伊良部とゆー人がが死んだそうである。野球はからっきしなんで、どんな人か知らんけど。
で、いろんな記事が出て来てるんだが、とりあえず1つリンク。
いろいろと心温まるいいメッセージが出ているようなんだけど、これらを見て思ったのは、
生きてるうちに言ってやれよ
だ。
よく知らん人で自殺らしいんで、あんまり人物がどーだとか言うつもりはない。ただ、いろんな記事を見て思うのは、そういった「いい言葉」は生きているうちにかけてやれよと。もしその「いい言葉」が彼が生きているうちにかけられていたら、自殺なんてしなかったかも知れないじゃん。
とかって話をtwitterでしてたんだけど、そしたら@hikarusさんが
という話をしていた。「お供え」とか、生きてるうちにもらったら、死なずに済んでたかも知れないのに。
宗教的にそうなのかどうなのかよくわからないし、それが「日本人」だからかどうかのか知らないけど、どうも
死んだらいい人
みたいなものがあって、死んでからだといろいろしてもらえるようだ。「惜しい人をなくしました」みたいなそーゆーのだ。惜しいと思ってるなら、死ぬ前に何とかしてやれよ。
そしたら、@daigoさんが
@ogochan 1回だけ供え物をすれば免罪されたという気分になるからでは。生きているときだと継続的に食事を提供しないと、やはり死んでしまうので負担が大きい・・・ということでは。
とか言ってたんで、なんとなく納得。つまり、生きてる間にいろいろしてやると、それには「責任」が発生してしまうものだから、それを避けたい。とは言え、人には「善行欲」みたいなのがあって、いいことはしておきたい。となれば、死んだ時ってのは絶好のチャンスだと。そう言えば、「タイガーマスク事件」も似たようなところがあるな。
そうしてみると、冒頭の「心温まる話」ってことの深層が見えて来る。つまり、
「善行欲」を満たすための
リップサービス
だってことだ。死んだ人に何しても、責任は発生しないし、何か要求されたりもしない。面倒なことはあまり起きない。でも、「いいこと」はした気になれる。
「いや、そんなことはない。心からの言葉だ」と言いたいんだったら、
生きてるうちに言ってやれよ
だって、死んでからそんなこと言われたって、本人には何の得にもならないんだから。生きてるうちに聞いてたら、生きる励みになるだろうし、言われた感謝の言葉を返してくれるはずだ。まぁそんなことを死んでから言いたいと思うのは勝手だし、それ自体は自然な気持ちだろうが、それを言葉にするのは
いい人アピール
に過ぎない。
抹香臭いオマケをつけ加えると、キリスト教で忌み嫌われる「偶像崇拝」ってのは、そういったことである。つまり、「いい人」そうに見える姿を見せるために、本来「無」であるものを崇拝している様子を見せる。それは「信仰」の類ではなくて、「いい人」っぽく見せるための自分のための行動だと。
抹香臭いことはさて起き、もし誰かが死んでしまった時に「あの人はいい人でした」って類の言葉を発したいと思ったら、それは生きてるうちに言っておく方がいい。不慮の死の時に「相談してくれれば」の類を言うつもりだったら、普段からそうしてやれ。
まぁ、俺がそうされたいんだけどさ。