「青空文庫」一転曇り空? 作品数、大幅減の懸念
著作権切れの電子書籍 TPPで延長交渉浮上
著作権が消滅した文学作品を無料で読める電子図書館「青空文庫」。その存在が今、揺れている。政府が環太平洋経済連携協定(TPP)の事前協議で、著作権の保護期間を現行の作者の没後50年から、米国の要求する同70年に延長する可能性が高まっているためだ。20年も延長されれば、青空文庫で今後扱える作品数が大幅に減少。青空は一転"曇り空"になってしまうのか。
「著作権の保護期間延長なんて絶対反対」「米国にすり寄るな」。著作権の保護期間延長について、ネット上では激しい反発の声が上がった。著作権の切れた小説や音楽コンテンツを扱って事業を営む企業や、文化資産のデジタルアーカイブに取り組む人々からも反対の声が上がる。なかでも、心配されているのが「青空文庫」の存在だ。
青空文庫は、著作権が消滅、もしくは著者が公開を許諾した作品のデータを収録したネット上の図書館だ。ボランティアが作品をテキスト・データ化し、これまでに約1万2000作品を収蔵する。利用に対価を求めていないため、国内大手電子書店の多くが、データを基に無料の電子書籍として活用している。
仮に国内で著作権の保護期間が20年延長された場合、次々と没後50年を迎える江戸川乱歩や三島由紀夫など有名作家のコンテンツの収録が危うくなる。青空文庫のコンテンツに依存していた電子書籍事業者にも打撃だ。青空文庫の呼びかけ人の一人、富田倫生氏は「秘密の外交交渉の場で決められることに強い違和感を覚える」と話す。
ではそもそも、著作権の延長問題は、どのような歴史をたどってきたのか。現在のところ日本における著作権の保護期間は小説や脚本、マンガ、音楽などが作者の没後50年、映画の場合は公表後70年だ。一方、欧米では作者の没後70年が主流となっている。
日本の著作権保護期間は海外に合わせ延長されてきた。戦後、著作物の保護期間は作者の没後30年だったが、1971年施行の法改正で映画が公表後50年、他の著作物が作者の没後50年となった。2004年施行の法改正では映画の保護期間が公表後70年に延びた。
TPPにからむ今回の論議は、映画を除く他の著作物の保護期間を70年にするというもの。著作権問題に詳しい市村直也弁護士は「バランスを考えると、映画の保護期間をさらに延ばす可能性も浮上する。今回の延長論議のインパクトは、映画だけの保護を延長した前回と比べてはるかに大きい」と指摘する。
著作権の保護期間を延長することによるメリットとデメリットとは何か。市村弁護士は「コンテンツを流通させる事業者のやる気を高めることは間違いない」とメリットを強調する。手本となるのは「ミッキーマウス保護法」と揶揄(やゆ)されつつも、著作物の保護期間延長を繰り返してきた米国だ。ウォルト・ディズニーなどの超有力コンテンツを武器に国外から得る収入は年間10兆円とされる。
一方、デメリットも少なくない。第1は、日本が払う著作権利用料が当面増える方向に働くことだ。日本は2011年、海外に7000億円強の著作権料を払っており、うち6割以上が米国だ。逆に米国からの受け取りは支払額の4~5分の1程度にすぎない。第2は、期間延長がごく一部の有力コンテンツ以外の、他の著作物の利用の妨げになりかねないことだ。著作権切れのコンテンツを対象とした青空文庫はそうした例の一つだ。
実は青空文庫以上に危惧されている問題もある。いわゆる「オーファン・ワークス(孤児となる著作物)」問題だ。保護期間が残っているが、有力コンテンツではないために、権利関係が不明となった著作物を指す。作者が亡くなった小説やマンガや詩、教科書や学校の試験問題に掲載された学者の文章などが代表で、権利の相続や譲渡などにより、権利者が不明になるものは著作物の大半を占めるとされる。
保護期間が50年から70年に延長されれば、オーファン・ワークスに対する調査や権利関係の確認に費やされる期間も長くなる。参考書の発刊や「復刻版ビジネス」などに悪影響を及ぼす。文庫や詩集などを復刻する際、一部でも権利が不明な著作物があれば、完全な復刻版は発刊できない。映画や放送番組の中に権利不明な著作物が映っていれば、DVD化やネット配信などが難しくなる。
実際の保護期間延長までには多くのハードルがある。交渉が順調に進み、今年末までに妥結できたとしても、著作権法改正案の策定と調整、国会での議論などに「少なく見積もっても法施行までに2年以上はかかる」(著作権法に詳しい弁護士)とみられる。保護期間の延長で笑う人もいれば、泣く人もいるが、政府にはデメリットを最小限にする方策を提示することが求められそうだ。
(蓬田宏樹、編集委員 渋谷高弘)
[日経産業新聞2013年7月16日付]