国会周辺で騒いでいた連中はみんなセンチメント(感情)ですよ。どこまで安全保障関連法を理解していたのかね。朝日新聞、毎日新聞、東京新聞がたきつけたんだ。「これをやったら戦争が来るぞ」と。センチメントでいえば、1960(昭和35)年の安保騒動の時もそうだった。
僕は日米安全保障条約の改定そのものに反対ではなかった。こういう重大な案件を与党が単独採決するのはおかしいし、もっと議論すべきだと思っていた。当時、(作家の)江藤淳たちと気の合う仲間で「若い日本の会」というのを作った。議会の民主的運営を要求して作った会だったが、「安保反対」という簡単な言葉でくくられ、いつのまにか安保反対の勢力に組み込まれちゃったんだな。話が違うから、私も江藤も脱会したよ。
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日本というのは米国の隷属国家だった。今でも実質的にそうだ。それを象徴するものが東京裁判だ。当時、どういうわけか父が傍聴券を手に入れてきてくれて、裁判を見に行ったんだ。やっぱり支配者と被支配者というような、口では言い表せないが、非常に一方的な感じだった。国民全体も被告みたいな立場だったんだろう。
父は汽船会社に勤めていたので、いろんな情報を持っていた。戦争の最後のころには原爆投下を知っていて、「日本は降伏するぞ」と言うんだ。僕は勤労動員に駆り出されていたけど、父が「危ないから行かなくていい」と言うから、最後の4日間ぐらいは行かなかったのを覚えているな。
日本を侵略国家と決めつけた東京裁判の主宰者は、連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官だったマッカーサーだ。だが、そのマッカーサーですら、1951年5月、米上院軍事外交合同委員会の公聴会で「彼ら(日本)が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった」と述べている。つまり日本が引き起こした大東亜戦争は自衛のための戦争に他ならなかったということだ。
こんなことも日本人のほとんどが知らないんだ。ジャーナリストを名乗る外国人も自らの無知を棚上げして日本を非難している。
この間も、外国人記者クラブで講演した際に、マッカーサーが日本の戦争は自衛の戦争だったと言ったのを知っているかと尋ねたら、手を挙げたのは(元ニューヨーク・タイムズ東京支局長の)ヘンリー・S・ストークスだけだった。
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中世が終わり、近世から近代、現代までの世界の歴史というのは白人の有色人種支配の歴史だ。その中で、日本のような有色人種が軍事力を備えた近代国家をつくったということは、白人にとって許せないことだった。白人による世界支配。それが東京裁判の原点だ。
その長い歴史が今でも余韻として残り、若い人たちが洗脳されてしまっている。それを解くには、歴史を知ることだ。歴史は何よりの現実なんだから。もっと歴史を勉強したらいい。
GHQの占領下で制定された憲法の前文には助詞の間違いがある。助詞というのは本当に大事なんだ。ガラッと意味が変わってくるんだから。
憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義『に』信頼して…」とあるが、正しくは「信義『を』信頼…」だ。「あなたに信頼して金を貸します」ではなく、「あなたを信頼して金を貸します」でしょ。
昨年10月の衆院予算委員会で、間違っているんだから、せめて「に」の一字だけでも変えましょうと質問したら、安倍晋三首相は「一字であっても変えるには憲法改正が伴う。『に』の一字だが、どうか『忍』の一字で…」と、うまいことを言ってね(笑)。
一面突破、全面拡大ですよ。とにかく「文法的に間違っているんだ」と言って変えたらいい。それがアリの一穴になって、崖が崩れてくるんだから。それが自主憲法の制定につながるんだ。でたらめな英文和訳は直さなくてはなりませんよ。(峯匡孝)