このページでは、当研究所教員へのインタビューを通じて、当研究所における研究への取り組みをご紹介しています。
第16回となる今回は、東アジア第一研究部門所属の安冨 歩教授へのインタビューをお届けします。
―― 先生が現在取り組まれているテーマについて教えてください。
人間が型にはめられて使われる状態、それを「魂の植民地化」と呼んでいるのですが、「魂の脱植民地化」、つまりそこからどう抜け出したらいいかを考えることが現在の研究テーマです。この「魂」は、自ずから発展する性質を持っています。魂を伸び伸びと発展させることではじめて人は、幸福とか安心を感じるものだと思います。例えばガーンディーは、「魂の脱植民地化」の思想家であって実践家、人類史上最も偉大な人の一人だと思いますが、イギリス帝国主義と戦う理由を問われたときに、私は私の精神を思うままに発展させたいのに、イギリス帝国主義がそれを邪魔するからだ、と答えました。ガーンディーが唱えたのが、サッティヤーグラハ、つまり「真理にしがみつく」ことなんですが、その「真理」が、魂とか、本来の自分、身体のダイナミクスなどと私が呼んでいるものに当たると考えています。サッティヤーグラハは、どんなに恐ろしいことがあっても、自分の魂とか本来の自分から離れないということではないでしょうか。
―― 現在の研究テーマに至るまでの経緯、きっかけは何だったのでしょうか
私は京都大学の経済学部を卒業してから、86年から88年まで住友銀行で働きました。それはちょうどバブルが始まった時期です。日本の銀行は伝統的に不動産を担保にとってお金を貸すのですが、元来はかなり慎重に資産価格を査定していました。ところが、バブルで値上がりが始まると、資産査定がどんどん甘くなっていったのです。また、お金を貸す相手の信用調査も、同様にいい加減になっていきました。それに対して疑問を差し挟もうとすると、上から横から下から蹴りが入る。それも、公にじゃなくて、テーブルの下で、にこやかに。大企業などの組織は、まさに人間を型にはめるシステムで、ものすごい力で、人々を同じ方向に走らせます。疑問の余地なんかなくなるし、思考できなくなる。そうやって「魂の植民地化」が起きていく現場を目の当たりにして、嫌になって、会社をやめました。
やめて、最初に研究したのは、「満洲国」の金融でした。満洲事変の直前、1930年にロンドンで軍縮会議があって、アメリカ・イギリス・日本のトップが、ラジオで全世界に向かって平和を訴えました。ある意味日本のデモクラシーの頂点のような出来事ですが、翌年には満洲事変が起き、32年に「満洲国」が建国されます。同年に内田外相による「国を焦土としても」満洲国を承認するといういわゆる「焦土演説」があり、33年にはリットン調査団の報告を拒絶して松岡外相が国際連盟の会場から退席し、35年には脱退してしまいます。全く逆の方向にわずか2,3年で進み、戦争に向かっていきました。そのあとは戦争反対を口にすることさえ難しくなりました。このプロセスは、バブルのときの銀行と同じだ、と考えたことが満洲を研究した理由ですね。
その研究の中で、景気の過熱とかパニックとは何なのだろうと考えました。こういったものはすべて「暴走」が引き起こすものだと思っていますが、人間はどういったときに、どのように暴走するのかとか、どうしたら暴走から抜け出せるのかを考えるのに、経済学は役に立たなかったんです。そもそも経済学が扱っているのは均衡なんです。人間の本質ってそんなものじゃないと思うんですが。
―― それではどのような方法で研究を進められていったのでしょうか?
「暴走」を扱う方法はないかって考えていろいろ勉強したら、非線形科学に出会いました。例えば、対流というのは、分子の暴走なんですよ。コップの中の水は静止しているように見えますが、そのときには分子がランダムに動いているので全体として打ち消し合って止まっているように見えます。しかし下から水を熱していくと、ある時点で分子が同じ方向に向かって一斉に動いていくようになるんです。コンピューターの出現によって、そういった現象が研究できるようになって生まれた学問ですね。それを10年ぐらいやったんですが、その結果分かったのは、非線形科学で表現できるのは、人間の暴走プロセスだけで、まともに生きている人はその対象にはならないということ。
マイケル・ポラニーの「創発」という概念があって、簡単に言えば、これまでなかったものが出現するとか、新しいアイデアがわくとか、そういうことです。創発のような、今までなかったものが出てくるプロセスを非線形科学で描けると元来は期待していたんですが、できないことに気づきました。人間を含む生命には記述を受け付けない暗黙の次元があって、それが我々を生かしているし、世界を成り立たせているし、進化とか発展をもたらしていると考えるようになりました。これはウィトゲンシュタインの「言語の限界」と同じものだと思います。「語りえないことについて人は沈黙せねばならない。」
ですから、その記述し得ない範囲のダイナミクスについて記述しようとしたり考えようとしても仕方がないですよね。じゃあ何を考えたらいいかというと、そういう創発性が生じなくなる理由を考えればいいというのが私の提案です。創発を阻害するものとは、具体的には、人間を型にはめるとか、生命や生態系の動きを止めることです。「命」は記述できなくとも、「命を破壊するもの」は記述できる範囲に入っていると私は信じます。それをどうやって記述して、説明して、どうやって取り除いたらいいかという風に、学問を考え直したらいいだろうと。これを私は「合理的な神秘主義」と呼んでいます。
それで、アリス・ミラーとアルノ・グリューンという二人の思想家に注目しました。彼ら二人の共通の問題は、ヒトラーとそのフォロアーがなぜ生まれたかということで、その答えは子供の頃に受けた「教育」や「しつけ」の名のものとに行われた肉体的・精神的虐待だ、というものです。ヒトラーは、父親から受けた仕打ちを、全人類に向けて復讐したのだと彼らは言います。ここで重要なのは、ヒトラーは父親が自分を愛していたというテーゼを受け入れようとしていたことなんです。そうすると父親が自分に酷い暴力をしていたということが、自分自身にとっての盲点あるいはタブーになる。実は19世紀末、徹底的に子供をしつけるというシュレーバー教育がドイツで流行していたのですが、同じような虐待を受けた人々は、ヒトラーが受けたタブーを共有できたんですね。父は私を愛していたがゆえに暴力を振るった、というストーリーが、暗黙のうちに共有されたんです。彼らの間では、他人に対して暴力を振るうことこそが真に愛することだ、ということになります。これがファシズムを生み出したと彼らは考えています。僕はこれを「盲点の共有」と言っていますが、同じように傷つけられた人間は、同じ傷を共有して舐めあうと、すごく楽なんです。偽りの絆と偽りの安心とを得られます。
実は私は、いわゆる「学問分野」を成り立たせているのもまた「盲点の共有」ではないかと考えています。例えば経済学の場合、最適化、つまり最適なものが選択されるというのが経済学の基本なんですが、それは稀少性、つまり物が足りないという状況が、大前提となっています。稀少性はエントロピー第二法則が大前提となります。なぜならエントロピー第二法則がなければ、永久機関がつくれるので、何でもコストなしに作れます。そうすると稀少なものなどなくなります。一方、エントロピー第二法則は、計算とか情報のやりとりにコストがかかることを要請します。そうすると、最適化という大変な計算過程を実行しようとすると、ものすごいコストがかかることになります。すると、最適化という行為自体が資源の賦存を変化させてしまい、最適化を振り出しに戻してしまいます。これでは何時まで経っても最適化は終わりません。
以上のことから、稀少性という前提から、最適化はできない、ということが出てきます。つまり、「稀少性の下での最適化」という経済学の根本に矛盾が含まれていることになります。経済学という学問分野は、この矛盾の上に成り立っていますが、そこが盲点となって隠蔽されつつ共有されることで、分野が成立しています。この自明の理を経済学者は絶対受け入れない。経済学が崩壊してしまいますからね。
―― 企業、社会、さらには学問と、様々なところに「魂の植民地化」があるのですね。今先生がやられていることの一つに、経済学の盲点をつくということもあるのでしょうか?
それはもう終わって、今は、盲点なしで経済を考える方法を探しています。経済がなぜうまくいっているかは、人間の生きる力によっています。ここはさっきの話で、記述し得ない部分だから語ることはできません。そこで、逆に経済がおかしくなるのはなぜか、というところを考えます。私は、経済とか社会における様々な「まずい状況」は、何らかの暴走が起きているからだと考えています。人間がロボットになってしまって、暴走していることが、諸問題の根源だと。そこで問うべきは、なぜロボットになっているのか、どんなタイプのロボットになっているのかというところです。
暴走は「魂の植民地化」「コミュニケーションの病理」によって生じると思っていますが、そういうものを考える基礎理論を作りたいというところでしょうか。それから、理論ばかりではなく、現実の歴史的過程をそのようなものとして、描くことも重要です。昨年出版した、安冨歩・深尾葉子編『「満洲」の成立』(名古屋大学出版会)は、そのような歴史学のための第一歩です。この本では、東アジアに残された最も豊かな大森林を急速に消尽しながら、近代「満洲」という空間が形成される過程を、生態系から経済・政治・宗教まで、ダイナミックな相互連関を解明するという形で研究しています。このような歴史学を「社会生態史学」と我々は呼んでいます。
―― 先生の研究は、現実世界と非常に近いところにありますよね。
結局研究も、基本的には自分の問題として考えています。自分がくだらないことに囚われて、それによって自分がひどい目に遭うのを減らすための研究なんですよね。そういう研究は楽しいし、研究によって生きるのが楽になってくる。ただ、直接自分の盲点について考えることなんてできない。なぜなら盲点なんだから。そこでどうするかというと、満洲事変とか・・直接には関係のない対象に没入し、おのずから自分のまずい部分、無意識に入っていた部分が現れてくるようにするんです。これはすごく大事な方法だと思っています。
研究というのは、みんな私自身のための研究なんですよ。親鸞は、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」と言います。阿弥陀の本願があり、ブッダの教えがあり、インドや中国の偉いお坊さんの教えがあり、そして法然上人から今私が受け取ったこの教えをつらつら考えてみるに、これは親鸞ただ一人のためにある、なんて言うんです。これはなんとありがたいことかって。それしかないと思うんですよね、知識というのは。オーダーメイドなんですよ。マイケル・ポラニーの言うように、自分用の「個人的知識(personal knowledge)」しかないんです。世界のどこかにあるはずの自分用の知識を、自分で読み解く。そういうふうに考えると、他の人の研究って、すごくありがたいんです。自分が考えるためのよすがだったり、考えようと思っていたことを代わりに考えてくれたり。そのかわり、自分が納得できないものは、たとえどんなに世評が高くとも、価値はありません。自分でやった研究も、たとえどんなに他人が褒めてくれようとも、無価値です。なぜなら自分が納得できないのですから。それが学問というものではないでしょうか。