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2006年01月19日

ポール・グレアム「How to Do What You Love - 好きなことをやるには」(英日対訳)



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ポール・グレアムの最新エッセイ「好きなことをやるには」を翻訳しました。
原題は「How to Do What You Love」です。
http://www.paulgraham.com/love.html
このページは翻訳経過や皆さんのコメントも含め、英日対訳のまま残しておきます。日本語だけまとめて読みたい方は「 ポール・グレアム「How to Do What You Love - 好きなことをやるには」日本語訳」をどうぞ。
他のエッセイは「ポール・グレアムのエッセイと和訳一覧」からどうぞ。
◇ポール・グレアムの精選されたエッセイを一冊にまとめた「ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち」もオススメです。

2006.1.19昼すぎ:「仕事」の手前まで
2006.1.20未明:「仕事」の章を追加
2006.1.22未明:「上限と下限」の章を追加
2006.1.24午前:「サイレン」の章の前半を追加
2006.1.25朝:サイレン改め「名声の誘惑」の章の後半を追加。
2006.1.27午後:「規律」の章の前半を追加。
2006.1.28午後:「規律」の章の後半を追加。
2006.1.31朝:訳了。


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訳者謝辞
コメントを下さったogijunさん、shiroさん、simoom634さん、ssuguruさん。特にshiroさんには添削指導といっても良いくらいに丁寧かつ良質なコメントを頂きました。
その他応援して下さっている読者の皆さん。
そして珠玉のエッセイの数々をWebで公開して下さっている(メールに2分で返事を下さった)著者のポール・グレアム氏。
皆様どうもありがとうございました。この場をお借りし、各氏に謝意を表したいと思います。

好きなことをやるには*1
How to Do What You Love
2006年1月
January 2006


好きこそものの上手なれ。
別に、耳新しい言葉ではない。
我々はこれを4単語に凝縮して言ってきた。「Do what you love(自分が一番好きなことをやりなさい)」と。
だがこれでは言葉足らずで、大事なところがちゃんと伝わらない。
好きなことをやると言っても、それは一筋縄で行くものではない。

To do something well you have to like it. That idea is not exactly novel. We've got it down to four words: "Do what you love." But it's not enough just to tell people that. Doing what you love is complicated.

そもそも、これは我々の多くが子供時代に学んできたこととは異質の発想だ。
私が子供の頃には、仕事と楽しみは本質的にまったく正反対のことであるかのように思われた。
暮らしの中には2つの状態(state)があった*2
時々大人たちに何かさせられる。これが「仕事」。
残りの時間にやりたいことができる。これが「遊び」。
時には大人たちがやれと言ってくるものが楽しかったりもしたし、同様に、時には遊びが楽しくなかったりもした。転んで怪我した時とか*3
でも数えるほどしかない異常なケースを除いて、仕事はだいたい「楽しくないもの」とされてきた。

The very idea is foreign to what most of us learn as kids. When I was a kid, it seemed as if work and fun were opposites by definition. Life had two states: some of the time adults were making you do things, and that was called work; the rest of the time you could do what you wanted, and that was called playing. Occasionally the things adults made you do were fun, just as, occasionally, playing wasn't-- for example, if you fell and hurt yourself. But except for these few anomalous cases, work was pretty much defined as not-fun.

仕事が楽しくないのは偶然だとは思えなかった。
学校は退屈だった。なぜなら大人になって仕事をするための準備の場だからだ。そうほのめかされていた。

And it did not seem to be an accident. School, it was implied, was tedious because it was preparation for grownup work.

子どもの頃の世界は、2つのグループに分断されていた。大人と子供だ。
大人たちは、呪われた種族か何かであるかのように、働かなければならなかった。
子供たちは働かなくてもよかったものの、学校には行かなければならなかった。
学校は仕事の希釈バージョンであり、僕らが本物の仕事に備えるためのものであった。
学校が嫌いだ、と僕ら子供が言えば、大人の仕事はもっとひどいぞ、学校なんか楽勝だと大人たちは口を揃えた。

The world then was divided into two groups, grownups and kids. Grownups, like some kind of cursed race, had to work. Kids didn't, but they did have to go to school, which was a dilute version of work meant to prepare us for the real thing. Much as we disliked school, the grownups all agreed that grownup work was worse, and that we had it easy.

とりわけ教師たちは、仕事は楽しくないものだ、と皆そう信じて疑っていないようだった。
それは驚くにはあたらない。だってほとんどの教師にとって仕事はつまらなかったのだから*4
どうして、ドッジボールをする代わりに僕らは州都を暗記しなくちゃいけなかったのか?
同じ理由で、彼ら教師も、ビーチに横たわる代わりにガキどもを見張らなくちゃいけなかったんだ。やりたいことなどできなかった*5

Teachers in particular all seemed to believe implicitly that work was not fun. Which is not surprising: work wasn't fun for most of them. Why did we have to memorize state capitals instead of playing dodgeball? For the same reason they had to watch over a bunch of kids instead of lying on a beach. You couldn't just do what you wanted.

小さな子供たちに彼らのやりたいことをやらせた方がいい、と言っているのではない。
子供たちはいくつかの物事を行うようにできているはずだ。
しかし、子供たちに退屈な仕事をさせるときには、退屈さは仕事に常について回る性質ではないこと、そしてまさに、今つまらない事をやらなければならないのは、後でもっと面白い事をやれるようにするためであることを子供たちに言っておくのが賢いだろう[註1]。

I'm not saying we should let little kids do whatever they want. They may have to be made to work on certain things. But if we make kids work on dull stuff, it might be wise to tell them that tediousness is not the defining quality of work, and indeed that the reason they have to work on dull stuff now is so they can work on more interesting stuff later. [1]

9歳か10歳の頃だったか、父が私にこう言ったことがある。
大きくなったら何でもなりたいものになれるんだよ、それを楽しめるなら、と。
あまりにも変わった話だったから、私はそれを正確に覚えている。
乾いた水を使え、とでも言われたようなものだった。
父の言葉の意味について私もいろいろ考えたが、まさか父が、働くことが文字通り、遊んでいるときに楽しいのと同じ意味で、楽しいことであり得る、と言おうとしていたのだとは思いもしなかった。
そのことを理解するには年月を要した。*6

Once, when I was about 9 or 10, my father told me I could be whatever I wanted when I grew up, so long as I enjoyed it. I remember that precisely because it seemed so anomalous. It was like being told to use dry water. Whatever I thought he meant, I didn't think he meant work could literally be fun-- fun like playing. It took me years to grasp that.
(2006.1.19)

仕事
Jobs


高校に上がる頃には、実際の仕事についての展望が見え始めていた。
大人たちが時々自分たちの仕事の話をしに来てくれたり、あるいは大人たちの仕事場を我々が見に行ったりもした。
いつでも、大人たちは自分の仕事を楽しんでいる、ということになっていた。
今思い返してみれば、そのうちの一人は本当に楽しんでいたかもしれないと思う。
自家用ジェットのパイロットをやっていた人だ。
でも、銀行の支店長が自分の仕事を楽しんでいたとは思わない*7

By high school, the prospect of an actual job was on the horizon. Adults would sometimes come to speak to us about their work, or we would go to see them at work. It was always understood that they enjoyed what they did. In retrospect I think one may have: the private jet pilot. But I don't think the bank manager really did.

大人たちがあたかも自分たちの仕事を楽しんでいるかのように演じていた*8主な理由はおそらく上流中産階級の慣習から来るもので、たぶんそうする建前になっていたのだと思う。
自分の仕事を嫌悪していると口に*9するのは、単に出世に響くというだけではなく、社会的な無作法にあたるのだろう。

The main reason they all acted as if they enjoyed their work was presumably the upper-middle class convention that you're supposed to. It would not merely be bad for your career to say that you despised your job, but a social faux-pas.

どうして自分がしている事を好きなふりをするのが慣例になっているのだろうか。このエッセイの最初の一文(好きこそものの上手なれ)がそれを説明している。
何かをうまくやるためにはその何かのことが好きでないといけないと言うのなら、成功して頂点にいる人たちは皆、自分のしていることが好きだということになる。上流中産階級のこの慣習はそこから来ているのだ。
アメリカじゅうの家という家にはこんな椅子があふれている。
持ち主はそうと知りもしないのだが、これは250年前にフランス国王のためにデザインされた椅子のn次の模造品*10だ。
ちょうどそれと同じように、仕事についての人々の慣習的な態度は、素晴らしい事を成し遂げた人々がとる態度のn次の模造品なのである。人々はそうと気づいていないのだが。

Why is it conventional to pretend to like what you do? The first sentence of this essay explains that. If you have to like something to do it well, then the most successful people will all like what they do. That's where the upper-middle class tradition comes from. Just as houses all over America are full of chairs that are, without the owners even knowing it, nth-degree imitations of chairs designed 250 years ago for French kings, conventional attitudes about work are, without the owners even knowing it, nth-degree imitations of the attitudes of people who've done great things.

なんという疎外(alienation)*11のレシピだろう。
自分が何をやりたいのかを考える年齢に達するまでに、ほとんどの子供は「自分の仕事を愛する」ということについて全く誤った考えをもたされてしまう。
学校は子供たちに、仕事は不愉快な義務であると見なすようにと教育してきた。
職につくということは学業よりさらに骨の折れることだ、と聞かされる。
それなのに大人たちは、自分たちのやっている事が好きだと言い張る。
子供たちが「自分はこの人たちとは違う。自分はこの世界に向いていない」と思ったとしても彼らを責められまい。

What a recipe for alienation. By the time they reach an age to think about what they'd like to do, most kids have been thoroughly misled about the idea of loving one's work. School has trained them to regard work as an unpleasant duty. Having a job is said to be even more onerous than schoolwork. And yet all the adults claim to like what they do. You can't blame kids for thinking "I am not like these people; I am not suited to this world."

実際、子供たちは三つの嘘を聞かされてきた。
学校でこれが仕事だと教わってきた物事は実は本物の仕事ではない。
大人の仕事は実は(必ずしも)学業よりひどいわけではない。
周りの大人の多くが自分の仕事が好きだと言うが、実は彼らは嘘をついていた。

Actually they've been told three lies: the stuff they've been taught to regard as work in school is not real work; grownup work is not (necessarily) worse than schoolwork; and many of the adults around them are lying when they say they like what they do.

最も危険な嘘つきは、子供たち自身の両親かもしれない。
家族に高い生活水準を享受させるためにつまらない仕事を選ぶと、実際そうしている人は多いのだが*12、仕事はつまらないものだという考えを子供たちに感染させてしまうおそれがある。 [註2]
この場合に限っては、両親はむしろ身勝手であった方が子供にとっては良いのかもしれない*13。自分の仕事を愛するという手本を示せる両親は、子供にとっては高価な家よりもよほど助けになるだろう。 [註3]

The most dangerous liars can be the kids' own parents. If you take a boring job to give your family a high standard of living, as so many people do, you risk infecting your kids with the idea that work is boring. [2] Maybe it would be better for kids in this one case if parents were not so unselfish. A parent who set an example of loving their work might help their kids more than an expensive house. [3]


大学に入った後でようやく、仕事についての観念が、生計を立てるという考えから抜け出すことができた*14
その後、重要な問題はどうやってお金を作るかではなく、何に取り組むかということになってきた。
理想的には*15これらは重なり合うものだが、(特許庁におけるアインシュタイン*16のような)いくつかの華々しい境界的事例*17が、これらが同一の問題ではないことを示している。

It was not till I was in college that the idea of work finally broke free from the idea of making a living. Then the important question became not how to make money, but what to work on. Ideally these coincided, but some spectacular boundary cases (like Einstein in the patent office) proved they weren't identical.

仕事の定義はいまや「飢え死にすることを避けながら*18、世界に対し何らかの独自の貢献を行うこと」になった。
しかしそれまでの長い年月の習慣から、私の仕事観の中に依然として苦痛が大きな割合を占めていた。
仕事は依然として規律を必要としているように思える。
難問解決だけが大きな成果を生み出すが、難問解決が文字通り楽しいなんてことは有り得ないのだから。
それに取り組むために多大な努力を強いられることは間違いないのだ。

The definition of work was now to make some original contribution to the world, and in the process not to starve. But after the habit of so many years my idea of work still included a large component of pain. Work still seemed to require discipline, because only hard problems yielded grand results, and hard problems couldn't literally be fun. Surely one had to force oneself to work on them.

何か痛みを伴うはずだと思っていたら、間違ったことをしていたとしてもそれに気づくとは考えにくい。
大学院での私の経験はそういうことに尽きる。

If you think something's supposed to hurt, you're less likely to notice if you're doing it wrong. That about sums up my experience of graduate school.
(2006.1.20)

上限と下限
Bounds


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好きなことをやれっていうけれど、一体どのくらい「好き」だったらいいのだろうか?*19
それが分からないと、仕事探しをどの辺りでやめたらいいのかも分からない。
(このくらい好きならいいや、と)「好き」の程度を低く見積もりすぎていると*20、実際多くの人がそうなのだが、仕事探しを早すぎる段階でやめてしまうことになりがちだ。
そして結局両親が選んだ仕事をすることになるか、金や名声を追い求めるか、あるいは惰性で流されるままに*21何かの仕事についてしまうのがオチだ。

How much are you supposed to like what you do? Unless you know that, you don't know when to stop searching. And if, like most people, you underestimate it, you'll tend to stop searching too early. You'll end up doing something chosen for you by your parents, or the desire to make money, or prestige-- or sheer inertia.

まずは上限。仕事がどのくらい好きなら十分だろうか。
「自分が好きなことをやる」というのは今この瞬間にいちばんやりたいことをするという意味ではない。
アインシュタインにだって多分、コーヒーを一杯飲みたいけれど、先ずは今やってることを済ませてからと自分に言い聞かせたことが何度もあったに違いない。

Here's an upper bound: Do what you love doesn't mean, do what you would like to do most this second. Even Einstein probably had moments when he wanted to have a cup of coffee, but told himself he ought to finish what he was working on first.

仕事よりもやりたいことなんて何もない、というくらいに自分の仕事が大好きな人たちの話を読んだとき、私はとまどいを覚えたものだ。
そこまで好きになれるような仕事なんて、どんな種類であれ私にはひとつも思い当たらなかった。
こんな選択肢があったとしよう。
(a)今から1時間何かの仕事をする (b)ローマに瞬間移動して1時間散策する
仕事をする方を自分が選びたくなるような仕事って何かあっただろうか。
正直なところノーだ。

It used to perplex me when I read about people who liked what they did so much that there was nothing they'd rather do. There didn't seem to be any sort of work I liked that much. If I had a choice of (a) spending the next hour working on something or (b) be teleported to Rome and spend the next hour wandering about, was there any sort of work I'd prefer? Honestly, no.

しかし実際はほとんど誰もが、いつ何時であれ、難問に取り組むぐらいならカリブ海を漂流していたり、セックスをしたり、美味しいものを食べたりしていた方がいいと思うことだろう。
「自分が好きなことをする」ということに関する法則は、ある程度の長さの時間を前提としている。
それは「今この瞬間に一番幸せになれることをする」という意味ではなく、
たとえば1週間とか1ヶ月といったような、すこし長めの期間で見て一番幸せになれるようなことをする、という意味だ。

But the fact is, almost anyone would rather, at any given moment, float about in the Carribbean, or have sex, or eat some delicious food, than work on hard problems. The rule about doing what you love assumes a certain length of time. It doesn't mean, do what will make you happiest this second, but what will make you happiest over some longer period, like a week or a month.

非生産的な快楽には、いずれは飽きてしまうものだ。
しばらくすると、ビーチに横になっているのにも飽きてくる。
幸せなまま居続けたいのなら、何かやらなくてはいけない。

Unproductive pleasures pall eventually. After a while you get tired of lying on the beach. If you want to stay happy, you have to do something.

そして下限だが、最低条件として、どんな非生産的な快楽にも負けないほど自分の仕事が好きでないといけない。
「余暇」という概念が何かの間違いではないかと思える程度に、自分のしていることを好きでないといけない。
自分の時間をすべて仕事に使えと言っているのではない。
働いていいのは、くたくたになってあれこれしくじり始める手前までだ。
仕事の後で、何か他のことをやりたくなる。ばかみたいな事でもいい。
でも、このひとときをご褒美だと思ったり、仕事に費やした時間をご褒美のために堪えた苦痛だと思ったりはしない。

As a lower bound, you have to like your work more than any unproductive pleasure. You have to like what you do enough that the concept of "spare time" seems mistaken. Which is not to say you have to spend all your time working. You can only work so much before you get tired and start to screw up. Then you want to do something else-- even something mindless. But you don't regard this time as the prize and the time you spend working as the pain you endure to earn it.

最低ラインをそこに設定したのは実際上の理由からだ。
もしあなたの仕事があなたの好きなことでないのなら、億劫で後回しにしがちになる*22だろう。
仕事するために、自分を無理やり奮い立たせないといけないだろうし、そうしたところで結果は極めて粗末なものになるだろう。

I put the lower bound there for practical reasons. If your work is not your favorite thing to do, you'll have terrible problems with procrastination. You'll have to force yourself to work, and when you resort to that the results are distinctly inferior.

幸せでいるためには、ただ楽しめるだけでなく、すごいと思うような事をしていないといけないと思う。
最後に、「すごい!これってかなりクールだ」と唸る位でないといけない。
何かを作らないといけないという意味ではない。
ハンググライダーの乗り方を覚えたり、外国語を流暢に話せるようになったりするのだって、少なくともしばらくの間は「すごい!これってかなりクールだ」と唸るには十分だろう。
ここでなくてはならないもの、それはテストだ。

To be happy I think you have to be doing something you not only enjoy, but admire. You have to be able to say, at the end, wow, that's pretty cool. This doesn't mean you have to make something. If you learn how to hang glide, or to speak a foreign language fluently, that will be enough to make you say, for a while at least, wow, that's pretty cool. What there has to be is a test.

基準に達していないと思うもののひとつが、読書だ。
数学や自然科学(hard sciences)分野のいくらかの本を除けば、どれだけちゃんとその本が読めているかを測るテストはない。読書を仕事のように感じることがめったにないのはそのためだ。
生産的だと感じるためには、読んで得たもので何かしなければならない。

So one thing that falls just short of the standard, I think, is reading books. Except for some books in math and the hard sciences, there's no test of how well you've read a book, and that's why merely reading books doesn't quite feel like work. You have to do something with what you've read to feel productive.


私が一番いいと思っているのは、Gino Lee氏が教えてくれたテストだ。
友達を思わず「すごい」と唸らせるようなことをやってみるのだ。
でも、この方法がうまく行くようになるのは22歳を過ぎてからだろう。
というのも、ほとんどの人はそれ以前には、友達を抽出するにしてもサンプル数が十分ではないからだ。*23

I think the best test is one Gino Lee taught me: to try to do things that would make your friends say wow. But it probably wouldn't start to work properly till about age 22, because most people haven't had a big enough sample to pick friends from before then.
(2006.1.22)

名声の誘惑
Sirens
*24


友達以外の意見をあれこれ気にするのはやめたほうがいいと思う。
名声を気にしてはいけない。名声というのは、世間のその他大勢の意見だ。
自分が一目置くような判断をする人たちから意見がもらえるのに、知りもしない人たちの意見を考慮することが何のプラスになろうか?

What you should not do, I think, is worry about the opinion of anyone beyond your friends. You shouldn't worry about prestige. Prestige is the opinion of the rest of the world. When you can ask the opinions of people whose judgement you respect, what does it add to consider the opinions of people you don't even know? [4]

そう言うのは簡単だが、実際そうしようと思うと難しい。特に若いときには。[註5]
名声は強力な磁石のようなもので、「私はこれが楽しい」という信念さえもねじ曲げる。
名声は、自分が本当に好きなことではなく、こんなことを好きになりたい、という方をさせようとする。

This is easy advice to give. It's hard to follow, especially when you're young. [5] Prestige is like a powerful magnet that warps even your beliefs about what you enjoy. It causes you to work not on what you like, but what you'd like to like.

それが、「小説を書いてみよう」みたいなことを人々に思わせているものの正体だ。
みんな小説を読むのが好きだ。
小説を書いている人たちがノーベル賞をもらっている、ということに注目する。
そしてこう考える。小説家になるのに勝ることなんてあるだろうか、と*25
しかし、「小説家になる」という構想を好きになるだけでは不十分だ。上手く書けるようになるつもりでいるなら、実際の執筆作業が好きでないといけない。精緻な虚構を組み上げていくのが好きでないといけない。

That's what leads people to try to write novels, for example. They like reading novels. They notice that people who write them win Nobel prizes. What could be more wonderful, they think, than to be a novelist? But liking the idea of being a novelist is not enough; you have to like the actual work of novel-writing if you're going to be good at it; you have to like making up elaborate lies.

名声といっても、ひとの思いつきが化石化したものにすぎない。
何であれ、十分なほどにうまくやれば、それが名声のあるものになるのだ*26
今日では名声があると我々が思っているものでも、最初は全く名声とは無縁*27だったという事例はいくらでもある。
すぐに思い浮かぶ例はジャズだ・・・まあ、どんな既存の芸術形態でもほとんどそうなのだが。
だから、ただ好きなことをやろう。名声は放っておけば何とかなる。

Prestige is just fossilized inspiration. If you do anything well enough, you'll make it prestigious. Plenty of things we now consider prestigious were anything but at first. Jazz comes to mind-- though almost any established art form would do. So just do what you like, and let prestige take care of itself.

名声は、野心家にとっては特に危険なものだ。
野心的な人たちの時間を雑用で浪費させたければ、目の前に名声をぶらさげてやればいい。
それが、人に講演を頼んだり、序文を書いてもらったり、委員を務めてもらったり、部長になってもらったり等々のためのレシピだ。
単に名声を伴う仕事を避けるというだけでも、良い指標になる*28だろう。
つまらない仕事でなかったら、そもそも名声で箔をつける必要はなかったはずだからね。*29

Prestige is especially dangerous to the ambitious. If you want to make ambitious people waste their time on errands, the way to do it is to bait the hook with prestige. That's the recipe for getting people to give talks, write forewords, serve on committees, be department heads, and so on. It might be a good rule simply to avoid any prestigious task. If it didn't suck, they wouldn't have had to make it prestigious.
(2006.1.24)

同様に、素晴らしいと思う仕事が2つあって、うち1つが名声を伴う仕事だとしたら、選ぶべきはおそらくもう1つの方だ。
何を素晴らしいと思うかは、常にわずかながら名声に影響されてしまうものだ。
だから、2つの仕事がどちらも優劣つけ難いように思えるなら、名声の少ないほうの仕事をおそらくより純粋に素晴らしいと思っているのだ。

Similarly, if you admire two kinds of work equally, but one is more prestigious, you should probably choose the other. Your opinions about what's admirable are always going to be slightly influenced by prestige, so if the two seem equal to you, you probably have more genuine admiration for the less prestigious one.

人々が道を踏みはずすもう一つの大きな要因は、お金だ。
お金そのものはそれほど危険なものではない。
電話勧誘や売春、人身被害訴訟*30のように、いい金にはなるが人から蔑まれているような仕事の話には、野心的な人たちは乗らない。
その種の仕事は、結局は「飯にありつければそれでいい」と思っている人たちがやることになる。(ヒント:その仕事をしている人たちがこんな事を言うような分野は避けよ。)
危険なのは、お金が名声と結びついた時だ。例えば顧問弁護士とか、医薬系の仕事のように。
比較的安全で、華やかな未来が約束され、基本的レベルの名声をある程度自動的に伴うような仕事は、こうした仕事の実情をあまり考えたことのないような若者には危険なほどに魅惑的に映るものだ。

The other big force leading people astray is money. Money by itself is not that dangerous. When something pays well but is regarded with contempt, like telemarketing, or prostitution, or personal injury litigation, ambitious people aren't tempted by it. That kind of work ends up being done by people who are "just trying to make a living." (Tip: avoid any field whose practitioners say this.) The danger is when money is combined with prestige, as in, say, corporate law, or medicine. A comparatively safe and prosperous career with some automatic baseline prestige is dangerously tempting to someone young, who hasn't thought much about what they really like.

人々が自分のしていることが本当に好きかどうかは、
彼らがたとえお金を貰わなかったとしてもそれをやっただろうか、と訊いてみればわかる。
顧問弁護士たちの中に、今やっている仕事を余暇にタダでやれと言われて、しかも生計を立てるために昼間はウェイターの仕事までしながらやる奴がどれだけいるだろうか。

The test of whether people love what they do is whether they'd do it even if they weren't paid for it-- even if they had to work at another job to make a living. How many corporate lawyers would do their current work if they had to do it for free, in their spare time, and take day jobs as waiters to support themselves?

このチェック方法は、二つの学問分野のどちらかを選びたい場合に特に役に立つ。
この観点に立ってみると、分野間の違いは大きいからだ。
優れた数学者の多くは、仮に数学の教授職がなかったとしても数学をやるだろう。
一方で、この対極にある分野においては、教職が得られるかどうかが動機となる。
だれしも広告代理店で働くよりは英文学の教授*31になった方がいいと思うだろうし、論文を発表するのはこの手の仕事を獲得するための手段なのだ。
数学科がなかったとしても数学をやる人間はいなくならないだろうが、
しかしコンラッド*32の小説におけるジェンダーとアイデンティティについて何千何万もの退屈な論文が生み出されるのは、英文学専攻の存在、そしてそれがある故の英文学教授の職の存在があるからだ。
こんなことを楽しみのためにやる奴なんていない。

This test is especially helpful in deciding between different kinds of academic work, because fields vary greatly in this respect. Most good mathematicians would work on math even if there were no jobs as math professors, whereas in the departments at the other end of the spectrum, the availability of teaching jobs is the driver: people would rather be English professors than work in ad agencies, and publishing papers is the way you compete for such jobs. Math would happen without math departments, but it is the existence of English majors, and therefore jobs teaching them, that calls into being all those thousands of dreary papers about gender and identity in the novels of Conrad. No one does that kind of thing for fun.

両親の助言は、お金のことばかり言いすぎる傾向がある。
「本人は小説家になりたいと思っているけれど、両親は医者になってほしいと思っている大学生」のほうが
「本人は医者になりたいと思っているけれど、両親は小説家になってほしいと思っている大学生」より沢山いる、といってもいいだろう。
子供たちは、自分たちの親のことを「実利主義的」だと思っている。でも必ずしもそうとは限らない。
親たちは皆、自分の子供のことには自分自身のこと以上に保守的になる傾向があるが。それは単に親として、子供とは報酬以上にリスクを共有しているせいだ。
8歳の息子が高い木に登ると言い出したり、あるいは10代の娘が地元の悪ガキとデートすると言い出したとしても、一緒にワクワクしたりすることはないだろう。
しかし息子が木から落ちたり、娘が妊娠させられたりしたときには、そうした結末に対処せざるを得ない。

The advice of parents will tend to err on the side of money. It seems safe to say there are more undergrads who want to be novelists and whose parents want them to be doctors than who want to be doctors and whose parents want them to be novelists. The kids think their parents are "materialistic." Not necessarily. All parents tend to be more conservative for their kids than they would for themselves, simply because, as parents, they share risks more than rewards. If your eight year old son decides to climb a tall tree, or your teenage daughter decides to date the local bad boy, you won't get a share in the excitement, but if your son falls, or your daughter gets pregnant, you'll have to deal with the consequences.
(2006.1.25)

規律
Discipline


我々の道を誤らせるようなそんな強い力があるのだから、
やりたい仕事を見つけるのが難しいと我々が思うのも不思議ではない。
ほとんどの人は子供の頃に「仕事=苦痛」という公理を受け入れ絶望してしまった。
そこから抜け出した者たちもほぼ全員が、名声や金に誘惑され座礁してしまった。
それでもやりたい仕事を見つけられた人が一体どのくらいいるだろうか。
数十億人のうち、おそらく二、三十万人といったところだろう。

With such powerful forces leading us astray, it's not surprising we find it so hard to discover what we like to work on. Most people are doomed in childhood by accepting the axiom that work = pain. Those who escape this are nearly all lured onto the rocks by prestige or money. How many even discover something they love to work on? A few hundred thousand, perhaps, out of billions.

好きな仕事を見つけるのは難しい。
なし得た人間がそんなに少ないのだから、難しいに違いない。
だから、この作業を甘く見てはいけないし、まだ見つけられない人も、気を落とさないでほしい。
実際、現状に不満であることを認めているなら、まだそれを認められずにいる多くの人たちより一歩先んじている。
あなたにとって軽蔑したくなるような仕事を楽しめと言ってくるような同僚に囲まれているなら、同僚たちは自分に嘘をついている公算が大だ。絶対にとは言わないが、でもおそらくは。

It's hard to find work you love; it must be, if so few do. So don't underestimate this task. And don't feel bad if you haven't succeeded yet. In fact, if you admit to yourself that you're discontented, you're a step ahead of most people, who are still in denial. If you're surrounded by colleagues who claim to enjoy work that you find contemptible, odds are they're lying to themselves. Not necessarily, but probably.


素晴らしい仕事をするのに、規律は人が思うほど必要なものではない。
素晴らしい仕事をするには、それをするのに無理をする必要がないほどに好きなことを何か見つければいいからだ。
だが好きな仕事を探すには、通常規律が必要だ。
12歳の時に自分のしたいことがわかっていて、レールが敷いてあるかのようにそれに沿って進んでいくだけ、という幸運な人もいるが、そのようなケースは例外だ。
素晴らしい仕事をする人々は大抵、ピンポン球が描く軌跡のようなキャリアの持ち主だ。
学校でAを勉強し、中退してBの職につき、趣味でCを始めてみたらそれで大いに有名になった、といった具合だ。*33

Although doing great work takes less discipline than people think-- because the way to do great work is to find something you like so much that you don't have to force yourself to do it-- finding work you love does usually require discipline. Some people are lucky enough to know what they want to do when they're 12, and just glide along as if they were on railroad tracks. But this seems the exception. More often people who do great things have careers with the trajectory of a ping-pong ball. They go to school to study A, drop out and get a job doing B, and then become famous for C after taking it up on the side.

転職は時として行動力の証であり、時として怠惰の証である。
あなたは落伍しようとしているのだろうか、それとも新たな道を果敢に切り開こうとしているのか?
自分ではわからないということも多い。
後に素晴らしい仕事をする人たちの多くは、自分にぴったりの仕事を探しながらも、最初の頃は期待はずれな仕事もいくつか経験しているようだ。

Sometimes jumping from one sort of work to another is a sign of energy, and sometimes it's a sign of laziness. Are you dropping out, or boldy carving a new path? You often can't tell yourself. Plenty of people who will later do great things seem to be disappointments early on, when they're trying to find their niche.

何か、自分を正直に保つために使える方法はないだろうか。
1つは、いまやっていることがなんであれ、良い仕事をするように努めることだ。たとえその仕事が好きではなくても。
そうすれば少なくとも、仕事に対する不満を怠惰の言い訳に使うこともなくなるだろう。
それに何より、物事をより良く行う習慣がつくことだろう。

Is there some test you can use to keep yourself honest? One is to try to do a good job at whatever you're doing, even if you don't like it. Then at least you'll know you're not using dissatisfaction as an excuse for being lazy. Perhaps more importantly, you'll get into the habit of doing things well.

もう1つは、常に何かを産み出すということだ。
例えば、小説家になるつもりでいて、今はとりあえず食べてゆくための仕事をこなしているとする。さて、何か産み出しているかい?たとえヘたくそでも、何ページづつか、小説を書いているかい?*34
何かを産み出しさえすれば、いつか書こうと思っている偉大な小説の幻影にただ酔いしれているばかりではなくなるだろう。自分が実際に書いている明らかに駄作だと分かる代物によって、その展望は打ち砕かれることになるのだ。

Another test you can use is: always produce. For example, if you have a day job you don't take seriously because you plan to be a novelist, are you producing? Are you writing pages of fiction, however bad? As long as you're producing, you'll know you're not merely using the hazy vision of the grand novel you plan to write one day as an opiate. The view of it will be obstructed by the all too palpably flawed one you're actually writing.

「常に何かを生み出す」というのは、好きな仕事を探すための経験則でもある。
そう心に決めると、一般にやるべきだとされていると自分で思い込んでいる物事から自然に離れて、本当に好きなことの方に引き寄せられてゆくのだ。*35
「常に何かを産み出す」ことが、雨水が重力を頼りに屋根にあいた穴を見い出す如く、ライフワークを見つけてくれることだろう。

"Always produce" is also a heuristic for finding the work you love. If you subject yourself to that constraint, it will automatically push you away from things you think you're supposed to work on, toward things you actually like. "Always produce" will discover your life's work the way water, with the aid of gravity, finds the hole in your roof.

もちろん、自分のやりたい仕事を見つけたからといって、実際にその仕事に就けるとは限らない。それは別の話だ。*36
あなたが野心家なら、この二つは分けて考えるべきだ。
「自分が何をやりたいのか」という観念を「自分にできそうなこと」に汚染されないためには意識的に努力する必要がある。[註6]

Of course, figuring out what you like to work on doesn't mean you get to work on it. That's a separate question. And if you're ambitious you have to keep them separate: you have to make a conscious effort to keep your ideas about what you want from being contaminated by what seems possible. [6]
(2006.1.27)

この二つを分けておくのは痛みを伴う。なぜならこの二つの間にギャップがあることを認めるのはつらいことだからだ。
だから多くの人は、予防線を張るべく自分の期待値をあらかじめ引き下げておく。
例えば、誰でもいいから街を行く人々に「レオナルド(ダ・ビンチ)のような絵が描けるようになりたいか」と尋ねたら、ほとんどの人は、「そんなの私には無理ですよ*37」とかそれに類する答えを返してくるだろう。
これは事実というよりはむしろ、本人の意思表明である。私はやってみようとは思わない、という意味だ。
というのも、実際には、もし街を歩いている人の中から無作為に1人選んで連れてきて、何とかしてその後20年間絵を一生懸命描いてもらえたなら、その人は驚くほど上達するだろうからだ。
しかしそれには大いなる精神的な努力が必要とされるだろう。何年もの間、毎日毎日自分の失敗に目を向けることを意味するからだ。
だからこそ、ひとは自分を守るために、「自分には無理だ」と言うのだ。

It's painful to keep them apart, because it's painful to observe the gap between them. So most people pre-emptively lower their expectations. For example, if you asked random people on the street if they'd like to be able to draw like Leonardo, you'd find most would say something like "Oh, I can't draw." This is more a statement of intention than fact; it means, I'm not going to try. Because the fact is, if you took a random person off the street and somehow got them to work as hard as they possibly could at drawing for the next twenty years, they'd get surprisingly far. But it would require a great moral effort; it would mean staring failure in the eye every day for years. And so to protect themselves people say "I can't."

これに関連して、よく耳にする言葉がもうひとつある。「みんながみんな自分ののやりたい仕事ができるわけじゃない」すなわち、誰かが嫌な仕事をしなければならないのだ、と。
果たしてそうなのか?どうやったらそんな仕事をさせられると言うのか?
アメリカでは、人に嫌な仕事を強制する唯一の方法は徴兵制で、それだってかれこれ30年間発動されたことがない。
我々にできるのはせいぜい、人々に金と名声を与えて嫌な仕事をするようにけしかけることぐらいだ。

Another related line you often hear is that not everyone can do work they love-- that someone has to do the unpleasant jobs. Really? How do you make them? In the US the only mechanism for forcing people to do unpleasant jobs is the draft, and that hasn't been invoked for over 30 years. All we can do is encourage people to do unpleasant work, with money and prestige.

それでも*38誰もやりたがらないような仕事があるなら、社会はそういった仕事なしでやって行くしかないということではないだろうか。
召使という業種で起こったのはまさにそういうことだ。
何千年もの間、それは「誰かがしなければならない」仕事として誰もが認める実例だった。
しかし20世紀半ばに召使は豊かな国々では事実上消滅し、金持ちはもう召使なしでやって行くしかなくなった。

If there's something people still won't do, it seems as if society just has to make do without. That's what happened with domestic servants. For millennia that was the canonical example of a job "someone had to do." And yet in the mid twentieth century servants practically disappeared in rich countries, and the rich have just had to do without.

だから、「誰かがしなければならない」ような仕事がこの世にあるうちは、あらゆる仕事について「この仕事は間違っている」と誰かが言う可能性があるだろう。
不快な仕事のほとんどは自動化されるか、進んでやる者が誰もいなければ誰もやらないままになるかのいずれかだろう。

So while there may be some things someone has to do, there's a good chance anyone saying that about any particular job is mistaken. Most unpleasant jobs would either get automated or go undone if no one were willing to do them.
(2006.1.28)

二つの道
Two Routes


一方、「みんながみんな自分ののやりたい仕事ができるわけじゃない」という言い分には、別の含みがある。そしてそれもまた、全くもっともな事なのだ。
人は食べていかなければならない。そして、好きな仕事でお金をもらうのは難しい。
これらを達成する道は2つある。

There's another sense of "not everyone can do work they love" that's all too true, however. One has to make a living, and it's hard to get paid for doing work you love. There are two routes to that destination:

オーガニックルート*39:地位が上がるにつれ、好きではない仕事を減らしながら好きな仕事の割合を徐々に増やしていく。

二足のわらじルート:好きなことをするのに必要なお金を稼ぐために、好きではないことをする。
<
the organic route: as you become more eminent, gradually to increase the parts of your job that you like at the expense of those you don't.

the two-job route: to work at things you don't like to get money to work on things you do.

オーガニックルートの方がより一般的だ。良い仕事をする人たちは自ずとこの道を辿っていく。
建築家は若いうちは、自分が取れる仕事なら何だって取らなければならない。
でも、そうした仕事うまくこなしていくうちに少しずつ、プロジェクトを取捨選択できる地位に昇っていく。
このルートの不利な点は、進みが遅く、かつ不確実であることだ。
偉くなって終身在職権を手に入れたとしても、本物の自由を享受できるとはいえない。

The organic route is more common. It happens naturally to anyone who does good work. A young architect has to take whatever work he can get, but if he does well he'll gradually be in a position to pick and choose among projects. The disadvantage of this route is that it's slow and uncertain. Even tenure is not real freedom.

二足のわらじルートには、いわゆる「昼間の仕事*40」すなわち毎日決まった時間に働いてお金を稼ぎ、余った時間で好きな事をやるという方法から、もう二度とお金のために働かなくてもよくなるまで*41何かの仕事をする方法に至るまで、お金のために一度に働く期間の長さに応じた幅広い変種がある。
The two-job route has several variants depending on how long you work for money at a time. At one extreme is the "day job," where you work regular hours at one job to make money, and work on what you love in your spare time. At the other extreme you work at something till you make enough not to have to work for money again.

二足のわらじルートはオーガニックルートほど一般的ではない。それは、慎重な選択が求められるからだ。それに、伴う危険も大きい。
ひとは年を取れば取るほどお金がかかるようになる傾向があるので、お金のための仕事では予定よりも長く働くことになりがちだ。
さらにまた悪いことに、どんな仕事であれ、あなたがする仕事はあなたを変えてゆく。
退屈な仕事をしすぎれば脳が錆びついてくる。
いちばん稼げる仕事がいちばん危険だ。というのも、そんな仕事には全精力を注がなければならないからだ。

The two-job route is less common than the organic route, because it requires a deliberate choice. It's also more dangerous. Life tends to get more expensive as you get older, so it's easy to get sucked into working longer than you expected at the money job. Worse still, anything you work on changes you. If you work too long on tedious stuff, it will rot your brain. And the best paying jobs are most dangerous, because they require your full attention.

二足のわらじルートの有利なところは、障害を飛び越えさせてくれる点だ。
あらゆる仕事が大地に平坦に広がっているわけではない。異業種間を仕切る壁の高さもまちまちだ。 [註7]
自分の仕事のうち好きな仕事が占める割合を最大化していく過程で、建築から商品デザインに移ることはあるかもしれないが、音楽業界に行くことはおそらくないだろう。
何かひとつの仕事でお金をつくってから別の事をする、というのであればもう少し選択の自由がある。

The advantage of the two-job route is that it lets you jump over obstacles. The landscape of possible jobs isn't flat; there are walls of varying heights between different kinds of work. [7] The trick of maximizing the parts of your job that you like can get you from architecture to product design, but not, probably, to music. If you make money doing one thing and then work on another, you have more freedom of choice.

どちらのルートを選んだらよいだろうか。
それは、あなたがやりたいことにどのくらい自信をもっているか、注文を取るのがどのくらい上手か、どれだけのリスクに耐えられるか、あなたがやりたいことに誰かが(あなたが死ぬまで)お金を払ってくれる勝算があるか、といったことにかかっている。
もし 働きたい分野全般に自信があり、かつ人がお金を払ってくれそうなことであれば、多分オーガニックルートを選んだほうがいい。
しかし、もし自分が何をやりたいのか分かっていなかったり、あるいは注文をとるのが好きではないなら、二足のわらじルートを選ぶのもいいかもしれない。そのリスクに耐えられるのならば。

Which route should you take? That depends on how sure you are of what you want to do, how good you are at taking orders, how much risk you can stand, and the odds that anyone will pay (in your lifetime) for what you want to do. If you're sure of the general area you want to work in and it's something people are likely to pay you for, then you should probably take the organic route. But if you don't know what you want to work on, or don't like to take orders, you may want to take the two-job route, if you can stand the risk.

あまり性急に決めてしまわないように。
早いうちからやりたいことがわかっている子たちは格好良く見える。まるで他の子たちより先に算数の問題が解けた子のようだ。
彼らの手元には確かに答えがある。でもそれは間違いである公算が大だ。

Don't decide too soon. Kids who know early what they want to do seem impressive, as if they got the answer to some math question before the other kids. They have an answer, certainly, but odds are it's wrong.

医者としてとてもうまく行っている友人がいるのだが、彼女は自分の職にいつも不平不満をこぼしている。
医学部を受けようとしている人たちに助言を求められる度に、彼らを揺さぶって「やめておきなさい!」と怒鳴りつけたくなる。(決してそうすることはないのだが)
どのように彼女はこんな苦境に陥っていったのだろうか。
高校時代には既に、彼女は医者になりたいと思っていた。前途に立ちふさがるあらゆる障害を乗り越えるだけの野心も決意も備わっていた。不幸なことに「医者という仕事が好きではない」ことも障害のひとつに含まれていた。

A friend of mine who is a quite successful doctor complains constantly about her job. When people applying to medical school ask her for advice, she wants to shake them and yell "Don't do it!" (But she never does.) How did she get into this fix? In high school she already wanted to be a doctor. And she is so ambitious and determined that she overcame every obstacle along the way-- including, unfortunately, not liking it.

いまの彼女の人生は、女子高生が選んだ人生だ。
Now she has a life chosen for her by a high-school kid.

あなたが若い頃には、各々の選択に必要な情報はすべて、それが必要になる前に手に入るような印象を持っていただろう。
だが、仕事については決してそうはいかない。
何の仕事をするか決める時には、信じられないほど不完全な情報を頼りに決断しなければならない。
大学の中でさえ、様々な職種がそれぞれどんなものなのか、ほとんど情報が得られない。
運が良ければ2、3社のインターンシップに参加できるかもしれないが、全ての職でインターンシップが用意されているわけではないし、提供されていたとしても、学べるのは高々バットボーイ*42になることで野球のやり方を学べる程度のことだ。

When you're young, you're given the impression that you'll get enough information to make each choice before you need to make it. But this is certainly not so with work. When you're deciding what to do, you have to operate on ridiculously incomplete information. Even in college you get little idea what various types of work are like. At best you may have a couple internships, but not all jobs offer internships, and those that do don't teach you much more about the work than being a batboy teaches you about playing baseball.

人生設計においては、その他の多くの物事の設計と同様、柔軟な媒体(())を使えばより良い結果が得られる。
だから、自分が何をしたいのかに確信をもっているのでなければ、一番のお薦めは、オーガニックにも二足のわらじにも転べるような種類の仕事を選ぶことだろう。
私がコンピュータ・サイエンスを選んだ理由の一部もおそらくそんなことだ。
教授にもなれるし、お金もたくさん稼げるし、ほかの数多の仕事に姿を変えることもできる。

In the design of lives, as in the design of most other things, you get better results if you use flexible media. So unless you're fairly sure what you want to do, your best bet may be to choose a type of work that could turn into either an organic or two-job career. That was probably part of the reason I chose computers. You can be a professor, or make a lot of money, or morph it into any number of other kinds of work.

初めのうちは、幅広く色々なことを経験させてくれる仕事を探すのも賢い選択だ。
そうすれば色々な仕事が実際どんな感じなのかをより短時間で学ぶことができる。
逆に、二足のわらじルートでも極端なものは危険だ。自分が好きなことについて学べることがあまりにも少ないからだ。
お金が十分たまったら仕事をやめて小説を書こう、と思いながら十年間証券投資家の仕事に精を出していたとしよう。
いざ仕事をやめた後で、小説を書くのなんて実は好きでも何でもなかったことに気づいてしまったとしたらどうする?

It's also wise, early on, to seek jobs that let you do many different things, so you can learn faster what various kinds of work are like. Conversely, the extreme version of the two-job route is dangerous because it teaches you so little about what you like. If you work hard at being a bond trader for ten years, thinking that you'll quit and write novels when you have enough money, what happens when you quit and then discover that you don't actually like writing novels?

ほとんどの人はこう言うだろう。「任せろ、百万ドル*43くれたら、やりたいことを見つけてみせる」と。
でもそれは見かけより難しいものだ。
さまざまな制約は、人生に輪郭を与えてくれる。
そうした制約を外してしまうと、ほとんどの人は自分が何をしたらいいか全くわからなくなってしまう。
宝くじを当てた人や、遺産を手に入れた人がどうなるか見てほしい。
誰もが、自分が欲しいのは経済的な保障だと思っているけれど、いちばん幸せなのは経済的な保障を手に入れた人たちではなく、自分がやっている仕事が好きな人たちだ。
だから、(経済的)自由を約束するばかりで、それで一体何をしたらいいのか知る事もないようなプランは、見た目ほどいいものではないかもしれない。

Most people would say, I'd take that problem. Give me a million dollars and I'll figure out what to do. But it's harder than it looks. Constraints give your life shape. Remove them and most people have no idea what to do: look at what happens to those who win lotteries or inherit money. Much as everyone thinks they want financial security, the happiest people are not those who have it, but those who like what they do. So a plan that promises freedom at the expense of knowing what to do with it may not be as good as it seems.

どちらのルートを選ぶにせよ、それなりの苦労が伴うことは覚悟しておこう。
好きな仕事を見つけるのは本当に難しい。ほとんど誰もが失敗している。
仮に見つけられたとしても、30、40代そこらで好きなことを自由にやれるようになるなんてことは滅多にない。
でも、今この目的地が視野に入っているなら、達成できる見込みは高い。
仕事を好きになっていいと分かれば、もうゴールは目の前だ。
そして、どの仕事が好きなのか分かっているなら、もうあなたはゴールしたも同然だ。

Whichever route you take, expect a struggle. Finding work you love is very difficult. Most people fail. Even if you succeed, it's rare to be free to work on what you want till your thirties or forties. But if you have the destination in sight you'll be more likely to arrive at it. If you know you can love work, you're in the home stretch, and if you know what work you love, you're practically there.
(2006.1.31)


ゴール!!!みなさまご声援ありがとうございました!

註釈
Notes


[註1] 世間一般に行われているのは正反対のことだ:子供に計算ドリルみたいな退屈な作業をさせる時、我々大人はそれが退屈な作業だと率直に認めるかわりに、表面だけの装飾で楽しそうに偽装しようとする。
Currently we do the opposite: when we make kids do boring work, like arithmetic drills, instead of admitting frankly that it's boring, we try to disguise it with superficial decorations.

[註2] ある父親が、これに関連したひとつの現象について語ってくれた。彼はどれだけ自分の仕事が好きか、それを家族に内緒にしている自分に気づいた。土曜日、



*1:好きなことを仕事にする、好きな仕事に出会う、好きな事をやって食っていく方法、みたいな話だと思うのですが


*2:thanks to simoom


*3:thanks to shiro


*4:thanks to shiro


*5:thanks to shiro; こういうYouってそんな風でいいんですね。


*6:原文が変更されました・・・せっかくshiroさんから助言を頂いたのに勿体ない(笑)。私のページ上では単にコメントアウトしただけですのでソースを見て頂いても良いのですが、元の文章は『In fact, I went through several variants of work = pain over the next 15 years before I realized that the right way to interpret statements about work being fun was simply literally.』、元の試訳では『実際、「働くことは楽しいことだ」という言葉(statement)を正しく解釈するには字義通りに読めばいいんだ、と気づいたのはその15年後で、それまではずっと、「仕事=苦痛」のさまざまな変種の繰り返しだった。』としていました。ここの順番の入れ替えはちょっと悩みました。何度もひっくり返した後にこちらにしたのですが、原文の流れを尊重するなら勿論 shiro さんのコメントにある訳の通りです


*7:thanks to shiro; "I think one may have" のところが分かっていませんでした。


*8:楽しんでいるふりをしていた(by shiro)


*9:thanks to shiro; to say


*10:コピーのコピーのそのまたコピー!


*11:自己を否定してよそよそしい他者になること《ヘーゲル》。生活の為の仕事に充足を見いだせず、人間関係が主として利害打算の関係と化し、人間性を喪失しつつある状況を表す《マルクス》


*12:thanks to shiro


*13:thanks to shiro


*14:not till.... thanks to shiro


*15:thanks to shiro


*16:アインシュタインは1902年から1909年までスイス・ベルンの特許庁に勤務していたが、この間彼は次々に重要な論文(光電効果、ブラウン運動、特殊相対論etc.)を発表している。


*17:極端な例(by shiro)


*18:thanks to shiro


*19:thanks to shiro


*20:thanks to shiro


*21:thanks to shiro


*22:thanks to shiro; withはproblemのありかを指すのですね。「仕事がよだきくなる(宮崎・大分方言, by shiro)」


*23:”What You’ll Wish You’d Known”(邦訳「知っておきたかったこと」by shiro)註4参照:「より正確に言えば、ランダムな人々にどう思われているかを気にするってことだ。大人だって人にどう思われるかを気にするけれど、誰に思われるかって点ではより選別していることが多い。ぼくはだいたい30人くらい、意見を気にする友人がいる。残りの世界の意見はぼくにとってはどうでもいい。高校の問題は、まわりに居る人間が、自分の判断ではなくて年齢と地域がたまたま一緒だったというだけで決まることだ。」thanks to simoom & shiro


*24:けたたましい音を鳴らすサイレンではなくて・・・名声を、魅惑的で危険な海の妖精 Siren が歌声で船員を惑わせて船を座礁させてしまう様子に例えたタイトルだと思う


*25:『人々が、小説を書いてみようとか思うのは、たいていそのせいだ。小説を読むのが好きだし、小説を書いてノーベル賞をもらっている人がいる。そして思うんだ。小説家になれたら一番すてきじゃないか。』(shiro)


*26:thanks to shiro


*27:shiroさん案に乗って『名声とは無縁』を挿入


*28:thanks to shiro


*29:thanks to shiro; itを読み違えていたようです


*30:thanks to shiro


*31:thanks to shiro & simoom


*32:19世紀末~20世紀初頭のイギリスの小説家。ポーランド生まれ、のちにイギリスに帰化。海洋文学で知られる。代表作に「ロードジム」「闇の奥」(映画『地獄の黙示録』の原作)などがある。


*33:thanks to shiro


*34:この部分は元々「小説も全然書いてないし、腰掛けにしている昼間の仕事も真面目にやってないなら、(あなたの)生産性はゼロではないか?」のような解釈をしていたのですが、simoomさんやshiroさんが言われるように、(あなたが本当にやりたいはずの)小説において何らかの生産をしているかどうか、という解釈でよさそうです。いろいろ悩みましたがshiroさん文案で行きます。thanks to simoom & shiro


*35:thanks to shiro; "things you think you're supposed to work on"


*36:thanks to shiro


*37:thanks to shiro


*38:thanks to shiro


*39:自然推移(by ssuguru)。organicの訳が一番悩んだところです。結局カタカナでオーガニックとしていますが、他にアイデアはありますか?


*40:day job


*41:「ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち」第6章「富の創りかた」を参照)


*42:選手にバットを渡したり、スパイクやヘルメットを磨いたり、ベンチで飲み物を用意したり等、選手の雑用を一手に引き受ける。


*43:1億数千万円