「自分はもっとできるはず」と現状に満足しない姿勢は素晴らしいもの。ただ、そうではない生き方を選べば、人生はもっと楽になるかもしれません。筆者は後半、「マシュマロ実験」を例に挙げ、「今を楽しみ、よりよく生きる術」とは何か、紹介してくれています。
(ちょっと長くなりますが)デザイナーをやっているある友人の話を聞いて下さい。
彼女はいつも「自分はまだまだだ」と思い込んでいます。自分の仕事に際立ったところはひとつもないし、たとえいい仕事ができたとしても、自分の努力の結果というよりは周囲の環境のおかげだと考えています。この思い込みはとても深く、人と接する中でさらに強まっています。知らない人が見たら、周りが彼女を評価しないあまりに自信をなくしているのかと勘ぐるでしょう。でも、周囲の人たちはそんなふうに接しているわけではないのです。皆、彼女をほめています。仕事の出来はすごくいいし、よくやっていると本人に伝えています。私たちが知り合う前の若い頃、彼女に対して周りがどんなふうに接していたかは知りませんが、現在のことなら知っています。彼女は別格です。それなのに、自分ではそう思いたがりません。
理由ははっきりしています。彼女はもっと良くなりたいと思っている。自分の理想の高みまで到達したい、もっともっと向上しなければと思っているのです。理想の自分を追い求める姿は美しい、が、果たして正しいのか
彼女は、前へ進むしかない状況を自分から作り出しています。いつだってさらなる向上を求めているし、スキルをもっと磨きたいのです。周囲からの評価を無視するわけではありませんが、大事なのは「自分で自分をどう思うか」。そして、実際にどう思っているかといえば「まだ向上の必要がある」。設定した厳しい目標を達成できればさらに上を目指すだけでなく、達成できてもいないうちから目標を引き上げています。それではどうしたって目標を達成できないことになります。結果的に、ますます上を目指して自分を追い込むしかないのです。
これでは心の休まるときはないでしょう。「まだ足りない部分がある」という深い思い込みを作り上げてしまっているので、いつでも前を向いて、改善と強化のために突き進むしかありません。「自分はもう、充分素晴らしい」が前提の世界では生きられない人なのです。自己評価を低くして、もっと先へ、もっと上へと自分を駆り立てているのです。分別のある者は、自分を世界に合わせる。分別のない者は、世界を自分に合わせようと頑張る。だからあらゆる進歩は、分別のない者のおかげだ。
──ジョージ・バーナード・ショウ
「世界」を「自分自身」に置き換えてもいいでしょう。分別のない人は、自分を「理想の自分自身の像」に合わせようとするのです。でも、適応しようとしてゆがんだ状態になっていても苦痛しかありません。「理想の自分への適応」がいつかは安らぎや充実感や幸福につながる、そう信じないとやっていけません。心の平和と安定を探さないとなりません。そうでなければ、まるで「シーシュポス王」のようになってしまいます(ギリシャ神話のシーシュポス王は、犯した罪に対する罰として、巨岩を山頂に押し上げることを命じられました。その岩はいつも、あと一息のところで地面に向けて転がり落ちてしまうので、その苦役は永遠に終わりません)。
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私たちは、自分の夢に対して自分自身を人質に取っているのかもしれません。岩を山頂まで押し上げている間にも人生は進んでいきます。しかも、年を取るごとに人生の進み方は速くなって、数カ月なんてあっという間に過ぎます。岩を少しでもちゃんと押し上げよう、もっと遠くまで、もっと速く、なんて考えている間にも時間は過ぎていきます。その時間は戻ってこないし、若いときの1年を将来の1年と交換することはできません。時間は取り返しがつきません。今より若いときはもう戻ってこないのです。 私が彼女に伝えたかったのは、「安らぎや満足を投げうってはいけない」ということです。安らぎも満足も大切にすべきもので、堕落のきっかけみたいに恐れるのは間違っています。私たちは、天狗になるのが怖くて、人からの賞賛を避けようとします。温かい家庭を築いたらそれに満足して身動きができなくなるのではないか、次のチャンスに踏み出せなくなりはしないかと思って、結婚を避ける人もいます。雇われ仕事でお金を受け取るのに慣れてしまったら起業ができなくなると思って、就職を避ける人もいます。 満足を先延ばしできる方が賢い、けれど...スタンフォード大学のマシュマロ実験を知っていますか。幼児に「2つのマシュマロをあげる」と約束する実験です。まずは幼児にマシュマロを1つ与え、「私が戻ってくるまでマシュマロを食べずにいられたら、もう1つあげる」と伝えます。実験者は部屋を出て行き、幼児は15分の間、1人で部屋に残されます。
結果、すぐにマシュマロを食べてしまった子どもはごくわずかでしたが、最後まで待てたという子どもも決して多くはありませんでした。
待てた子どもは頑張って我慢しました。後ろを向いて目をふさいだり、お下げの髪を引っ張ったり、机を蹴ったり...。中には「マシュマロをぬいぐるみのように撫でていた」子どももいたそうです。長期的な追跡調査の結果、この実験で我慢をできた子どもたち、つまり将来の報酬のために目先の満足を我慢できた方が、人生において成功していることが分かりました。実験の結論としては、満足を先延ばしにできる能力は、長期的な成功と相関関係があるということになります。
でも、別の結論を出すこともできると思うのです。実験者が戻ってきて2つ目のマシュマロを受け取るまでには、15分という時間がありました。我慢していた子どもは、人生のうちの15分という時間をたった1つのマシュマロのために、イライラしてお下げを引っ張ったりしながら過ごしたのです。一方で、すぐにマシュマロを食べた子どもは15分早く実験から解放されて、家に帰って家族と食事をしたり遊んだりしていたでしょう。
たった1つのマシュマロを我慢して生きることを止めようと思わなければならないときもあるはずです。そう、すぐに目の前のマシュマロに飛びついて、それを楽しむべきときが。
Peter Nixey(原文/訳:江藤千夏、合原弘子/ガリレオ)