「恋空の失敗が意味するもの」

twitterでURLが貼られたんで、

ドラマ版「恋空」の失敗が意味するもの [TVについて]

を読んでみた。「恋空」のコケ方については私は他の分析をしていて、その関係かなと思ったらわりと私の分析は否定されていた。書かれているように、「恋空」のコケ方は「恋空」固有のことなのかも知れない。でも、私はここに他の危機感を感じている。

って、偉そうな前置きを書く程のことでも何でもなくて、テレビのドラマってのは、要するに

ネタ切れ

状態にある。

「恋空」はコケてしまったけど、ちょっと前の「ネット本」が原作のドラマ、たとえば「電車男」なんてのは結構ヒットした。スレも見ていたので、その当時は「2ちゃんでも月9が出来るんだ」と感激したものだった。その頃は「ネット本」が原作のドラマは結構あったように思う。「うちの妻が浮気します」もそうだし、「鬼嫁」もそうだ。「ネットはここまで一般化したか」という見方もあるけれど、これはむしろネット上の出来事は多くの人にとっての日常になったということでもある。この辺のことについては、またいつか。

「ネット本」が原作として喜ばれるのは、「普通の人」が書いたものだから共感されやすいということと、何よりもある程度の評価がはっきりしているからだ。つまり、「売れる」とわかっているということ。番組はコケてもらっては困るわけだから、一定の評価を受けていれそれなりに期待出来るということだ。

同じように、マンガ原作のドラマも結構ある。これも理由は同じで「ヒットしたマンガを原作にしたドラマはヒットするだろう」という期待からだ。もちろん期待に反してコケることもあるけれど、何の評価も受けてない原作を使うよりはずっと打率は上げやすい。

昔は、ドラマ専用の脚本が書かれ、ドラマが終わった頃に原作本が出たりした。何らかの原作を元にドラマ化したものももちろんあったんだけど、それよりは専用の脚本のものが多かったように思う。

ところが、ここで問題になるのは

ヒット作は有限

だということだ。つまり、既にヒットしている「原作」というのは、そんなに多くはない。「ネット上の面白い出来事」なんて無限にあるように見えるけど、そこに参加していない人まで楽しませることが出来るものはそう多くない。

ところが、今やドラマは「1クール」しかやらない。つまり、10〜12回程度放送したら終わりだ。もちろんウケれば「パートn」という戦略もあるのだけど、そもそも最初はそういったように放送するつもりで作ってないから、原作との整合性に困ってしまう。それにまぁそこまでウケるものはそう多くないから、1枠のドラマは1クールで1本、1年で4本の原作を消費する。ドラマって週何回もあるし、テレビは1局じゃないから、それだけどんどん原作を消費するわけだ。

ウケなかった原作は二度と使われないことが多い。つまり、テレビドラマで1回放送すると、1原作が消えて行く。

そうなると、元々ヒット作が有限だったところに向けて、どんどん消費して行くから、ヒットが期待出来そうな原作はどんどん減って行く。またそのせいで、手をつけられるのも早い。ついこのあいだ連載が始まったようなマンガも、ちょっと面白そうだとすぐドラマ化されてしまっていたりする。これは結局のところ

資源枯喝

の結果なのだ。資源が枯喝しているから、「貧鉱」も掘られる。

かつてはドラマは長くて、半年とか1年とかだった。ところがいつの頃からか、短かくなってしまった。これはどうやら、営業と制作の都合で、コケてしまったドラマをいつまでもやっているということを避けるためらしい。コケたら次の企画を立てればダメージを受ける期間が減らせるというものだ。これをやってしまったものだから、「原作の回転」が早くなってしまったわけだ。

こういったかつてのペース。つまり1年もあればいろいろ面白い出来事もあるだろうし、それがドラマ原作になりうる程度まで成長する時間もある。たとえば「猫裁判」は結構短い期間のようだけど、それでも半年くらいはかかっている。今時のマンガもそれなりの作品だったら、本編が始まるまでにそれなりに時間がかかる。「3ヶ月」なんてマンガは面白くなくて打ち切りになってしまうものだ。

つまりまぁ、面白いネタが面白い話になって、一定の評価を受けるようになるまでというのは、半年や1年はかかるということだ。だから、ドラマの放送期間が昔のように1年とか半年であれば、「放送している間に新しい原作が生まれる」ということが期待出来るから、「資源枯喝」は起こさないで済んだ。ところが、1クールでやってしまうと、

消費 > 生産

ということになってしまって、ネタ切れを起こしてしまう。

こういったことに、多分制作現場は気がついている。ただ、それが営業や経営まで届くかと言えば、なかなか難しいのではないか。なぜなら、「制作現場」と「営業」と「経営」は別の会社だったりするからだ。営業は新味のあるネタを求め、経営は効率化とリスク回避に制作現場を別会社にする。お互いが「オラオラ、お前達キリキリ働かんかい」と言いあうしか出来ない体制になってしまっているのだから。

こういったことからも、テレビのメディア力の低下は進んで行く。

「恋空の失敗が意味するもの」」への3件のフィードバック

  1. マンガ雑誌だと、たとえばヤングマガジンはページ数以上の連載を抱えていて、常時幾つかの連載を休ませているんですよね。
    これによって多くの人気連載を長く続けながら作家の疲弊を押さえ、新人が登場するチャンスも作っている。
    テレビでも近いやり方は出来るんじゃないかと思うんです。
    ただ、広告営業の段階で番組と広告枠が密にバインドしちゃってるからなあ……。
    ていうか番組って広告枠のおまけだし(^^;

  2. 雑誌は1つくらい連載が休んでるということで講読をやめる人はあまりいませんからね。テレビは1本1本独立した商品だけど、雑誌は束。

  3. 夜11時のニュースが終わったあとくらいの娯楽番組が9月でのきなみ最終回を迎えていて、低価格パイロット番組が期限どおりに終わったのかと思ったら、バラエティは手間がかかるわりに視聴率が稼げないから、10月からはドラマをやるんだという。こりゃまた痛い判断をしやがったと思ったんだけど、懲りて年明けくらいにはバブル人気で舞い上がってた若手芸人もきれいさっぱり絶滅してて、出せる番組がなくなって深夜放送休止とかになるんじゃないかなと。

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