しかし僕にとっての彼は...。
僕が最初にアップル製品に触れたのは、1990年のこと。
我が家に突如やってきたMacintosh SE/30。すごかった。
何時間も僕の心をつかんで離さなかったMacDraw、最適化を試みて何度も破壊したシステムフォルダ、雑誌ログインに出ていた若きジョブズのイケメンっぷりといたずらっ子のような笑み、数々のアメリカでのビジネスの仰天話、大げさで演技がかった彼のコメントなど、まるで現実ではなく、物語のようでした。
ジョブズがアップルを去り、NeXTを立ち上げたときは、NeXTこそ次世代コンピューターだと興奮しました。買えるわけもないのに、使いこなせるわけもないのに、NeXT関連のニュースを読みあさりました。
一方、僕は社会人になってからもしばらくはMacintoshを使い続け、TigerMountainやNIFTY-Serveからおかしなジョークアプリをダウンロードし続けました。
ジョブズがアップルに復帰したときは、ワイアード・ジャパンで特集記事を読みました。
そのときの彼は「僕は暫定的に戻ってきただけ」とか「僕は本格的に戻る気はない」という発言も多く、それほど期待してはいませんでした。
しかし、彼が再び基調講演で壇上に立ったとき。
ステージに置かれた布をとりあげたとき。
まだ目に焼きついています。
布の中から現れた、ボンタイブルーの、今まで見たこともないようなコロコロしたデザインのパソコン。
「iMac」。
あのとき、なぜか感動して涙を流したのを、よく覚えています。既にアップルには期待していなかったし、僕自身もWindowsにスイッチしていたにも関わらず。
iMac、それはただの目新しいパソコンではなく、思想であり、パーソナルコンピューターの創業期を作った神話世界の住人からの「原点にかえれ!」というメッセージでした。
この時点ですでにパソコンは、ちょっとしたスペックの差や、安さを競う「道具」になろうとしていました。しかしiMacは、価格/スペック競争から目をそらすことなく、その上で全く違う価値観のもの、キラキラした何かを象徴していました。
彼は、昔のようなクレイジーなベンチャー魂を捨てないまま、昔より遥かに老獪でタフなビジネスマンとして戻ってきたのです。
ここからアップルは、何年も何年も懐疑的な目で見られ何度も何度もつまづきながら、少しずつ、しかし急激に復活していきます。「ソニーに買収されるかも」という噂すら流れた株価5ドルくらいの状態から、今や380ドル近くに。かつて資金援助を申し込むところまでいったマイクロソフトを抜き、製品を出すときには常に大注目を浴びる、世界最強の企業に生まれ変わりました。
かつてのアップルを知る人全てにとって、今の状況は絶対に想像できなかったことでしょう。
消える寸前までいった会社が、たった1人の男が故郷に戻るだけで、ここまで劇的に変貌するなんて。
----------
ジョブズは僕にとっては、メンターでもあります。
僕のデスクトップには、何年も前から、以下の言葉が貼り付けてあります。
「あなたの時間は限られている。
だから他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない。
ドグマにとらわれるな。それは他人の考えた結果で生きていることなのだから。
他人の意見が雑音のようにあなたの内面の声をかき消したりすることのないようにしなさい。
そして最も重要なのは、自分の心と直感を信じる勇気を持ちなさい。
それはどういうわけかあなたが本当になりたいものをすでによく知っているのだから。
それ以外のことは、全部二の次の意味しかない。
心の問題のすべてがそうであるように、答えを見つけたときには、自然とわかるはずだ。」
何やらスピリチュアルめいたセリフですが、スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で行った伝説のスピーチからの抜粋です。全文は以下の通り。
悩んだときや辛いとき、目の前にたくさんの道があるときや、断崖絶壁に思えたとき、僕はいつもこのスピーチを見返します。
すると、行動を起こす勇気が湧いてくるのです。
もちろんジョブズは聖人君子ではありません。むしろエピソードとしては怖いもの、理不尽なものばかりです。
だからこそ、自分の心の奥底にある本質的な何かをつかんでいて、その深さが多くの人の共感を呼ぶのだと思います。
ギリシャ神話だって理不尽で矛盾だらけで恐ろしい話ばかりですしね。その意味でも彼は神話世界の住人のようです。
この度のご不幸に、心からお悔やみ申し上げます。
あなたがいなくなって、とても寂しい。まるで世界から色がひとつ失われたようです。
(ギズモードゲスト編集長、いちる)