アメリカの公園は灰色リスだらけで、隙あらばナッツかっぱらって木に逃げますが、あれって野生じゃないんです。そう、元々は人間が人間の娯楽のために置いたものだったんです。
ペンシルバニア大学のエティエン・ベンソン(Etienne Benson)教授が「Journal of American History」に発表した最新論文によりますと…アメリカのリス繁殖の歴史は19世紀初頭に端を発したようです。
それまではアメリカでもりすは森に棲む動物の一種に過ぎず、腹ペコ開拓者の貴重なタンパク源でありました。街中で見かけるリスはほぼ100%ペット。状況は日本と一緒だったのです。
ところが。
1856年頃、ニューヨークシティでペットとして飼われていたリスが1匹脱走し、それを追うかのように何百匹というりすが逃げます。この異変を市内の各新聞は公園に出没する「珍客」として報じました。
脱走劇と相前後して人間とりすの関係も大きく様変わりしました。
その徴候が最初に現れたのはフィラデルフィアです。1847年に市がフランクリン広場にりすを3匹放し飼いにして小屋と餌を置くと、市民は大喜び。来場者からは「なんで全都市が公園にリスを置かないのか理解できないよ」という声が出ます。
続く数年の間にこのトレンドはボストン、ニューヘイブンへと拡大。各自治体は公園にりすを放し、りすが自活できるよう、木の実のなる木を植えてやりました。
そのうち心優しい人間が餌をやり過ぎたせいで、りすはみるみる肥え太り、木から転げ落ちるようになります。
りすブームが米全土に広まったのは1870年代です。ブームの火付け役は造園家フレデリック・ロー・オルムステッド(Frederick Law Olmstead)の緑化運動でした。
りすを公園に置く行為は、この運動の「美しいものを街に置く」という趣旨にぴったんこ。しかも、「都市に自然を採り入れることと、市外に旅行できない労働者のために娯楽の場を与えることは、市民の健康維持のためにも不可欠だ」という当時の思想にも合致するものだったのです(ベンソン教授の論文より)。その日暮らしの労働者にとっては下手すると生きてる間に目にできる唯一の野生動物がリス、という可能性もあったんですね。
アメリカの都市部へのりす導入の第2波は、NYセントラル・パークから始まりました。1877年に少数のりすを園内に放したところたちまち繁殖し、6年後には推定1500匹まで増え、当局からは「間引かないと手に負えなくなるのではないか」との懸念の声が出ます。そうこうしてる間にもりすは米全土に広まり、ハーバード大の芝生、ワシントンD.C.のナショナル・モールをも我が物顔で這い回るようになったのです。
りすの餌やりが人間の暇つぶしとして定着したのも、この頃です。自然主義者や自然保護活動家らは「人が動物の扱い方を学ぶ良い機会だ」と、この動きを目を細めて眺めていました。
りすが公園の境界線をまたいだのも、この頃です。19世紀後半には都市部から遠く離れた僻地でもりすに餌やりをする人の姿が目撃されています。
しまいにはボーイスカウト創設に尽力したアーネスト・トンプソン・シートン(Ernest Thompson Seton、シートン動物記の作家)までもが、「残虐な性向のある男子の心を癒やす」方法としてりすの餌やり採用を考えたほどでした。
今やハイイロリスは大西洋を越えてイギリスへ上陸、現地のキタリスを北方に駆逐して害獣扱いされ、リス料理にされています(まあ、この最後のは料理用にはキタリスよりハイイロリスの方が向いてるってだけの話ですけどね。米国でも大恐慌時代のサバイバル食の名残りでりすのスープは残ってます)。
アメリカはアメリカで公園に行くと「餌やり禁止」の看板が立ってて、「餌やると罰金」、「餌やると噛まれる」、「感染するよ」、「餌やると異常繁殖して毒殺しか方法がなくなる、りすを毒殺したいか?」などと細かい字で書かれています。かわいいんだけどなあ…。
そんなわけですので今度アメリカでリスに包囲されたら、これも先人が人間の娯楽のため、人間と動物の共存を教えるために放し飼いにしたんだなあ、トホホ…と思うことにしましょうね、はい。
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ADAM CLARK ESTES(原文/satomi)