ミセスGのブログ

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なぜアメリカ人は人に嫌われても平気なのか?アメリカ人旦那を観察して考えてみた

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先日、Glocal Lifeさんと興味深い話について言葉を交わしました。

アメリカ人は、人に嫌われても平気な人が多くないですか?

という話です。

もちろん、アメリカ人全員がそうと言っているわけではありません。

国際結婚をした私や、私の倍以上アメリカに住んでいらっしゃるGlocal Lifeさんが自分の経験から悟っていることです。

アメリカ人に人に嫌われても平気な人が多いのは何故なのかを考えてみました。

アメリカの暴力の歴史 

Glocal Lifeさんは、「移民の国」であることが関係しているとおっしゃっていました。鋭い指摘だと思います。確かにアメリカは移民の国です。

アメリカはもともとネイティブインディアンが居住していた地でした。そこへヨーロッパからメイフラワー号で白人がやってきます。いわゆるピルグリムと言われる人たちです。

飢餓寸前のピルグリムたちを救ったのは、原住民のネイティブインディアンです。ネイティブインディアンは、食糧を分け与え、栽培方法などを教えてあげました。「困ったときには助け合う」という高尚な精神を持っていたネイティブインディアン。

その精神を祝う行事が11月のサンクスギビング(感謝祭)というものです。サンクスギビングにはヘルシーで栄養価の高い七面鳥などを頂きます。

しかし残念なことに、ネイティブインディアンのこの美しい精神は、ヨーロッパからの入植者には共有されませんでした。彼らはネイティブインディアンの食糧を奪い、土地を奪い、彼らを虐殺しました(実際にはピルグリムが持ち込んだ疫病でネイティブインディアンの多くが亡くなったそうですが)。ネイティブインディアンを人間とみなさず、狩りの対象にすることもありました。

開拓が進み、最初の13州が成立します。そしてイギリスからの独立戦争が勃発します。フランスなどの協力を経て、独立を勝ち取ったアメリカは、アメリカ大陸を西へ西へと開拓していきます。そして更にネイティブインディアンの土地を奪い、虐殺を繰り返します。ネイティブインディアンの95%が虐殺されたと言われています。

このように、アメリカの建国は、虐殺という非情極まりない暴力から始まっています。

日本の歴史も国内での戦いを繰り返してきましたが、国内で虐殺ってありませんよね?そもそも日本は移民の国ではありませんし、原爆投下はアメリカによる虐殺でした。

ネイティブインディアンの虐殺は、アメリカの学校で教えられていません。ネイティブインディアンがピルグリムを助けてくれた美談だけが語られています。祖先がネイティブインディアンを殺しまくったなんて、こんなショッキングな建国の歴史を多感な少年少女に教えるのも大変なことですが。

アメリカ人の旦那によると、学校では教えてくれなかったと言ってます。たまたま歴史好きだった旦那は高校生くらいの頃に真実を知ったと言っています。「アメリカン、ひどいでしょ?」と旦那は申しておりました。

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強い者が権力を握り、弱い者は殺され、淘汰されていく非情な世界です。まさに弱肉強食の世界でありました。ヨーロッパからやってきた白人たちは、ネイティブインディアンやならず者を制しながら、西部を開拓していきます。

こうしたフロンティア精神に溢れる歴史背景もあってか、アメリカ人は勝ち負けにこだわります。負け=弱い、弱い者は淘汰されるという思考が染みついているのかもしれません。競争心が強く、意見の対立が喧嘩に発展することも少なくありません。

常に暴力がつきまとう状況では、言葉も意思表現もストレートになります。ストレートに意思疎通をとらないと、命に係わるからです。警察でも軍隊でも、迅速なレスポンスのために、状況を説明する統一コードを使ったりしています。

日本語は曖昧さが多く、「わたし」一つとっても、わたし、わたくし、僕、俺、わし、拙者、小生、それがし、手前、吾輩などなどあります。日本は外敵が少なかったことも影響しているのでしょう。

しかし、英語は I だけです。敵が来た時にもっとも分かりやすく、簡単にコミュニケーションが取れるように、「わたし」はIだけ、「あなた」はYouだけ、「彼ら」はTheyだけなのです。

アメリカ人の意思表現が率直で分かりやすいのは、こうした背景も関係しているのかもしれません。

また、何が待ち受けるか分からない広大な土地を前に、一般常識や道徳観が通用しない世界で開拓をしていくには、自分の信念を強く信じ、それに頼らなければなりません。「この先何が待ち受けているか分からない、どっちに行けばいいんだろう、どうしたらいいんだろう」なんて優柔不断を言っている余裕はありません。一般常識やルール、道徳観より自分の意見や考えを大事にするのも、この辺りから来ているのかもしれません。

 

嫌われる=リスペクト?

あのイケダハヤトさんはこう言っています。

「嫌われる」ことは、人間関係の最適化である

「嫌われる」ことは人間関係の最適化である : まだ労働で消耗してるの?

私の旦那はイケダハヤトさんのように深く考えてはいませんが、人に嫌われてもなんとも思わない人です。 

旦那にこんな質問をしてみました。

私「アメリカ人は人に嫌われても平気な人が多いように思うのだが、それは何故ですか?」

旦那「環境だ、環境」

それだけですか?

よくわからん。

質問を変えてみます。

「あなたはなぜ人に嫌われてもなんとも思わないのですか」

旦那の答えは

「嫌われれば嫌われるほど、リスペクトされるからである」

「はっ?リスペクト?」

と言ってみましたが、特に返事は返ってきませんでした。

自分の言動の理由を詳しく説明するような人ではないので(これもまた人に嫌われてもいい性格をよく表していると思います)、たまに何言ってんのかわかりません。

「嫌われてリスペクトとか、何言ってんだこいつ」

ただ単に人間づきあいが面倒くさいだけじゃ…

と思ったのですが、上記のようなアメリカの暴力吹き荒れるバックグラウンドが舞台の場合、嫌われるということは畏怖されるということでもあるのかもしれないと思いました。

「嫌いな敵」だと認識されるということは、「強い敵」と認識されることになるのかもしれません。そこからリスペクトという言葉が出たのかもしれません。

彼の軍隊の経験で分かりやすい例があります。

彼はテロリストたちを収容する軍の刑務所で看守の責任者の仕事をしていた時、囚人たちから嫌われました。

なぜなら彼は、囚人たちが話しても通じない相手だからです。

反対に、気が良かったり親切な看守たちは、囚人たちと話をしたり友達のように接したりということもありました。私が看守だったら、きっとその部類でしょう。「Gさんは、ナイスだぜ、いい人だぜ」みたいな。

しかし、囚人たちが襲いかかったり人糞を投げつけた相手は、旦那ではなく、囚人たちが多少仲良くしていた看守でした。

つまり、優しさを見せて囚人に好かれた看守は囚人にいいように扱われたということです。悪く言えば、馬鹿にされたと言ってもいいかもしれません。

また、暴動が起きるのはきまって旦那がオフの時でした。旦那がシフトにいる時は、暴動も起きずいつも刑務所は静かだったため、暴動を恐れる看守仲間からも同じ時間に勤務させてほしいと言われていました。

中東出身のテロリストとして捕まった囚人の一人が旦那に言った言葉は

「俺はあんたのことが好きではないが、あんたはOKだ」

でした。

旦那の人生は普通の人とは違って、暴力がついて回る人生です。先のアメリカの西部開拓期と似通ったものがあります。「嫌われれば嫌われるほどリスペクトされる」と言った旦那の言葉は、もしかしたらこのような特別なシチュエーションのことを言っているのかもしれません。

「こいつには何を言っても通らない」「自分の信念を曲げない」と思われ、憎き敵であれども、リスペクトに似た感情を無意識に持つのかもしれません。

アメリカは銃も普及していて犯罪も日本よりずっと多いです。つまり、暴力が身近です。それを知っているからこそ、人に嫌われることより自分が勝つこと(=生き残ること)を優先しなければならないのだと思います。

現代のアメリカ人は、ものすごい暴力を生き抜いてきた人たちの子孫です。たぶん、世界が滅びそうな時に一番最後まで生き残ってるのはアメリカ人だと信じて疑わない。時限は違いますが、いま、世界を支配しているのは、アメリカ発の多国籍企業が多いですよね。

私の持論ですけど。

そういわれれば、私もたまに「アメリカ嫌い」とか言ってる一方で、アメリカをリスペクトもしています。アメリカのやり方や、汚い一面など、心底嫌になる一方で、「やっぱアメリカすげえな」「アメリカ人羨ましいわ」とリスペクトする自分がいるのです。