日本初でアジア最古! 幻の多摩川スピードウェイの歴史がいま明かされる

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  • author 野間恒毅
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日本初でアジア最古! 幻の多摩川スピードウェイの歴史がいま明かされる

戦前の人、無茶しすぎ

日本初の常設サーキットは何かご存じですか? 富士スピードウェイ? 鈴鹿サーキット? 船橋サーキット? いやいや、実は都市圏のとても身近なところにあったんです。多摩川の河川敷、東急東横線の鉄橋のすぐ脇に。グラウンドとしていまは市民に愛される場所ですが、実はそこに遺構も残っていて、当時の面影を偲ばせてますよ。

その名は「多摩川スピードウェイ」、1936年に建設され、戦前・戦後の混乱期をくぐりぬけたため実態がよく分かっていませんでした。そこで多摩川スピードウェイの会が中心となり、資料や生き証人からのヒアリングをもとに、多摩川スピードウェイの歴史的・文化的価値を改めて認識してもらうための回顧展を11月21・22日に多摩川スピードウェイ跡地近くの田園調布せせらぎ公園で開催しました。

知れば知るほど、この多摩川スピードウェイの奇跡的な立ち位置に改めて驚かされましたよ。

無茶しすぎな人によるかっとびレース

いつの時代もスピード狂な人はいますけど、ただレースをするだけではなく、それを興業つまりビジネスとして成立させ、企業、地域や政府と密接に連携して常設サーキットを作ってしまったことから、単なるアウトローではないことが分かります。

第1回レースにはあのホンダ創業者の本田宗一郎氏も参加していました。彼は自らチューンした浜松号(フォード)のハンドルを握り、なんとドライバーとして出場。しかし余りに速過ぎて…大クラッシュ!

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ん?

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えっ!

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あっあーーー!

完全に空飛んでます、本田宗一郎氏。幸い怪我で済みましたが、左目に後遺症を負ってしまい視力が弱くなってしまったとか。その後は天才エンジニアとして活躍することになりますが、このサーキットに関わった人がその後の日本の自動車産業に大きな影響を及ぼしているんです。その意味で、まさに聖地といってもいい場所。

町工場 VS 大企業 VS 輸入車

見どころはまだまだあります。

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多摩川スピードウェイの第1回優勝車は「オオタ号」、そのオオタ自動車の量産車はレストアされ展示。当時日産も参加していたものの、オオタ号に大差をつけられて負けたのをかなり悔しがり、第2回目ではスーパーチャージャーを搭載したオリジナルレーサー「スーパーダットサン」を極秘裏に開発、見事に優勝してます。

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当時強かったのはブガッティや飛行機エンジンを流用したカーチス、フォードといった大パワーな輸入車。それに対抗する純国産・町工場の造る自動車という構図は国威高揚という意味でも時代にマッチしたものでした。

2016年に向けて

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多摩川スピードウェイの会では設立80周年となる2016年に向けて、記念碑建設などさらに活動を活発化していきます。多摩川をサイクリングなどで通りかかる際は、この古いコンクリートの観客席が当時3万人の観客で埋め尽くされた、なんてことを想像してみるのもいいですよ。温故知新!

source: 日本初の常設モーターサーキット「多摩川スピードウエイ」回顧展 開催 大田区

(野間恒毅)