チェルノブイリ原発の作業員ら5万人が暮らした旧ソ連(現ウクライナ)のプリピャチ市。ホテルや住居はガラスが破られ、室内に家財が散乱していた。事故5日後にオープン予定だった市中央部の遊園地では観覧車がさびつき、20台のゴンドラを風が揺らす。
福島調査団の参加者は荒れ果てた人工都市の姿に、しばしぼうぜんとなった。そして、誰からともなく「除染して、住民を戻す取り組みはされなかったのか...」との声が漏れた。
旧ソ連政府は原発事故発生後、プリピャチを含む周辺の汚染地域を「ゾーン」と呼ぶ立ち入り規制区域に指定し、11万6000人を強制移住させた。ソ連崩壊後、ウクライナ、ベラルーシ両国は住民の帰還を目指し、公共施設などの一部で除染に取り組んだ。しかし、効果的な手法を確立することはできず時間と予算だけが費やされたという。
植物を植えて土壌中の放射性物質を吸い上げる方法も実践されたが、効果は見られなかった。マチは荒野に変わり果てた。
東京電力福島第一原発事故の避難区域を抱える南相馬市除染対策室の横田美明さんは、市の除染計画にチェルノブイリの教訓を生かそうと調査団に加わった。しかし、具体的なアドバイスは得られなかった。「チェルノブイリと異なり、土地の狭い日本では、除染しなければ住む場所は限られる。除染のモデルをつくる必要がある」と切羽詰まった様子で語った。
住民の強制移住で無人となった168の村の名を記したプレートが今春、チェルノブイリ市の中央広場に立てられた。
視察した川内村の遠藤雄幸村長は、在ウクライナ大使館職員から立て札の意味を説明され青ざめた。人ごとではないと感じた。「川内村民は必ず帰還する。そのためには早急な除染の技術確立と実施が不可欠だ」と力を込め、国、県に強く支援を求めていく考えを示した。(本社報道部・渡部 純)
(カテゴリー:チェルノブイリ原発事故 福島への教訓)