私は高校2年生ですが、大阪大学理学部数学科を第一志望として下書きを提出したところ、理由が不十分だと指摘されました。
その理由の内容は「数学が好きで、将来就きたいアクチュアリーになるためには数学科で勉強することが必要だと思ったから」です。
これでは大阪大学を志望する理由にならない、大阪大学でなければならない理由がないと学校から言われました。
いろいろと調べましたが、ずばり、志望理由となる大阪大学の魅力を教えていただきたいです。
加えて、アクチュアリーになるために数学科を志望することは最善どうか知りたいです。
アメリカなどで人気No.1 の資格といわれている「アクチュアリー」は簡単に言えば、保険商品の不確実性の分析や評価を行う専門家です。
資格取得に必要な5科目合格までには、平均7、8年かかってしまうほどの難関資格です。
「アクチュアリー」になるためには、確率・統計をベースに生命保険、損害保険、年金数理などを学ぶ必要があります。
普通の数学と応用数学の両方勉強しないといけないことが資格の合格難度を高めています。
ですからアクチュアリーになるには数学科に進学することがとても有利だと思います。
大阪大学理学部数学科では、ほとんどの科目が「普通の数学」の科目で、アクチュアリー関係では唯一つ「保険数学」があるだけです。
アクチュアリー志望であっても、学部の四年間は通常の学生と同じように数学の力を養成して頂くことになります。
大学院に進学すれば、実務関係のある講師による授業も含め、アクチュアリー関係の科目が8個(2021年度)あって充実しています。つまり、大阪大学でアクチュアリー教育を受けようとするならば、まずは、学部でしっかり普通の数学の力をつけてから、大学院に進学して実務に関することを勉強して下さい、ということです。
そういうわけで、アクチュアリー志望であれば数学科に進学するのは良い選択であると思われます。
最後に大阪大学を志望する理由についてですが、そもそもあなたがなぜ大阪大学を仮の志望校としたのかも分からないわけで、なんともこちらからは判断しにくいことです。進路指導の先生ともう一度相談してください。
大学およびその周辺の雰囲気を知りたいということであれば、一度見学に来るという手もあります。例えば学園祭などの大学のイベントであるとかオープンキャンパスなどもあります。
こういった行事の詳細についてはウェブページなどですぐに情報を得ることができます。
私は数学科の卒業生なのですが現在アルバイトで塾講師をやっております。
そこで中学生から次のような質問をされました。
「10/3=3.3333…なのに3.3333…×3=9.9999…となるのはなぜか?」
自分は極限の概念で理解しているのでうまく答えられませんでした。
(中学生なので極限はわからないと思いまして)一応、2/4と1/2が(表記が違うが)同じものを表しているように10と9.9999…も同じものを表していると言いましたがあまりいい説明だったとは思いません。
なにか中学生にもわかるようないい説明方法はないでしょうか?
いい案がありましたらお教え下さい。
数を「10/3=3.3333…」のように無限小数で表すというのは、結局のところ無限級数あるいは極限の概念を用いているわけですから、中学生にちゃんとした説明するのは困難だとは思います。
それに、数の実体と数の表記の区別というのはなかなか説明が難しいものです。
このあたりを考慮して、いくつか案を挙げましょう。
「10 と 9.999… が同じものを表している」ということを説明するには、
例えば
「x=9.999... とおくと、
10x=99.999... ですから
10x=99.999... と x=9.999... の両辺をそれぞれ引くと
10x-x=9 。
9x=9 の両辺を9で割って
x=10 。」
という無限小数をうまく消すという方法があります。
また、「10-9.999... を考えてみよう!」
というのも良いかもしれません。
「10-9.9=0.1, 10-9.99=0.01, 10-9.999=0.001,... 」
という計算を見ていけば
10-9.999... =0
がわかり(これは級数の収束の定義に戻って考えているにすぎないのですが)、
10=9.999...
を納得できるかもしれません。
以上が主な案です。それで納得がいかないようであれば、「3.3333…」というような無限小数による表記がいったいどのような意味であるかということを逆に聞いてみたりして無限を取り扱うのは難しいということをわかってもらい、それは高校以降でするのだということを伝えるなり、それに関する何らかの本を紹介するなりするしかないように思います。
僕は高校2年生で将来中学校の数学の教師になろうと考えています。
教員養成学部以外での免許の取得が難しくなったそうですが、理学部の数学科からでは教師になるのは大変になるのでしょうか?
いろいろ進路の事で真面目に悩んでいるのでよろしくお願いします。
大阪大学理学部数学科では、卒業時に中学校教諭一種免許状(数学)や高等学校教諭一種免許状(数学)を取得することができます。ただし、数学科に配当されている一般教養科目・専門教育科目の他に、「教育の基礎的理解に関する科目等」と呼ばれる科目を、理学部数学科の卒業要件単位とは別に27単位修得する必要があります。この中に中学校や高校で実施する「教育実習」も含まれます(学部4年次に実施)。また、中学校教諭一種免許状を取得する際は、社会福祉施設や特別支援学校での「介護等の体験」が必要になります(主に学部3年次に実施)。
大阪大学理学部数学科の少なくとも1/3位の学生は卒業までに教員免許を取得しています。ですから、教員免許を取得することがそれほど大変と言うわけではありません。
また、教員免許を取得するのであれば、大阪大学在学中に、中学、高校両方の教員免許を取得することを薦めています。(理学部では多くの学生が頑張って両方取得するようにしています。)
大阪大学数学科では、教員養成大学よりはるかに視野の広いバランスのとれた教育を行っているという自負があります。ティーチングスタッフも研究の最前線で活躍している人がほとんどで充実しています。
数学科を志望している高校2年の学生です。
高校の数学授業内容とは全く関係ありませんが、個人的に EulerGamma 定数を調べています。
定義式 γ=limn→∞{Σk=1→n{1/k} - log(n)} で表される以外に無限級数を用いた表現方法等、知られていましたら教えてください。
具体的には、私が独自に導出した式
γ=Σn=1→∞{Σk=2→∞{(-1)k*(1/(knk))}}
という式が既に知られているかどうかを教えてください。
ご質問にあった公式は、たとえば http://mathworld.wolfram.com/Euler-MascheroniConstant.html の(14)式にあります。
ちなみに、この「MathWorld」のサイトはオンライン数学辞典として便利なものです。
EulerGamma 定数に収束する級数は数値計算に便利なものがありません。
最近の本には、あまり説明されていないようです。ご質問にあった公式を改良した公式として
Cn= 1+ 1/2 + ... + 1/n - log(n+1/2)
について
γ = Cn -2 Σp:n+1→∞Σk:1→∞1/(2k+1)*1/(2p)2k+1
という公式が数値計算に使われていたようです。この公式を導くヒントを示しておきます:
γ= Cn - (Cn - Cn+1) - (Cn+1 - Cn+2) -...
また、EulerGamma 定数の積分表示式が、「数学公式III」(岩波全書)13ページにいくつか紹介されています。
被積分函数を適当に級数展開することにより、さまざまな形の級数表示を得ることができるでしょう。
ガンマ函数の入門書として、現在発売されている本:
・「ガンマ関数入門」(日本評論社)
・E.アルティン/著、上野健爾/訳・解説
数値解析に詳しい本(入手困難と思います):
・「ガンマ函数の理論と応用」柴垣和三雄, 岩波書店(1952)
古典物理学に,剛体の回転を表現するオイラーの方程式があります。
この解は、剛体ボディ固定座標系の角速度の関数として、ヤコビの楕円関数を用いて表現されます。
自分で恒等変換で解いてみると(正確には後述の文献の解法を辿ると)、
(角速度の微分)^2=(角速度)^2の関数 (1)
という途中過程に辿り付きます。
勿論、参考文献のように(1)の両辺の平方根を取り
(角速度の微分)=+(角速度)の関数 (2)
とすれば、ヤコビの楕円関数として解けます。しかし、(2)では符号の+を既知としなくてはならず、また符号切り替えは一般には恒等変換にならないと思います。そしてこの疑問は以下へ続きます。
(2)の解のヤコビの楕円関数のうち、母数が1の場合はオイラーの方程式の特異解であり、separatrix(セパラトリクス)と呼ばれています。
一般解が周期解であるのに対してseparatrixは収束解です。
物理現象で言うと、一般解はニューテーション運動なのに対し、separatrixはシングルスピンです。
しかし一般解もそうなのですが、(2)で恒等変換を行っていないので本当のseparatrixは振動解なのではないかと考えています。
これは(1)が何やら円錐曲線めいた微分方程式であること(実際には違うが)も疑問の一因です。
また(これは線形微分方程式のみ?)一般解+特異解がseparatrixの真の解なのではないかというのも疑問の一因です(この場合はやはり振動解?)。
以上自分では難しくて解けないのですが、趣旨としてはseparatrixは振動解なのではないか?ということです。
計算機でオイラーの方程式解の微分方程式を解いて確認しようとしましたが、double精度で行っても解は振動してしまいますがこれが有限語調誤差によるものなのか,理論誤差によるものなのかが判別がつきませんでした。
ちょっと答えにくい質問なので、分かりやすくするために結論を先に書きます。
(a)separatrix の上の点から出発する解は separatrix の終端する不動点に収束する解です。
separatrix の上にのっている解と振動解を繋いで解をつくるようなことは不可能です。
(b)通常の数値計算によって separatrix の解を出そうとすると、振動する解がでて来てしまうのは自然なことです。
これは誤差のある計算をすれば当然そうなります。
(a) について
少し一般の場合で説明します。以下 x は N 次元空間の点と思って下さい。
常微分方程式 x'=f(x) に不変量 E(x) があるときに、関係 E(x)=const を使って変数を減らす操作をするときにはいつでもこのような問題が生じえます。
これはつまり、超曲面 E(x) が複数の成分からなっているためにおこります。
このような場合考える解がどの成分にのっているかを気をつけなくてはなりません。
この点についての巷の解説書の記述は確かに適切とは言えないものが多いのです。適切な解説書を挙げられないのが残念です。
さて平方根の符合の選び方ですが、私が一番論理的単純な納得のしかたと思うのは、このような計算全てを単に解を見つけるための発見法だとみなし、真剣にとらないやり方です。取り敢えず解を探して、その解がどうなっているかは解の一意性定理を使った議論に任せるというやり方です。
これだけではなんなので、質問の方程式の separatrix の上の解についての説明を試みます。
今の場合、状態の空間を
1. 不動点と separatrix たちでなる部分
2. これら以外の部分(振動解によって満たされている)
の二個に分けることができます。それぞれはことなる保存量を持つのでそれぞれの中の点から出発する解は時間が進んで別の部分にうつることはできません。さらに 1. を不動点と separatrix に分けると、これらの間もうつりあうことは出来ません(この部分は常微分方程式の解の一意性を使った議論が必要です。ここをちゃんと書いていない本が多い)。
不動点を取り除いてしまえばseparatrix 同士は連結ではありませんから連続な解は互いにうつりあうことができません。
separatrix の終端近くでは、解は時間とともに終端にある不動点に近付くことしかできません。
従って、ある separatrix の上の点から出発する解を考えるときには別の separatrix を考える必要がないので、その separatrix がのっている方の平方根の符合を選んで変えないことが正当化されます。
周期解の場合はどうしても平方根の符合を両方考える必要があるのでもっと説明が面倒になりますが、考え方は同じです。 (図を描かずに説明するのが難しいのですが例えば上で挙げた戸田の本には図が描いてありますので見て下さい。)
(b)について
平面の上に絵を書いて、方程式を短い時間解いては少し誤差を入れるという操作を繰り返すとどうなるかを想像すれば、なぜ振動してしまうか分かると思います。
これの原因は separatix が終端している不動点が不安定な不動点であるためで、不安定な不動点の近くでは数値計算によってでてきた解の定性的な挙動は信用できません。
僕は高校1年生で、高校の数学にとても魅力を感じ楽しく取り組んでいます。
ですからそれを発展させた数学を学べる数学科に行こうと思っています。
しかし数学というのは既に研究され尽くした学問だと最近感じるようになってきました。
そう考えると意欲がそがれる気分になってしまいます。まだ数学には未開の分野はあるのでしょうか?
今から100年近く前に、ポアンカレが次のような講演をしています。
「かつて数学の未来は不幸であるとの予言があった。
これらの予言者は全ての問題は解けてしまって、未来は落ち穂を拾うことしか許されていない、と言った。
しかし、これらの悲観論者はいつも退却せねばならなかった。
今日は、こういう悲観論者はいないと私は信ずる。」
悲観的な見通しをする人は100年以上前から何人もいて、そのたびに否定されてきています。
100年前の悲観論者が20世紀の数学の発展を見れば、自らの不明を恥じ入るでしょう。
しかし、こうした過去がありながら、数学で、あるいはもっと広く文明において「もうやることはないのではないか」といった問いかけが繰り返されています。
「研究し尽くされたのではないか?」という質問には、直接答えることができません。
この質問の答えは、各人の心の中にあり、各人がどのような知的な努力を行うかにかかっています。
数学の研究において知識の集積は必ずしも重要ではなく、創造的な人間の頭から生れるアイデアが重要になります。
それは過去の未解決問題を解くだけでなく、数学をより単純化しまた新しい研究の方向を照らし出すものです。
これによって、たえず数学の研究には長年蓄積された知識の資産がなくとも若くしてすぐれた成果をあげることが可能なのです。
また、数学の研究においては「知られた問題を解くこと」以上に「新たな問題を見出すこと」のほうが重要な意味を持つことが多いのです。
そして有名な未解決問題が解かれると、そこから新たな問題が生まれ新たな分野の発展を促すことも多いのです。
独創的な精神を人類が失う時代があれば、その時が数学の終わる時でしょう。「人間精神の名誉のために」(ヤコビの言葉)、若者が自由な思考を行う限り、数学の研究が尽きることは決してありません。
そして、数学者ほど知的な活動において完全な自由を持っている人間は少ないのです。
「もうやることはないのではないか?」という悲観論を抱く者に対しては、「あなたは自由な精神を本当の意味で持っているのか」という問いで答えたいと思います。
繰り返しますが、自由な精神が人間の名誉をかけてたゆまず思索する限り、いつまでも数学は前に進んで行くでしょう。
πおよびeを10進展開したとき2つの各数で、奇数と偶数は同じ確率(50%)で現れますか?
問題をもう少し一般化して、「円周率などの定数を十進表示したときに、0~9 がランダムに表れるか」という問題は未解決問題です。
現在のところ
・e や π の小数表示はランダムだと思われている。
・実際に計算機で小数表示をさせると、ほぼランダムに表れる
・ある「正しいと思われる仮定」のもとに π の小数表示はランダムであることが証明された(Bailey-Crandall、2001年)。
仮定自体は証明されていない。
もちろん、十進表示以外の進数表示でも同様で、たとえば二進表示
π=11. 001 001 000 011 111 101...
もランダムであることが、Bailey-Crandall の「仮定」のもとで示されています。
また小数表示の一般論として
・ほとんど全ての実数は、十進表示すると数字がランダムに表れる
・数字がランダムに表れない無理数は知られている
・数字がランダムで表れることが証明された無理数も知られている
ことがわかっています。
整数でない平方根というのは有理数でないことは証明できると思います。
また、現代数学では無理数を有理数の極限として数を定義しているとも聞きました。
これを踏まえて私なりに考えたところ、例えば√2が、実数直線上では、(有理数の極限として定義されている以上)確かな位置として書き表すことは出来ないと思うのです。
しかし、幾何学的には三平方の定理などによって√2の存在や長さが確かにあると簡単に納得することも出来ます。
これに何か矛盾を感じてしまいます。
√2のような整数でない平方根をどのように捉えればよいですか?
(1)ある長さの線分が与えられたときに、定規とコンパスを使ってその sqrt(2) 倍の長さの線分を作図するのは容易です。
従って sqrt(2) という数は「定規とコンパスを使って」定義することが出来ます。
ある数の「確かな位置」というのはどういうことかということを考えてみましょう。
すると、結局のところ問題なのは「何によって」確かなのかということになります。有理数は整数の割算として定義することが出来ます。同じように整数の平方根は例えば定規とコンパスによる作図によって定義できます。
整数の割算を納得している人にとっては有理数の存在は安心して信じることができるでしょう。
同じように初等幾何の作図を当然のことと思っている人には、整数の平方根は確かに存在しています。
しかし例えば四則演算すらも十分に理解していない人は、 10の100 乗のような巨大な数が確かに存在していると信じることはできないのではないでしょうか。
つまり、ある数の実在性はどのような操作を使うことにするのかということに依存します。
整数から出発して四則演算しか使ってはいけないのであれば sqrt(2) は存在しないことになります。
(2)「現代数学では無理数を有理数の極限として数を定義していると...」の部分についてですが、若干誤解しているようです。
sqrt(2) を定義しろと言われれば
「x*x=2 をみたす正の数 x を sqrt(2)と定義する」
と言うのが一番普通でしょう。ここには何も極限は入ってきません。
整数 p,q があるときに、有理数 p/q の定義が
「p=qx をみたす x を p/q と定義する」
であるのと同じようなものです。普通、極限を使って定義するのは、個別の数ではなくて「実数の全体」です。(個別の数で、極限によって定義するものもあります。)
このあたりの実数全体の構成については、微分積分の教科書で数学的に厳密なものの実数論の部分か、あるいはデデキント「数について」岩波文庫を見て下さい。
原子は原子核の周りを電子が回っているとなると、人間の手のひら(あらゆるものも)は表面が電子で覆われている状態になるということになるのですか?
もし、そうだとすればなぜ握手ができるのですか?
ほんとうなら、斥けあって手と手を握ることができないのじゃないのでしょうか?
もっというと、あらゆるものと触れることができないのじゃないのでしょうか?教えてください。
ご質問は素朴な内容でありながら、非常に深い意味が含まれています。
どうして握手ができるのかを理解するためには、いくつかのことを考えなくてはなりません。
[中性の原子同士の間には、電気的な力は発生しません]
学部にもよりますが、大学では電磁気学を勉強することと思います。
その中にガウスの法則が出てきます。原子に含まれる電子のように、球形に分布した電荷は外部から見ると球の中心に全ての電荷が集まったのに等しい電場が発生します。
中性の原子では、電子と同じ数の陽子が原子核に含まれていますから電子の発生する電場と原子核の発生する電場は完全に打ち消しあいます。
その結果、中性原子の外側では電場は消えてしまいます。
したがって、中性の原子同士の間には力はほとんど発生しません(量子力学的な揺らぎによって非常に弱い引力は発生しますが)。
ですから、手と手の間には、接触するまで力は発生しません。
ただし、原子の内側では、原子核からの電場が強く働いていますので、原子の内側にいる電子は原子核に強く引きつけられています。
イオンではどうでしょうか。たとえば、ナトリウムの陽イオンでは、電子の数が陽子の数よりひとつ少なくなっています。
その結果、イオンの外から見るとプラス1価の電荷が原子核の位置にあるような電場が発生します。
陰イオンでは、逆にマイナスの電荷が原子核の位置あるような電場が発生します。
ですから、NaCl結晶では隣接するナトリウムのプラスイオンと塩素のマイナスイオンの間に比較的強い引力が発生します。
しかしブラスとマイナスの電荷は同数ありますので、もっと遠くからみるとそれらの電場は互いに打ち消しあいます。
ですからNaCl結晶では表面の近くだけで電場が発生し、遠くでは電場はほとんど発生しません。
実際、食卓塩の粉末は互いにくっつくことはありません。ただし、湿気があると水分が仲立ちになってくっつける作用がありますので、湿気るとベトベトしてきます。手の皮膚を構成する原子も中性のものだけではなく、プラスやマイナスのものもありますがNaClと同様に全体としては中性ですので、遠くでは打ち消しあって力は発生しません。
これでご質問の答えになっていると思いますが、実は以下に示すように握手できることにはもっと深い意味があります。
[粒子には同じ場所・状態にいられるボーズ粒子といられないフェルミ粒子があります]
基本的な粒子(素粒子)には大きく分けて二種類あります。
ひとつはボーズ粒子と呼ばれるもので、同じ場所に同じ状態でいることができます。例えば光子です。
もうひとつはフェルミ粒子です。この粒子は同じ場所に同じ状態でいることはできません。例えば電子や陽子などです。
この性質によって、非常に大きな違いが発生します。
真空中で二つのレーザー光線をぶつけたら何が起こるでしょうか?何も起こらないで、通り抜けてしまいます。
これは、光子はボーズ粒子だからです。したがって、光で光を曲げたりすることはできません。
スターウォーズのライトセーバーは、実はこの原理に反します(だから面白い)。
ところが、フェルミ粒子である電子は同じ場所に同じ状態でいることはできませんから、もし無理矢理に二つの原子を押しつけあうと非常に大きな斥力が発生します。
それは、片方の原子に含まれる電子は、もう片方の原子の電子のいるところに進入できないからです。
たとえば二つのヘリウム原子を互いに近づけると、それぞれのヘリウム原子に含まれる2個の電子同士は互いに退けあいます。
無理に近づけると原子は壊れてしまいます。
手の皮膚の表面を構成している原子も同様に、互いに接すると退けあいますから握手できることになります。
もし、電子や陽子や中性子がボーズ粒子でできていたら握手できずにすり抜けてしまうかもしれません。
同様に我々は地上に立っていられないことになり、地球の中心まで落ち込んでしまいます。
さらに、これらのことは電子が結晶中を自由に動けるのかどうかに深く関係してきます。
たとえば、銅もNaClも共にたくさんの電子を含んでいます。
しかし、銅では電子が自由に運動して金属になり、NaClでは動けずに絶縁体になります。
これらはフェルミ粒子である電子のなせる性質です。
[電子を共有すると強い結合が生まれます]
今度は、二つの水素原子を近づけてみます。水素原子は原子核(陽子1個)と電子1個でできています。
実は電子にはスピンというものがあります。これは電子の自転と考えることができます。
そのとき、右回りの自転と左回りの自転という二つの選択肢があります。そのために水素原子において陽子の周りを回る電子の状態には、右回りと左回りの自転をした二つの電子が入ることができます。三つ目はだめです。
そのために二つの水素原子を近づけると、互いの電子は一緒の状態をとり水素分子として安定な結合状態ができあがります。
同様に、酸素や窒素原子同士も結合してそれぞれ酸素分子や窒素分子が安定になります。
これらの結合では、互いに電子を共有しますから共有結合と呼ばれます。
これは非常に強い結合で、我々が手にする堅い物体の多くは共有結合でできあがっています。
それ以外にも金属結合や水素結合などいくつかの結合が知られています。
我々の手の皮膚を構成する原子は、このような結合によって結ばれ形が保たれています。
なぜ夜景や星はキラキラ点滅してるように見えるのですか?
光は、屈折率が等しい物質中を進むときはどこまでも直進します。しかし、屈折率が場所によって変化すると、進む方向が曲げられます。
大気の屈折率は圧力や温度や湿度によって変化しますので、もし屈折率が不均一で、しかも時間的に変化すると、光の進む方向も時間的に変化します。
一方、星は非常に遠くにあるので、点光源と見なすことができます。そのため、上空の大気の屈折率が少しゆらぐだけで、目に入る光の強さが変化して、またたいて見えるようになります。これを一般にシンチレーションと言います。
フランス民謡でイギリス人の作品ががもとになって作られた「きらきら星 (Twincle, LittleStar)」はそのことを表現した歌ですね。
なお、変光星といって明るさが実際に変化する星もあります。その原因はいろいろですが、例えばパルサーと呼ばれるものは中性子星が自転しているために明るさが周期的に変化します。
夜景でも街灯の光が私たちの目に届くときに同じような現象が起こります。
それではどうして大気の密度が時間的に変化するのかについて考えてみましょう。
上空に行くと大気の密度が下がってきます。 しかしそれだけは時間的な変化ではありませんので、ゆらぎにはなりません。
一方、温度差や密度差のある大気が触れあうと、上昇気流や下降気流が入り乱れ密度と温度が違う空気のかたまり(気団)ができては消えます。
それらのうちで、星のまたたきに影響が大きいのは上空 11 km 付近にできる10 - 20センチメートル程度の気団です。
密度が高い気団や低い気団が凸レンズや凹レンズのような働きをします。
星のように 非常に小さな点のように見える光は、この気団のゆらぎの影響をより大きく受けますので地上では星からの光が集まって強くなるところと広がって弱くなるところができます。これがきらきら点滅して見える原因です。
一方、金星などの惑星では、像が大きいのでたくさんの点光源の集まりと見なすことができます。
それぞれの点光源のゆらぎが重なり合って平均化されますので、金星全体の明るさの変化はあまり気になりません。
このゆらぎは、気候にもよっても変化します。大気が安定しているときは、ゆらぎが小さくなりますので、またたきは弱くなります。
また地平線に近い角度にある星を見るときは、長い距離の大気を通過しますので真上にある星と比べてまたたきが大きくなります。
同じような現象は夜景を見ているときも起こります。風が吹いたり、ビルなどの熱気による上昇気流が発生すると、空気の密度が時間的に変化して、きらきらして見えます。
ちなみに天文台で鮮明な写真を撮るときには、建物や地表から発生する熱による大気の乱れが影響します。
そのため、天文台は山頂に設置して地表の影響を少なくします。また、寒くてもストーブを使わないようにします。
市街地に近い山では、街灯やネオンサインがじゃまになりますので、人里離れた山の上が良いことになります。
ところで、ハッブル宇宙望遠鏡は高度600キロメートルの真空中にありますので、大気の影響をまったく受けません。
そのため、非常に鮮明な天体写真を撮ることができます。インターネットでその画像が公開されていますのでご覧下さい。
空はなぜ青いんですか? 海はなぜ青いんですか? 緑色の池はなぜそんな色なんですか?
空が青いのと海が青いのとは原因が違います。
その説明の前に、白い光は色々な波長の光が混ざってできていることを思い出して下さい。
カラーテレビの3原色として赤と緑と青がありますが、基本的にはその3種類の色の光の組み合わせを考えてみます。
そのうち、たとえば赤の光がなくなって青と緑の光だけだと青緑色(水色)になります。
あるいは、緑の光がなくなって赤と青だけだとピンク色になります。
青がなくなって赤と緑だけだと黄色になります。波長は青、緑、赤の順番で長くなります。
まず、空が青いのは以下の理由です。
大気中には通常小さな微粒子が浮遊しています。その微粒子によって光が散乱されますが、そのとき波長の短い光がより強く散乱されて向きが変えられます。
したがって太陽からの光のうち、波長の短い青い光が散乱されてそれが私たちの目に入ってきます。
これが空が青い理由です。
一方、赤い光は波長が長いので散乱されにくく遠くまで届きます。
夕日が赤いのは大気中を長い距離にわたって太陽光が進んできたときに青い光は散乱されて徐々に弱くなり、赤い光は散乱されにくく私たちの目に届くからです。
しかし、海(水)の色が青いのは、別の理由です。
実は最近、水の分子が赤い光を吸収することがわかってきました。
コップに入れた水では分かりませんが、数メートルの距離を進むと赤い光が吸収されて弱くなり、次第に水色になってきます。
そのため、きれいな浅い海やプールでは底に届いた光は水色になっています。
その光がもう一度吸収されて私たちの目に届きますので、より水色に見えます。
青や緑の光も少し吸収するので深い海底にはどんな光も届きませんが、数メートルから数十メートルの範囲では太陽からの白色の光は徐々に水色の光になってゆきます。
つまり水の中を進む光は次第に青くなってゆきますが、夕焼けのように赤くなることはありません。
以上の話は、正確に言うと普通の水(H2O)の場合だけです。同じ水でも重水(D2O)の場合は赤い光を吸収しませんので色は付きません。
実際の海や池では、他にも考えなくてはならないことがあります。
ひとつは、プランクトンや汚れです。もしプランクトンが緑色をしていると赤だけでなく青の光も吸収されて弱くなり、残った緑の光が私たちの目に届きますので海は緑色に見えます。
しかし、赤いプランクトンがたくさん繁殖すると赤くなることも起こります。汚れた海に赤潮が発生した状態はそのような場合です。
もうひとつは、海に差し込む光は、太陽からの光だけでなく青空のひかりも届きますので、その散乱光は青になります。
したがって、一般的には水が赤い光を吸収するして青くなる効果と、浮遊しているプランクトンなどが光を吸収する効果と、青空の光が水に入ってくる効果を同時に考えなくてはなりません。
そういう場合は、正確に色の考察をするのは難しいところがあります。
例えば、曇った日の海の色は灰色に近いかも知れませんね。
しかし太陽光がさんさんと降り注ぐ珊瑚礁の海岸の澄んだ海の青さは、最初に説明したように水が赤い光を吸収する効果が最も大きくきいていると思います。
微積分など数学があまり好きではなかったら理学部は向かないですか?
「理学部」といっても、4つの学科(数学科、物理学科、化学科、生物学科)から成っており、それぞれの学科での数学の使われ方や重要性は大きく異なっています。
貴君の希望する物理学科だけに話を絞りましょう。 物理学では理論的研究をするにしても、実験結果の解析をするにしても、数学の知識無しでは非常に困ります。しかし、数学は「研究目的」や「研究対象」ではなく、あくまでも物理学の研究のための「手段」「言語」です。
この点を誤解しないようにしてください。 さらに、物理学で使われる数学にも、非常に多くのものがあります。「微積分」を含む「解析学」は、そのほんの一例にしか過ぎません。「幾何学」も使われますし、「統計学」や「離散数学」も必要になることがあります。
大切なことは、物理学をやるのには「数学が好きかどうか」が問題なのではなく、「物理学が好きかどうか」が本質的に重要です。
極論すれば、物理学が好きならその手段として不可欠な数学がたとえ嫌いだとしても、(嫌いな数学をマスターしながら)研究は進むでしょう。]
僕は今高校3年生で、ただ宇宙が好きで小学校のときに初めて本気になれた勉強が宇宙のことで、宇宙関係の勉強をしたくて大阪大学理学部物理学科志望しました。
大学で実際には地道に微積分などの計算を巧みに利用して物質などを研究してるのですか?
僕は物理は好きですが高校レベルの物理だし、大学に入ったらどうなるかっていうのは見当がつきません。
だから物理をつかう工学部や基礎工学部にも興味があったのでそのオープンキャンパスにもいきました。
理学部独特のおもしろさっていうのはどういったものですか?
大切なのは、地道な勉強や研究を続けていても、「僕はただ宇宙が好きで…、宇宙関係の勉強をしたい」という《初心》や《興味》を、恒に心に抱いておくことです。これが、科学(理科)の発展の原動力になります。
実際の研究では「微積分などの計算を《巧みに》利用」しているわけではありません。
試行錯誤しながら、ある時は「巧みに」、ある時は「失敗」しながら、研究は進みます。
理学部独特のおもしろさは、
●科学的成果がもたらす利益を顧慮する ことなしに、純粋に科学や自然の美しさに惹かれ科学的発見を夢見て勉強・研究を進めることができる。
●一見自明に見える事項に対しても、「なぜ?」という疑問を抱いてその根源を探ろうとする意欲・願望をもっとも直接的に充足できる。
と言えましょう。
自分の興味に従って《徹底的に》理解しようとする努力が、諸手を挙げて奨励されるのは理学部・理学研究科のみだと思います。
僕はこの五年間ほどから宇宙論に強く興味を持っており当然ずっと理学部志望でいました。
しかし、実利がほとんど期待できないこの分野では研究をして生計を立てていけるのは、才能の面でも金銭の面でも限られた一握りの人だけで現実はそれほど甘くはないんだと徐々に気づきました。
それに就職を目指したところで、宇宙論にそれほど潰しが利くとは思えません。
それに矛盾した話かもしれないですが、僕には漠然と、「自分で、企業などにとっての実利となるなんらかの『財』的なモノを生み出したい」、「社会にできるだけ直接的に影響し、社会に必要とされていたい」といった憧れのようなものがあります。この希望は自分の興味のある分野の性質と相対することのように自分でも感じるのです。
「ポスドクまで行ったあげく、30歳で挫折してフリーター完成」のような事態は何としてでも避けたいし、周りの人たちの進めもあって工学部への転向を考えています。
しかし工学部という学部は、特定分野の就職に強い反面、大学に入る時点である程度自分の将来専攻すべき分野を決めておくことが求められると僕は聞いています。
あと一年でそれを決めるには、僕には時間と情報が少なすぎます。
苦しんでおりますが一年以内に最初の決定をしなければなりません。
なるべく将来に選択肢が残るような進路を教えていただけるようお願いします。
真剣に将来のことを考えておられる様子、大変感心致しました。
また色々とやりたいことを持っておられることは、将来それがどのような形でご自分に関わってくるのかによらず宝物です。
大切になさって下さい。
工学部や工学研究科等では企業などで応用に役立つ知識を学ぶことができます。
もし、具体的に希望するものがはっきりしているようでしたら、それを選択するのも良いと思います。
しかし、それで人生が決まると考えるのは、早すぎます。世の中には色々な仕事があります。また一生同じ仕事をしてゆくとは限りません。
ひとつの専門に限定されない広い知識も必要です。そのためには、常に研鑽を積むことを怠らないようにすることが大切です。
一方、理学部や理学研究科では基礎的な学問の研究を行っています。
物理系では、物理現象の基本を理解し解明してゆきます。
実験したり、計算したり、新しい理論を考案したりする中で、それまでわからなかったものが見えてきます。
その成果を世界中に発信します。仮に企業等に就職することを考えた場合でも、それらは十分に生かされます。
実際、大阪大学理学部物理学科およびその上にある大学院(物理学専攻と宇宙地球科学専攻)には沢山の求人が来ます。
卒業生は、工学部や工学研究科出身の人たちと共に活躍しています。
強いて言えば、工学系出身の人はその技術的な可能性を経験の中から突き詰めて技術開発や生産を行うのに対して、理学系出身の人は基本から理解して原理に基づく新しい技術の開発や生産を目指そうとします。実際はその両方が必要です。
また最近の傾向としては、IT関係の求人が増えています。高校教諭になる方もおられます。博士課程(博士後期課程)に進んだ場合でも、修士課程(博士前期課程)や学部生と応募方法に違いはありますが、民間企業に就職する方が増えています。物理学専攻のホームページには、卒業後の進路が掲載されていますのでご覧下さい。
もし研究に強い関心があり、しかもその能力があれば大学等のアカデミックな職につくことは十分可能です。
理学系の研究は必ずしも直接世の中の役に立つことを目指して研究しているわけではありませんが、その研究成果は人類の英知を育む知識の一端を担っています。
宇宙がどうやってできたのか、とか素粒子の根元を解明することは確かに我々の日常生活に直接変化はありません。
しかしそれを知ることによって、人類はより豊かな世界観をもつことができます。
なお、ポスドクという身分は、研究者が独り立ちするための期間と理解して下さい。
研究職に就くと、自分で研究テーマを提案し推進します。ポスドクなどの経験を経ることによって、新しい研究領域を開拓してゆく能力と次の世代を育ててゆく能力が更に身に付きます。
もちろん、物理学には宇宙論に限らず色々な学問があります。興味があったら是非入学を志して下さい。
たとえば、固体結晶が示す性質や機能の探求はそれ自体に尽くせない興味があるだけでなく、その基本原理は応用のための指針としても重要です。
また理学部では物理以外にも様々な基礎学問を研究している研究室があります。宇宙論でなければ工学部という発想はあてはまらないと思います。
ところで、何かひとつの仕事を成し遂げられる能力を持ったひとは他の仕事でもその能力は発揮できるものです。
現時点では、将来の選択肢について情報が十分ではないかも知れませんが、逆に「今、何かを選択したら将来が決まり、安泰」と期待するのも安易な考え方だと思いませんか。
大切なことは何事にも真剣に向かっていることです。
いつかチャンスがやってきたときにそれをものにします。いつも成長していること、それが大切です。
ちなみに「未熟」とは熟す過程にあることを意味します。それには上限はありません。年をとっても上を目指す「未熟者」でいたいものです。
ご健闘を祈ります。
今小5の子の家庭教師をしています。
そこで私が『地球はまん丸じゃなくて、ホントは洋ナシ形なんだよ?』と昔どこかのテレビ番組で言っていたことを教えたら、当たり前ですが『なんでぇ?』ときかれました。
その場でがんばって考えてみたものの、それらしい答えが出ませんでした。なんで、洋ナシ形なんですか?あと本当に洋ナシ形なんですか?
はじめに回答のまとめを書くと、地球は第一近似として球、測地学的には回転楕円体、ジオイド面を誇張して描けば、洋ナシ型ということになりましょう。
1)地球は自然物で様々な凹凸がありますから、完全な球というわけではありません。固体地球科学では、地球の理想的な平均海水面(陸地においても水路を掘ったものとして考える)をジオイド(地球に似たもの)とよびます。これは静かな海水面=等ポテンシャル面であって、局所的な重力の影響により凹凸のある形状になっています。
しかし、ジオイドでは地球の形状を一律に扱えないので、うまくジオイド面をカバーするような回転楕円体を地球の標準形状としています。現在はGRS80とよばれるものが標準楕円体でそれを使った測地の座標系はITRF84と呼ばれます(赤道半径=6378.137, 極半径6356.752 km)(地球楕円体は、天文学で使うIAU楕円体をはじめ数多くあります。ITRF84はGPS(米軍発祥)で使うWGS84との一致もとれています)。
GRS80楕円体の扁平率は(赤道半径-極半径)/赤道半径で表され、1/298.257226 ~0.00335281 となって、極めて球に近い存在です。真の球面とこの楕円体面の高さの差は大きいところでせいぜい10-20km位です。しかし、正確に地球上の位置を指定したい時、真の球面を基準にとってしまうと誤差が大きくなります。航空機の計測位置が数百mずれたら、山に激突するかも知れません。また質量の場合、体積=長さの3乗に従うわけで、重力測定などでは大きな影響が出ます。以上の理由から、測地学では真の球面ではなく楕円体を基準にしています。
2)しかしなぜ、地球は洋ナシ型とも言われるのでしょうか?
それは、標準楕円体面とジオイド面の差を計算してみるとジオイド面の方が北極で約16m高く、北半球中緯度で7mほど低く、南半球中緯度で7mほど高く、南極で約16m-27m低い(数値は大まか)、極端に描けば頭トンガリ出っ尻の形になっているからです(古在さんという有名な学者の業績です)。1)で挙げた真球ー楕円体との差よりもずっと小さい差ですが、これを強調して描けば以下の図のようになります。
国土地理院WEBより
以下は、複雑な地球の構造の由来に関する補足説明です。
3)地球の形については古代ギリシアの昔から計算されてきました。
赤道半径と極半径のどちらが長いかの論争も大航海時代にありました。
ニュートンは回転流体を考えて、遠心力の働く赤道部分が出っ張るモデルを考えて扁平率=1/230を出しています。しかし地球は前述のように、地球は遠心力だけでは説明できない複雑な形をしています。
4)なぜ、このような変な形をしているのでしょうか? その理由は地球の歴史性に由来すると考えられています。昔、北米大陸などには氷河期に厚い氷の固まりがのっていました。この重みのために大陸は、重油を積んだタンカーのようにマントルに沈降したために変な形をとりました。氷が無くなった今、大陸は少しずつ時間をかけて浮き上がっているところだと考えられています(浮き沈みのつりあいのことをアイソスタシーとよびます)。南半球に関しては海水面が多く、海水は遠心力に短時間に応答してバランスするはずなので、上述の影響はほとんどありません。
将来、化粧品会社で研究・開発に携わるにはどのような学科を選べばよいですか?
また、そのような会社に就職している実績はありますか。
化粧品会社で研究・開発というと、かなり広い分野が当てはまります。 材料・分析関係は化学でしょうし、安全性関係は医学・薬学・生物学がメインとなります。 化粧品はイメージで売るところも大きいので色やデザインなどの美術的センスも必要ですし、理系のみで研究開発が行なわれるわけではありません。 とはいえ、人員は化学系の学科の卒業した人が最も多いでしょうから、まずはここかと思います。 当大学の理学部ですと化学科が相当します。
化学科では、すぐ浮かぶような有名な化粧品会社でもこれまでに何人も卒業生が就職しています。また、生物科学専攻でも、毎年数名が修士修了後に化粧品会社の研究・開発職に就職しています。ただ、化粧品会社で大きな研究・開発部門をもっているところは多くないと思われ、やはり化学メーカーの方が研究開発に携わる人数が圧倒的に多いので、化学科ではそちらに就職する学生が多いです。
どの学部を受験するか迷ったときは、大学に入ってから何を中心に学びたいかについて考えてみると良いでしょう。例えば薬学部では、基礎となる化学、生物学、物理学に加え、免疫学や薬理学、生化学なども学ぶことになるでしょう。
大阪大学理学部では、化学科に入学しても、化学だけでなく数学、物理学、生物学、地学の基礎をまず学ぶことになります。大学や学部によって、学べることだけでなく出会う人も変わってくるでしょう。将来に対する考え方も変わるかもしれません。ホームページやオープンキャンパスなどでカリキュラムや学生生活等の情報を入手したり、在学生の話を聞いたり、雰囲気を肌で感じるなどして、志望校・学部を考えると良いでしょう。
なお、理学部の卒業生は、教育職や研究職に限らず、幅広い分野で国際的に活躍しています。理学部で身につけることのできる基礎知識、課題発見力、柔軟な発想力、的確な判断力などは、社会のどの分野でも求められる力です。
アクセサリーの24金メッキを綺麗に剥がしたいのですが、サイズが大きく、複雑な形状なので研磨で剥がすのは大変です。
●24金メッキしてあるものを王水(硝酸1:塩酸3)につけたとして金が溶けるという他に何か危険な反応が起こりますか?(熱とか気体が発生するとか)
●メッキの中身は亜鉛なのですが、中身に王水がつくとどういった反応が起こりますか?金だけうまく剥がす方法はありますか?
●王水を作るため濃硝酸と濃塩酸を混ぜるときに、何か危険な反応が起こりますか?
●これらの作業を自宅でするときの注意点は何かありますか?
王水は非常に酸化力の強い溶液であり、金を溶かすことができることで有名です。
しかし、ご質問のような亜鉛の表面の金メッキ膜だけを溶かすという作業には残念ながら使えません。
その一番の理由は、亜鉛のほうが金より王水に溶けやすいということです。
つまり金膜だけを溶かそうとしても、金めっきが溶けた部分あるいは金膜に開いた細かい穴からも下地の亜鉛が王水によって溶け出してしまうからです。
イオン化傾向という言葉をご存知だと思いますが、亜鉛のほうが金に比べてイオンになりやすい性質をもっています。
つまり亜鉛のほうがイオンになって溶液に溶け出しやすいため、王水とも激しく反応します。
この反応は金と王水との反応より速く起こるため、金を溶かそうとして王水にアクセサリーを入れると亜鉛の本体が部分的に激しく反応して溶け出し、本体が侵されて形が崩れてしまうと予想されます。金膜も一 部は溶け出すかもしれませんが、金膜だけを溶かし出すことはできません。
王水は非常に酸化力が強いため、取り扱いが非常に危険な薬品です。とくに御質問のアクセサリーでは、亜鉛が王水と激しく反応することが予想されます。反応が起こると溶液の温度が上がり、これによりさらに反応が速くなるため有害な二酸化窒素などの気体の発生も激しくなり非常に危険です。
また、王水を作るために用いる硝酸、塩酸も劇物に指定されている試薬です。したがって、王水の調製や取り扱い、廃液の処理などは自宅でできる作業ではありません。
また、高校の理科室でも十分 な設備があるとは思えませんので、王水の取り扱いは困難です。
作業には、相当の化学の知識と経験のある人が付き添う必要があります。絶対に一人では行なわないでください。
化学は大変面白い学問で、いろいろな物質について実験してみたいという興味は大変素晴らしいと思います。
しかしながら化学薬品の中には大変危険なものもあり、そのような薬品については将来十分な知識と経験を積んでから取り扱ってください。
大学で食品の栄養素など天然高分子の研究をしたいと考えています。大阪大学の理学部では生物科学と化学のどちらの学科がいいのでしょうか。
もし化学科だとしたら、化学科では物理が重要と聞きますが、受験で生物を選択した私でもついていけるのでしょうか。
現在、化学と生物学の境界はかなりぼやけてきており化学者と生物学者の両方が同じ分野を研究することも多くなってきています。
研究したいと考えている食品の栄養素や天然高分子は、まさにそのような境界領域の分野だと思います。
あえて違いを挙げるならば、栄養素や天然高分子そのものの性質や化学変化について調べるのが化学、 栄養素や天然高分子によって人体がどのように応答するかを調べるのが生物学だと言えるかも知れません。
ただし栄養素や天然高分子が人体に与える影響を追求していくと、それらの化学的性質をよく理解しておくことが必要でそれには化学の知識が不可欠になります。
化学を習得するには、物理の素養も必要ですが現在化学科に入学してくる学生さん の約1/3は、高校のときに物理を選択していません。
入学後は物理の講義もとる必要がありますが、高校で物理を選択していない学生さん向けの物理の授業を開講していますのでそこで高校で習っていなかった分を補うことができるようなカリキュラムになっています。
理学部は工学部などに比べて就職が厳しいと聞きましたが、大学院まで進んだ場合はどうなのでしょうか?
よく「理学部や理学研究科は就職”無理”学部」などと言われているようですが、断じてそんなことはありません。
大阪大学理学部および理学研究科では、数学・物理学・化学・生物科学の幅広い知識はもちろんのこと、複雑な自然現象を司る原理・原則、さらにそれを基盤とした論理的思考についてしっかりと学んだ上で、世界の最先端の研究を行っています。
企業でも新しい技術や製品の開発をする際には、複雑な事象の中から本質的な問題を抽出し解決する能力が求められます。企業への就職先については、工学部のように特定の業種に限定することはありませんが、理学部/理学研究科の卒業生は幅広い素養をもつ人材として多方面から期待されており、毎年たくさんの求人が全国の企業や国の機関、高等学校などから届き、巣立って行きます。
大阪大学では、理学部の卒業生の2~3割程度が企業や高等学校教諭などに就職し、残りの7~8割程度が大学院の博士前期課程(修士課程)に進学しています。
大学院博士前期課程の修了者(修士)の7割程度が企業や高等学校教諭や国家公務員などに就職し、1~2割程度が大学院の博士後期課程に進学しています。
博士後期課程で博士(理学)の学位を取得した方は、大学教員や研究所の研究員や企業の研究開発スタッフとして活躍しています。
理学部化学科の先生から、化学科でも製薬、または創薬の勉強ができるという話を聞きました。
大阪大学理学部でも、そういった勉強ができますか?
また理学部のある大学なら、どの大学でもできますか?やはり薬学部のほうがいいのでしょうか?
製薬や創薬には化学の基礎知識が不可欠です。
その意味では、大阪大学理学部化学科では、製薬に関係する化学を学ぶことができます。
化学の中でも、特に有機化学や 分析化学は有機化合物である薬を合成したり、分析したりするときには必ず必要になります。
また、四年生や大学院生になると研究室に入って化学の実験を行うことになります。
薬そのものを合成する機会は少ないと思いますが、有機化合物の合成に必 要な実験を行う機会も多いので製薬研究に必要な知識や技術を習得することができます。(他大学の理学部化学科でも、同様な科目は学べるはずです。)
理学部と薬学部のどちらが良いかは、中々難しい問題です。現在使われている薬のことならば薬学部の方が詳しく学べるでしょうが、新しい薬を開発するときなどには理学部で学べる化学の基礎が重要になるのではないかと思います。
実際に、大阪大学理学部化学科の卒業生で製薬会社に就職した人も多くいます。
<物質は何と何でできている>など、この世に存在しているものは<どういう原子でできている>まで分かっているのに、炎はなんだろう?と思いました。
しかしどの資料をみても、炎については温度によって色がちがうということなどしか書かれていません。よろしくお願いします。
炎は、マイケル・ファラデーという19世紀の大科学者が毎年クリスマスに子供たちに向けて行われた科学講演会でも取り上げたテーマなのです。
講演の様子は、翻訳されて本になっているので是非読んでみてください。「ロウソクの科学※」という本です。
タイムマシンがあったらあなたを講演の行われた1860年に連れて行ってあげたいくらいです(本当はファラデーが行った講演会のようなことを僕ら科学者・教師が日本でもするべきなんですが)。
ファラデーは、その講演の中で日本のろうそくを紹介しているんですよ。当時の日本のろうそくは芯に工夫がしてあって、すすが出にくかったのだそうです。
19世紀にも高性能なMade in Japanがあったとはおもしろいですね!
またファラデーは、ベンゼンという石油工業にはなくてはならない物質を初めて発見したほか、電気や磁石についての大発見をしています。
この発見は、現在でも、物理という理科の一分野の大変重要な基礎になっていて、テレビ、ケータイ、電子レンジその他あらゆる電化製品はその発見がなければ存在しなかったといってもよいほど大切なものです。
おそらく高校の物理で習うと思います。当時ノーベル賞があったら、3、4回受賞していてもおかしくないほどの偉い科学者ですね。
でもファラデーは14才で製本屋に奉公に出されたために、独学で科学を学んだという人なのです。すごいと思いませんか。
たとえ学校に行かなくても、どんな状況でも勉強はできるし、研究はできるんですよね。
それはあなたが炎が不思議だと思ったのと同じように、何かが不思議だなぁ、そのからくりがわかったらおもしろいなぁ、という気持ちを持ち続けることができさえすればできることなんだということを教えてくれます。
※この本(原題 Chemical History of A Candle)は,三石巌さんの訳が,角川文庫(ISBN: 4043127014)から出ています。
また絶版になっているようですが、矢島祐利さんの訳が岩波文庫(青909-1)から、吉田光邦さんの訳が講談社文庫(ふ 23-1)からも出ています。
図書館か書店で探してみるとよいでしょう。なお,山形浩生さんの訳を以下のURLで読む事ができます(ただし,実験装置の挿絵は載っていません)。「あとがき」が出色です。
http://www.genpaku.org/candle01/candlej0.html
上記サイト「プロジェクト杉田玄白」は、著作権の切れた洋書などの翻訳を無料で公開しています。「ロウソクの科学」以外にも、優れた古典的作品が多数収録されています。
化学結合が強ければ体積弾性率は小さくなるのでしょうか(つまり固体AよりBの体積弾性率が小さいのでAの構成原子間の結合がBより弱いと言えるか)?
また結合の強さは明白に共有結合>イオン結合>金属結合>ファンデアワールス結合となるのでしょうか?
それともあるイオン結合はある共有結合より強いということが起こりえますか?
固体の力学的性質をミクロな視点から解明して行くことは基礎物性だけでなく応用上も非常に重要な研究分野のひとつです。
しかし、そのような性質をミクロな視点から一概に議論することはそれほど簡単ではありません。
さて、等方的な物体を液体中に置いて静水圧をかけると物体は外形を保ったまま小さくなります。
その際の圧力に対する体積変化率として圧縮率、またその逆数である体積弾性率を測定することができます。
もし、原子間の結合角が全く変化しない物質 を想定して圧縮を議論する場合は、体積弾性率に効いてくるのは距離の変化に対するエネルギーの変化率です。
つまり原子間の平衡距離からの微小変化ΔRに対するポテンシャルエネルギーの変化を [k(ΔR)^2]/2 と近似すると、原子の熱運動を無視すればkの大きさで体積弾性率は決まります。
kは平衡位置でのバネ定数と考えることができます。しかし、原子間の平衡距離は斥力と引力がバランスを取った状態で決まりますので、バネ定数は結合の強さそのものではありません。
たとえばファンデァワールス力で凝集したものとして、アルゴンの固体を例に取ると原子間の結合は非常に弱いにもかかわらず、圧縮率は氷と同程度でそれほど小さくありません。
これは閉殻状態の電子はパウリの原理により他の電子の進入を排除 しますので、力を加えて閉殻電子配置を変形させるにかなり大きなエネルギーを必要とします。
そのため、原子同士が近づくとある距離から急激に斥力が増大します。
これらの様子を再現する関数形としてレナード-ジョーンズポテンシャルが良く用いられます。またイオン結合でできているNaCl 結晶を考えてみると、Na原子は電子 をひとつ失ってNeと同様の閉殻電子配置になります。
一方、Clは電子をひとつ得てAr と同様の閉殻電子配置になります。電荷をもつイオン間の相互作用は長距離力ですので、正負のイオン間の引力だけでなく、正イオン同士、負イオン同士の斥力も考えますが、それだけでは平衡距離は説明できません。
アルゴンと同様に、ある距離より近 づくと閉殻の電子配置のイオン間の斥力が急激に大きくなります。
正負のイオン間は 引力ですので互いに接近していますが、その状態で更に圧力を加えるわけですので、比較的大きな体積弾性率を示します。
このとき引力としてはファンデァワールス力も作用していますが、他の相互作用よりもかなり小さいのでほぼ無視していても良いわけです。
同じイオン結晶でもイオンサイズの小さいLiFではイオン間の距離も小さく、NaClの倍以上の体積弾性率を示します。
一方、代表的な共有結合性の結晶である SiではNaClの数倍の体積弾性率、ダイヤモンドでは数十倍の体積弾性率を示します。
これはシリコンや炭素原子間の共有結合においては、結合距離を変化させるのに非常 に大きな力が必要であることを示しています。
しかし共有結合では結合角も決まっていて、SiやCでは正四面体構造をとります。したがって、これらの物質ではより密 に原子を配置する最密充填構造(例えば六方最密構造や面心立法構造)ではなく、比較的すき間の多いダイヤモンド構造をとるのはそのせいです。
一方、金属結合の代表 的な物質であるアルカリ金属は電子の海の中にアルカリイオンが浮いているというイメージが近いのですが、電子の海を外から圧縮するためその体積弾性率は小さく なり、固体アルゴンと同程度の値になります。
なお、ここでは圧力を加えたときにその構造が変化しない範囲で考えているわけですが、更に高い圧力を加えると一般に 結晶構造も変化します。
これらの典型的な結合様式をもつ物質では、ある程度類型的に比較することができますが、多くの物質はそれほど簡単ではありません。
その理由は色々あります。ひとつ は、例えば半導体結晶として良く用いられる GaAs(閃亜鉛鉱構造 zincblende structure)などの化合物半導体では、共有結合とイオン結合が混在しています。より イオン結合性が強くなると、CdS のようにウルツ鉱構造 wurtzite structure に変化 します。
つまり、単純に何々結合と分類することはできません。遷移金属も同様で、 金属結合と共有結合が混ざっています。
もうひとつの例として、分子性結晶のように分子内は共有結合性が強くても、分子間の結合は非常に小さくて圧力を加えた際の構造的な変形が均一ではありません。
種類の異なる結合が固体中に存在している わけです。さらに、加圧によって結合距離ではなく結合角が変化する場合です。たとえば、C60が並んだ固体を想像してみると良いでしょう。
この他に、力学的性質としては体積弾性率だけでなく変形などの性質も重要で、固体では応力とそれによる変形との関係はテンソルで与えられます。
また金属のように展性や延性をもつのは、原子面の滑りが起こっても同じ結合を再現できるため構造的に壊れにくくなります。
逆に共有結合性が強い半導体やセラミックは原子面の滑りは起こりにくく、限度を超えると壊れてしまいもろくなります。
一般に引っ張り強度も低くなります。また、高分子材料や性質の異なるものを複合したハイブリッド材料もあり、それぞれ特徴があります。
結合の強さについてですが、ファンデァワールス力に相当する成分は常に存在しますが、一般に他の相互作用よりも弱くなっています。
イオン結合は原子サイズが小さくなると顕著になりますが、一般には典型的な共有結合物質よりは弱いと考えられます。
純粋な金属結合はあまり強い結合ではありませんが、多くの金属は金属結合以外 の結合が混成しています。
あまり用語に縛られないで、多様な構造をもつ固体において電子の示す多彩な性質のひとつとして広く考えられると良いでしょう。
単細胞生物は一般に無限増殖を繰り返すので、事故がなければいつまでも死なないが、我々ヒトはいつか死にます。
単細胞生物が不死で、ヒトがなぜ不死ではないのかを、アポトーシスの観点から教えてください
難しい質問ですね。実験して答えを出すことができないことなので、「一つの考え方にすぎないが・・・」とお断りしておきます。
「単細胞生物は一般に無限増殖を繰り返す」わけではありません。
池の水の中などに住んでいる単細胞生物、原生動物は、 遺伝子交換=有性生殖(接合)をしないかぎり、有限回で増殖がとまります。
今からちょうど50年前の1954年、米国のソネボーンという研究者がゾウリムシの1匹が分裂して2匹になったら、それぞれ分けて1匹ずつ別の容器に入れ、 その次分裂したらまた分けて、と繰り返して絶対に接合しないようにしてやったところ、 約350回分裂したところでそれ以上分裂しなくなり、 やがて死にました (当時、アポトーシスかネクローシスか、という考え方はありませんでしたが、 今見直すとアポトーシス的です)。
つまり単細胞生物にも寿命はあるのです。
いいかたを変えると1匹のゾウリムシから出発した「姉妹細胞の集団」を一まとまりに考えると、有性生殖をしないかぎり寿命が来て死にます。
さて、次に「多細胞生物である我々ヒトはいつか死ぬ」かどうかを考えてみましょう。
個体としては確かにそうですが、遺伝子からみたらどうでしょう。
ヒトは、生殖細胞(卵か精子)に遺伝子を伝え、 生殖細胞は別の個体由来の生殖細胞と接合できれば受精卵となり、分裂して新しい個体を作ります。
その個体は、その中でまた生殖細胞を作って次代に遺伝子を伝えます。 つまり遺伝子は無限に受け継がれます。遺伝子としては「死んでいない」のです。
この二つの話を並べてみてどう思いますか。 もし「1匹のゾウリムシから増えた姉妹細胞集団」と「多細胞生物であるヒト1個体」とを同じ位置に置くと、 そっくりでしょう。有性生殖をしないかぎり、遺伝子の等質な細胞集団には寿命が来るのです。
しかし、有性生殖がなされれば分裂回数カウンターがリセットされ遺伝子としては寿命はありません。
ただ違うのは、ゾウリムシは姉妹細胞が分かれてそれぞれ勝手に泳いでいるけれど、 ヒトは1個の細胞(受精卵)から増えた姉妹細胞が分かれないで団体行動をしている、というだけの違いです。
高校で生物を選択せずに大阪大学の生物科学科に入りたいのですが、大学の勉強にはついていけますか?
大阪大学理学部生物科学科の新入生のうち、約半数は受験科目に生物を選択していません。
その中には、高校で一応習いはしたが受験に使わなかったという人が約半数いますが、 まったく習わなかったという人も約半数(結局全体の約四分の一)います。
そのため、高校で生物を履修しなかった学生向けの「補習」的な集中講義が 1年生の4・5月に用意されています(医・歯・薬学部学生と合同)。
これを受講することで、かなりの程度追いつくことができます。しかし、精力的な自習が不可欠なことも事実です。
理学部のバイオと農学部のバイオの違いを教えて下さい
研究者の日々の作業は同じです。医学部とも薬学部とも工学部とも同じです。違うのは何を目指してその作業をしているのか、という点です。
ミッションが違うという言い方をしてもいいでしょう。
たとえば、農学部でイネの遺伝子の研究をしている人がいます。
それは、お米の収穫 を上げるためとか、寒い地方で育つイネを作り出すためとか、乾燥に強い品種を作ろうとか、農業生産利用の目的があってやっている場合がほとんどです。
理学部生物にも、イネの遺伝子の研究をしている人がいます。しかし、たぶんその人は生産に役立てようと思っているわけではなく、植物の受精の仕組みを知るためだったり、植物と動物の遺伝子の制御様式の違いを知るためだったりします。
それらを調べるのには、 品種の系統がしっかり記載されているイネは野生のタンポポより好都合だから、イネを実験対象に選んでいるのでしょう。
このように、理学部の生物研究は産業に応用するために行っているのではなく、自然の仕組みを知るため、ちょっと大げさにい うと人類の叡智を増進するため、に行っているのです(結果的に産業に応用できることもありますから、そうなったら一層嬉しいでしょうけれどそれが第一目的ではありません)。
同じように、医学部でネズミの胃酸分泌の研究をしている人は、胃潰瘍の原因解明や治療に役立てようと思って行っているのでしょうが、理学部でネズミの胃酸分泌の研究をしている人は、細胞がH+イオンをどうやって輸送するのか、ひいては細胞はどうやって物質を出し入れするのか、その仕組みの根本を知りたいから行っているのです 。
したがって、研究の具体的内容はほとんど変わりません。
現実に、理学部出身者が医学部の基礎医学部門の先生になることは珍しくない(どころか、ごく普通のこと) ですし、食品会社や薬品会社に就職して農学部出身者や薬学部出身者と机を並べて仕事をしていることも、ごくごく普通のことです。研究成果を発表する学会も共通です。
ただ、上の目的の違いを反映して農学部だと研究材料が食用植物だったり、森林昆虫だったり、養殖魚だったり、家畜だったりすることが比較的多く、医学部だと哺乳動物や、病原微生物だったりすることが比較的多いのに対し、理学部だととくにそのようなことはなく、普段なじみのない生物を相手にしている人も少なくない、といった違いは出てきます。
一度、お近くの大学の学園祭やオープンキャンパスに出かけて、研究室を案内してもらったり、そこで研究している学生や大学院生と話をしてみることをお奨めします。
共通点と相違点を実感できると思います。そしてどちらが自分にフィットするか、感覚がつかめると思います。
他学部からの転部や理学部の大学院への進学は可能でしょうか?
他学部学生に対する理学部への転部選考試験は、毎年10月上旬に学内掲示板でお知らせします。
また大阪大学の他学部を卒業し、理学研究科博士前期課程へ進学する事も可能です。
理学研究科博士前期課程の大学院入試を受験してください。
詳しくは、こちらをご覧ください。
文系の大学を卒業して今27歳になります。どうしても一生研究を続けていけるような研究者、技術者になりたいと思い、理学部や工学部の再受験を考えています。来年合格したとして学部卒業が32、修士卒業が34になります。
研究者としての就職口はあるでしょうか?
研究職に就いている人の多くは、程度の差こそあれ、かなり高い年齢になってから「定職」に就いています。
特に最近では「一生研究の出来る定職」に就く前に、「ポスドク」と言われる期限付き雇用期間(武者修行のような期間)を経ることが多くなっています。30歳代半ばで、ようやく「定職」に就く例も珍しくありません。
ですので、年齢に関しては一般企業に比べるとシビアな問題ではないようです。
しかし、修士を修了しただけで「一生研究を続けることの出来る」ポストに就くことは、(年齢に関係なく)まず無理でしょう。博士の学位も必要です。
となると、さらに3年以上かかります。それでも研究能力が高ければ、就職先は必ず見つかるはずです。
要するに年齢よりも能力で判断されます。貴君に「やる気」と「能力」さえあれば、道は開けると思います。
かといって、(貴君に対してだけでなく誰に対しても)「《絶対に》就職口はある」とは断言できません。
転学部について、試験の有無、受験資格、日程、大学受験時の成績のことなど、できるだけ詳しく教えて頂けませんでしょうか?
他学部学生に対する理学部への転部選考試験は、毎年10月上旬に学内掲示板でお知らせします。
受験資格は大阪大学の学部学生である事ですが、願書提出の事前に転部希望先学科の学科長とお話ししていただき、願書に学科長の承認印をいただいてもらっています。
ただし、大学入学共通テスト(旧:大学入試センター試験)および2次試験の成績によっては出願しても受験できない場合があります。
現在、他大学の一年で理学部物理学科に進んでいますが、3年次に大阪大学へ編入を考えています。
他大学からの編入という人は多いですか?
また、一般に大学受験と3年次編入と大学院試験ではどれが入りづらいのでしょうか?
理学部では高専を含めた他大学からの編入は行っていません。大学院修士課程からの入学をお勧めします。
阪大の学生や教授は他大学に比べて真面目だと聞きましたが、本当なのですか?
《学生、特に理学部・理学研究科の学生について》
阪大の学生(学部と大学院があります)は、もちろんとても「真面目」です!
多くの学生は講義や実験やセミナーにきちんと出席しています。4年生になって研究室に配属され、さらに大学院に進学すると最先端の研究に従事しますが、日夜そのための努力を惜しみません。
特に最先端の研究のためには、与えられたことをこなすだけの真面目さではもの足りません。自分から積極的に関わってゆく「真剣さ」がとても大切です。
苦労もありますが、成果が得られたときの充実感や達成感には計り知れないものがあります。
このように高度な専門的知識を得たりその経験をして立派に卒業した後には、それを仕事に生かすことが待っています。
大阪大学を卒業した人たちは、企業や大学などで活躍し指導的立場に立つ方も大勢います。
大切なことは、外部から押しつけられた「真面目」ではなくて、阪大学生自身の内部から自発的に生まれ出てきた「真面目」だという点です。
《教授について》
阪大の教員は真面目か。
確かにそうかもしれません。なぜだか、分析してみましょう。
一つには、理系学部が多いことによります。阪大はもともと医・理の2学部で出発した大学です。
現在は法学部も経済学部も文学部もある総合大学ですけれど、学生比率も教員比率もやはり理系に重心がかかっています。
ではなぜ理系が多いと「真面目」か。
理系は論理が柱です。個人の性格の上ではいい加減な教員もいっぱいいますが(かくいう私も、その点では人後に落ちませんが)、仕事の上では論理を貫かなくてはなりません。
1+1は3だといったら、芸術なら独創的とほめられますが、科学ではバカといわれます。
誰がやっても2です。クソマジメでつまらないといわれても、これを崩すわけにはいきません。
また、理系は知識の積み重ねが必要です。個人の才能だけではどうにもならないところがあります。
伝達すべき情報は増える一方なのに、休日は増えるし土曜日は休みだし、授業時間が足りません。いきおい、休講はありえず授業は定刻に始まり、終わりは定刻を超えることも少なくない。これを外からみればキマジメとしかいいようがありません。
さらに、理系教育は実験が重要です。実験・実習には、材料や器具・機械の準備が必要です。ふらっと来て、気ままに実験して飽きたら帰る、なんてことはできません(文系はそうだという意味ではないけれど、教育システムとしては、文系よりはるかにスケジュール重視になります)。
したがって、その点からも休講なんてありえません。同じことともいえますが、理系の研究は紙と鉛筆があれば十分、ということは稀で、技術が必要です。
その技術の伝授には現場指導が不可欠です。だから高学年や大学院では少人数指導になり、そうなると教員は(学生も)連帯感が強まってサボらなく(サボれなく)なります。
もう一つの、意外に大きな理由は立地条件です。盛り場から遠く、誘惑が少ない。
東大なら駒場キャンパスは渋谷の隣だし、本郷キャンパスは池袋にも銀座にも近い。京大、北大は京都、札幌の町の中心にあります。
昔は阪大も大阪都心にあったのですが、今は郊外です。飲みに出ようがない。
それでも豊中キャンパスには阪急石橋阪大前駅周辺の商店街があるけれど、吹田キャンパスの隣りは万博記念公園ですから、夜になったらフクロウとタヌキしかいません。
駅から遠いと車で通勤することになり、飲めない。教員は(学生も)好むと好まざるとにかかわらず、研究に没頭できるわけです。
それで、かどうかわかりませんが、多くの研究室では折りに触れ、ゼミ旅行や新人歓迎お花見や卒業生歓送行事を企画して日頃の飲み足りなさを取り返します。
統計がないのでわかりませんけれど、ゼミ行事率なら阪大はトップクラスではないでしょうか。
というわけで、結論。阪大の教員は、心底真面目かどうかは大いに疑わしいけれど、少なくとも「見かけ上は」確かに真面目です。
物理を学びたいと思い物理学科を志望している女子高生ですが、親にものすごく反対されています。
「物理学科で学んで、そのあとどうするの?」と親に聞かれると、言葉につまってしまいます。
私は宇宙などが好きで、もっと知りたいって思っているだけだからです。
親は阪大理学部を志望校にすることさえ許してくれません。どうすればいいですか?
「物理学専攻の男性の教授からの回答」
ご両親はあなたの将来を心配してご意見を言っているのであって、あなたを苦しめようと思っているわけではないことを、まずは忘れないようにしてください。また「宇宙などが好きで、もっと知りたいって思っているだけ」なのは、理学にとってはきわめて健全な動機です。理学の進歩は、設定された最終的具体的目標に向かって活動することによるのではなくその都度心に生じる自然な感情(好奇心)に駆動されているからです。
「物理学専攻の女性の教授からの回答」
まず、理系の学部には女子学生が少ない、というのは事実です。阪大理学部の物理で言えば、およそ全学生数の1割程度です。化学や生物では、もう少し女子学生の割合は多いと思います。理学部や工学部の学生は、卒業すると男女を問わず8割程度が大学院に進学します。博士前期課程(修士課程)2年間を終えると、2割くらいが博士後期課程(3年間)に進学し、残りは企業などに就職します。この段階で、女性だからといって就職率が悪いということは全くありません。今は男女雇用機会均等法がありますし、大企業は皆女性技術者(研究者)を男性と等しく扱ってくれます。もちろん、結婚や出産を機に退職する女性も多いですが、子供を育てながら研究や仕事を続けている女性も大勢います。また大学院を修了した後、国立研究所や大学の研究職につく人もある程度の割合おります。すぐに常勤ポストにつけない場合、非常勤の研究職を何年か勤める人も少なくありません。物理で博士号を取得した人達の就職率の低さは、確かに社会問題になっている、といってもいいかもしれませんが、これは本人がどれくらい柔軟に社会に対応できるかという問題であり、決して本当の意味で就職できないわけではないのです。
まだ、高校生のあなたには、学部4年間プラス大学院5年間の後の生活など、今想像できないでしょうからこの話はここでやめます。もし、大学4年間の後に企業に就職しようと思うのであれば、物理だろうが文学部だろうが、同じです。就職率が高いか否かは、その時の世の中の景気次第ですが、物理だから低いということは決してありません。むしろ理系のほうが、「手に職がある」という意味で有利だと思います。大学院卒業者についても同じです。女性であるから就職できない、などということは決してありません。もし一生研究を続けたいと希望される場合は、少し状況が違います。大学の教員ポストを得るのは、男性でもかなりの狭き門だからです。ここで女性が不利になることがないかと言われれば、正直に「現実は多分目に見えない壁がある」と言わざるをえません。でもこのような問題も少しずつ解決されていて、今は「女性だとむしろ有利だ」という世の中になってきている、と思います。そもそも、大学で勉強するのは何のためなのか、ということをよく考えてください。大学は就職するための職業訓練所ではありません。また就職のときに役立つ「ブランド」を手に入れるために大学に入るわけでもありません。知の欲求を満たすための学問をするところが、大学ではないでしょうか。それならば、卒業した後の人生設計ができていなくても構わないではありませんか。むしろ卒業後の人生設計が高校生で既にできている方がおかしい、くらいです。あなたが真剣に物理を勉強したい、と思うなら、ご両親にその思いを伝えてみたらいかがでしょう。学校の物理の先生にお願いして、ご両親を説得してもらうのも一つの手かもしれません。もう一度、答えを申し上げます。阪大理学部の卒業生は就職に困るようなことはありません。
女子学生だからといって就職できないこともありません。大学卒業後の進路については男女を問わず企業に就職する人の割合のほうが多いですが、大学などに残って研究職につく人も多いのは理学部の特色かもしれません。
在学時、教職課程の単位を取りましたが、教育実習をせずに免状はとりませんでした。理学部卒業、工学研究科修了に高校理科の教員の免状を取得できるでしょうか?
大阪大学の科目等履修生として「教育実習」を修得することができます。
ただし教育実習を履修するために事前に修得しておかなければならない科目が多数あり、 それらをすべて修得していることが条件です。
また、教育実習を履修する年の前年に 大阪大学から実習校宛に「教育実習受け入れ内諾依頼」を行い、 その年の内に実習校から内諾を受けておく必要があります。
その上で、科目等履修生に出願しなければなりません。
詳しくは、大阪大学理学部学務係までお問い合わせください。
大学院に入学後、教育実習など教員免許を取得するのに必要な科目を、学部に受講しに行くことはできるのでしょうか。
現在、他大学に在籍していて大阪大学大学院への進学を考えています。今教職課程をとっているのですが学部中に全ての単位を修得できそうにありません。
大学院に入学後、教育実習など教員免許を取得するのに必要な科目を学部に受講しに行くことはできるのでしょうか。(大学3年生)
大阪大学理学部・大学院理学研究科では、数学・理科の科目について、中学校教諭一種・ 専修、高等学校教諭一種・専修の免許状を申請するための単位を修得することができます。
大学院に入学後、学部科目を受講し修得することは可能です。
僕は朝鮮大学校の理工学部で物理を専攻しています。
卒業後、大阪大学大学院理学研究科・博士前期過程の入試を受けようと思ってるんですが、現在の時点で朝鮮大学校は各種学校として認定されています。
朝鮮大学校の卒業生が受験資格を得るには特別な審査が必要になってくるのでしょうか?
それとも、一般の大学の卒業生と同じように受験資格が与えられるのでしょうか?
個別の入学資格審査を受けていただき、審査の結果、大学を卒業した者と同等以上の学力があると認められ、入学を希望する年の3月31日で満22歳に達している方が出願できます(4月入学の場合)。
詳細については、お手数ですが大阪大学理学研究科大学院係までお問い合わせください。
大阪大学理学部物理学科の三回生ですが、今から数学の教員免許を取ることは可能でしょうか?
大学院には進もうと思っているので、大学院を卒業するまでに取ったりすることは可能でしょうか?
厳しいならば、どれぐらい厳しいかも具体的に教えていただきたいです。
大阪大学理学部では、中学校教諭、高等学校教諭の一種免許「数学」「理科」を、大学院理学研究科では中学校教諭、高等学校教諭の専修免許「数学」「理科」に必要な単位を修得することができます。大学院に入学後、学部科目を受講し単位を修得することも可能です。
物理学科および大学院(物理学専攻・宇宙地球科学専攻)在籍中に、数学科で開講される「教科に関する専門的事項」「大学が独自に設定する科目」及び「数学科教育法」の単位を修得することで、数学の免許状を取得することができます。
ただし物理学科および大学院(物理学専攻・宇宙地球科学専攻)での本来の勉強がありますので、その合間をぬって教職の単位を修得しなくてはなりません。加えて、理科の免許状を取得する場合よりも多くの単位を修得する必要があります。
また数学科と授業の時間帯が被り、卒業・修了するまでに数学の教職に必要な単位を修得しきれない可能性もあります。そのため学部の時になるべく多くの単位を修得しておくことをお勧めします。
さらに、「教科に関する専門的事項」( 20単位)はあくまで免許状取得の最低ラインであり、実際に教壇に立つには「教科に関する専門的事項」となっていない専門教育科目等も含めた深い専門分野の知識が求められます。
そうした他の学科の専門分野についても自ら学習しなければなりませんので、綿密に学習計画を立てて履修を進める必要があります。