ステージ4の血液がんの闘病を経て、ライフワークが見つかった、とフリーアナウンサーの笠井信輔さん(61)は言います。
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「ステージ4でしたが生き残りました」と言いづらい、という感覚もあるんですよね。それを「がんサバイバーズ・ギルト(がんから生還した人の罪悪感)」と呼んだりするそうです。
あるとき、「同じ病気で母を失いました。元気なあなたを見るとむかつくのでテレビを消します」という丁寧なお手紙をいただいたことがありました。退院後1カ月もすると、yahoo!ニュースの私の記事のコメント欄にも否定的な意見が増えていきました。「もう乗り越えたんだから発信するな」とか。
そういえば…と自分にも思い当たることがありました。3回目の抗がん剤治療中に、「6回目(の抗がん剤治療)を乗り越えて、今、元気にしています」という声を届けてくれた人がいたんです。それを読んだとき、「うん、あなたたちはいいよね」という気持ちがわいてきたんです。うらやましい、という妬みの気持ちだったと思います。
本人や家族のそうした苦しい気持ちを理解しながらも、今、「生還した」と発信を続けています。その理由は、ステージ4を乗り越えて発信している人がまだまだ少ないからです。心が負けてはいけないという気持ちもあった。厳しい批判は承知の上で、この取材も受けています。
元気になって働くことで、アンコンシャス・バイアス(無意識の思い込み・偏見)を減らしたいというのもあるんです。
最近は、がんの治療をしながら働き続ける人が非常に増えています。一方で、いまだにがんになって退職させられたり、異動させられたりする人がいるんです。患者本人ががん告知に驚いて辞めてしまう「びっくり退職」もあります。「大変だから来なくていいよ」という配慮はときに、アンコンシャス・バイアスとなります。そことも戦わなくちゃいけない。
私自身も感じることはあります。がんのためなのか、今、バラエティー番組で「なかなか使ってもらえない」と感じています。退院から3年半経ってやっと、フジテレビの番組「逃走中」に出演できました。「がん患者でも結構やっていけるじゃん」って思ってもらうことが大事なんです。
報道人としての使命
患者になって初めて気づいたことの中には、政治家や官僚もまだ知らない、ということがたくさんあります。
退院後、「病室に無料WiFi(ワイファイ)を」をスローガンに、「#病室WiFi協議会」という活動団体を作りました。その理由は、当時、入院患者にWiFiを開放していたのは、全国の病院の約3割だけだったから(電波環境協議会調べ)。私の病院もWiFi禁止。コロナ禍中の入院生活で、自分で毎月8000円から1万円を負担して、WiFiを使っていました。
政府の第4期がん対策推進基本計画では、「誰一人取り残さない」とうたっています。孤独と闘うことは患者にとって厳しいこと。今や国には孤独・孤立対策担当大臣が置かれています。患者はコロナ禍の面会制限で、家族や友人にも会えず、苦しんでいました。これはコロナ禍の新たな社会問題。入院患者の孤独解消の環境づくりは、大事なことなんです。
普通に働く喜び
現在は完全寛解の状態ですが、完治したわけではありません。3カ月に1度の検査に通っています。
今は、普通に働けることが本当にうれしい。普通に働き続けたいんです。フジテレビに勤務していたころは平均睡眠時間が一日3~4時間でした。人より1時間でも長く働けば、上に行けると思っていた。だからこそ、「とくダネ!」への出演は20年続いたけれど、その働き方が体を悪くしたことも間違いないと思っています。
時代が変わり、働き方も患者としての在り方も変わってきました。でも最近、妻に怒られるんです。がんを乗り越えたと思ったら、働き方が、考え方が、昔のスタイルに「戻ってきてる」って。これはなかなか難しいですね。 (油原聡子)
かさい・しんすけ
昭和38年生まれ、東京都出身。62年フジテレビ入社。アナウンサーとして、「とくダネ!」など多くの情報番組を担当。令和元年、フリー転身直後に悪性リンパ腫の診断を受ける。著著に『がんがつなぐ足し算の縁』(中日新聞社)など。