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国際交流・支援活動

【海外赴任レポート】 チャイニーズ・タイペイ 今井 敏明さん 2007年9月

【プロフィール】

今井 敏明(いまい としあき)

1954年生まれ。
早稲田大学を経て富士通サッカー部で活躍。現役引退後は母校・浦和西高校のコーチに就任し指導者の道へ。その後は早稲田大学、東京ガス(現FC東京)、シロキ工業、川崎フロンターレなどで監督を務める。公認S級コーチ。
2005年12月に日本人指導者として初めて、チャイニーズ・タイペイ代表監督に就任


~派遣国・地域の紹介 : チャイニーズ・タイペイ~
1949年12月7日、台北に「臨時首都」を遷都。1987年7月の戒厳令解除後、政治の自由化と民主化を急速に推進。1996年3月には初の総統直接選挙を実施。
2000年3月の第2回の選挙では民進党公認の陳水扁・呂秀蓮ペアが当選、50年以上にわたる国民党体制が終了した。面積は3万6千平方キロメートル(九州よりやや小)。人口は2,290万人(2007年6月)。主要産業は電気・電子、鉄鋼金属、繊維、精密機械(以上、外務省HPより)。スポーツでは野球やバスケットボールが絶大な人気を誇る(東アジアサッカー連盟HPより)
FIFAランキングは155位(2007年8月現在)


1.はじめに

 「日本サッカー協会(JFA)のアジア貢献事業としての海外への指導者募集」を知り、迷わず名乗りを上げ、そして、チャイニーズ・タイペイに派遣していただいて早2年目の半ばを迎えました。当初は現地の情報はほとんど持たず、むしろ「今は何も必要はない。やれることを精一杯やるだけだ!」と意気揚々と現地入りしたものでした。しかし、いざ関わってみると、国内では経験できない国際試合を経験できるという反面、それ以上にサッカー環境をはじめとするさまざまな問題・課題は、予想をはるかに上回っていまし た。

2.夢がない選手たち

 日本の最南端である与那国島からわずか南方100kmに位置する“チャイニーズ・タイペイ”は、おそらく多くの日本人にとって、身近な存在に感じていられるのではないでしょうか。急速に“民主化”が進んできたチャイニーズ・タイペイではありますが、国際試合開催時の「国旗」「国歌」の公認など複雑な状況におかれている現状もあり、多くの選手たちは内部にさまざまな思いを抱えているようです。
 先日のある大会で『チャイナ・台北』と表現された際(中国ではこのように表現していると聞きます)、ある選手は憤慨して「NO,チャイニーズ・タイペイ!」と即座に訂正した経緯があります。しかし、この選手も私が指導するようになって1年を過ぎようとするこの頃になってようやくアイデンティティを意識し、表現するようになってきたように思います。なぜならそれ以前は、ほとんどの選手たちが口をそろえて、何が起こっても「どうせ何をいっても無駄だから・・・」「所詮、目標がないから・・・」と、投げやりか、あるいはあきらめとも思われるような態度が定着していたのです。代表選手に選出されたところで、どうせ負けてくるだけだし、メリットがあるどころか大変な思いをするだけだから行かないという選手が多く存在すると、チャイニーズ・タイペイ協会のスタッフやコーチ・選手たちもそろって言います。
 チャイニーズ・タイペイ協会発表では、サッカー競技人口は13,000人(2006年5月現在)となっています。しかし、国内の大会での二重~三重登録の存在、年度ごとの登録実態がないことなどを 踏まえると、この数字は少々信憑性に欠け、おそらくはるかに下回るのではないかと推察されます。サッカーが好きだから、適当に楽しめながらやれれば何でもいいという選手もいれば、パートタイマー選手で少しでも稼ぎたいという選手等々・・・、選手たちの考え方や置かれている状況はさまざまです。しかし、共通して言えることは、サッカーという種目に限らず、スポーツに関しては思い入れが薄く、“将来のためには、勉強が第一”という価値観が強く存在します。「スポーツを志すことはもちろん、スポーツに対しての理解も協力も多くは期待できない」、これが関係者の一致した言葉でした。私の関わっている選手たちも、好意的に試合やトレーニングに送り出してくれる家族ばかりではないと聞いています。このような現状は悪循環を繰り返し、「勉学に期待できない若者がサッカー(スポーツ)を目指す」など、あまり芳しくないイメージをつくり出してもいるのです。
 「目標は自ら持つべきもの」。とにかくサッカーが好きで、他に何も考えずにひたすらサッカーに関わってきた私の価値観からすると、彼らの“目標”に対する考え方が大きく異なっていることに、当初は淋しさとやるせなさと、さらには憤りをも覚えたものでした。しかし、時間を共有していく中で、彼らの置かれている境遇からくる考え方を、単純にとらえられるものでは決してないと思えるようになり、むしろ「なんとかしてやれるものなら…」と強く思うようになっていきました。

3.期待したい “サッカー環境の改善”

 サッカー専用競技場として、台北市に「中山足球場」があります。ここはかなり老朽化しており、またセキュリティにも非常に問題があると考えます。ピッチ状態が良くないことはもちろん、国内試合の際などには、グラウンドの周囲をウォーキングやランニングする市民が常に存在するのです。時には、小さな子どもや犬などがピッチ内に進入してくる光景も決して珍しくありません。
 また、この中山足球場以外の試合会場や練習会場で、更衣室やシャワーが存在する会場は目にしたことがありません。女子選手でさえも、当たり前のように雨の試合のあとでも簡単な着替えのみか、汗と泥にまみれたウエアのままでバスに乗り込みグラウンドを後にしていくのです。そのことに、不満や文句を言う選手が一人もいないことにも当初は驚くばかりでした。
 どの会場にも共通して言えるもうひとつの点は、ピッチ状態が非常に悪いということです。きれいに生え揃っているように見えるのは、芝生ではなくほとんどが雑草で、凹凸がそこかしこにあります。そして、乾燥でコンクリートのごとく堅いのです。腰痛、膝関節痛はもちろん、捻挫などもあとを絶ちません。選手たちの障害もまた大きな課題です。障害は全て本人の責任の範囲内で処理されています。そのためトレーニングやリハビリも悪循環を繰り返し、ベストコンディションを維持しての選手の参加は、ほとんど期待できません。
 一方、競技人口の少ないサッカーという面から見たときは、さらに大きな危機感を覚えます。実際、国内リーグ戦の充実は困難を極めています。社会人チームとしては、「台湾電力」、電機メーカーの「大同」、そして、「兵役の男子・十数名」の3チームのみです。それも、二重・三重登録が存在しています。大学・高校・中学と、どのカテゴリーをとっても非常に頼りない現状があります。
 世界の中の“チャイニーズ・タイペイ”、その中の"協会及びサッカー選手"の位置づけなどを踏まえて、今できることは何か。1年余りしか関わっていない私では想像し得ない困難な課題は、数多く存在すると推察します。しかしながら、目標を持ちたくても持てない選手たちにぜひとも“夢”が持てるような、“トータルなサッカー環境の改善”が、近い将来かなうであろうことを切に希望します。そして、今後もそのことに関わっていけることを改めて強く希望するところです。

4.最後に

 昨年は男子代表チームの強化、そして今年に入ってからは男子および女子の代表チームの強化を主に担当し、現在に至っています。当初は“サッカー環境の改善”が不可欠と考え、懸命に改善を提案した時期もありました。が、これに関しては多くの時間を要するものと痛感し、ある時期からは、あくまでも“チームの強化”に絞り、専念してきました。そのことが結果的には将来的に“サッカー環境の改善”にもつながるものと確信したからであり、またそれを抜きにしてはありえないのではないか、と思えたからでもあります。
 幸い、男子選手に関しては、たくさんのさまざまなハプニングやアクシデントを共に乗り越えてきたからでしょうか、「やめないで下さい。ずっと続けて下さい」といううれしい言葉を、近頃しばしば言ってきてくれます。試合に臨む姿勢もプレーも、少しずつではありますが数を重ねるごとに逞しくなってきてくれています。このような機会を経験するたびに、この上ない“醍醐味”と“責任”を再認識し、さらに「彼らと頑張っていきたい」という意欲をいっそうかりたてられる思いです。
 国内では経験できない多くの「国際試合」を経験できること、日本を離れて初めて気づいた「日本の長所・短所」、価値観の異なる他国の「選手たちの物の見方・考え方」と「実情と抱えている課題」、そのような中で、一体自分に何ができるのか、自分は何をしたいのか。多くのことを考えさせられました。この1年半は、私にとって多くのことを経験し、かつ学ぶことの多かった“貴重な時間”であったと、心から感謝してやみません。
私自身サッカーを通した「夢」・「目標」への挑戦をこれからも実践していきたいと思います。