深層学習(ディープラーニング)などの技術発展により人工知能(AI)の可能性はいっきに広がった。ビジネスの世界でも、AIを使ったビッグデータ分析によって、顧客の行動を予測したマーケティング施策が展開されている。いま、AIはどこまで来て、どこに向かっているのか。東京大学大学院工学系研究科准教授の松尾豊氏に尋ねた。

半世紀以上、研究されてきた知能の本質は「予測性」がカギ

松尾 豊(Yutaka Matsuo)
東京大学大学院工学系研究科准教授
1997年、東京大学工学部卒業。2002年、東京大学大学院工学系研究科修了。独立行政法人産業技術総合研究所研究員、スタンフォード大学 CSLI 客員研究員を経て、2007年、東京大学大学院工学系研究科総合研究機構(若手育成プログラム)/知の構造化センター/技術経営戦略学専攻准教授。国家戦略室叡智のフロンティア部会委員、経済産業省 IT融合フォーラム有識者会議委員、経済産業省消費インテリジェンスに関する懇談会委員などを務める。

――そもそも「人工知能(AI)」とは、どのようなものなのでしょうか。

 非常に高速で計算することができるコンピューターは、1940年代に登場した当初から人間より賢くなるという期待がかけられていました。そこで、人間の知能をコンピューターで再現しようという研究が始まり、1956年にはダートマス会議で「Artificial Intelligence(人工知能)」という言葉が使われました。産業革命で肉体労働を機械に代替させるようになった人類が、知能労働を代替することを機械に期待するのも自然な流れだったと言えるでしょう。

  ところが、人の代わりとなるような人工知能はなかなかできません。知的で難解な問題への挑戦としてチェスのプログラムをつくりましたが、コンピューターは素早くプレーできても賢い手を考えられるようにはなりませんでした。決められた通りに処理することはできても、人間の思考が持つ柔軟性や臨機応変な対応はできないということがわかって、人工知能への期待はしぼんでいきました。

――人が決めたことしかできなければ、確かに知能とは呼びにくいですね。では、知能とは何なのでしょうか。

 まず思いつくのは論理性です。そこで「ソクラテスは人間である」「人間は死ぬ」「だから、ソクラテスは死ぬ」という三段論法をはじめとする論理のルールを蓄積すれば知能になるのではないかと考えられましたが、やはりうまくいきませんでした。チューリングテストといって、判定者が、別の部屋にいる人、コンピューターとテレタイプで会話して、両者の違いを判別できなければ知能と呼べるのではないかというテストが考案されるなど、さまざまな試みが続けられてきました。

  知能の本質については、いまも研究者の間では意見が分かれていますが、私は、生物が生存のために発展させてきた予測性と考えています。そのためには「分節」といって、世界を切り取って認識する力が重要です。

  たとえば「これはコーヒーです」という場合に、人は目の前にある世界からコーヒーを切り分け、それに名前をつけています。コーヒーという言葉には苦味や液体といった共通性が含意されているので、環境が異なる別の場所でコーヒーを見ても、どういうものかを予測できます。国内で知らない土地に行っても、コンビニエンスストアだと認識できれば、どんなものが売られているか、高い精度で類推できるのも同じ理由です。