電通の件が元か知らないけど、私のTLには残業の話が増えている。その中で、
僕が新卒で入った会社では月160時間残業してた。毎日5人で2時間かけてやっていた作業が、新人の僕が休日にスクリプトを書いていったら、翌日から5分で終わるようになった。長時間労働には思考停止による無駄が潜んでいる。日本の生産性を下げている長時間労働を、この機会に撲滅した方がいい。
— koher (@koher) 2016年10月15日
というのが話題になっている。
でも、はっきり言っておくが、「残業時間」は効率の問題ではない。
私が新人だった頃、単調な作業が嫌だったので、いろんな方法で業務改善をしていた。いわゆるhackerにありがちの行動である。
それはプログラムを書くとかシステム設計するとかに留まらず、多くの事務作業も含め、ありとあらゆることに及んだ。それくらい単純作業が嫌だったし、それで残業が増えても嬉しくないからである。デートもしたけりゃ教会の奉仕もしたいし、アルバイトもしたかった。もちろん仕事もしたいのだけど、単純作業は嫌だったのだ。
当時は今のように「一人一台のパソコン」という時代ではなかったし、その必要を感じることもあまりなかった。「ワープロ」は設計書を書くのに人気だったので、「管理台帳」があって時間予約してたものだけど。
まぁそういった昔話は置いておいて、「ワープロ」でもパソコンでも、さらには手書きのものでさえ、ありとあらゆる手で効率化を図り、それはかなり成功していた。
その結果、残業時間は
減らなかった
のだ。効率をいくら上げても、それで時間を作っても、ある程度成功してしまうと、「それが前提」になってしまう。つまり、その分だけ仕事量そのものが増える。もちろんさらなる効率化を図るのだが、作った時間分だけ仕事は増えた。
お陰で、給料は増えた。今のように残業カットの圧力の強くない時代であったから、残業しただけ金になった。仕事させる方も、「残業代出してるから」ということで、遠慮なしだった。
全くこんな感じ。当時は若かったし、休日出勤はあまりなかったので、「給料増えてラッキー」「効率化のお陰で単純作業減ったし」とか思ってた。つまり、
たいしたデメリットはない
ので安心していたのである。
ここでは、「その油断が」みたいな話をするつもりはない。それは話の焦点がぼやけるだけだ。そんなことよりも、
作業の効率化は残業時間とは関係ない
ということを把握して欲しい。
よく、定時内で仕事をちゃっちゃと片付けることが出来る人は、「残業は効率の悪い奴がすること」とか思ってたりする。この考え方は仕事の出来るはてなーには、支持されやすい。それゆえ、
効率を上げることが残業時間の削減につながる
とか思われることは多い。
するべき仕事の量が決まっているのであれば、これは正しい。しかし、たいていの仕事はそうではない。余裕が出来てしまえば、そこに仕事をぶっこまれる。どこまでぶっこまれるかと言えば、
残業時間の上限
まではぶっこまれる。
その結果、多分売り上げは伸びる。その分だけ給料は底上げされるかも知れない。少なくとも会社はその分だけ儲かる。分配はどうなるか知らんが。
ここで、
- 残業時間の上限
- 分配するか搾取するか
といったことは、わざとあいまいに書いた。なぜなら、それらは
経営と労働者の意識の問題
だからだ。
「残業時間の上限」をいくらにするか。それは「0」かも知れないし、「80時間」かも知れないし、「天井なし」かも知れない。それは経営と労働者の意識の問題だ。
増えた「儲け」の部分をどう分配するか。給与原資にするかも知れないし、福利厚生にするかも知れないし、「搾取」されるかも知れない。それは経営と労働者の意識の問題だ。
逆に、効率が悪くて売り上げがイマイチである場合。それをどう扱うかもまた、経営と労働者の意識の問題だ。
そこの部分を忘れてしまって、ひたすら効率を上げることを目指しても、残業時間が減ったりはしない。