プロフィール

1971~73年

「よりより住まいを求める市民の会」などさまざまな市民運動に参加。

1974年

選挙を市民の手に取り戻そうと、故・市川房枝さんを参議院全国区に担ぎ出し、選挙事務長を務める。

市川房枝さんを参議院選挙に担ぎ出し、選挙事務長を務め、当選させる。

1976年

ロッキード事件のなか「政治に市民常識を!」と衆議院選挙に東京7区から立候補し次点。
以後、77年参院選、79年衆院選と続けて落選。

朝日ジャーナル76年12月3日号
「否定論理からは何も生まれない-あきらめないで参加民主主義をめざす市民としての私-」

参加民主主義をめざす市民の会編
『無から有への挑戦-「支持政党なし」時代の選挙』
読売新聞社77年6月10日

1977年

故・江田三郎氏の要請を受け、社会市民連合の結成に参加。

1978年

社会民主連合の結成に参加、副代表に就任。

1980年

衆参ダブル選挙で初当選。
丸山ワクチン許認可問題をきっかけに不明朗な薬事行政を追及。
反核・軍縮運動に展開。金権政治刷新のため、“もう一つの反カク運動”に取り組む。

1987年

土地問題特別委員会の委員になり、ライフワークの土地問題に積極的に取り組む。
その後、野党で「土地基本法案」を議員立法として提出。

1989年

参院選での与野党逆転をふまえ、国民連合政権構想策定に参加。
政治改革、高齢化、国際化、情報化などに活動分野を拡大。

1992年

政策研究集団「シリウス」を結成。さらに、武村正義、細川護煕氏らと超党派の
「制度改革研究会」を結成、政界再編に向けて始動。

1993年

5期目当選。40年ぶりの政権交代を実現し、連立与党に参加。
院内会派「さきがけ日本新党」に所属、衆議院外務委員長に就任。

1994年

新党さきがけに参加、政調会長となる。自社さ政権では与党の政策調整にあたる。

1996年

厚生大臣に就任、薬害エイズ事件の真相究明と介護保険制度の創設に取り組む。
鳩山由紀夫氏らと民主党の結成に参加、二人代表の一人に。

薬害エイズ問題を徹底究明、被害者に厚生大臣として謝罪。

1998年

「民友連」の4政党が統一。新しい民主党の代表に。
その後、政調会長、幹事長、代表代行を歴任。

2009年

10期目当選。民主党が歴史的大勝、ついに政権交代を実現。
副総理、国家戦略担当大臣、内閣府特命担当大臣(経済財政政策、科学技術政策)。

2010年

財務大臣。
第94代内閣総理大臣。

2011年

総理として、東日本大震災と福島原発事故対応の陣頭指揮にあたる。
総理退任後は原発ゼロと自然エネルギーの普及にむけた活動に集中する。

東日本大震災、福島第一原子力発電所事故が発生。内閣総理大臣として地震災害ならびに原子力災害対策の陣頭指揮に当たる。

2017年

立憲民主党の結成に参加。13期目当選。

2024年

衆議院解散にともない、14期44年の議員活動を終える。

著書

「大臣 増補版」

大臣

著書
1998年(増補版2009年) 岩波新書 640円+税
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