魔女の秘密展
開館時間:午前9時30分~午後5時(入場は午後4時30分まで)
休館日:月曜日(祝日の場合はその直後の平日)、第4火曜日【会期中の休館日: 7/21(火)、27(月)、28(火)、8/3(月)、10(月)、17(月)、24(月)、25(火)、31(月)、9/7(月)、14(月)。ただし、9/24(木)は開館】
主催:名古屋市博物館、中日新聞社、東海テレビ放送、東映
観覧料 | 一般 | 高大生 | 小中生 | 前売ペア |
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当日 | 1,300(1,100)円 | 900(700)円 | 500(300)円 | (2,000) |
()内は団体・前売料金。前売ペアは前売のみ。団体は20名以上。
*名古屋市交通局の一日乗車券・ドニチエコきっぷを利用して来館された方は100円割引。
*身体等に障がいのある方は手帳の提示により、本人と介護者2人まで当日料金の半額。
野草から痛み止めの薬をつくる“魔女”。
ホウキにまたがり空を飛ぶ“魔女”。
鼻をピクピク動かし、お客さんを犬に変える“魔女”。
美魔女・・・。
私たちはいろいろな“魔女”を知っています。
「魔女の秘密展」では、魔よけのまじないの道具、「魔女裁判」に関する書物や拷問道具、“魔女”をテーマとした絵画など約100点の展示資料で、わざわいをもたらす者としてのヨーロッパの魔女像から現代日本のコミックに登場する“魔女”たちまでを紹介します。“魔女”、そのイメージのうつりかわりをご覧ください。
ヨーロッパの中世から近世にかけて、その存在が信じられていた“魔女”。当時、“魔女”は、悪魔に従って超自然的な力でわざわいをもたらす者として忌み嫌われていました。“魔女”から身を守るため、人々は普段からお守りを身につけ、呪文を唱えました。“魔女”は恐ろしくも身近な存在だったのです。
迷信のひとつにすぎなかった“魔女”。しかし、近世のはじめ、それまで“魔女”を恐れながらも受け入れていた世界が変わります。15世紀初頭から、神学者や法律家が“魔女”の存在を理論化しようと試みていましたが、1486年に決定版ともいえる『魔女に与える鉄槌』が出版されます。そこには、悪魔と魔女の関係、魔女の見分け方、魔女の使う魔術、魔術を使ったと自白させるための尋問や拷問の仕方などが詳しく書かれていました。
当時のヨーロッパは「変革と困難の時代」といわれる時代でした。多くの技術革新があり、同時に多くの不幸なできごとがありました。新しい技術のひとつ、活版印刷機によって“魔女”に関する書物やチラシが印刷され、多くの人々の目に触れることとなりました。悪い“魔女”のイメージが広い範囲にいきわたったのです。
また、宗教改革が起こったのもこの時期です。宗教改革を発端とする戦争が各地で始まりました。そして、地球規模の寒冷な気候によるたびかさなる飢饉と貧困。さらにペストの大流行。多くの困難、多くのわざわいが“魔女”のしわざとされ、「魔女狩り」が行われるようになるのです。“魔女”の疑いをかけられた者は「魔女裁判」にかけられました。
“魔女”であることの証明は、疑いをかけられた者の自白によるしかありません。そのため「魔女裁判」では正当な手段として拷問が行われました。拷問に耐えて自白しなければ魔女ではないとして釈放されましたが、耐えきれずに魔術を使ったことを認めてしまうと“魔女”として処刑されてしまったのです。なかには一度は耐えたものの、再び「魔女裁判」にかけられ、処刑されてしまった人もいます。
18世紀以降、「魔女狩り」の大きなうねりがおさまると“魔女”のイメージはゆっくりと変化していきます。いまでは“魔女”はファンタジー世界のヒロインとして、多くの作品に登場します。“魔女”は芸術家をも引きつける魅力あるテーマとして生まれ変わり続けています。
“魔女”とは誰だったのでしょうか? 「魔女の秘密展」であなたの答えをさがしてみてください。
キリスト教では、悪魔は人を誘惑して堕落させるものとされています。その悪魔と契約して、したがうのが“魔女”です。キリスト教から見ると“魔女”は神の敵となるのです。
悪魔は直接人に取りつくこともありました。このマヨルカ焼の陶板に描かれているのは、悪魔に取りつかれた一人の農夫の悪魔払いをしているところで、聖母のいる木の前で農夫の口から悪魔が出ていく場面です。右上には「この人間は悪霊に取りつかれ、謎めいた暴言を吐きながら、走り出した。マリアさまが悪霊を払ってくれた」と書かれています。
悪魔払い 1678 オーストリア民俗学博物館 ©Austrian Museum of Folk Life and Folk Art, Vienna /Photo: Birgit&Peter Kainz/faksimile digital
『魔女に与える鉄槌』は、それまで個々に記されていた“魔女”の犯罪を体系的に記した最初のものです。内容は3部構成で、第1部では昔から伝承されてきた“魔女”の行為をひとつずつあげ、それが迷信ではなくキリスト教に対する異端となる事実であることを示しています。第2部で“魔女”の魔法についてくわしく述べ、第3部では裁判の方法を説明しています。
この書物は、“魔女”を定義付け、見分け方、“魔女”の使う魔術を説明し、尋問や拷問のやり方をことこまかく具体的に教示した理論と実践にわたる魔女裁判官必携の書物でした。
『魔女に与える鉄槌』以前には、“魔女”の行った行為はそれぞれ個別の問題とされていましたが、この書物によって“魔女”は悪魔と結託した「異端者」としてみなされるようになったのです。
『魔女に与える鉄槌』 ハインリヒ・クラーマー 1519年版 ミステルバッハ牧師館 ©Mistelbach, Röm.kath.Pfarramt Mistelbach. Foto: Markus Guschlbauer
魔女裁判では、拷問は自白を得るための正当な手段だとされ、いろいろな拷問道具が用いられました。このスペインの長靴もそのひとつで、内側にとげのついた鉄板ですねとふくらはぎを圧迫し、まずとげが足に刺さり、最後には骨を折ってしまうものです。
拷問のやり方には厳格な規則が設けられていて、使われる道具、回数、時間などが決められていました。1768年に起草された「テレジア刑法典」の附録にも道具の設計図や使用法が細かく指示されています。
スペインの長靴 16-17世紀
ツイッタウ市立博物館 ©Städtische Museen
Zittau/Jürgen Matschie
「スペインの長靴の使い方」 1769
ベネディクト修道会財団 ©Melk, Benediktinerstift Melk.
Foto: Markus Guschlbauer
『南ヴァルトフィアテルの伝説』のための挿し絵。ホウキにまたがって空を飛ぶ魔女が描かれています。
魔女、幸運児、ドルートたち フランツ・トラウンフェルナー1958頃 プンケンホーフ11コレクション ©Wien, Dr. Hannes Etalstonfer, Sammlung Punkenhof 11. Foto: Markus Guschlbauer
8月8日(土)講演会当日、12時30分から、講演会場の1階講堂入り口にて、整理券を配布いたします。講堂は13時30分に開場し、整理券の番号順に入場していただきます。講堂内のお席は、自由席で指定はございません。なお、当選されました皆様には、全員お座りいただけるよう、お席をご用意しております。ご理解、ご協力いただきますようお願いいたします。