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「対話」と「会話」と「討論」の違いについて

2012年7月10日(火) 8:02:52

昨日の記事は、内容はともかくタイトルが過激すぎたようで。。。内容的には多くの方から賛同いただいたけど、日々生活者と対話を試みてる「企業の中の人」にはタイトルが不快だったかも(←わりと友人に多い)。

というか、もともと本『明日のコミュニケーション』の中で、「関与する生活者」や「エバンジェリスト」の存在を説き、その人たちの影響力の強さについても(SIPS理論を通して1年半まえから)言及をしているボクです。

そういう生活者がいることはある種自分の中で1年半まえから説いている「前提」なので、そこを説明していない。
だから論が少し乱暴に見えたかもしれません。

関与する生活者はもちろんちゃんといます。
彼らは企業に意見も要望も言います。"対話"をすることもあるかもしれない。企業が彼らと関係性を持とうと試みるのも重要だと思う。

でも、彼らが能動的に(自分から)企業と"対話"をしたがっているかというとそうではないのではないか。クレームや物珍しい場合やファンである企業の場合は別にして(と、昨日の文中でも断っていますが)、一般企業に対して必ずしも"対話"をしたがっているわけではない。

 ※ 会話と対話の違いについては後述。

企業と"会話"しているように見える生活者についても、いまは企業が生活者と"会話"をしはじめた黎明期なので、実は物珍しさが先に立っている部分も多いのではないか(ファンである企業は除く)。

そんな彼らを巻き込んでちゃんとした"対話"に持って行き、深い関係性を築くためには、もっと別の軸 ーCSV(Creating Shared Value)的な共有価値の創造ー が必要なんじゃないか。

そんな思考の流れだったですね。
で、そのCSVをプランニングするにあたってはこんなアプローチがいいんじゃない? という現在進行中の思考につながっていくわけなんだけど・・・


あと、「会話」と「対話」の違いについての認識の差も大きかったかもしれません。

ボクは平田オリザさんとお会いすることが比較的多いので、彼の「対話」論は2009年くらいからずっと聞いており、深く納得しているので、そのことを前提に書いてました。

彼曰く、「会話」と「対話」は全然違う。「討論」と「対話」も全然違う。
ちょうどこのまえ(7/5)の朝日新聞にその違いについて彼のインタビューが載っていたので抄録すると、

ダイアローグ(対話)とカンバセーション(会話)は明確に違います。私なりに定義すると「会話」は親しい人同士のおしゃべり。「対話」は異なる価値観などをすり合わせる行為。しかし日本語の辞書では「【対話】向かい合って話をすること」などとされ、区別がない。
日本語は、閉じた集団の中であいまいに合意を形成するのにはとても優れた言葉です。日本文化の一部ですから、悪い点ばかりではない。近代化以前の日本は、極端に人口流動性の低い社会でした。狭く閉じたムラ社会では、知り合い同士でいかにうまくやっていくかだけを考えればいいから、同化を促す「会話」のための言葉が発達し、違いを見つけてすり合わせる「対話」の言葉は生まれませんでした。
対話とディベート(討論)はどこが違うか。ディベートは、自分の価値観と論理によって相手を説得し、勝つことが最終目的になる。負けた方が全面的に変わらないといけない。勝った方は変わる必要がありません。しかし対話は、勝ち負けではありません。価値観をすり合わせることによってお互いが変わり、新しい第三の価値観とでも呼ぶべきものを作り上げることが目標になります。
価値観が多様化した成熟社会では討論より対話が重要ですが、日本では、変わることを潔しとしない傾向が強いですね。どうしても勝ち負けの枠組みで考えてしまう。


まぁ「会話」と「対話」の違いについては、最近はワールド・カフェ的なイベントも多いのでご存知の方も多いと思うけど、たしかに日本ではわりとごっちゃに語られる。そこは仕方ないかなと思います。

企業と生活者は「会話」はし始めている。
生活者も企業と「会話」くらいはしてみたい。

それはおしゃべりです。企業もしくは企業の中の人とちょっとしたおしゃべりをするのは(物珍しさも手伝って)とても楽しい。要望や意見を言うのも(いままで聞いてくれなかった分)耳を傾けてくれてとてもうれしい。

それは関係性の始まりです。
でも深い絆ではない。ロング・エンゲージメントも生まれにくい。気まぐれな時間つぶしにすぎないかもしれない。そういう人はすぐ離れていくかもしれない。

でも、CSV的な軸でアプローチすると、そこに共有する価値がある分、違う軸での「対話」が生まれてくる。第三論を産み出していく。その過程で、より強い関係性が「企業ー生活者」に生まれるのではないか。


・・・って、こんなに説明しないといけない昨日の記事は「悪文」ということですねw
失礼しました。

でも、ボク個人としてはフェイスブックやツイッターでいろいろな方と「対話」ができ、思考が深まって楽しかったっす。肌感覚として、ネット上でも、以前よりは、勝ち負けを決める「討論」が減り、第三論を導き出す「対話」が増えてきた気がします。

佐藤尚之(さとなお)

佐藤尚之

佐藤尚之(さとなお)

コミュニケーション・ディレクター

(株)ツナグ代表。(株)4th代表。
復興庁復興推進参与。一般社団法人「助けあいジャパン」代表理事。
大阪芸術大学客員教授。やってみなはれ佐治敬三賞審査員。
花火師。

1961年東京生まれ。1985年(株)電通入社。コピーライター、CMプランナー、ウェブ・ディレクターを経て、コミュニケーション・デザイナーとしてキャンペーン全体を構築する仕事に従事。2011年に独立し(株)ツナグ設立。

現在は広告コミュニケーションの仕事の他に、「さとなおオープンラボ」や「さとなおリレー塾」「4th(コミュニティ)」などを主宰。講演は年100本ペース。
「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」でのJIAAグランプリなど受賞多数。

本名での著書に「明日の広告」(アスキー新書)、「明日のコミュニケーション」(アスキー新書)、「明日のプランニング」(講談社現代新書)。最新刊は「ファンベース」(ちくま新書)。

“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(コスモの本、光文社文庫)、「胃袋で感じた沖縄」(コスモの本)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「さとなおの自腹で満足」(コスモの本)、「人生ピロピロ」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」(文藝春秋)、「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)、「ジバラン」(日経BP社)などの著書がある。

東京出身。東京大森在住。横浜(保土ケ谷)、苦楽園・夙川・芦屋などにも住む。
仕事・講演・執筆などのお問い合わせは、[email protected] まで。

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