「Cloud First Architecture 設計ガイド」(AA)の著者の鈴木雄介さんが、前回、前々回のエントリで自分の伝えたかったことを簡潔にまとめてくださいました。
僕なりに @siskw を代弁すると「ITが社会生活に欠かせない以上、UXデザインがダークサイドに落ちたら困る」と。かつ「デザイナの心持ち次第」だと不安だから方法論で保証はできんのか?という問いかけ。規制産業なら当然の考え方なので。ま、UXはただのツールという答えもあり
— 鈴木雄介/Yusuke SUZUKI (@yusuke_arclamp) 2016年9月28日
また、kent4989氏にエントリで言及して頂きました。
両者ともに、こちらの意図を汲んで頂き感謝です。
また、Twitterでは@kyon_mmさん、@nobkzさんにいろいろと教えて頂きました。ありがとうございます。
基本的にはkent4989氏が指摘されるように「サービス設計者は、各自しっかりと倫理観に基づいて業務に当たってください」という話ではあるんですよ。
しかし、サービス設計者は「利益を上げる」と「倫理に基づく」という相反する概念の板挟みにあり、業務の報酬は(基本的には)「利益を上げる」ことに対する対価の側面が強い傾向は否めないと思います。
従って、設計者が「事業者に指示された」「ユーザーの不利益は事業者の責任であって、設計者は関係ない」というダークサイドに落ちる可能性も当然あるわけです。ソーシャルゲームのガチャへの高額課金のような社会問題が現れてきている現状に対して、「それはユーザーの問題であり、設計に不備はない」という主張は、そういったダークサイドの表出だと思います。
一方で、UX論をそこまでの責任があるものとして扱う必要があるのか、という話は当然あるわけです。鈴木さんは「UXはただのツールという答えもあり」と書いてますし、自分も「もちろん法への対処は事業者が行うべき問題であり、UXデザイナーはUXを考えるから法律については事業者の法務部で検討してください、ということも可能」と書いています。設計行為の一部としてUX論を取り扱うこともできるわけです。
しかし、この書き方にはどこか突き放した印象を受けるのではないかと思います。そこの意味をどう言語化したらよいのか、なかなか難しいのですが…。
一応、Twitterに少し書いたのですが、非常に分かりにくいのですよね…。
→設計過程のサイクルは「仮定(か)」「収集(かた)」「決断(かたち)」の3つの作業の繰り返しになると思うのですが、「決断」を行う根拠になる話が入っていてなければ、設計論と呼ぶには物足りないんですよ。→
— siskw (@siskw) 2016年9月28日
→繰り返しになるけど、論として求められるのは「収集」で集めた多様な状況から「決断」を促すことができる強さなんですよ。法律、事業収益、消費者保護…多様な視点が集まってきても「UXを基準に決断しましょう」と言えて初めて「論」足り得るんじゃないかと思うんですよね。
— siskw (@siskw) 2016年9月28日
「法律」「UX」それぞれの専門家がそれぞれの専門領域で頑張ったっても、できるプロダクトが唯ひとつしかない、ということに意味があるわけで。バラバラなものを「統合する」、そこに専門性が宿るんですよ。
— siskw (@siskw) 2016年9月28日
個人的に、ポジティブな面しかないUX論というのは、アイデア集でしかないと感じているわけですが、うーん、どう伝えたらよいか難しい。
このあたりはまた時間のある時にでもまとめられればと思います(すみません)。
「か・かた・かたち」についてはこの本を参考にどうぞ。