リアリズムと防衛を学ぶ

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沖縄と核兵器

 日本に返還される以前、沖縄にはアメリカ軍の核兵器がおかれていました。それについてざっとまとめ、現代あるいは未来において沖縄に米軍の核兵器が配備される可能性があるかどうか、吟味してみましょう。

沖縄にあった核兵器

 例えば1958年の台湾海峡危機、中国と台湾がすわ戦争になるかと緊張した時のことです。このとき沖縄には2種類の核兵器が配備されていたことが分かっています。

 Mk-6とMK-39という二種類の核爆弾です。Mk-6はキロトン級、つまり比較的威力の低い戦術核兵器です。アメリカ空軍と海軍の爆撃機、戦闘爆撃機に搭載するためのものです。Mk-39はメガトン級の戦略核兵器で、前者より大型の爆撃機に搭載されます。これらを沖縄に配備することで中国の台湾侵攻を抑止することが狙いでした。

情報元 http://www.fas.org/blog/ssp/2008/05/nukes-in-the-taiwan-crisis.php

 その後も沖縄には主に中国を狙った核兵器が配備されていました。数年後の1961年には、「メースB」と通称される地対地巡航ミサイルが配備されます。メガトン級の戦略核弾頭を搭載していました。

写真等 MGM/CGM-13 (ミサイル) - Wikipedia

 こういった核兵器を有事の際にすばやく、確実に投入するためには、ハワイやグアムではなく、より前方の沖縄に配備する必要がありました。

戦略核を沖縄に置く必要性は激減した

 しかしその後、兵器技術の進歩によって、沖縄に核兵器をおいておく必要性は激減します。

 私たち日本人は「核兵器」というと、黒くて大きな「爆弾」をイメージしがちです。しかし核爆弾がぽんとあっても、それを相手国まで輸送できなければ意味がありません。だから核兵器は弾頭だけでなく、それを運ぶための爆撃機やミサイルといった「投射手段」とセットになって初めて効果を発揮します。

 この投射手段の技術がぐっと進歩し、より遠くから、確実に狙える核兵器が次々に誕生してきました。アメリカ本土からユーラシア大陸までひとっ飛びする大陸間弾道ミサイル(ICBM)、その命中精度がぐっと上がりました。また潜水艦に搭載して海中深くに隠しておける潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)も発展しました。

 このために、沖縄返還交渉が大詰めを迎えつつあった60年代後半にもなると、沖縄の核兵器を撤去しても、軍事的にみてあまり問題ない状況でした。

統合参謀本部は一九六九年には当初求めていた沖縄基地における核兵器配備についてはすでに譲歩していた。ICBMによる核抑止戦略と核搭載潜水艦(ポラリス)の開発によって、沖縄のような前進基地に核兵器を配備しておく必要は激減していたのである。この点については統合参謀本部も異論はなかった。
(p266 「沖縄返還をめぐる政治と外交―日米関係史の文脈」河野 康子)

 こういったわけでアメリカ大統領の「ニクソンは、1969年6月に新政権の最初の対日政策方針(NSDM13)を決定した段階ですでに、『緊急時の貯蔵、通過に関する権利が維持されることを条件に』沖縄から核兵器を撤去する可能性も想定していた」のです。(p211 黒崎「核兵器と日米関係」)

 69年末、沖縄にあった核巡航ミサイル部隊は解体され、72年には沖縄返還が成ります。その後、もしアメリカが核兵器を沖縄に持ち込みたければ、その前に日本政府と協議する、ということになりました。

撤去された核兵器、残った密約

 かくて「核抜き」での沖縄返還が実現したのですが、ただしそこには密約がありました。昨年以来そこそこ話題になったことですので詳しくは述べませんが、緊急時の核持ち込みは事前協議ナシでも認めるという約束です。

かくて…「核抜き・本土並み」での返還が約束された。つまり、返還前に沖縄に貯蔵・配備された核兵器はすべて撤去され、返還後に米国政府が沖縄に核兵器を持ち込む場合には日本政府と事前に協議することが必要となった。


しかし、今日ではよく知られた話であるが、この「核抜き・本土並み」返還には裏があった。沖縄返還交渉に佐藤の密使として関与した若泉によれば、有事の際に事前協議なしに米国が沖縄に核兵器を再び持ち込むことに日本政府が同意する旨、佐藤とニクソンが密約を交わしていたという。
(p211 黒崎「核兵器と日米関係」)

 これについては九十年代に「他策ナカリシヲ 信ゼムト欲ス」という本がでて、交渉の内幕が明らかにされました。それを裏付ける公文書が表にでてきたのが今年です。

密約の想定は戦術核

 密約で緊急時の持ち込みを認める、と想定されていたのはおそらく戦術核です。戦略核ならば前述のようにICBMやSLBMで代替できる、というかそっちの方が安全確実だからです。

 都市などの大きな目標を狙う大威力の戦略核に対し、戦術核は威力が低い核兵器です。冷戦時代にはこれがたくさん作られました。中には個人や数人で使用できるほど小さい珍品もありましたが、おもには空軍や海軍の戦闘爆撃機に積みこめるタイプです。

 こういう戦術核がイザという時にすぐ使える前方にないと、通常兵器で止められないような敵の大軍が攻めてきた時に困るではないか、と思われました。密約では恐らくは嘉手納基地に持ち込んで、空軍の戦闘機に搭載することを考えていたのでしょう。

 実際、66年に海兵隊岩国基地の戦闘機に積める核弾頭が軍艦に積まれてひそかに持ち込まれていたことが報道で明らかになっています。

駐日米大使……の特別補佐官を務めたジョージ・パッカード氏が……米海兵隊が66年に山口県の岩国基地内に核兵器を一時保管し、同大使の強い抗議を受けて撤去していたことを明らかにした。

 米軍が秘密裏に核兵器を日本国内で一時保管していた実態が判明。ただ、パッカード氏は「知る限り、(こうした事例は)二度となかった」と語った。

http://www.47news.jp/CN/201003/CN2010031601000801.html

 この際の核兵器は揚陸艦に保管され、有事の際は岩国の戦闘爆撃機に積みこめた、とも報道されています。そのことから考えて航空機搭載型の戦術核弾頭だったのでしょう。

戦術核を前方配備する必要性も低下した


 しかしその後、さらに時代が進みますと、戦術核の必要性も低下してきます。わざわざ戦術的な目的のために小さい核兵器を使わなくても、効果的に敵軍を止められる戦法や兵器が発明されたからです。さらに冷戦が終わり、核でないと止められないような大軍が攻めてくる恐れが劇的に減ったことで、この流れは強まります。

 この流れのため、かつて韓国に配備されていた戦術核は、韓国政府の反対にも関わらず撤去され、またヨーロッパに配備された戦術核も次々に撤去・削減が進んでいます。かつてアメリカ軍は軍艦にも戦術核兵器を積んでいたのが、今では全廃されています。

 よって密約が想定していたであろう、戦術核の沖縄持ち込みは、もはや考え難いことです。現代の戦術級核巡航ミサイルならばわざわざ前方の沖縄に置かずとも、遠くグアムから航空機に積んで使用可能です。

まとめ

 以上を踏まえて考えてみましょう。

 かつて沖縄に核が置かれていた時のように、今後将来において沖縄に米軍が核を持ち込む可能性はあるでしょうか? よほどの技術革新……いや、技術衰退でも起こらない限り、考え難いでしょう。

 唯一可能性があるとすれば、どういうわけか核巡航ミサイルでは不足だということになって、戦闘爆撃機搭載型の古式ゆかしい戦術核を使う必要性が再びでてきた場合のみでしょう。しかしそれは現代のアメリカ軍でも核を大量に使わないと止められない敵が東北アジアに出現した場合です。

 もしも万が一そういうことがあれば、その場合の戦術核の持ち込み先は戦闘爆撃機の配備されている基地、つまり空軍の嘉手納か三沢、あるいは海兵隊なら66年の時のように岩国基地になるでしょう。およそ考え難いケースですが、その場合でも沖縄の海兵隊、まして普天間のヘリ部隊に戦術核が持ち込まれる、というのはさらに輪をかけて考えられない、あり得ない話です。

 以上、核兵器の沖縄配備についてさまざまな角度から見てみましたが、沖縄に現在または未来において核兵器が配備されることはおよそ考え難いことです。同様に沖縄まで持ち込んで意味のある核兵器はもはや無く、意味なく持ち込むとしても沖縄なら嘉手納の空軍基地、なぜか海兵隊に運用させるなら山口県岩国基地だからです。よって「密かに核兵器が持ち込まれているかもしれない」という不確実性もまた、沖縄の海兵隊にはありません。


参考:「内田樹氏が「それ(核兵器)が沖縄に隠されてる。鳩山首相が抑止力とした正体はそれだ」とトンデモ陰謀論 : 週刊オブイェクト」

この記事の参考文献