最新記事

人権侵害

中国の拉致をカネ重視で黙認する国際社会

スウェーデン人をタイから北京に強制連行、独裁国家の放任はアジアでテロを生みかねない

2015年12月4日(金)16時30分
楊海英(本誌コラムニスト)

力ずく 習政権の弾圧はついに国境を越えた Suzanne Plunkett-REUTERS

 タイの首都バンコクの空港で先月、「4人の犯罪者」が屈強な男たちの手で機内に連れ込まれ、北京へと飛び去った。

 中国に連行されたのは香港の出版人アーハイ(中国名は桂明海(コイ・ミンハイ)とその仲間3人。アーハイは80年代に北京大学で歴史学を学んだ後にヨーロッパへ渡り、既にスウェーデン国籍を取得している。中国政府の屈強な「秘密警察」が第三国であるタイに越境して、現地に滞在していたスウェーデン国民を拉致したという、政治事件の様相を呈している。

 世界が危惧していた「香港の良心が奪われる」ことがもはや現実となった。アーハイは香港中心街の銅鑼湾(コーズウェイベイ)で巨流発行公司という出版社兼書店を経営し、主として中国の政界に関する書籍を積極的に刊行してきた。

『中国高官夫人たちの秘録』や『上海グループ政治家の女たち』といった世俗的な読み物も多かったが、それが「道徳性の高い偉大な中国共産党のイメージを悪化させた」として北京の逆鱗に触れ、逮捕、拉致に遭った。

 香港はイギリスの植民地だった頃から言論の自由が保障されていたし、北京もまたその特殊な存在を自らの政治体制の維持に利用してきた。国内外で新しい政策を実施する前には、必ずといっていいほど意図的にニュースや公文書類を香港各界にリークし、国際社会や台湾などの反応を探っていた。

 いつもさまざまな声を拾い上げる香港の出版界は敏感に反応するし、国際社会もまたそうした「情報漏洩」を通して中国政府の意図を確認していた。いわば、独裁政権と自由主義が共存するという奇妙な交流の中で、特殊なツールの役割を香港の出版界は果たしていた。時には大胆な中国批判の声をも網羅していたことから、「香港の良心」と世界から称賛されてきた。独裁者として社会主義陣営の先頭に立った毛沢東でさえ、権力を駆使して香港の声を圧殺しようとしたことはなかったようだ。

亡命希望の難民も標的に

 しかし今や、この「香港の良心」が大英帝国から「中華帝国」に返還されて以降、着実に奪われてきた事実があらわとなり、香港人を失望のどん底に陥れている。

 中国の習近平(シー・チンピン)政権が知識人や弁護士らを大々的に弾圧することはもはや珍しくなくなってきており、世界も絶望を禁じ得ないでいる。問題は今回の拉致事件が香港や中国以外の第三国で発生していることだ。

 似たような事件はほかにもある。09年10月、南モンゴル(中国内モンゴル自治区)オルドスの医師バトザンガー一家3人がモンゴルの首都ウランバートルにある国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)前で難民申請をしようとしていたところ、中国に連れ戻された。その後、中国人民法院において、バトザンガーがオルドスで「チベット医学研究所」を運営し治療を行っていたことがなぜか「民族分裂的活動」と断罪された。11年1月に懲役3年、執行猶予4年が言い渡され、今なお軟禁状態にある。

 香港の出版人アーハイが連行された際にも、彼と共にいたのはタイで難民認定を希望していた人たちだ。中国の国家機関が第三国でやりたい放題に行動している事実は、東南アジアなどの周辺国が着実に北京の植民地と化しつつある表れではないか。

 しかもスウェーデンは自国民が独裁政権に拉致監禁されても沈黙を通すことで、中国との経済的なつながりを優先した。基本的人権よりもゼニカネを重視した対応であり、世界が中国の無法ぶりを放任し続けている実例がまた1つ増えたことになる。

 ここで忘れてはいけないのは、8月にバンコクで発生した爆破事件だ。このいわゆるテロ行為はタイ経由でトルコ行きを希望していたウイグル人が多数、中国に強制送還されたことへの不満に端を発している。

 テロ自体を非難すべきとともに、独裁国家の横暴とそれに対する国際社会の黙認こそが悪を生む温床になっていることも認識せねばならない。

[2015年12月 8日号掲載]

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ウクライナ、ロシア・クルスクで北朝鮮兵2人確保=大

ビジネス

25年は世界の安定成長とディスインフレ継続へ=IM

ビジネス

日鉄のUSスチール買収放棄期限、米当局が6月まで延

ワールド

「日米首脳会談へ地ならし」と岩屋外相、トランプ氏就
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:中国の宇宙軍拡
特集:中国の宇宙軍拡
2025年1月14日号(1/ 7発売)

軍事・民間で宇宙覇権を狙う習近平政権。その静かな第一歩が南米チリから始まった

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 3
    睡眠時間60分の差で、脳の老化速度は2倍! カギは「最初の90分」...快眠の「7つのコツ」とは?
  • 4
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 5
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 6
    ロシア軍は戦死した北朝鮮兵の「顔を焼いている」──…
  • 7
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 8
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命を…
  • 9
    悲報:宇宙飛行士は老化が早い
  • 10
    大麻は脳にどのような影響を及ぼすのか...? 高濃度の…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 3
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分からなくなったペットの姿にネット爆笑【2024年の衝撃記事 5選】
  • 4
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 5
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
  • 6
    中国でインフルエンザ様の未知のウイルス「HMPV」流…
  • 7
    ロシア兵を「射殺」...相次ぐ北朝鮮兵の誤射 退却も…
  • 8
    ロシア軍は戦死した北朝鮮兵の「顔を焼いている」──…
  • 9
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 10
    装甲車がロシア兵を轢く決定的瞬間...戦場での衝撃映…
  • 1
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命をもたらす可能性も【最新研究】
  • 2
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 3
    夜空を切り裂いた「爆発の閃光」...「ロシア北方艦隊」の基地で発生した大爆発を捉えた映像にSNSでは憶測も
  • 4
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が…
  • 5
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀…
  • 6
    ロシア軍は戦死した北朝鮮兵の「顔を焼いている」──…
  • 7
    TBS日曜劇場が描かなかった坑夫生活...東京ドーム1.3…
  • 8
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 9
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 10
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中