タモリに学ぶ「おじいちゃん力」
今日も元気に「勝手きままに」やってもいいかな?
かつてナンシー関が、芸能界におけるタモリの位置を「おじいちゃん」と記していたコラムがあった。
年齢的な意味では、もちろんない。
父の責任はなく、もちろん母でも祖母でもない、「自由気ままなポジション」という意味合いでの「おじいちゃん」ということである。

というわけで、女性の私には基本的には会得不能な「おじいちゃん力」を少しでもマネできたらと、タモリの「おじいちゃん力」について考察してみた。
まずは「まるで興味&やる気がなさそう」と言われる『ミュージックステーション』の司会ぶりから。たいていは「へえ」「ほお」などの適当な相槌が多く、リアクションが薄い。
ただし、ゲストによって、ときどき熱が入ることもある。たとえば、かつてラルクアンシエルのハイドが出た際には、「きれいだねえ」「フランス人女性のようだね」を連発。性差をこえて美しいものに素直に惹かれ、愛でるという、「非エロ感性」も、ひとつの「おじいちゃん力」ではないか。

これは『笑っていいとも!』のテレホンショッキングでも見られる現象で、若手のキレイな女優、俳優などが出る回は、すこぶる上機嫌。先日、塚本高史が出演した際には、トークそっちのけで「唇、赤いね〜」「口紅ぬってる?」と執拗にからむほどだった。
自分の興味ある話しか聞かない、言わないという点も、見事に「おじいちゃん力」。

「おとなげない」ところも一つのポイントだ。『タモリ倶楽部』でのやりたい放題ぶりは顕著な例だが、他にも『いいとも』で、芸人たちを差し置いて自分がいちばんボケること、「プチ自慢」などのコーナーで、対抗して自分のほうがうまくやってしまう本気っぷりも象徴的だ。

さらに、「素人・子どもに容赦ない」面もある。そっくりさんが登場するコーナーで、幼い子どもが登場する場合、たとえ似ていなくても誰もが情にほだされ、「そっくり」札をあげるのだが、タモリだけは(ときに、草なぎや、しずちゃんもだが)「思い込み」札をためらいなくあげる。手加減まるでなし。

そんな「おじいちゃん力」を思わせる実力者は、他に、これまでも紹介してきた「ちい散歩」の“ちいちい”などもそうではないか。
さらに、この「おじいちゃん力」を若くして会得しつつある気がするのが、『黒バラ』などで見られる中居くん。
貧乏メシを並べては野球の打順にたとえ、本気で検討する勝手きままなコーナーなど、正直、「知るか、そんなもん!」と思うのだが、どうにも楽しそうでうらやましい。
稲垣吾郎と役割を交代する設定のCMもあったが、それぐらい「勝手きままキャラ」が定着しているのだから、立派である。『いいとも』後継者との噂もあったりするのは、この「おじいちゃん力」のなせるわざかもしれない。

一朝一夕では会得できそうにない「おじいちゃん力」。もはや対抗できるのは、逆に「孫」力くらいしかないのか。いや、これはもっと難しいか、もう33歳ですし。
(田幸和歌子)
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