「フェイスブックで働いてみませんか? ご希望の方は履歴書を」私はその日の夜、さっそく指定のアドレスに履歴書を送った。彼らがどういう人材を求めているのか知らなかったし、フェイスブックで働くことがどういう結果につながるのかも、もちろんまったく予測できなかった。それでも私は、フェイスブックの持つ大きな可能性に惹かれた。まだ新しく、物珍しかったオンラインソーシャルネットワークというものに、力を感じた。
(26ページより)
『フェイスブック 子どもじみた王国』(キャサリン・ロッシ著、夏目大訳、河出書房新社)の著者はかくして2005年、facebookに51番目の社員として入社しました。本書は、そんな彼女が2010年の春に退職するまでに体験したことをつづった書籍です。
注目すべき点は、初期からのfacebookユーザーであるとはいえ、筆者がエンジニア側の人間ではないという事実。アナログ思考で、オーガニックフーズを好み、質素に暮らす文系の女性の視点から、マーク・ザッカーバーグを代表とするfacebookのエンジニアたちの生態が描かれているわけです。
エンジニアのフロアには、できるかぎり雰囲気を気軽で楽しげにするため、あらゆる種類のおもちゃが置いてある。キックボードもあればDJ機材もある。レゴもパズルもある。(中略)働いている時でも遊んでいるように見える、これが重要なポイントだ。フェイスブックの美学とも言える、他の会社との差別化だった。(中略)シリコンバレーの若者たちは、自分のことを賃金奴隷だと考えることを嫌う。しかし、その彼らも資本主義の破壊を目論んでいるわけではない。あくまで資本主義の制度の中で、自分が奴隷ではなく主人になることを目指しているのだった。
(97ページより)
そこではエンジニアが絶対的な主役であり、カスタマーサポートを担当していた著者のような「非エンジニア」に対する扱いには、ザッカーバーグの思想が明確に反映されていたといいます。
マークが幸福にしたいと言った「皆さん」とは、あくまでエンジニアたちのことであって、カスタマーサポート担当はその中に含まれていなかったのである。(中略)エンジニアたちが年に八万ドルかそれ以上の報酬を得ているのに対し、私たちの報酬はせいぜい年に三万ドル程度だから、より補助金を必要としていた。(中略)マークにとって、カスタマーサポート担当など、人間には見えなかったのだろうとは思う。まさに世界に革命を起こそうとしている会社の正統な構成員とはみなしていなかったのだ。
(125ページより)
技術的な問題が発生してもすぐ駆けつけられるように、会社から1マイルの距離に住むことをエンジニアに求め、facebookをハッキングした人間を高待遇で迎え入れ、横行するセクハラについて訴えても改善されず、すべてがマーク・ザッカーバーグの価値観を中心に動いているコミュニティ。そんななか、ときに心地よさを感じ、ときに大きな違和感と対峙した著者はやがて国際化プロジェクトでfacebook日本語版などを手がけたのち、マーク・ザッカーバーグのメール代筆担当という任務を与えられます。文章を書ける人間としての能力が評価されたためです。
楽な仕事だ、と私は思った。3年もの間、新機能の公開のたびにマークのスピーチを聞いてきたのだ。彼独特の表現の癖も、ジェスチャーも全部知っていた。
(266ページより)
「君は僕そっくりの文章を書くね。どうしてそんなことができるの?」マークは信じられないという顔でそう言った。私は、白いテーブルのそばに座り、腕を組んでいる。「これを読んだ時、最初は自分で書いたものだと思ったんだ」彼の顔にかすかな笑いが浮かんだ。その笑いは、彼が良い気分でいる印だった。
(270ページ)
ところが会社の中心に近づけば近づくほど、著者のなかの違和感はさらに大きなものになっていきます。
ともかくマークの代筆をする分には何の問題もなかった。しかし、私は自分自身の投稿がうまくできなくなっていた。いったい、なにを書けばいいのか、どう書けばいいのかが、だんだんわからなくなってきたのである。私は何か真に価値のあること、何かリアルなことが書きたかった。
(286ページより)
そんな葛藤の根底にあるものが会社への懐疑的な見方であることは明らかで、だからこそ著者は最終的に会社を辞めることを決意します。
「株を売ろうとしているらしいね」2010年に入ってすぐ、PRチームのあるマネージャーにそう言われた。(中略)「君がどうして辞めるのか、理由がわからないんだ」彼はそう続けた。「フェイスブックにはまだまだ先がある。使命はこれからようやく達せられるんだ。君はもしかして、私達の使命を信じていないのかな」
テレビのドキュメンタリー番組で見た、カルト教団の洗脳の場面を思い出した。使命だの、信じるだのと、彼は本気で言っているのだろうか。(中略)それは疲れる上に、なんとも締まらない幕切れだった。
(320ページより)
マーク・ザッカーバーグのあり方を言い表しているなと感じたのは、次の部分でした。
最後の一撃のつもりなのか、マークは秘書に命じて私のデスクを別のフロアに移してしまった。彼が最も大事にしているエンジニアたちとは別のフロアに移動させたわけだ。私の退職の日はまだ何週間も先だとわかっていたはずなのだが。これは一種の象徴的な行為だった。私がすでに彼の「テクニカル帝国」の兵士ではないという事実を、一言も明確な言葉を発することなく、皆に知らしめた。
(320ページより)
感情的にならず、事実を淡々と書き記しているからこそ、本書からはfacebookの、ひいてはテクノロジーが生まれる瞬間のリアリティが伝わってきます。翻訳にも厚みがあるため、読みごたえは充分。爽快とも深いとも言い切れない、不思議な読後感も印象的でした。ぜひ一度、手にとってみてください。
(印南敦史)