プログラマの心の健康

結城浩

私のささやかな経験談をお話しします。

ちょっとした工夫で、心の健康を守りましょう。

目次


はじめに

私はプログラマです。

プログラムを書いて生活の糧を得ています。

プログラマというのは精神的にも肉体的にも過酷な仕事だと思われています。 夜遅くまでディスプレイに向かい、 キーボードを叩き、ジャンクフードを食べながらバグをとる…そんな職業だと思われています。 確かにそういうところもありますが、プログラマも人間です。 不健康な生活を長いこと続けることはできません。

趣味でプログラムを作っているならいざ知らず、 職業としてプログラムを作っている場合には、 ある程度のストレスはしかたがありません。 けれど、ちょっと考え方を変えたり、 休息の取り方を工夫するだけで驚くほど体と心の健康を守ることができるのです。

このページでは、 プログラマとしての私のささやかな経験談をお話しようと思います。 何らかの形であなたのお役に立てばいいのですが。

(1996年10月10日)

もう一言 : このページを公開してから、 驚くほどたくさんの方から反響のメールをいただきました。 ほとんどすべてが「おもしろかった」「役に立った」「同感である」という内容でした。 ここに深く感謝いたします。

興味深いのは、メールの多くが 「私はプログラマではありませんが…」と注釈をつけて 書かれていたことです。 それによって結城は、 ここに書かれていることが プログラマという職業に限定されることではなく 多種の方々に当てはまることを知りました。

これを今、読んでいる「あなた」も、ぜひご意見ご感想をおよせください。 お待ちしております。

(1997年3月26日)

情報不安について

コンピュータの社会の変化は激しい。 何だか常に必死で走っていなきゃ脱落していく気分になる。 いや、実際そうやって仕事を失っていく人もいる(んじゃないか?)。

コンピュータの雑誌や専門紙を読む。 メールマガジンを購読し、インターネットで情報収集する。 そうしないと話題についていけないからだ。 次から次へと新製品が登場し、新しいプログラミング環境が登場し…。

そういうせかせかした生活を長年続けていると、神経が参ってくる。 実際、私も、そのような生活が続いて雑誌や専門紙を読むと気分が悪くなるときがあった。 いや、今でも少しそのケがある。

情報不安というのは、次から次へと情報を入手していないと不安になり、 けれどその情報の多さに圧倒されてしまう兆候だ。 こういう用語があるかどうかは知らない。 私は私の症状にそう名前をつけた。

情報不安から逃れるにはどうしたらいいんだろう。 私が情報不安に襲われたときにとる方法は、 「いや、 これが飯のタネ だと考える」ことである。

あーあ、こんなに新しい概念が出てきて勉強することがどんどん増えていく→いや、これが飯のタネだ。 こういう目にあっているのは自分だけじゃない。 だったら、自分の理解した分でも人にうまく伝えられたら何か仕事になるんじゃないか。 そのように前向きに考えるとだいぶよい。(私の場合はね)

もう一つの方法は、 「あ、また情報不安に襲われている。ということは私は疲れているのだ」 と自覚することである。 ちょうどコンパイラが warning を出したら、ソースを再度チェックするように、 情報不安に襲われたら、自分の生活をチェックするのである。 不安に巻き込まれるのではない。 不安の症状を自分の健康を測ってくれるインジケータだと思うのである。

まあ、酒飲んで寝ちゃうというのもいい手ですが。

(1996年10月10日)

人の話を聞くこと

人間関係を円滑にする最もよい方法は「人の話を聞くこと」です。

「人のいうことをきく」というのとちょっと違いますよ。 人の言うとおりにするわけではなく、 とにかく相手のしゃべっている話の内容を聞くのである。 自分の意見を出すのはちょっととめておく。

でもね…というのはわきにおいておく。 僕もそう思っていた…といいたくなるのをちょっと待ってみる。 それ、こないだも聞いた…というはなおさら。

とにかく、聞く。聞く。聞く。最後まで聞く。 中断せずに聞く。意見を言わずに聞く。 「もっと聞きたい」というそぶりを見せて聞く。

とにかく聞く。

やってみればわかるが、これはとても難しい。 ついついいろいろいいたくなるのである。一度やってみてください。

「意見を言わずにとにかく聞く」というのは、 言い換えれば「事実認定」と「価値判断」を分離することなのである。 相手があることを言っているという事実を尊重するということである。 価値判断(それはよい、わるい、私もそう思う、自分はそう思わない)というのはいつでもできる。 でも、相手が話しているという今の事実、今の経験は今尊重するしかない。 …その態度が相手と自分の人間関係をよくするのです。

いちおう理屈をつけてみたけれど、 私は経験上、「人の話を最後まで聞く」という態度で人間関係が悪くなった例を知りません。 逆に人の話を最後まで聞かなかったためにトラブるという場合はよくあるのです。

とにかく聞く。人の話を最後まで聞く。一度やってみてくださいな。

(1996年11月12日)

寝てから考えよう

睡眠はバグをとる。

別に、眠っている間にバグがとれるわけではないです。 もちろん、デバッガを使い、ソースとにらめっこをして、 エディタをたたいて、バグはとれていくのです。 けれどもそれを支えているのは何でしょう。 あなたのデバッグ能力を支えているのは何でしょう。 知識? 経験? 情報収集能力? もちろんそれも大事なこと。けれどももっと大事なことは、あなたの肉体的な条件です。

  • よく睡眠がとれているか。
  • きちんと運動しているか。
  • 気力がみなぎっているか。
  • 新しいことに挑戦しようという気迫に満ちているか。
  • 論理的に一歩一歩つめていく根気があるか。

そういった肉体的な条件が、デバッグには有効なのです。 あなたはロボットではありません。 ろくに眠りもしないで、何日も何日も働けるわけはありません。 たとえ働けたとしてもそんな状態で書かれたコードにどれだけ信頼をおけるのでしょう…。

思い切って眠ること。 きちんと肉体を休ませてあげること。 それはとても大事なデバッグの方法の一つなのです。

眠いときにやること --- 現在の状況をメモにして、 次に自分が覚醒したときのために情報を残しておくこと。 それは、いわば、眠ろうとしている自分から目覚めた自分への手紙です。

思い切って眠ろう。 自分の無意識に「いま休むことは、かえって効率があがるんだよ」と言い聞かせて眠ろう。 お腹をなでてあげよう。 自分の手を、足をさすってあげよう。 あなたは頭だけで生きているのではない。 デバッグしているとき、意識していない自分の体の各部分に 「君のことを忘れているわけじゃないんだよ」と言い聞かせよう。

睡眠はきっと、あなたのバグをとってくれるはず。

(1996年11月20日)

わ・ざ・と、ゆ・っ・く・り・、や・っ・て・み・よ・う

なぜか知らないが、急ぎたくなる。

コンピュータを使っていると、とても急ぎたくなる。 急ぐ必要がないはずなのに、何だか焦って、どこかあわてて、いらだって、 のろのろしている人を見ると腹が立ってきたりする。急げ、急げ。

それって、変ですよね。

わざと、ゆっくり、してみよう。 ゆっくり、紙を広げ、手で文字を書いてみる。 一字、一字、丁寧に。 深呼吸をしてみよう。 一分でよいから、目をつぶってみよう。 ゆっくりと首を回し、今度は逆に回す。 人の話もゆっくり腰を落ち着けて聞いてみよう。 わざと馬鹿なふりをしてもいい。 自分の理解度や理解のスピードを誇るのをやめて、一度ゆっくり相手に語ってもらおう。 普段やらない手紙の整理や、机の上の整理をしてみよう。 もちろん、わざと、ゆっくりと。

ともかく、ゆっくり。

とにかく、ゆっくり。

それは、ちょうど、CPUのクロックを落として動作させるようなもの。 自分の普段の動作や思考のクロックを下げてやるのだ。 しかし、CPUと人間は違う。 人間は機械ではない。 人間が、わざとゆっくりと行動すると、 単にゆっくりになるだけではなく、暇になった脳は押し入れの奥からいろんなものを引き出してくれる。

「最近、手で文字を書いてなかったなあ」

「呼吸って、胸やお腹まで動くんだなあ」

「あ、首がゴキゴキって鳴った」

「最近、あいつとゆっくり話してなかったなあ」

「子どものとき、夕焼けを背にして家に帰ったなあ。下校のときの『家路』の音楽が悲しかった」

そんなこと、普段は考えなかったささやかなことがふわあっと心に広がっていく。

わざと、ゆっくり動いていると、心の奥の奥底で、誰かがあわてているのを見つけることもある。 誰かが大声を心の中で叫んでる。「おい、急げよ、もっと、急げよ」 そんな風に叫んでいる小さなヤツがいる。 心の奥で一人であわてているヤツを見つけたら、しめたもの。 そいつをもっと焦らせてやりましょう。 もっともっとゆっくりと動作することで、もっともっとゆったりと過ごすことで。

いつも画面を見つめてプログラムしているなら、プリントアウトしてみよう。 いつも一人でデバッグしているなら、人にそのバグを話してみよう。 ゆっくりと、ゆっくりと。

まるで、世界に、今しか存在しないように、ゆっくりと。

まるで、そのことのために、自分が生まれてきたかのように心をこめて、ゆっくりと。

そういう時を過ごすことができたなら、あなたはいつもと違う自分を発見するでしょう。

(1996年12月3日)

ロビンソン式悩み解決法

私が「ロビンソン式悩み解決法」と呼んでいる方法についてご紹介します。

まず、紙と鉛筆を用意します。 あ、ワープロやテキストエディタでもかまいません。 とにかく文章が書ける道具を用意します。 便宜上、紙と鉛筆で説明しますね。

紙を広げて、紙を二等分するように縦か横に線を引きます。 これで紙の上は二つの領域に別れました。

で、片方に

  • よいこと

と書き、他方に

  • よくないこと

と書きます。

で「よいこと」の方には、 自分が「これは今の自分にとってよいことだ」 と思うことを箇条書きにします。

  • ゆうべはよく眠れた。
  • 毎日出勤する会社がある。
  • 家族は健康である。

などなど。そして、「よくないこと」の方には、 自分が「これはよくないなあ」と思うことを 同じように箇条書きにしていきます。

  • ときどき歯が痛くなる。
  • 仕事が忙しくて本を読む暇がない。
  • 昨日、大事な手帳をなくしてしまった。

などなど。

このようにして「よいこと」「よくないこと」を 思い付く限り紙の上に書いていくのです。 「ロビンソン式悩み解決法」というのは、これだけです。

「ちょっと待ってくれよ。何も解決してないじゃん」

と怒る前に、一度やってみてください。 これは自分でやらないとわからないのです。 お金もかからないし、自分一人でできるし、時間もかかりません。 大事なのは、自分が思い付く限り これはよいことかな、これはよくないこと、 というのをどんどん書き出していくことです。 できるだけ正直に、全部書き出します。

確かに、箇条書きで書き出したからといって、 物事が解決するわけではないのです。 それは確かにそうなのですが、 不思議なことはあるもので、 箇条書きできちんと書き出してみると、 悩みの数が意外に少ないことがわかるのです。

紙に書かずに頭の中だけで考えていると、 あーだ、こーだと同じことを何度も何度も繰り返して 思い浮かべるものです。 その結果自分がたくさんの悩み事で埋もれてしまっている ような錯覚に捕らえられてしまうことが多いのです。 一言で言えば、 自分で描いた幻想におびえていることが 案外多いものなのです。 ですから土俵を頭の中から紙の上にうつしてやるのが 有効なことなのです。

もちろん私も、 すべての悩みがこれで解決するとはいいません。 いいませんが、やってみて損はないと思いますよ。

紙を広げる。よいこととよくないことを 箇条書きにして、思い付く限り書いてみる。 それがすべてです。

お試しあれ。

(1996年12月18日)

(確か、私はこの話(箇条書きに問題を書く)を『ロビンソン・クルーソー』の中で 見たように記憶しています。でも、間違っていたらごめんなさい)


驚き、最小の法則

仕事上、あるいは人間関係上でトラブルを減らすポイントは何でしょう。 私はその答え(の一つ)を知っています。 それを一言で言えば、 驚き、最小の法則 となります。

「驚き、最小の法則」というのは、 仕事を円滑に(人間関係を円滑に)進めるには「相手の驚き」を最小にすることが大切だ、 という法則です。

具体的にお話しましょう。 プログラムを作っていて、明日お客さんに納品するとしましょう。 で、プログラマである私はそのプログラムに三つの重大なバグがあるのを知っているとします。 さあ、そのバグのことをお客さんに伝えるべきでしょうか?

「驚き、最小の法則」に従えば、 きちんとそのバグについてお客さんに説明すべきです。 なぜなら、そのバグのことをお客さんに教えずにプログラムを渡したとしましょう。 もし、お客さんのところでその「重大なバグ」が露見したら…!? お客さんはびっくりしますよね。「なんだこりゃ!」

でももし、お客さんに、

「大変申し訳ないが、現在こういうバグが残っているのです」

と伝えていたら、お客さんのところでその「重大なバグ」が露見しても 「ああ、これが言ってたバグだな、しょうがないなあ」 ということになるでしょう。 当然、後者の方が「驚き」が少ないわけです。

驚きが少ないときには、 将来の作戦がたてやすくなります。 お客さんは、そのプログラムを使って 500人の聴衆の前でデモンストレーションをしなくちゃいけないかもしれない。 で、そのときに「重大なバグ」が露見したら…ああ、恐ろしや。 でも、きちんと「こういうバグがあるんです」と聞かされていたら、 そのバグを回避したデモをすることでしょう。

「どうしようかな?」と思ったときには、 相手の「驚き」を最小にするような選択をすべきなのです。 それが「驚き、最小の法則」です。

「驚き、最小の法則」という感じ、わかりましたか? 実はこれはすべての人間関係に応用が効くのですが…、 それはまた別の話、違うところでお話することにいたしましょう。

(1996年12月21日)

むしょうに腹が立つあいつのこと

あいつだけはゆるせない。

あいつのせいで、今回の仕事は失敗したのだ。

あいつのことを思い出すだけで腹が立つ。

あいつのことなんか考えたくもない。

…という相手はいますか? 私にもそういう相手がいます。 何か、理屈じゃなく腹が立つ相手。 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」じゃないけれど、 その相手の属性すべてが嫌いになるような、 そんな相手がいるのです。 そういうときって、 どうしたらいいんでしょうか。 まあ、どうもしなくてもいいのですが、 何か心にひっかかるものがあるのです。

「あいつのこれこれこういうところがヤなんだよな。だって…」

と理路整然と説明したつもりでも、 怒りは鎮まらない。 ずうっと昔のことなのに、 まるで今日のことのように腹が立つ。 私はそれを理不尽だと感じてしまいます。

そんなとき、 どうしたらいいんだろう…。

二年ぐらい前、私は 発見してしまいました。 どういうときに私はむしょうに腹が立つか、 その原因を発見したように思います。

単純なことでした。 私は、 私にそっくりな人に腹を立てている のでした。

あいつは細かいことばかり気にする、というときは、 実は自分自身も細かいことばかり気にしているのでした(冷静に考えてみるとね)。 あいつは自分のことばかりしゃべっていて、人の話を聞いていない、 というときには、 自分自身もまったく同じことを他の場面でしているのでした。

ううむ。

憎らしい相手、妙にカンにさわる相手、 その気になる部分というのは、まさに私自身に似ている部分なのでした。 言い換えれば、私は、 自分自身を憎む代りとして、相手を憎んでいたのでした

それを知ってから、私はちょっと変わりました。 理由のよく分からない怒りに襲われたとき、 むしょうに腹が立つ相手が現れたとき、

「もしかして、私に似ている部分があるんじゃないかな?」

と思うようになったのです。 もちろん、腹が立つ気持ちを止めることはできませんが、 「私に似ている」と思うだけで、 何かがちょっと変わってきたように思うのです。

ほんのちょっと、ですけれど、ね。

(1996年12月24日)

あなたは、そのままでいいんです

私は以前、以下のような状況に苦しんだことがある。

  • 自分に満足できない。
  • 達成感がない。
  • まわりの人は「よくやっているよ」と言ってくれるのだけれど、自分では到底そうは思えない。
  • 他の人から低い評価を受けるのがいやで、ものすごく頑張ってしまう。

一言で言うのは難しいのだけれど、 「自己評価基準が厳しい」というのかな? 「自分自身を採点するとき、きびしい点をつける」というのかな。 走り高飛びで言えば、 バーすれすれで飛びたくない、というのかな。 バーよりもはるかに高いところを飛ぼうとするのである。 人には厳しくないんです。 人には寛容でやさしく接することができる。 でも自分に対してすごく厳しい。 完璧主義。と一言でいってもいいかもしれないけれど、 その言葉では不全感やイライラはうまく表現できていないように思う。

ともあれ、そういう感じです。 伝わりました?

自己評価の基準が厳しいと、仕事が順調のときにはいいのだけれど、 自分の力を超えたトラブルがやってきたとき、 「ものすごく」苦しくなるんです。 いや、ほんとに。死にたくなるほど苦しい。 「真面目すぎるから」と言われたこともある。 でもだからどうしろというのだ、と反発を感じてしまったのを覚えています。 他の人から高い評価を得ても、 自分自身でちっとも満足できない。 もっとちゃんとやらなきゃ、やらなきゃ、 と倒れそうになるまで仕事してしまう。 もっと、もっと。早く、早く。

こんなこと、書いてるだけで苦しさを思い出します。 (読んでいてもイライラするでしょ?)

で、ふと、最近の自分を振り替えると、 そういう不全感からかなり解放されているように思うのです。

  • 自分の仕事に満足と感謝を覚えている
  • 仕事だけじゃなく、自分自身がとても好き
  • 他の人の評価と自分の評価のずれが少なくなった(ここはよかったね。うん。ここはさぼったね。うん)
  • 前よりも楽にすごしているのに、前よりも他の人からの評価が高くなった

どうしてだろう?

秘密は「結婚」にありました。 もっと正確にいえば「奥さんからの愛」です。 (これから書くのはノロケに聞こえるかもしれないけれど、 私は自分の状況をできるだけ正確に書こうとしているのです)

奥さんはいつも、 私に接するときに、無条件に接してくれているのです。 私の仕事がうまくいったからとか、 家事をよく手伝うからとか、 そういう条件を抜きにして接してくれる。 私が例によって無理矢理自分にむち打って何かをしようとするとき、 いつも

「そんなに頑張らなくてもいいのよ。 あなたはそのままでいいのだから

というメッセージを私に送り続けてくれるのです。

不思議なことに、 そういうメッセージを長い間受け取っていると、 いつのまにか私も自分自身に対して

「あ、わたしはわたしのままでいいのだ(と思ってみよう)」

という気分になってくるのです。 習慣ってすごいですね。

そうこうしているうちに、 仕事での焦りとか、 不全感が少しづつ減っていくのです (話がきれいごとすぎるように聞こえるかもしれませんが、 事実なのでしょうがないです)。 で、焦りが少なくなると、 自然と余裕が出てきて回りからの信頼が増してくる。 以前は「あいつは頑張ってくれるが、ここ一番というときにガクっとくる」という評価 だったのに「あいつは最近、安定している」という評価に変わってくる。

もちろんストレスがゼロになるわけでも、 仕事でのポカがゼロになるわけでもないですよ。 でも、何だか自分を等身大に見ることができるようになったような感じなのです。

ときどき私の心の奥で誰かがこう言います。 「おまえはもっと頑張んなきゃダメだ」 でも、最近はそんな声は、無視無視。 けとばしちゃいます。

順番が逆だからです。 頑張ったから愛されるのじゃないんです。 愛されるから、愛されているから、いろいろ頑張れるのです。

私の場合は、奥さんから「そのままの私」を受け入れてもらい、 その愛の力で「そのままの自分自身」を受け入れることができました。

だからわたしは、ことあるごとに他の人を受け入れたい。 みんなに

「あなたはそのままでいいんだよ」

というメッセージを送りたい。

この文章を読んでいるあなたにも。

(1997年3月26日)

はじめからやり直したい症候群

仕事がある程度の段階まで進むと、 あちこちに歪みやアラが目立ってきて、 全部「 はじめからやり直したい 」という気持ちが強くなってきます。 これを私は「はじめからやり直したい症候群」と呼んでいます。 この症候群の特徴は、以下のような言葉で表現できます。

  • あっちとこっちが 統一されていない のが気になる
  • いまはAとBとCと別れているけれど実は 汎用的な Gで対応できるはずだ
  • XとYがごちゃごちゃしていてわかりにくいので 全体的に整理 したい
  • 要するに、全部捨ててゼロから作った方が 絶対 よいものになるのだ

でも、安易にはじめからやり直すと、 たいていは失敗します。

仕事にアラが目立ってくるのは、 仕事のやり方がまずかったからというよりは、 仕事がかなりの段階まで進んできたからなのです。 はじめからやり直した方がいいように思えるのは、 そっちの方向がまだ「手つかず」で、 詳細に検討されていないからです。 詳細な検討がなされ、 時と現実という荒波に揉まれた後では やはり以前と同じように歪みやアラが目立ってくるものなのです。

まだ手つかずの方法は、 遠くに見えるお花畑 のようなものです。 遠くに見えるお花畑の方が、 足元のお花畑よりも奇麗な花が密集しているように見えます。 けれどもそれはお花畑の違いではなく、 自分の立っている位置の違い なのです。

足元のお花畑をすべて捨て、 遠くに見えるお花畑に行ってみたとしても、 そこに着いたとたん、全然花が密集していないことに気がつくのです。 そしてふとさっきのお花畑を振り返ると…不思議なことに さっきのお花畑の方が綺麗に見えるではないですか。

どうしてもはじめからやり直したい、 絶対その方がうまくいく…という気持ちが抑えられないときは、 現在の状態に復帰できるようにした上で、 はじめからやり直してみるのもよいかもしれません。 そのときには、 やり直しを本格的にするのか、 やめるのかを再検討する時期を決めておくのがよいでしょう。

もちろん、 「はじめからやり直す」ことで質が向上した仕事も数多くあるとは思います。 ここで言いたいのは、詳細な検討もせずに 「はじめからやり直したらうまくいく」 と考えるのは危険である、ということなのです。

(1997年5月22日)

人から信頼されるためにはどうしたらよいか

人から信頼してもらいたい、人から信用してもらいたい、 多くの人がそう望んでいるでしょう。

  • プライベートで、恋人や友人から信頼してもらいたいが、どうしたらよいか。
  • ビジネスで、顧客から信頼してもらいたいが、どうしたらよいか。

多くの人がそういうことを思っています。

真面目に相手と信頼関係を結びたいと願っているが 具体的な方法がわからない、という人のためにヒントを差し上げます。 シンプルで覚えやすく、具体的で実現可能な方法です。 それは、一言で表すことができます。

相手と約束をして、それを守る

相手の信頼を得る方法は、これに尽きます。 相手と約束をして、それを守る。

具体例をあげましょう。

  • 奥さんに「今晩は何時に帰るよ」と約束し、それを守る。
  • 顧客に「じゃあ、この資料は明日までにFAXしておきます」と約束し、それを守る。
  • 恋人に「今度の土曜日にあの映画を見に行こう」と約束し、それを守る。
  • 上司に「報告書は来週の火曜日に先方に届けておきます」と約束し、それを守る。

いかがですか? とっかかりとしては、どんな簡単な、どんな小さな約束でもいいです。 どんな約束でも「約束」したことは守る、 という態度が信頼を得るためのよい方法です。 もしかしたら最もよい方法かもしれません。

そんなこと言っても、守れない場合はどうするの? ふむ。当然の質問ですね。もちろん約束はしたものの、 事情が変って守れなくなることはあるわけです。 そういうときにはどうするか。

  • 守れなくなることが判明したら、できるだけ早く「守れなくてすみません」ということを相手に伝える。
  • いかなる理由があろうとも、相手に謝る。謝罪は約束の内容、守れなくなった理由に関わらず行なう。この謝罪は「いったんした約束が守れなかったこと」に関する謝罪なのだ。
  • 守れなくなった理由を言いたいときでも、自己保身のためにくどくど長くなることを避ける。短く、事実を率直に。
  • 今回の約束が守れないなら、その埋め合わせはどうするか、どうするつもりか、まで考えておく。

「約束というのは重要なものであり、 いったんした約束は本来きちんと守られるべき筋合いのものなのだ」 ということを意識する、というのが心がけになります。

恥ずかしながら、結城自身、 なかなかここで述べたようにいつもできているわけではありません。 しかしここに書いたのは、私の経験的事実でもあります。 あなたがもし「 相手と約束をして、それを守る 」 をいままで意識したことがないなら、 試してみる価値があると思います。

(1997年8月1日)

トラブルがチャンス

仕事をしていると、客先からトラブルが飛び込んでくることがある。

トラブル発生!

仕事の相手から突然電話がかかってくる。 そのときのこちらの受け答えが重要だ。 相手のことを考えて、相手の視点にたって応答する。 自分はもちろん緊急の仕事をたくさんかかえている。 自分が相手のトラブルにすぐに動けないことはわかっている。 けれども、まずは 相手の話を聞こう 。 落ち着いて、落ち着いて。 相手はパニックになっている。 その相手のつらさを ぐっと受け止めて 、少なくとも話をじっくり聞こう。 自分の時間をすぐに使えるかどうかは自分だけでは決められないから、 明日できます、なんて 安請け合いはしない こと。 でも、最善の努力はすることを本気になって伝えよう。 相手が何か調査する手がかりをすぐに思い付くなら、教えてあげよう。 やりすぎはいけないが、可能な限り情報を出してあげよう。 バグが直るまでは時間がかかるから、思い付く 回避策 を教えてあげよう。 自分の 保身に走るのをやめよう 。 相手の「困った」を軽減させる方向で考えよう。

失敗・バグ・トラブルが原因でプロジェクトがダウンしてしまうことだってある。 自分の責任のこともあるし、相手の責任のこともある。 どちらの責任でもなく、不可抗力のときもある。 プロジェクトの失敗は大きな痛手だ。

けれど、相手に次のように感じてもらえたら、 長い目で見たら実は成功かもしれない。

「今回はうまくいかなかったが、 あの会社と、あの人ともう一度仕事をしてみたい」

(1997年10月19日)

あなたはひとりではありません

あなたはひとりではありません。

徹夜あけでふらふらになりながらデバッグしていると、 とんでもなく情けない気持ちになります。 残っている仕事量を納期までの日数で割り算して、 目の前がくらくらします。 完成直前にとんでもない事態が持ち上がって、 大量のやり直しが発生します。

けれども、あなたはひとりではありません。

いま情けない気持ちでキーボードをたたいている自分。 納期までをどうやりくりしようかと考える自分。 やり直しをするのはやっぱり自分か…と思う自分。

けれども、あなたはひとりではありません。

確かに、 目の前には自分しかいない、 この仕事は自分がやらなきゃだめだ、 他に誰がやってくれるというのだ、と思う。 そしてそれはそうなのでしょう。

けれども、けれども、あなたはひとりぼっちではありません。

いま、世界のどこかで、あなたと同じ思いを抱いている人が必ずいます。 髪の色も違い、職業も違い、言葉も違い、 あなたと一度も会ったことがなく、これからも会うことがないかもしれないけれど… あなたと同じように、自分の目の前の問題に途方にくれつつも、 何とかしようと考えている人がいるんです。

そして、まわりをよくみると、自分のまわりをよくみると、 あなたのすぐそばに、 あなたが、いま、あなたの言葉を伝える相手が見つかりはしないでしょうか。 仕事の状況を報告する上司か、 困った事態だと訴える同僚か、 自分の弱さと心の痛みをうちあける恋人か、伴侶か、 今日はこんな私です、と話す友人か…

決して、あなたはひとりぼっちではありません。

あなたは、これまでいろんな時を過ごして、現在ここにいます。 きっと今の困難も(どんな形でかはわかりませんが)解決することでしょう。 そして、今よりも少し楽になったとき、 もう一度あなたのまわりをよくみてください。

あなたのまわりに、あなたが耳を傾けるべき相手はいませんか? 「わたしはひとりぼっちだ」と思い込んでいる誰かはいませんか? ぜひ、その方の話を聞いてあげてください。 じっくりと、最後まで。

(1997年11月11日)

あなたのための聖書の言葉

聖書?

そう、聖書です。 アダムとエバがでてきたり、 ノアの箱船が出てきたり、モーセやアブラハムやパウロが出てくる、あの聖書です。

そう、聖書です。 イエスキリストが十字架にかかったことが書かれている、あの聖書です。

聖書は、単なる物語ではなく、歴史書でもなく、教訓集でもない。 そこには、「今、ここ」に生きているあなたのためのメッセージが示されているのです。

いくつか有名な言葉を聖書からひろったものを 聖書の言葉として別のページにまとめました。

ぜひ、感想をお送りください

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更新履歴

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  • 1999年12月22日、hyuki.comへ移動しました。
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