(※ 解説3)
赤外線写真や電子顕微鏡のことが出てきましたので、天体望遠鏡のこともここで一言。近年は天体望遠鏡の性能も格段に進歩しまして、今では丸で宝石箱のようなきれいな宇宙を我々は目にすることができます。そして科学者達は宇宙はものすごい構造をしているといいますが、私は以前からそこがどうも少し腑に落ちません。
それは皆さんもお気づきのことかも知れませんが、アインシュタインが光には限定された速度があるといったことを前提に考えるとしますと、たとえば宇宙の星々を写真にとったとします。そうすると地球まで光がとどく時間がそれぞれ違いますから、その1枚の写真に写っている星々は、同じ時点での映像ではないことになります。
ある星は1億年前の姿、ある星は1万年前の姿、多くの星は既に消滅しているかも知れないし、新たに生まれた星だって無数にあるはずです。大体、それぞれの銀河や星雲の中でさえ何光年も離れているのですから、あのように1つの形ある映像を結ぶということ自体、考えられないことです。しかも宇宙は今も時々刻々爆発しつづけているのですから尚更です。
ということは、科学者達は気にも止めないでしょうが、実際の宇宙は目には見えないが、写真とは全く別の様相を呈していることになるはずです。そして、それを確かめる方法は物理的にはあり得ません。
これを一体、どう理解すれば良いのでしょうか。そのヒントはやはり仏教の中にあります。答えは「大円鏡智」。
つまり、人は見たものを頭の中に物体として「観念」しているから、その物体があるんです。宇宙の星々もそうです。ここは大事なところですが、「観念」するという直観が働かなければ、物体や物質は存在しないのです。
つまり宇宙は人の外界にあるのではなく、頭の中に「観念態」としてあるんです。だから岡は「自然は映像であって、存在ではない」といったのです。これが「五感でわかる」ということの正体です。
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