は、ここに同じ時期のヨーロッパの動向を重ねると、結構面白いんです。

まず、この時代はちょうど西洋ではルネサンスの時期にあたるのがわかります。キリスト教的テーマを扱うだけでなく、神話などを扱う
歴史画が描かれるようになります。そして、前にもいいましたが、遠近法で描かれるようになるのも、この時代です。

そして、学問の分野でも変化があります。この時代まで、ギリシアなどの古典的な知の遺産は、東ローマ帝国を除けば、そのほとんどが
ヨーロッパでは失われていました。それが東ローマ帝国の滅亡によって知識人たちがイタリアに亡命してきたのといっしょにプラトンの
書物などもフィレンツェなどに持ち込まれる。また、ギリシアの書物は8世紀から9世紀にかけてアラビア語に次々と翻訳され、イスラム
地域には保存されていました。それがイスラムに占領されていたスペインの領土をキリスト教者であるスペイン人たちが奪い返す戦いレ
コンキスタがようやくグラナダ陥落で、プラトンを中心とする古代ギリシアの知が1000年以上のときを経て、ヨーロッパに回帰します。
それがいわゆるルネサンスの思想面を規定します。

もうひとつ、この時期で注目すべきはグーテンベルクの印刷術の発明です。それが後の宗教革命の1つの要因ともなりますが、もちろん、
カトリック教会への不満はその前から芽生えてきていて、初期の宗教改革としてフスのそれがあげられます。

1527年には神聖ローマ帝国皇帝カール5世が教皇領であったローマに攻め込むローマ劫略が起きます。まさに教皇の権威も地に落ちた状
1455
グーテンベルク42行聖書印刷
グーテンベルクによる活版印刷の発明。この技術の登場が人間の「編集力」に与えた影響は大きい。
バラバラの活字を組み立て、文章をつくる
活版印刷というのは、バラバラの活字を組み合わせることで文章をつくる技法です。
「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」(1485-1489年完成)
それ以前は、手書き写本で一冊一冊つくられる一品ものでした。

これは「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」と呼ばれる豪華装飾写本の代表的なものですが、ヤン・ファン・エイクによる絵も含むもの
と推定されていて、美術史においても重要な一冊です。
書見台下に設置された鉄棒にチェーンでつながれた本(チェゼーナの図書館)
ここまで手が込んで高価なものは稀であったにしても、いずれにしろ手書きの一点ものの写本が高価だったことは間違いなく、本は図書
館の書見台に鎖でつながれていたといいます。
本は声に出して読まれた
当時、本は、
知を物質的に蓄えるものでなく、
声や発話を呼び覚ますきっかけ
として認識されていた。
「トマス・アクィナス像」カルロ・クリヴェッリ画(15世紀)
トマス・アクィナス
(1225-1274)
『神学大全』で知られるスコラ学の代
表的神学者
カトリック教会における聖人
かつ33人の教会博士のうちの1人
キリスト教思想とアリストテレスを中
心とした哲学を統合した総合的な体系
を構築
「トマス・アクィナス像」カルロ・クリヴェッリ画(15世紀)
トマス・アクィナス
(1225-1274)
口述筆記で一度に3つの本の内容を筆
記させた逸話をもつ
筆記者は、トマスがまるで本を読むか
のように書くべき内容を声にして出し
たことに驚いたと言われている
驚くべき記憶力がトマスは持っていた
ことになる
1400
1500
1450
先の年表との関係をみてみましょう。
1200
1500
1300
1400
トマス・アクィナス
(1225-1274)
1225 パリ・ノートルダム大聖堂・完成
1309-1377
アヴィニョン捕囚(教皇のバビロン捕囚)
トマスが生きた時代は、はるか以前。ボッティチェリやレオナルドが活躍した時代からは200年も昔です。

ちなみに、トマスが生まれた年にパリのノートルダム大聖堂が完成しています。ここでも教会が大きな力をもっていたことがわかります。
一方、トマスが死んだ後の1300年代の前半には、俗に教皇のバビロン捕囚とも呼ばれる、教皇がフランス王のいいなりになった時代が約
70年続きます。アヴィニョン捕囚後は、ローマとアヴィニョンの両方に教皇がたったシスナと呼ばれる教会大分裂の時代が続き、これが
教皇の権威をゆらがせ、15世紀以降の宗教改革につながっていくのです。
1400
1500
1450
1517
ルター『95ヶ条の論題』
先の年表との関係をみてみましょう。
1517
ルター『95ヶ条の論題』
1522年から印刷された版が出回り、約2年間で30万部がヨーロッパ中に。
1点もの 30万部
1点ものだった本が30万人の人が同時に所持可能になる。まさに民衆化の流れです。

同じものが複数・大量に存在することで、”同じ”であるという概念が生まれる
発声のきっかけ 知の貯蔵庫
同じものが入っているというところから、本の存在意義が「発声のきっかけ」から「知の貯蔵庫」的なものへと変わっていく。同じもの
だから蓄積できる。本=聖書を重視するプロテスタントは日記を書くのですが、それもデータを蓄積していけば価値になるという考えか
らです。
知は声のように発生 知は所持&蓄積可能
そして、印刷技術とともに、知は所持が可能、蓄積が可能なものになっていく。
知は価値を生む部品
知は所持&蓄積可能
つまり、知としての情報が価値を生み出す部品のような存在となっていく
知は価値を生む部品
知は所持&蓄積可能
部品を組み立て、価値を生む編集
そして、編集というスキルがより部品を組み立て、価値を生む作業のようになっていく
バラバラの部品を組み立て、価値をつくる
バラバラの部品を組み立て、価値をつくる
この編集方法こそが デザイン
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1420
1506
雪舟
1443
世阿弥 没
村田珠光
(1423-1502)
心敬
(1406-1475)
武野紹鴎
(1502-1555)
1474 一休 大徳寺の住職に
1482 足利義政 銀閣寺建立
千利休
(1522-1591)
応仁の乱
1467-77
狩野元信
(1476-1559)
1477-78
ボッティチェリ「プリマヴェーラ」
1485
ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」
1495 レオナルド「最後の晩 」
1434
ヤン・ファン・エイク「アルノルフィーニ夫妻像」
1455
グーテンベルク42行聖書印刷
1469
フィチーノ「プラトン全集」翻訳
1462
プラトン・アカデミー創設
1453
東ローマ帝国滅亡
1492 グラナダ陥落
718∼
レコンキスタ
コロンブス米大陸発見
1401 フスの宗教改革
1431 ジャンヌ・ダルク火刑
1522 マゼラン世界就航
1527 ローマ劫略
1506 レオナルド「モナリザ」
1419-34
フス戦争
1415 フス処刑
1517
ルター『95ヶ条の論題』
1526 ポントルモ「十字架降下」
デザインの時代に
ようはこれ以降、デザインという思考方法が人間の編集方法や創造の方法の中心となる。
1600
2000
1800
1500
1700
1900
武野紹鴎
(1502-1555) 千利休
(1522-1591)
1527 ローマ劫略
1526 ポントルモ「十字架降下」
ヨーゼフ・シュンペーター
(1883-1950年)
クレイトン・クリステンセン
(1952年-)
デザインの時代 1642 レンブラント『夜警』
1682
ヴェルサイユ宮殿完成
1728
チェンバーズ『サイクロペディア』 1753
大英博物館設立
1794
ターナー『修道院廃墟の美』
1851
ロンドン万博・水晶宮
1856
ウィリアム・フリス『ダービーの日』
1658
コメニウス『世界図絵』
1680
ロラン『ヘリコン山のアポロンとミューズ』
ヨーロッパで
風景画が描かれ始めたのはこのへん
1852
ボン・マルシェ百貨店
デザインの深い森から前回にかけて「集めて・並べて・組み立てる」デザイン的編集が、芸術分野のみならず、学問、経済、市場のしく
みを生み出してきたことを話しました
ヨーゼフ・シュンペーター
(1883-1950年)
イノベーション=
新結合(neue Kombination)
クレイトン・クリステンセン
(1952年-)
(イノベーションにおいて)
最も大事なのは一見関係なさそうな事柄を
結びつける思考だ
一見関係なさそうな事柄を結びつける思考
つまり、いま僕がやってみせたことです。雪舟からトマス・アクィナスにつなげる物語なんて、ふつうはあまりしないと思います。そこに
関係性を見出して、つなげて並べてみせることで、物語を発生させる。
一見関係なさそうな事柄を結びつける思考
(特に活字のような視覚的部品を使って…)
その際、視覚的ツールをうまく使って、一見無関係なもの同士のあいだの隠れた関係性をあぶりだす
一見関係なさそうな事柄を結びつける思考
(特に活字のような視覚的部品を使って…)
それがデザイン的編集力
それがデザイン的編集力であり、それこそがいまイノベーションの手法としてデザインに注目されている理由だと思います。
Vol2物語編集
長谷川等伯『松林図屏風』(1593-95年頃)
雪舟の『天橋立図』から約90年後の長谷川等伯の松林図屏風です。僕も大好きな作品で、この作品の前にいると時間を忘れていつまで
も見ていたくなる。この余白、ここにこそ、いまのデザイン的編集が忘れてしまった編集の方法があるように感じます。その手の届かな
い感覚もこの絵が好きな理由かもしれません。ということで、僕の話は以上です。

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Vol2物語編集