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※日本における初期の電算写植システムの開発と導入を振りかえる(その1)
■はじめに
PAGE2007で、PAGE20周年を記念した特別セッション「コンピュータ組版の軌跡」が開催された。
1965年から株式会社写研で電算写植システムの開発にたずさわっていたことから、パネラーの一人として参加させていただいたが、電算写植システム開発当初からを振り返る良い機会であった。
今回は、1965年~1980年ごろまでの電算写植システムの開発について、トピックを拾い上げてみた。
■1960年代前半の組版業界の状況
株式会社写研(当時は株式会社写真植字機研究所。以後写研)に、私が入社したのは1965年である。
当時の写研は、広告などいわゆる端物組版で使用されていた写真植字機を、書籍や雑誌などの本文組版へと使用分野を広げることをめざしていた。そのため、和文タイプライター程度の大きさの本文専用小型写真植字機「スピカ」を1963年10月に発表し、その量産を開始したところであった。
また、1960年10月に試作機を発表した全自動写植機「サプトン」は、1962年に数字専用の「SAPTON-F」を防衛庁に納入した後、新聞社向け「SAPTON-N」実用機の発表に向けた開発の最終段階を迎えていた。
当時の新聞業界では、1959年に共同通信社と加盟社が策定した統一文字コードCO-59(2,304字を6単位2列で符号化)を使用して、記事本文を配信・受信・組版するシステムが普及したところだった。
新聞各社は、共同通信社からの配信記事受信装置、受信した記事本文を6単位の紙テープに出力するさん孔機、紙テープの内容を印字する漢テレ(モニター)、紙テープを読み取って該当する活字を1字1字鋳造しながら並べる全自動活字鋳植機(モノタイプ又はキャスターともいう)を導入した。
また、自社取材原稿については、漢字さん孔機(キーボード)で紙テープを作成し、全自動活字鋳植機で組版する方法で活字組版工程の合理化を図っていた。
一般印刷業界では、端物組版には写真植字機を導入してはいたが、本文組版には活字を1字1字手拾いする活字組版が主流であった。大手の印刷会社では、活字組版工程の合理化のために全自動活字鋳植機を導入し始めたところだった。
■テープ編集機の開発と日刊紙の全面写植化
全自動写植機サプトンの実用機「SAPTON-N3110」は1965年7月に発表された。CO-59を使用した紙テープを読み取り、2,304文字収容の高速で回転する文字円盤の中から該当の1文字を選択して、35mm幅ノンパーフォレイティブ・ロール感材に縦組で1行15文字(新聞1段の文字数)を印字する光学式の全自動写植機である。
書体は1種類、文字サイズは本文用の1種類、印字速度は毎分300字(全自動鋳植機の3倍相当)であった。
スピカなどの手動写植機で機関紙「社会新報」を制作していた社会党機関紙印刷局は、この発表を見てSAPTONの導入を決定した。機関紙発行回数の増加をめざしていた。1966年9月にSAPTON-N実用第1号機が納入された。この実用第1号機は、文字サイズは機関紙紙面に合わせて13Qの1種類、収容文字数は2,496字であった。
SAPTONは紙テープの内容を感材に印字する写植機である。SAPTONで印字するには、行頭行末禁則処理や赤字訂正処理などの編集組版処理を済ませた完全な印字用の紙テープが必要であった。
そこで、この編集組版処理を済ませた紙テープを作成するテープ編集機の開発に、1965年5月に着手した。
1966年4月に発表した「SAPTON-N用テープ編集機サプテジター(SAPTEDITOR)-N」は、オリジナルテープ読み取り用と赤字訂正指令テープ読み取り用の2台の紙テープリーダー、編集組版処理済みの紙テープを出力する紙テープさん孔機、制御部、操作パネル等で構成した。
制御部には当時の電電公社の電話交換機やカシオ計算機のリレー計算機に使用されていたワイヤスプリングリレーを300個程使用し、共同通信社配信記事体裁の自動判定、問答処理、ダブルパンチ削除、行頭行末禁則処理、字上げ字下げ、赤字訂正などの編集組版処理機能を組み込んだ。
このSAPTEDITORの開発によって、全自動写植機SAPTONと組み合わせた実用的な全自動写植システムができ上がった。
朝日新聞北海道支社と佐賀新聞社からSAPTEDITOR-NとSAPTON-Nのシステムを受注し、1967年10月に両社に2セットずつ納入した。
朝日新聞北海道支社では、1967年10月14日にこのシステムを使用した特集号を発行し、その後、北海道支社での現地組版を徐々に増加していった。
特筆すべきは、1968年5月に北海道全域を襲った地震の際、FAX回線の故障や活字組版設備の破壊などによって北海道内の新聞社が新聞を発行できない中、通電開始とともにこのSAPTONシステムを使用して臨時夕刊を発行し、業界の注目を浴びたことである。
また、佐賀新聞社では1967年10月28日にSAPTONシステムで1ページを組版制作した。その後、制作ページ数を徐々に増加させ、1968年3月5日に日本で初めて日刊紙の全面写植化を達成し、活字組版設備を全廃した。
新聞業界のコールド化の第一歩となった佐賀新聞社は、この快挙によって新聞協会賞を1969年に受賞した。
■一般印刷向けSAPTONシステムの開発
図1 SAPTON-Pの文字円盤
SAPTON-Nシステムの開発・製造と並行して、文字組版の主流である書籍や雑誌などの本文組版を対象にした全自動写植機とテープ編集機の開発も進め た。1968年1月に一般印刷の多種多様な組版に対応する機能拡張版のSAPTON-Pシステムを発表した。SAPTON-Pシステムは、全自動写植機 「SAPTON-P」とテープ編集機「SAPTEDITOR-P」で構成される。
SAPTON-Pは、文字円盤(図1)を1枚(収容文字数2,880字、文字円盤はカセット方式で交換可能)、縦組・横組用の像回転プリズム、文字サイズ
4種(10~14Q)、モノ外字挿入装置(50字まで)などを装備した。片パーフォレーション・ロール感材の2~10インチ幅(7種類)のいずれかを装填
し、印字速度は毎分300字であった。
SAPTEDITOR-Pは、制御部をトランジスタを用いて電子化し、行頭行末禁則処理、赤字訂正、2桁組数字、揃え(下/右揃え、中央揃え、任意空白両端揃え)、字上げ・字下げ、モノ外字などの組版処理機能を組み込んだ。
最初のSAPTON-Pシステムは、1969年8月にダイヤモンド社に納入された。出版社であるダイヤモンド社は、印刷工場を自社設備として持っていたが、このSAPTON-Pシステム導入とともに活字を全廃した。
■編集組版ソフトウェア「SAPCOL」の開発
テープ編集機の開発は、制御部をIC化するとともに記憶容量を増加させ、共同通信社配信記事体裁の自動判定、問答処理、ダブルパンチ削除、行頭行末禁則処 理、赤字訂正、字上げ字下げなどに加えて、箱組、ラジオ・テレビ番組欄、全自動鋳植機用紙テープ出力などの処理機能を組み込んだ、新聞社向け 「SAPTEDITOR-N4550」(1971年に発表)まで続けられた。
しかし、テープ編集機に対する組版処理機能の拡張要求は増加する一方であり、すべてをハードウェアによって対応することは困難であった。
そこで、SAPTEDITORの開発と並行し、コンピュータを用いた編集組版ソフトウェアの開発に着手した。
一般印刷向けの組版ソフトウェアは、1969年に発表したSAPTON-Aシステム用が最初である。このシステムは、全自動写植機SAPTON-A5260、A5440と、編集組版ソフトウェアSAPCOLを内蔵した編集組版用ミニコンピュータで構成されていた。
SAPTON-A5260は、明朝体とゴシック体の2枚の文字円盤に、欧文6フォント、ルビ、記号、数字などを含む6,400字を収容し、像回転プリズム、文字サイズ6種、モノ外字挿入装置などを装備された。10インチ幅の片パーフォレーション・ロール感材を装填し、印字速度は毎分550字だった。 SAPTON-A5440は、文字円盤を4枚実装した。
SAPTON-A用の編集組版用ソフトウェアSAPCOL-D1は、DEC社製ミニコンピュータPDP-8(主記憶16KB、磁気ディスク64KB)を用いた。当時のミニコンピュータには、OS(Operating
System)に相当するものがなかったため、入出力機器の多重制御、補助記憶装置を含むメモリ管理などを含むOS相当のプログラムや簡易言語なども自社で開発した。
SAPCOL-D1には、SAPTEDITOR-Pの組版機能に、見出し、タブ、異サイズ混植、和欧文混植、ルビ、分離禁止、連数字、赤字訂正部分選択印字などの一般印刷用に必要な多くの処理機能を追加した。
1971年には、変形サイズ(平体1、平体2、長体1、長体2)を可能にし毎分900字で印字するSAPTON-A7261の発表に合わせて、SAPCOLに変形処理を追加した。
SAPTON-A5260とSAPCOL-D1で構成した最初のSAPTON-Aシステムは、1970年に朝日印刷工業に納入された。その後、全国各地の 印刷会社や協同組合に続々と納入されたが、最大ユーザは多種類の競馬新聞や雑誌を発行しているヤシマ写植印刷で、東京、大阪、名古屋などに12台の SAPTON-Aを納入した。
また、並行して新聞社向けの組版ソフトウェアSAPCOL-D3を開発した。SAPCOL-D3には、共同通信社配信記事の体裁自動判定、問答処理、ダブ ルパンチ削除、行頭行末禁則処理、赤字訂正、字上げ字下げ、箱組、ラジオ・テレビ番組欄、案内広告(罫線、並べ替え、パターン処理など)、株式(相場)、 タブ、分離禁止、モノ外字などの組版処理機能を組み込んだ。最初のSAPCOL-D3は、1970年にSAPTON-N5265とともに神奈川新聞社に納 入された。
その後、編集組版用ミニコンピュータは、1971年頃から日立製作所製のHITAC-10(主記憶16KB、磁気ドラム64KB)に切り替えた。新聞社向 けのSAPCOLの組版機能は徐々に拡張され、SAPCOL-HNでは前文組版、異サイズ混植組版、定型小見出し、野球組版、共同スポーツテーブル自動組 版、選挙組版、案内広告データベース組版などを追加し、新聞組版に必要なほとんどの機能が組み込まれた。
■SAPTON-Spitsの開発
図2 全自動写植機SAPTON-Spits 7790
SAPTON-Aシステムは基本的には棒組方式であり、柱、段間罫、ノンブルなどを含む多段組み書籍のページ組版は困難であった。
ページ組版を可能にしたのが、1972年に発表したSAPTON-Spitsシステムである。このシステムは、全自動写植機SAPTON-Spits
7790(図2)、HITAC-10(基本構成は主記憶24KB、磁気ドラム128KB)を用いた編集組版ソフトウェアSAPCOL-HS、漢字さん孔機
SABEBE-S3001などで構成した。
印字速度が毎分900字のSAPTON-Spits 7790は、文字サイズ9種(9~18Q)、4種類の変形サイズ(平体1、平体2、長体1、長体2)、像回転プリズム、モノ外字機構などの他に、以下の特徴的な機能を装備していた。
(1)感材のロールバック機構
それまでのSAPTONの構造例として、SAPTON-A5440の原理図を図3に示す。
縦組と横組は、文字の向きを像回転プリズムで90°回転することで可能としていた。
字詰方向の制御は、字詰送り用トラベリング光学系を1文字ごとに移動させ、文字を印字していた。
行方向の制御は、1行分の印字が済むと既感光マガジンに感材を巻き取ることでおこなっていた。
図3 全自動写植機SAPTON-A5440原理図
SAPTON-Spitsにおける字詰方向の制御では、字詰送り用トラベリング光学系を連続的に正・逆方向に移動することが可能となった。
行方向の制御は、最大10インチ幅の両パーフォレーション・ロール感材を連続的に正・逆方向に移動することを可能にしたロールバック機構(図4)を実装した。
これらによって感材の任意の位置に文字を印字することやスポット罫引きが可能となった。
図4 ロールバック方式
(2)スポット罫引き機構
点光源を点灯させることと、ロールバック機構で字詰送り用トラベリング光学系又は感材を連続的に移動させることで、罫線を印字するスポット罫引き機構を実装した。これによって、任意の位置に任意の長さの表罫、中細罫、裏罫を印字することができるようになった。
(3)収容文字数の増加
明朝体とゴシック体の2枚の文字円盤に合計10,600字を収容した。その際、13bitで文字を符号化する新たなコード体系を作成し、それをSK'72コードと名付けた。
また、文字円盤は、カセット方式で簡単に交換可能とした。後に、使用頻度の低い3級漢字部分を数式文字や学習参考書用文字に差し替えた数式用文字盤や学習
参考書用文字盤を開発した。これらの文字盤は、編集組版ソフトウェアSAPCOL-HSの数式オプションや学参オプションプログラムとともに、教科書や学
習参考書の制作を行っていた印刷会社に販売された。
(4)グループ外字機構
文字円盤に収容した文字数は大幅に増加したが、それでも組版する書籍によっては不足する文字がある。そこで、1枚に60文字収容したフィルムを8枚装着して高速で回転し、中の1文字を選択して印字するグルー外字機構を実装した。
これによって、異体字、マル付きの漢字、記号などを収容可能とするとともに、装着するフィルムを1枚ごとに交換することによって、文字円盤には収容されていない欧文書体、仮名書体、数字書体などを速度を低下させずに印字することが可能となった。
(出典:使用した図版は、株式会社写研の各製品カタログ、及び「文字に生きる」から引用)
(2007年6月)
※本記事は、2007年6月にJAGAT Webページに掲載したものです。
「電算写植システムの開発(その2)」 へ続く。