局アナ時代にも医療取材を重ねてきたが、がん患者となってみると、視点が変わり、新たな気づきがたくさんあった。フリーアナウンサーの笠井信輔さん(61)はそんな風に語ります。医師と患者の関係、患者としての闘病も、「令和」スタイルに進化しているといいます。
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退院後、がんのシンポジウムやがんの専門家の先生への取材が増えて、そのたびに新たな知見を得ました。すると患者としての自分のダメな部分と、良かった部分がわかったんです。
ダメだった部分は、「昭和生まれ・昭和感覚の患者」だったこと。令和時代によい医療を受けるには、感覚を変えないといけない。ひと言でいうと、「男は我慢、女は遠慮、我慢は美徳」という昭和的な価値観は、患者としてはダメなのです。
平成の間、医療現場では医師が患者や家族に医療情報を十分に説明し、理解や納得を得ながら治療を進める「インフォームドコンセント」が広がりました。令和になると、さらに先の段階に進み、患者からも医師に情報を伝えないといけない時代になりました。
例えば痛みに関して、「昭和患者」は主治医から「痛みはどう?」と聞かれると、まずは「おかげさまで」と答えてしまう。「先生は忙しいから後で看護師さんに言おう」「もっと痛くなったら言おう」となる。
少しぐらい痛くたって、それはもう治療の薬ももらってるし、先生は忙しくていろんな患者に向き合っているんだから、「これぐらいは我慢できる」と思ってしまうんです。それだと医師が困ってしまうんです。
10~0の段階で、その時点での痛みを伝える「痛みスケール」というものが登場しました。私も、看護師さんが来たときに「8」の痛みを感じていたけれど「5」とうそをついたことがありました。「やわな男と思われたくない」という昭和男としてのプライドです。でも、5なら5の、8なら8の緩和医療があるので、「8を5とうそをつくと緩和医療がうまくいかず、QOL(生活の質)が3落ちて、いいことはひとつもない」と、主治医に叱られました。
好きなものが食べたい
《抗がん剤の副作用で食欲がなくなったときには、栄養士に積極的に相談。すると栄養のとりかたがわかり、QOLが上がった》
抗がん剤治療中、おなかがすかなくて、むかむかして食べることがつらくなりました。なんとか完食はしていましたが、味覚も変わってお米も食べたくなかった。
食事について、栄養士さんに相談したら、量を半分にしてカロリーを倍にできる「ハーフ食」を提案されました。そうすると体重の減少を抑えられるので、変えてもらいました。白米がだめなので、毎食注文したいと相談すると、「ここはレストランじゃありません」と言われたんです。それでも、「パンとか麺をもっと食べたい」と言ったら、「朝はパン、昼に白米、夜は麺」なら対応できるというのでそうしてもらいました。病院によって対応できる幅がありますが、自分で聞くことが大事だと思いました。
食べたいものを食べるのは患者にとってすごく重要なことです。インスタント焼きそばが大好きで、よく病院のコンビニで買って隠れて食べていたんです。病院食は味が薄くて、飽きちゃうんですよ。濃くないと味が感じられなかったので、例えば牛丼にはしょうゆとソースを山のようにかけて食べてました。健康にはきっとよくないですよ。けれども、そうしないと味がしない。では、どうすればいいのか?
患者家族も昭和からアップデートを
4カ月半の入院生活で、22人の看護師さんにお世話になりましたが、「インスタント焼きそばを食べました」というと全員が拍手喝采でほめてくれました。それくらい、口から食べることは大切。咀嚼して胃や腸に刺激を与えることは生きる力につながります。がん治療中の患者さんは好きなものを食べればいい。
妻にインスタント焼きそばを食べているところを見つかると、叱られました。それでもこう思うんです。栄養のバランスは、健康になったときに考えればいい、と。毎食、インスタント焼きそばや牛丼を食べたい、とは言っていないんですよ。たまには好きなものを食べさせてほしいということなんです。
我々の世代は、小学生のとき、牛乳を全部飲まないと校庭に遊びに行ってはいけませんと言われたり、給食を残した人が班にいたら全員その日は遊びに行っちゃいけないと言われたりして、厳しい食育を受けてきました。「出されたものは食べなきゃいけない」という昭和的な感覚が染み付いている。
家族も昭和の感覚で、病院食を「あなたのために」っていう言葉で全て食べさせようとしますが、それが患者のQOLを下げているということがあるというのも、伝えたいことです。(油原聡子)
かさい・しんすけ
昭和38年生まれ、東京都出身。62年フジテレビ入社。アナウンサーとして、「とくダネ!」など多くの情報番組を担当。令和元年、フリー転身直後に悪性リンパ腫の診断を受ける。著著に『がんがつなぐ足し算の縁』(中日新聞社)など。