パリ通信(11)「下からみたフランス」
オランドと3人の女性
Hollande et ses trois femmes
綿貫 健治
元ファーストレディの告白本がベストセラー
夏休み明けの9月4日に、店頭に一冊の本が並び、発売と同時に大ベストセラーになった。この本のタイトルは「この時をありがとう(Merci pour ce moment)」で著者は元ファーストレディ(ex-première dame)ヴァレリー・トリルベレール(ValérieTrierweiler)である。オランドとの別離から約7ヶ月の沈黙を破って大統領との関係を赤裸々に告白したために大きな反響を呼んだ。トリルベレールはフランソワ・オランドを30年来のパートナーのセゴレーヌ・ロワヤルから奪い、2012年大統領選挙でオランド大統領を誕生させた最大の貢献者である。ロワヤルと同じく事実婚パートナーとしてフランス初のファーストレディになり世界中の話題となった。しかし、彼女は大のロワヤル嫌いで、国民議会選挙時にオランドがロワヤルを支援したのに嫉妬して相手候補に支援メールを送りロワヤルを落選に導いた。この「ツイート事件」で彼女はすっかり信用をなくしオランドとの関係も悪化した。この事件はオランドが新しい恋人、女優兼監督ジュリー・ガイエに走る原因の一つとされる。
二人の関係が決定的に悪化したのは2014年の新年早々オランドとガイエの深い関係が露見したことにある。芸能ゴシップ雑誌「クローザー(Closer)」(1月10日号)がヘルメットをかぶった大統領(le président casqué)がオートバイでエリゼ宮近くのガイエ宅に通う写真が大々的に掲載された。当然、この大統領の不倫(L’amour secret du président)は大スキャンダルに発展し、トリルベレールはそのショックで睡眠薬を大量に飲んで入院した。退院後2人は今後について協議したがこじれた関係を修復できなかった。1月25日オランドはフランス通信社(AFP)を通じてトリルベレールとの正式離別を公表した。トリルベレールはこの発表文に共同署名しなかった。
大統領は具体的な説明を行わず、「本に書いてあることは真実でない。これは私的な問題で私的な問題は私的に処理する」と真相をあいまいにしたためフランス国民は一斉にこの本に飛びついた。形式上は元ファーストレディの回顧録になっていてタイトルも”ありがとう形式”をとっているが、内容は感謝の部分は少なく逆にかつて愛したオランドへの批判にあふれている。このタイトルもかつて愛を確かめ合った翌日にオランドが彼女に送ったメッセージからの引用だとの説もあり、「この時をありがとう」より「あの時をありがとう」と言ったほうが正しい。
トリルベレールの復讐は戦略的
筆者は話題の本の発売を知った翌日、近所の小さな本屋に行ったが見当たらず、大手の本屋へ行ってやっと購入出来た。購買層を知りたくて買った店をはじめ他店の状況を店頭で観察したところ客層は幅広く、若い人から年配の人まで20ユーロという決して安くない本を争って買っていた。さすが一流のジャーナリストだけあって本の発売は用意周到に準備された。トリルベレールはオランドの行動に疑問を持ち始めた時点から秘密のメモをつけ始め、離別後秘密の場所にこもってインターネットを切り3ヶ月で書き上げたという。発売前には外部コンタクトを一切絶って完全沈黙を通し、大手ではなく中小の出版社を選び、秘密を守るために初版はドイツで印刷するという徹底ぶりだったという。宣伝はまったくせず発売前のテンションをあげるために発売前日に元職場パリマッチの編集長に本を送りつけて梗概を書かせたという。各メディアが争ってその話題を追ったので話題は一気に広がった。
興味本位で出版社を見に行ったらサンジェルマン・デ・プレ近くの小さいが瀟洒な出版社(Les arenes)で装丁は簡単だがセンスがいい理由がわかった。コストを抑えるために著者の写真もつけずハードカバーでなくソフトカバーだが317ページと自伝にしては分厚で読みでがある。
パリマッチで20年鍛えた読者をひきつける文章能力はここでも生きている。大統領支持率が記録的に低下した恒例の大記者会見(Le Grand Oral)の直前というタイミングも絶妙だった。当初20万冊の発売だったが11月の統計では60万部(プリント数は72万部)を売り、未だに主要書店の店頭中心部にある。日刊紙「ル・パリジアン Le Parisien」(11月18日)によると2015年の春にはポケット版も2-30万部発売予定なので100万部に届くのも間近だ。外国からの引き合いも強く翻訳版はフランスフアンの多いイギリスやスペインですでに発売され、その他の国にも徐々に拡大している模様である。最近、BBCの特別プログラムでインタヴュアーが「よく売れているのでずいぶん収入があったでしょう」との質問にトリルベレールは堂々と「はい、来年はね」と言っていたが手付金、海外出版権、映画権などを含めて億万長者になることは間違いない。
フランスは大統領スキャンダルに寛容な国?
昔だったらこんなに騒がれなかったであろう。なにせフランスはヨーロッパでも一番の恋愛大国、不倫に関しては寛容を是としメディアでも政治家、とくに首相や大統領のスキャンダルは書かないという不文律があった。歴史的に見ても王政時代にはジャンヌ・ダルクのおかげで国王になれたシャルル7世が15世紀に国王の公式愛妾(あいしょう)制度を始めており、愛妾や愛人が使用した館が現在でも政治インフラに使われていたりする。ブルボン宮と呼ばれている国会議事堂はルイ14世と公式愛妾モンテスパン夫人の間に生まれたブルボン公爵夫人の館であり、大統領官邸のエリゼ宮にはルイ15世の公式愛人ポンパドウール夫人が一時暮らしていた。フランス王室大奥史ついては川島ルミコ著「国王を虜にした女たち」(講談社、2006)が面白く、著者が「フランスは恋愛に対して大人の国で、女性が年齢にかかわらず美しいのは女性間でも激しい競争があるからだ」とされているが説得的である。
最近ではミッテラン元大統領がよい例である。ミッテランは幼馴染で後にルーヴル美術館に勤めた愛人、彫刻家アンヌ・パンジュとレジスタンス同志妻ダニエル・ミッテランとの2重生活を送り、葬式には遺書によりパンジュとの間にできた愛娘マザリーヌを列席させて話題になった。ミッテランは大統領就任後記者の問い詰めに対して「(確かに)私には私生児の娘がいる。だからどうしたんだね?(Qui, j’ai une fille naturelle. Et Alors)」と軽く受け流し、その貫禄に記者がたじろいだことは語り草になっている。以後、国民も認知し大統領により親しみを持ったため記者が不必要な追跡と暴露をやめた。それだけミッテランに実績と重みがあったと同時に大統領の地位と威厳は高かった。マザリーヌの成長につれてミッテランはかわいさあまりにこのことをオープンにしたため1995年にマザリーヌはパリマッチの表紙を飾り昭和天皇夫妻訪問の際もミッテランは娘を紹介した。こういうオープンな態度が国民に「トントン(tonton)」の愛称で長く国父として慕われたのである。
メディアのグローバル化とともに始まった大統領スキャンダル
メディアの発展はEUの進展より早かった。EUのグローバル化でメディアの国境を越えた買収が進みイギリスやイタリアで流行していた有名人覗き見的エンタテイメント雑誌(le magazine people)がフランスにも入り込み、有名人のプライバシーが侵害され始めた。伝統的週刊誌「レキスプレス」、ルポワン」、「ヌーヴェル・オブザバトワール」でなくて「パリマッチ」、「クローザー」、「ギャラ(Gala)」、「ポワン・ド・ヴュ(Point de Vue)」、「VSD」、「ヴォワシ」のような大衆エンタテイメント雑誌が力を持ち始めた。追っかけカメラマンのパパラッチ(paparazzo)を使って大統領や有名人の私生活を追いプリントでなくイメージスキャンダルでメディア同士が対抗するようになったのである。
その中でも最もアグレシヴなクローザー誌の出版元は「スキャンダル大国」イタリアの資本系列下にあり、英国皇室へパパラッチを差し向けて有名になり、フランス、イタリアだけでなく全ヨーロッパで大量の販売部数をかせいでいるグローバルな雑誌社である。また、時代とともに大統領のライフスタイルも変化した。派手好きな(bling bling)サルコジ大統領あたりから大統領の恋愛が目立つようになった。サルコジは現在の妻カーラ・ブルーニにたどり着くまで2度の離婚を経験している。若いときからやり手の弁護士としてパリの一等地に住んで活躍し、27歳でヌイイ市長になった。市長最年少記録である。当時有名なTV司会者ジャック・マルタンの妻にして元モデルの議員秘書セシリアにある結婚式で出会ったときから関心を示し続けた。すでに結婚していたサルコジと人妻セシリアとの不倫関係は、マルタンがセシリアとの離婚になかなか同意しなかったので甚だしく長期化した。
ようやくサルコジと結婚したセシリアは、当初サルコジのそばにオフィスを作ってもらい無給で働くという仲の良いカップルだった。しかし、セシリアはジーンズをはき自由なライフスタイルを好む近代的な女性だったので、サルコジの政治権力と地位が上がるに連れて忙しくなり窮屈な政治生活とメディアのゴシップにいやけがさしていた。2005年、サルコジが財務大臣の際にコンサルタントをしていた実業家リチャード・アティアス(セシリアの現在の名前はCécilia Attias)と不倫してニューヨークに駆け落ちした。2007年、サルコジの大統領選当時彼女は2回目の投票を棄権してまでヴァカンスに赴き、その結果サルコジの大統領就任後たった5ヵ月で離婚し直ちにアティアスと結婚してしまった。それからまもなく(2008年1月)サルコジは3番目の妻である元モデルで歌手のブルーニと結婚した。あまりにも結婚が早かったのでブルーニとの不倫が原因とも言われた。英語ができ歌手であるブルーニはファーストレディの生活を「政治は毎日が忙しすぎて音楽で言ったら“ロックンロール”だ」と言っていた。
オランドとトリルベレールの関係は長い(略表参照)
オランドは学生時代から女性に人気があった。自分から積極的に出て行くタイプではなかったが、家柄が良く成績優秀で冗談が上手、インテリジェント、親切で仲間を大事にする理想家だったので男女に人気があった。ENAの同期で一番美人だったが、「Miss Glaçon」といわれるほど男性に冷たく、態度が高慢(pimbêche)といわれたセゴレーヌを彼のウイットとやさしさで射止めたのも当然であった。トリルベレールはオランドが議員になった後オブリ、セゴレーヌ、ジュイエ、ミナーなどとドロールを大統領にと支持する超党派政策集団「テモワン(Témoin)」を結成したが、その時からパリマッチの記者としてオランドに注目しており男性だけでなく女性に人気があった証拠である。
今回、オランドの3人の女性についてことの顛末を書くことはフランス文化に照らすと野暮だが、大統領の恋愛は現在進行中であり、オランドの考え方や行動がこれからの政治にも大きな影響を与えるのであえて書くのである。また、オランドのスキャンダルはトリルベレールの告白本の翻訳も出始めヨーロッパで注目されはじめたので、今後世界の知るところとなり外交にも影響があるだろう。フランスの基礎知識として知っておく必要がある。また、関係が複雑なので興味ある読者にとっても「オランドと3人の女性関係史」を整理しておくことは有益だと考える。余談であるが、オランド、ロワヤル、トリルベレールのスキャンダルはマンガ界でも話題になったので子供たちも知っている。2013年にふらっと寄った近所の本屋の親父にすすめられて何気なく買っておいた本が今回も役に立った。その時ガイエは登場しておらず、オランドとトリルベレールの確執を描いたマンガであった(Genaud Dély, Aurel 「Hollande et ses 2 femmes」Glénat, 2013)が、ガイエの登場したマンガ本も早晩出版されるだろう。
オランドと3人の女性関係(略表)
1978 | オランド、ENA入学し在学中に同期の花ロワヤルと同棲を始める |
---|---|
1980 | オランド、ENA卒業後会計監査院に入りその後ジャック・アタリの紹介でロワヤルともにミッテラン大統領府参事官となる 1981年国民議会選挙でシラクに敗北 |
1988 | オランド、ロワヤル、ともに国民議会選挙に初当選 |
1989 | トリルベレール、パリ大(ソルボンヌ)卒業後記者(当時Profession Politique)として最初にオランドに会う(オランド34歳、トリルベレール23歳) トリルベレール、パリマッチにスカウトされる |
1997 | オランド、ジョスパン首相に第一書記任命される トリルベレール、美人で目立ちオランドお気に入りの記者となる |
1999 | オランドとロワヤル、法律的支援のあるパックス(民事連帯契約)に移行 |
2000 | ロワヤル、2人の関係を疑い始める 両人のビジネスランチにロワイヤルが乱入する事件発生 |
2002.4 | このころからオランドとトリルベレール関係の噂が始まる |
2004.4 | 出張先のリモージュで「リモージュの愛(Le baiser de Limoge)」 |
2005 | オランド、「ル・ポワン」(5月)で“L’home de l’année”になり表紙を飾る ロワヤルが大統領選出馬を発表(9月)、オランドは反対し関係悪化 トリルベレール、新設のTV局「DIRECT8」でインタヴュー番組を受持つ |
2007.6 | ロワヤル、大統領選挙敗北直後にオランドと事実婚解消(demandé de quitter le domicile conjugale) トリルベレール、オランドと同棲し夫との離婚手続き開始 |
2008-9 | オランド、第一書記の地位を失い(オブリに交代)、その上母を失う不幸 トリルベレールの存在が重要になり陰で支える |
2010 | トリルベレール、夫との離婚成立。 オランドと事実婚関係に入る |
2010.10 | オランド、「バレリーは生涯の伴侶(la femme de la vie)」と初めて公言 2009-10年の2人の関係(愛情)は最も深まる |
2011.3 | オランド、社会党大統領候補に立つが低い支持率。第1候補DSK (ストローズカーン)がNYで婦女暴行事件起こし大統領選から脱落(5月) |
2011.10 | オランド、社会党大統領指名党大会でオブリを破る ガイエ、外部有力支持者として党大会に招待され前列2列目に座る オランド、大統領選挙の準備を始め、トリルベレールが準備支援 |
2012.5 | オランド、サルコジを破り第5共和制24代大統領に選出される トリルベレール、事実婚女性として初めてファーストレディとなり エリゼにオフィスを持ちパリマッチの仕事も継続 |
2012.6 | オランド、大統領職務の激化と権力の増加でトリルベレールとの関係悪化 トリルベレール、国民議会選挙時に競争相手に支援メールを送る「ツイート事件」を起こしバッシングされる(9月に正式謝罪) |
2012.10 | オランド、芸術活動の一環として知り合った社会党系女優・映画プロデューサー、ジュリー・ガイエと交際を始まる |
2013.6 | オランド、日本訪問(トリルベレール同伴)、天皇、首相と会見 |
2013夏 | オランド、ガイエと深い関係になり噂が広まる トリルベレールがガイエにオランドとの交際をやめるように電話 |
2013.12 | オランド、ガイエとクリスマス前後を含め陰で頻繁に会う |
2014.1 | 週刊誌「クローザー」、オランドとガイエとの不倫写真掲載 トリルベレール、ショックで睡眠薬を大量服用し緊急入院 オランド、トリルベレールとの関係決裂し事実婚解消を発表(25日) 「Je fait savoir que j’ai mis fin à la vie comune que je partage avec Valérie Trierweiler」 |
2014.4 | オランド、トリルベレールに「リモージュの愛」の記念日に花束贈 時々食事勧誘し、頻繁にメール(時には1日27通)送り復縁を迫る 一方でガイエとの交際は続ける トリルベレール、関係を絶つこと決意「J’ai décidé de tourner la page」 |
2014.9 | トリルベレール、大統領との私生活暴露本「この時をありがとう」 (Merci pour ce moment)」を発表し大ベストセラーとなる |
2014.11 | トリルベレール、BBCに出演し経験と著書の出版意図を語る (23日) 「It is not a book of revenge. It is about me rebuilding, It’s almost a love story」 しかし、フランスのメディア(レキスプレス、パリマッチ)は表紙に彼女の回復した写真を載せ「復讐(sa vengeance)」扱いの記事を載せた |
出所:Anna Cabana,Anne Rosencher「Entre Deux Feux」Grasset, 2012
:Elise Karlin「Le président qui voulait vivre ses vies」Fayard, 2014
:Valérie Trierweiler「Merci pour ce moment」Les arenes, 2014などの本
:Paris Matchなどの雑誌, BBCなどのHPを参照し筆者が独自に編集
3人の「キャリア」、「大人の愛」そして「人生訓」
3人の相関関係はすべて並行進行で恋愛的に見ればオランドのダブル恋愛劇(不倫)とも言える。政治的にみればオランドを中心にセゴレーヌ、トリルベレール、ガイエの社会党恋愛で、スキャンダルとしてみるとトリルベレールがオランドをセゴレーヌから奪い、ガイエがトリルベレールからオランドを奪った愛憎物語となる。フレンチコメディ的に見ると、ある記者が言っていたようにオランドが主役の夫、セゴレーヌが元妻、現在の妻がトリルベレール、新しい愛人がガイエ、それに毎朝クロワサンを運んだ警備人を入れたキャストのフレンチボードビルとなる。
リルベレールのガイエへの恨みは深い。彼女の本によると、ガイエとの不倫事件が発覚してからオランドとの離別協議を2人のアパートで行った。協議終了後アパートのエレベーターをオランドと降りるときにオランドとガイエに朝クロワサンを運んだ同じ警備人が同乗していたので「あなたがクロワサンを運んだのか」と怒鳴りつけるくだりがあり彼女の怒りの程度がわかる。トリルベレールの本は政治生活暴露本でもあるが大人のラブストーリーの本としても読める。いったん読み出したらストーリーの展開にひきつけられ、やめられない内容を持っている。パリマッチの編集長はフランス人でかつプロなので3時間で読了したらしいが、筆者には読む時間が限られ、分からない単語は全部辞書を引いたので、悲しいかな読了に長時間がかかった。登場する女性は皆中年のキャリアウーマン、子供がいて離婚暦もありそれぞれの職業の成功者で自立した人たち、まさに「大人の愛」の物語である。ことの顛末を政治物語として読むか、恋愛物語として読むか、フレンチ喜劇と見るかは自由だが日本では想像できないストーリーである。主役が1国の現役の大統領であることがこの物語の最大の面白みでもあり国として深刻な問題でもある。
しかし、トリルベレールの文章力のせいかよく読むと物語の展開の中にいろいろな人生訓が入っている。最大の人生訓はサルコジとオランドの例に見られるように「人間は権力の犠牲者で、権力の増大とともに人間の性格も変わり、男女間で新しい権力に見合った人を求める」ということだ。昔の権力者がそうだった。日本では秀吉が権力の増大とともに“おねね”から“茶々”に心が動き政権を揺るがし、徳川時代には将軍のための大奥制度が正式に作られ政治の道具になった。また、フランスでも君主が愛妾制度から競争して権力を持ち支配する女性が出てきた。アングロサクソン文化の影響を受けた現在の日本だったらオランドはとっくに辞任していただろう。
このスキャンダルから学べることは他にもある。それは、フランス女性のキャリア志向と自立心の強さ、そして権力をめぐる女性間の闘争のすごさである。オランドの相手の職業をみると皆一流のプロフェッショナルで自立し人並み以上に競争心を持っているという共通点がある。セゴレーヌは政治家、トリルベレールはジャーナリスト、ガイエは女優兼映画プロデューサー、それぞれ職業上の実績もありしかも子供をそれぞれ4人、3人、2人と育て上げた。セゴレーヌは元大統領候補で現在のバルス政権の環境大臣、トリルベレールはパリマッチの一流ジャーナリストでテレビ(DIRECTTV8局)の看板インタヴュアー、ガイエはフランスの演技派女優、映画製作者で東京映画祭を含みいくつか国際的賞をもらっており、それぞれ特徴のある美人で成功している。また、3人とも若いときからはっきりした政治志向があり、セゴレーヌは厳しい軍人エリート家庭に育ち規律を重んじる一方女性の権利や平等を主張し政治学院卒業時に社会党に入党、トリルベレールは貧しかったがゆえに若いときに社会的不公平(injustice sociale)に敏感で弱者の味方、パリマッチ入社時から長年の社会党担当、ガイエは医者の父の代からの社会党系で兄弟も政治にかかわりその影響を受けたが自身も独立映画プロデューサーとして芸術発展のために政府に働きかけロワヤルとオランドの大統領選を支援した女優である。
自立心とキャリア志向が高い女性は結婚相手やパートナーと主義・主張が合わない場合、子供がいても自ら独立して行って離婚に至るケースも多い。セゴレーヌはオランドとの事実婚離別1回きりだが、ある時期から政治に没頭し彼らの夫婦関係は事実上政治的利害と子供だけでつながった仮面夫婦であった。その隙間にトリルベレールが入ったのである。彼女は幼馴みの宝石商、次にパリマッチの上司、オランドを混ぜれば3回の離婚暦(正確には2回の離婚と一回の別離)、ガイエはチリ出身の監督・小説家と1回の離婚と俳優との同棲記録を持っている。やはりフランスでは一旦結婚すると離婚は難しい環境にあり、キャリア志向の男女は結婚でなく結婚よりゆるやかな同棲や事実婚を求める傾向がある。特に、事実婚の一種で法律的な条件が付帯された民事連帯契約(PACS : Pacte Civil de Solidarité)が施行されたことが事実婚の数を増やした。この法律は1999年に施行された法律で「同性あるいは異性のカップルが公証制度を利用し結婚とほぼ同等の権利をえられる制度」で、日本のように家と親を中心にした制度ではなく将来を見据え子供を中心とした制度である。したがって、国家の金銭的、施設的インフラを含めた熱い支援制度が存在し女性は安心して働ける。この背景がかれらの自立、キャリア、同棲・事実婚、出生、育児を容易にしていると言える。出生率の高さにも貢献している。
彼女らを支えた「目標」と「ロールモデル」
もう一つ印象的なことがある。それは彼女らが皆しっかりした目標やロールモデルを持っていることだ。セゴレーヌは若いときから男性に負けない政治家を目指し、早くから政治的才能をミッテランに見出された。オランドよりも出世が早く39歳の若さで環境大臣になりその後教育、雇用担当大臣を経験し、一時は「現代のジャンヌ・ダルク」とさえ言われた。2007年に大統領選史上初の女性候補になり、サルコジに敗れたがメディアと若者を有効に利用した「参加型民主主義」を唱え、社会党内の反対を押しのけ国民を味方につけた手腕は高く評価された。大統領選敗北後、オランドとの事実婚解消や人気低下に苦労したが、それを乗り越えて2013年にバルス首相政権で再び環境大臣に返り咲いた。
トリルベレールはアンジェの名門銀行家の末裔だが、彼女の代にはその恩恵は皆無だった。銀行は買収され父は14歳のとき爆弾事故で片腕をなくした戦傷者で収入は傷病年金だけ。母は近所のスーパーのレジやプールの受付をして6人の子供を育てた。低所得得層ながら教育熱心な家庭に育った。高校、大学とアルバイトをしながらパリ大(ソルボンヌ)を卒業し努力と苦労の末一流ジャーナリストの仲間入りをした。メディアの女性リーダーであったフランソワーズ・ジルー(Françoise Giroud)の生き方を尊敬しプロフェッショナルを目指した、特にキャリア志向、自立心の高い女性だったので、オランドが無神経にトリルベレールの出自に触れ、彼女が非エリートで豊かでないな家庭出身だなどと口にした時には人一倍傷ついた。彼女は著書で「オランドは金持ち嫌いで通っているが、本当は貧しい人が嫌いで、「(貧しい人たちの味方の)社会党と言いながら陰では«歯なしの連中»とけなしている(Il s’est présenté comme l’homme qui n’aime pas les riches. En réalité, le président n’aime pas le pouvres. Lui, l’homme de gauche, dit en privé“les sans-dents”très fier de tait de son humour)」と復讐し、オランドの本性を暴露している。このくだりは社会党員の原則に反すると議論を呼んだ。
イエは医者の父が郊外に城を持つブルジョア家庭に育ち、英語とスペイン語を話す国際的演技派女優ロミー・シュナイダーをロールモデルとして東京国際映画際で主演女優賞を獲得した。ブルジョア家庭に育ち映画製作にも力を入れており映画プロダクションを3つ経営している。医者の父と同様に社会党を支持し政治活動にも力をいれロワヤル、オランドの大統領選挙でアーティスト代表として応援した。一方では映画産業発展のために中小映画プロデューサー組合の代表の一人としてとして政府支援獲得交渉に当たっていた。オランドとの接点も最初はロワヤルと2人の職業的付き合いから始まったのだがオランドの熱意で恋愛に発展してしまった。
トリルベレールがオランドとの別離を決心した理由は明らかにされていない。当時、トリルベレールはメディアで「冷たい(froide)、ヒステリック(hyistérique)、野心家(arriviste)、嫉妬深い(jalouse)、陰の操り人(manipulatrice)、介入主義者(interventionniste)、制御不能(incontrôlable)」などのイメージが勝手に作られバッシングを受ける状態が続いた。また、「ツイートゲート事件」後にはセゴレーヌに同情が集まり、政界では政治に口出す女性は政権維持に適していないとのオランド側近からの圧力もあった。トリルベレールにしてみると最初は好きでなかったオランドの情熱に負け夫と家族を捨てて10年間もオランドのために100%以上尽くしたのに、権力を手に入れた瞬間から豹変し権力保持のためにセゴレーヌを優遇し、その上新しい愛人を作ったことで強い裏切り感と怒りがあった。しかし、非常に自立した女性でオランドの裏切りに負けていなかった。
彼女には2人の強いロールモデルがあったからである。一人はサルコジ大統領の元妻セシリアで、ある慈善事業パーティでセシリアが「あなたがいなかったらオランドは大統領に選ばれていなかたわ(Sans toi, Hollande n’aurait jamais été élu)」といわれたことにいたく感激した。セシリアの場合もサルコジが大統領になり権力をもったことでお互いが疎遠になり、その上彼女の奔放と見られる行動がゴシップとなり生活環境が大きく変化した。セシリアは変わったサルコジと環境に自分を合わせるのではなく、生まれ持った自分の能力を生かす道を選び、ファーストレディの地位を捨て愛する実業家に走った。セシリアは自伝「セシリア・アティアス:真実の欲望(「Cêcilia Attias :Une envie de veritê」Flamarion, 2013)で自分のことだけを考えていたサルコジを戒め「私は(政権に対する)反逆者ではなく、複雑な人生を送った素直な女性だ(Je ne suis pas rebelle… Je suis une personne simple qui a eu une vie compliquée)」と述べてメディアの批判は当たらないと述べている。ファーストレディ当時はいかに権力、メディア、政治に彼女が翻弄され苦悩したかをこの本では吐露している。彼女はサルコジの政治権力維持のために自分本来の夢、キャリア、人生を捨てたくないという気持ちからサルコジから離れた。
トリルベレールが若いころから尊敬していたロールモデルはフランソワーズ・ジルーであった。彼女は苦労してジャーナリストだけではなく政治家、小説家としても成功し男性の多いメディア界のリーダーとなった最初の女性である。トルコ、ユダヤ系移民で14歳から書店販売員として働き始め、苦労し、苦学して出世し映画名スクリプター、女性雑誌「エル(ELLE)」編集長になった。結婚して2人の子供がいたが愛人(ジャーナリスト同僚で小説家後政治家のジャン=ジャック・セルヴァン・シュレベール(JJSS)と政治週刊誌「レキスプレス(L’Express)」を創刊した。有名小説家との広い交友関係もあり文才を生かして数々のベストセラーを生んだ小説家でもあった。早くから政治活動にも参加しジスカール・デスタンに見込まれ女性権利担当大臣(シラク首相)、文化担当大臣(バール首相第1次)を経験し女性の権利、平等獲得のために活躍した。第2次第戦中にゲシュタポに刑務所に入れられても屈せず、社会では男性と戦い、シモーヌ・ヴェイユ(当時厚生大臣)と中絶法を通したときも非難されたが、ジルーの信条は固く「どんな異性の権威にも屈さず(Je n’ai jamais été soumise l’autorité d’un homme, qu’il soit)」、「フェミニズムに左派も右派もない(Le feminisme n’est ni de droit ni de gauche)」とはねつけた。
しかし、尊敬するジスカール・デスタンが1981年の大統領選挙でミッテランに敗れた時、ジルーは「ジスカールにはキラーインスティンクト(l’instinct du tueur)が足りなかった」と同情したという。後に出した著書で「政治家はキラーインスティンクトが必要だ(Tout chef politique doit avoir l’instinct du tuer)」と述懐している。このキラーインスティンクト(killer instinct)は物理的に殺したり傷つけたり中傷したりすることではく、本来自分の才能や性格を生かすためにいろいろな手口を使って相手に勝つとう自己防衛本能である。議論や討論、行動やしぐさ、風格で相手を圧倒する雰囲気を持っていることが大事で若くて紳士、実績と人気のあったジスカール・デスタンも、組織力、実力、風格があり老獪なミッテランに負けて1期(当時7年)で終わった。サルコジにキラーインスティンクトはあったが、任期中に実績を示せず、その上私生活では過度の派手好き、離婚や結婚、収賄嫌疑などがあり時流の要求に合ったノーマルなオランドに負けた。
2年後の2017年には大統領選挙がある。不景気、失業率、スキャンダルに苦しみキラーインスティンクトに欠けるといわれるオランドには、第2のジスカールになる可能性もある。離別後、オランドの度重なる復縁要求をきっぱり断ったトリルベレールはこの可能性も考えたのではないか。もしオランドが再出馬する場合、国民を説得できる強力な実績や将来の展望示すキラーコンテンツ(le contenu de tuer)が必要だ。オランドは約束した成長と失業率を達成しなければ出馬しないと言ったが、公約を実現して再出馬する可能性は残されている。その時にはキラーインスティンクトそのもののサルコジ元大統領、社会党のサルコジといわれているバルス首相も出馬するだろうしオランドとタイプが似ているが政治経験豊富で老獪なジュッペ元首相も候補にあがっている。反オランド活動を続けるトリルベレールの行動や影響も気になるところだ。英語や主要言語に訳された彼女の本が世界中にばら撒かれるので外交の障害にもなるだろう。こういう厳しい環境の中でオランドには彼女との「ラブストーリー」の教訓を生かして立派な実績を出して国民の期待にこたえて欲しいものである。
(2014年12月)
「パリ通信」掲載記事の無断複写・転載を禁じます。綿貫健治