世界記憶遺産

「大虐殺」は虚偽や疑問点だらけ 憤る声も

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に、中国が申請した「南京大虐殺文書」が登録された。中国側はこれまで、「反日プロパガンダ」の一環として「南京」を利用してきたが、識者らによって虚偽や疑問点が次々と暴かれている。

「犠牲者数」変遷

 「南京大虐殺」は1937(昭和12)年12月13日、当時の中華民国の首都・南京陥落後、旧日本軍の占領下にあった最初の6週間に、多くの中国人が殺されたと喧伝(けんでん)される事件だ。死者数については中国側は「30万人」と主張しているが、近年の日本国内での研究で虚偽であることが定説となっている。

 国内では平成17年度の高校教科書検定で、「20万人以上とする説が有力」とした記述が検定を合格するなど、「大虐殺派」(十数万人以上)の学者の見解が流布した時期もあるが、研究が進むにつれ、「一定程度の虐殺はあった」とする「中間派」(2万~4万人)や、そもそも虐殺はなかったとする「事件否定派」の勢いが増している。

 否定派の根拠は、南京の人口は日本軍占領前が20万人、占領1カ月後が25万人だったことなどだ。少なくとも、中国が唱える30万人説や大虐殺派の主張は検討に値しないといえる。

問われる信憑性

 虐殺の証拠にも多くの疑問符が付いている。

 南京攻略戦で、旧日本軍の2将校が日本刀で「百人斬り」を行ったとされる当時の報道。処刑された将校の遺族が「報道は事実無根で名誉を傷つけられた」として毎日、朝日両新聞などを訴え、東京高裁は平成18年5月の控訴審判決で、記事について「信じることはできず、甚だ疑わしいものと考えるのが合理的」とした。

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