コーディネーター 今回の経済産業省ワーキンググループの報告書案の中では、疫学に関してかなりのスペースを取って書いています。この記述について本当はどうなのか、我々素人にはちょっとわかりにくいので、その辺のことや、疫学はどうして大事なのかも含めて、津田さんからお話しいただきます。
(以下、津田さん)
岡山大学の津田です。
大体、疫学入門というのは、大学の講義でいうと半期、15回の講義をしますので、20分というのは到底無理なのです。とりあえず、与えられた時間でお話しします。
科学の中心課題は因果関係
科学の中心課題は因果関係である、ということを強調したいのです。このことは、よくよく考えていただければ、納得していただけると思います。
因果関係というのは「目に見えない」と書いていますけれども、目だけじゃなしに、においもしないし、耳でも聞こえないし、なめても味がしないということで、五感では感じ取れないですね。それは電子顕微鏡を使っても、DNA分析をしても同じことです。
従って、推論-英語で言いますとインファーですが、インファレンスをしなければならないのです。具体的に与えられたデータでインファレンスをしなければならない。推論するためには、因果関係に関する概念を言葉で記述しなければなりません。ボキャブラリーを持つということになります。これをcausal
inferenceと言います。医学においてこの具体的方法論と語彙を提供するのが「疫学」ということになります。
要するに、経産省のワーキンググループ(WG)の先生方はこの語彙を持っていないか、わざと持たない振りをしているかのどちらかなんです。それでWHOと話がすれ違うわけです。
200年前のイギリスの哲学者デービッド・ヒュームは、「『原因』があったことはみんなの合意に達するし、『結果』-今回で言うと白血病です-白血病が起こったということもみんなの合意に達する。だけどその間の、前に起こった原因と後ろに起こった結果の間に因果関係があるのかないのかというのは絶対に合意に達しない」と言いました。というのは、因果関係は目に見えないからです。ですから、これはインファーしなくてはならないということで、科学の中心課題になったわけです。推論するために、因果関係を表現する言葉を持ちましょうということで、その言葉を担っているのが「疫学」ということになります。
だいたいこういうふうな科学哲学的な、さっき言いましたデービッド・ヒュームの問題ですけれども、こういう一般教養としての背景知識を持っておかなければ、疫学者として力を発揮できないわけです。
最初に、演繹法と帰納法、これはみなさんご存知で、まあ、ギリシャ時代からあるのですけれども。ずーっときて、21世紀に入って流行っているのは、Counterfactual modelとDAGですね。特に、DAGですね。これはまあ、説明するのが大変ですが、だいたいこういうことを背景知識として持っておく必要があります。
疫学について
①原因曝露の測定と②病気の診断法の技術は、日本ではすごく発達しました。だけど、①と②をつなぐ矢印の部分を推論する技術は日本では発達してきませんでした。
医学というのはこれらのテーマ(臨床各科、基礎医学、臨床各科…)とか、様々あるのですけれども、それと方法論(疫学、動物実験…)との両輪で進歩するわけです。ところが、日本では疫学をやる人はほとんどいなくて、医学部では動物実験がほとんどなのです。医学は人間を対象としているにも関わらず、人間に適応する方法論を扱う疫学者というのは皮肉にも日本にはほとんどいない。
テーマと方法論が交わったところに研究が生じるわけです。ですから疫学は、医学部の各分野、DNAとかその周辺のタンパクを含む研究など全てと係わり合っているということになります。
疫学と統計、あるいは統計学を混同する人が結構たくさんいらっしゃいます。
まず、疫学と統計を勘違いする人がいますが、これは論外です。統計というのはたんなる集計ですから、疫学とは全く違うものです。
疫学を「統計学の一種」と言う人がいます。疫学は統計学の言葉を利用しておりますので、関係はしております。けれども、統計学自体は、20世紀の統計学の大いなる発達により、今日の科学の文法になっておりまして、自然科学全般に渡って統計学の用語を利用しております。ですから、疫学が科学たるには、統計学の用語を使うことは当然でありまして、だからこそ、疫学と統計学は同じではないわけです。むしろ、疫学は統計学以外に哲学・論理学を取り込んでいて、それに、もともとの自然科学としての観察データを合わせて取り扱うという分野で、しかも、大きなテーマは人間ひとりひとりのデータを扱うということになります。
国際がん研究機関(IARC)は、1960年代末あるいは1970年ごろから、ヒトに対する発がん物質の分類を行っています。これを見ていただいたらわかりますように、英語は、それぞれ疫学の、「証拠は十分ある」「少ししかない」「不適切な証拠しかない」「全く欠けている」という意味ですが、疫学研究が十分揃っていれば、動物実験の結果がどんな結果であろうとも、ヒトにおける発がん物質として分類されます。
これは、ちょっと考えれば当たり前のことで、IARCもこれをもとにヒトにおける発がん物質を分類しているのです。
今、電磁波はグループ2Bですから、上から数えて3番目ではあるのですけれども、疫学研究ということに限って言いますと、上から数えて2番目なのです。疫学研究で十分な証拠があると認められれば、すぐグループ1になるわけです。
医学の因果関係の歴史
医学が因果関係を追及する歴史を、ちょっとだけ見ておく必要があります。
IARCの発ガン性評価は1970年前後ですから、人間が歴史的にどういうふうに医学における因果関係を概念として考え出したのかを振り返る必要があります。
「急所を剣で刺せば相手はしばしば死ぬ」という程度のことは昔の人も考えていたのですけれど、実は因果関係をごりっと考え出した歴史は、そんなに古くはないわけです。
1800年ごろ、ナポレオンが戴冠したころは、体の外側にある原因は全く眼中になくて、体の中にも眼中になくて、体の表面に表れる症状を神話的に結び付ける程度の因果推論しかやっていなかった。
19世紀に入って、解剖学の発達によって、ようやく体の中との関連で論じるようになります。これが、ミシェル・フーコーの「臨床医学の誕生」という本に描かれております。
コッホはコレラを発見したことで有名ですけれども、初めて体の外側の原因を病気と関連付けて論じ始めました。ようやくここまで達したのです。でも、原因そのものじゃなしに病因物質、コレラ菌という形で結びつけた。
例外はその30年前、ある井戸水とコレラとの関係を、コレラ菌の存在など知られていない時代に結びつけ、対策に結びつけた、ジョン・スノーとホワイトヘッドです。これは医学の歴史だけではなく、社会や経済も変えた大事件です。これは今アメリカでベストセラーで日本語にも訳されていますので、是非お読みいただければと思います(スティーヴン・ジョンソン著『感染地図―歴史を変えた未知の病原体』河出書房新社)。
コッホは、因果関係に関する原則というものを与えています。
英語を訳しながら後で読んでもらえるとわかりますが、mustとeveryが出ておりまして、確定論に基づいているわけですね。おまけに対策のことは全く考えていない。当時だから無理もないですけれども。だいたい、1880年代から1900年過ぎにかけての話です。
問題は、だいたい20世紀の前半から中頃に掛けての因果概念で、病因物質にDNAが1950年ぐらいから加わってきますけれども、基本はコッホの話と似たような因果モデルなのです。
で、WGの先生方は確信犯かうっかりかはわからないですけれど、基本的にこの半世紀くらい前の因果概念に基づいています。
でも今は、例えば、カロリンスカ研究所の報告書、あるいはアールボムさんのメタアナリシスは、ダイレクトに原因と症状の関係を結びつける因果モデルです。非常に自由な因果モデルでもって語っているわけです。因果モデルが異なれば、話がすれ違うのは当たり前です。
さっきの一連の図を、こういうふうに表しました。体の表面だけの話から、体の外側の原因との関係を結びつけるようになるのですけれども、これらの言葉を知らなければ、そもそもEHCの内容を実感を持って語ることは不可能だと思われます。
相対危険度、オッズ比
疫学の根本的な話ですが、有害物質に曝露されていなくても、5人病気が起こったとします。それが、なんらかの有害物質に曝露しますと、病気が4倍に増えてくることになる。
上の図では白と黒を区別していますが、同じ病気ですので、すべて塗りつぶします。
そうすると4倍多発という情報だけが残ります。これを私たちは「相対危険度4倍」あるいは「オッズ比4倍」とかと言って、これでもって語り合うことになります。
この相対危険度、オッズ比が無視されますと、これほど猛烈な多発が起こっていても、非曝露群にも1例起こっているではないか、ということで、因果関係がわからないという推論がなされます。水俣病の例は、100倍以上多発が起こっていても、それを無視したのです。
じゃあ、疫学はどの程度微少な違いまで検出できるかといいますと、特殊な状況下では1.01倍とか1.02倍まで検出できるようになっています。
上のような簡単な表にまとめたのが、基本になります。オッズ比は、たすき掛けすることによって計算することになります。
電磁波についての疫学研究
これまでの主な研究です。
これはみなさんよくご存知で、フリクエンシー(周波数)が高い電離放射線は白血病などを起こします。しかし、非電離放射線でも白血病が起こるから、話がややこしくなっているのです。
最初の研究、ワルトハイマー、リーパーの研究ですけれども、さっきの倍率を計算すると、約3倍の多発が起こっていることになります。
カロリンスカ研究所の1993年の研究です。これによってクリントン大統領は記者会見を開きました。小児白血病は、0.09μT以下に比べて、0.2μT以上で倍率が高くなっているのがわかります。
距離が近くなればなるほど、101m以上に比べて50m以下では、やはり3倍ぐらい多発が起こっているのがわかります。
1997年にアメリカ物理学会の肝煎りで、電磁波と小児白血病について(0.2μT以上でオッズ比1.24倍、95%信頼区間0.86-1.79なので)因果関係がないという論文が新聞で報道されました。
論文を早速読んで、あれ?と思ったわけです。計算をしてみると、0.3μT以上できっちり多発が起こっているのです。「因果関係がない」と言いながら、これだけはっきり因果関係が出ているのを見ると、「おっ、これは?」というふうに思っちゃうわけですね。
今まで紹介した研究以外にも、様々な研究がたくさん出ておりますので、統合する作業が必要なわけです。
それで、アールボムたちが、カナダ、デンマーク、フィンランドなど、9カ国の研究を詳細に検討しております。年齢、性別、社会経済状態とか、そういういろいろな要因を検討して、最終的には0.4μT以上で2.00倍(95%信頼区間1.27-3.13倍)という数字を出す。これがEHCの根拠となりました。
ここまで詳細にやってきても、最後は「ファシズム」というような、相手を罵倒する言葉でひっくり返そうとする人たちが必ず出てきます(小谷野敦、斎藤貴男、栗原裕一郎著『禁煙ファシズムと戦う』ベスト新書)。タバコみたいに45年ぐらい前に結論が出てはっきりしているものを「ファシズム」という言葉ひとことで医学的証拠などなかったことにしてしまいますと、他の有害物質の規制なんか全部吹っ飛んじゃうわけですね。この本のようにハードに罵倒しようが、WGみたいにソフトにやろうが、それまでの石を積み上げるような努力というものを全部なしにしようとするわけですね。
日本政府は科学的根拠に基づいた政策転換に全く慣れていない
まとめとして、結局のところ、日本政府はいずれの省庁とも、科学的根拠に基づいた政策転換に全く慣れていません。これは、電磁波と白血病の問題に限らず、これまで私は様々な分野で経験しております。だから、いろいろなトラブルが続出しています。
先月は、大気汚染の日本の環境基準が30年ぐらい変えられてないので、アメリカとかEUは変えられているにも関わらず変えられてないので、WHOの人を招いてシンポジウムを開きました。
幸い、そういう世界共通の問題は、WHOでさっきみたいに膨大な数の論文を検討していますので、大体それに従っていればいいのですね。もちろん「WHOを批判するな」とは言いませんが。
また、WHOは膨大な研究を検討しておりますので、その間、時間が遅れるのですね。だからWHOは遅い。だけど、遅いながら出来た判断は、まあ、それなりに仕上がっているということです。
終わりです。
コーディネーター 原因曝露の測定と、疾病・症状の診断は日本は優れているが、それらの間をつなぐ言葉がきちんとしてないという問題があり、今回のWGでも、この辺を意図的なのかどうかわからないけれども、きちんとしていない。そして、ここをつなぐものとしては、動物実験よりも疫学、つまり人の研究の方が大事なのだという考え方で、国際がん研究機関(IARC)が発がん物質をグループ分けしているということも、明確にお示しいただいたと思います。WGの人間は学者でありながら、それを無視して、白血病の相対リスクは2倍程度で少ない、あるいは、起きる症例も少ないのだということで、否定する。ところが、津田さんによると、1.01倍でも検出できるのだと。これが現代の、21世紀の考え方なんだよということを、わかりやすくご説明いただいたと思います。
また、「要素還元主義」についても言及されていました。水俣病でも、水俣湾の魚を食べておかしくなったことがわかれば、原因は魚だとわかるはずです。ところが要素還元主義に陥ると、「いや、魚を汚染したのはマンガンなのか、有機水銀なのか、それがわからないとだめだ」と、どんどん要素を還元して細かくして原因をわからなくしてしまうのです。また、わかるまで時間がかかってしまうのですね。こういうやり方を使うんですよ、日本の学者は。その問題を津田さんは非常に明快に指摘してくださったのではないかと思います。
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