朝日新聞の慰安婦報道をめぐり、三つのグループが起こした集団訴訟は2018年2月、すべて朝日新聞社勝訴の判決が確定しました。17年に判決が確定した二つのグループの訴訟に続き、国内外に住む62人が本社に謝罪広告の掲載などを求めた東京高裁での訴訟も18年2月8日、一審に続いて請求が棄却され、2月22日の期限までに原告側が上告しませんでした。
2月8日の判決内容や、これまでの経緯を報じた記事と表を掲載いたします。
(いずれの訴訟も判決が確定したため、3月19日、見出しと前文を更新しました。以下の記事は2月9日付の朝刊掲載)
●慰安婦めぐる訴訟、二審も朝日新聞勝訴 東京高裁
朝日新聞の慰安婦に関する報道で誤った事実が世界に広まり名誉を傷つけられたなどとして、国内外に住む62人が朝日新聞社に謝罪広告の掲載などを求めた訴訟の控訴審判決が8日、東京高裁であった。阿部潤裁判長は請求を棄却した一審・東京地裁判決を支持し、原告側の控訴を棄却した。
訴えの対象とされたのは、慰安婦を強制連行したとする吉田清治氏の証言に関する記事など。米国グレンデール市近郊に住む原告らは「同市などに慰安婦像が設置され、嫌がらせを受けるなど、市民生活での損害を受けた」として、1人当たり100万円の損害賠償も求めていた。
高裁判決はまず、一審判決を踏襲し、「記事の対象は旧日本軍や政府で、原告らではない」として名誉毀損(きそん)の成立を否定した。
原告側は、記事により「日本人が20万人以上の朝鮮人女性を強制連行し、性奴隷として酷使したという風評」を米国の多くの人が信じたため、被害を受けたとも訴えていた。
高裁判決はこの点について、「記事が、この風聞を形成した主要な役割を果たしたと認めるには十分ではない」と指摘。さらに、「読者の受け止めは個人の考えや思想信条が大きく影響する」などと述べ、被害と記事の因果関係を否定した。
一審の原告は2557人だったが、このうち62人が控訴していた。朝日新聞の慰安婦報道を巡っては、他に二つのグループも訴訟を起こしていたが、いずれも請求を棄却する判決が確定している。
原告側は判決後に会見し、代理人弁護士は「大変残念だ。上告するか検討する」と話した。
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朝日新聞社広報部の話 弊社の主張が全面的に認められたと考えています。
●国際的影響「主な役割」否定
今回の裁判の争点の一つは、朝日新聞の慰安婦報道が国際的に影響を及ぼしたかどうかだった。「主要な役割を果たしたと認めるには十分ではない」と高裁判決は認定した。
朝日新聞社が委嘱した第三者委員会は2014年12月の報告書で「国際社会に対してあまり影響がなかった」「大きな影響を及ぼした証拠も決定的ではない」とする委員の意見を紹介。韓国への影響については見解が分かれ、「韓国の慰安婦問題批判を過激化させた」「韓国メディアに大きな影響を及ぼしたとはいえない」と両論を併記した。
16年2月の国連女子差別撤廃委員会で外務省の杉山晋輔外務審議官(当時)は、慰安婦を狩り出したと述べた吉田清治氏について「虚偽の事実を捏造(ねつぞう)して発表した」と説明。「朝日新聞により事実であるかのように大きく報道され、日本、韓国の世論のみならず国際社会にも大きな影響を与えた」と述べた。これに対し朝日新聞社は「根拠を示さない発言で、遺憾だ」と外務省に申し入れた。
今回の訴訟で原告側は、杉山氏の発言を証拠として提出。8日の東京高裁判決では「朝日報道が慰安婦問題に関する国際社会の認識に影響を与えたとする見解がある」とした昨年4月の東京地裁判決を引用しつつ、吉田氏の証言(吉田証言)について「国際世論にどう影響を及ぼしたかについては原告らと異なる見方がある」と述べた。
原告側はまた、慰安婦問題を報じた朝日新聞の記事が、1996年に国連人権委員会特別報告者クマラスワミ氏が提出した「クマラスワミ報告」に影響を与えたとも主張。この報告は慰安婦問題について、法的責任を認め被害者に補償するよう日本政府に勧告していた。
高裁判決は一審判決を踏まえ、「クマラスワミ報告は吉田証言を唯一の根拠としておらず、元慰安婦からの聞き取り調査をも根拠としている」と指摘。慰安婦問題をめぐり日本政府に謝罪を求めた07年の米下院決議についても、「説明資料に吉田氏の著書は用いられていない」とした。
さらに、朝日新聞の報道が韓国に影響したとの原告側の主張に対しては、高裁判決は「韓国では46年ごろから慰安婦についての報道がされていた」と認定した。
●慰安婦問題を巡る朝日新聞社報道の経緯
朝日新聞は2014年8月5、6日、慰安婦問題をめぐる自社報道の検証特集を掲載。「女性を狩り出した」などの吉田清治氏の証言(吉田証言)は「虚偽だった」として記事を取り消すなどした。「慰安婦」と「挺身(ていしん)隊」を混同した記事があったとも述べた。
朝日新聞社が委嘱した第三者委員会は14年12月の報告書で、吉田証言の報道について「研究者に疑問を提起された1992年以降も、取り扱いを減らす消極的対応に終始した」と指摘。朝日新聞社は「吉田証言記事などの誤りを長年放置したことを改めておわびします」と紙面で謝罪した。
その際、「原点に立ち戻り、慰安婦問題の証言や国内外の研究成果などを丹念に当たります」と約束したのを受け、朝日新聞は14年暮れから、慰安婦問題を考える一連の特集記事を掲載してきた。日本軍で慰安所が設けられた経緯を軍や警察の公文書で検証し、慰安婦碑・像の設置をめぐる米国の論争を特集。韓国で慰安婦と「挺身隊」が混同された経緯をたどり、韓国人元慰安婦の足跡を証言や資料で追った。植民地支配下の朝鮮半島での慰安婦の動員や、戦犯裁判における性暴力の扱いについても、裁判資料や研究者の解説をもとに詳しく紹介した。
●これまでの訴訟の経緯
朝日新聞の慰安婦報道をめぐっては、今回の訴訟を含めて三つのグループが朝日新聞社を相手取り集団訴訟を起こした。うち二つの訴訟は原告側の請求を棄却する判決が確定している。
2015年1月に渡部昇一・上智大名誉教授(故人)らが提訴した訴訟では、原告約2万5千人が「慰安婦に関する虚報で、国民の名誉が傷つけられた」として謝罪広告や慰謝料を求めた。東京地裁は16年7月に原告側の請求を棄却。東京高裁も17年9月の判決で原告側の控訴を棄却し、原告側が上告せず確定した。
15年2月には東京都や山梨県の住民ら約480人が「読者や国民の知る権利が侵害された」として損害賠償を求めて提訴。東京地裁は16年9月、東京高裁は17年3月の判決でいずれも原告側請求を棄却し、最高裁が17年10月に上告を退けて判決が確定した。16年8月にはほぼ同内容の訴状で150人が甲府地裁に提訴したが、17年11月の判決で原告側請求が棄却され、原告側が控訴せず確定した。
今回、東京高裁で判決が出た訴訟は15年2月提訴。米国や日本に住む約2500人が一審の原告となった。東京地裁は17年4月の判決で原告側請求を棄却し、原告側が控訴していた。
朝日新聞の慰安婦報道をめぐる訴訟に対する裁判所の判断
《2015年1月提訴》
原告 | 一審は国会議員や大学教員ら2万5722人、二審56人 |
原告側主張 | ・朝日新聞の虚報記事で日本及び日本国民の国際的評価は低下、国民的人格権・名誉権は著しく毀損された |
東京地裁判決 | 《原告の請求を棄却》 ・記事は旧日本軍や政府に対する報道や論評。原告に対する名誉毀損には当たらない ・報道機関に真実の報道を求める権利があるとか、報道機関が訂正義務を負うと解することはできない |
東京高裁判決 | 《原告の控訴を棄却》 ・記事は旧日本軍や政府を批判する内容。原告の名誉を侵害したとはいえない ・知る権利を根拠に誤った報道の訂正を求める権利を有するとは解されない 《原告が上告せず確定》 |
《15年2月提訴》
原告 | 東京地裁の一審は482人、二審238人、上告28人。甲府地裁でも16年8月、ほぼ同内容で150人が提訴 |
原告側主張 | ・吉田証言に疑義が生じていたのに、朝日は報道内容の正確性を検証する義務を怠り、読者や国民の『知る権利』を侵害した |
東京地裁判決 | 《原告の請求を棄却》 ・新聞社の報道内容は、表現の自由の保障のもと、新聞社の自律的判断にゆだねられている ・一般国民の知る権利の侵害を理由にした損害賠償請求は、たやすく認められない 《甲府地裁も原告の請求を棄却、原告が控訴せず、確定》 |
東京高裁判決 | 《原告の控訴を棄却》 ・記事への疑義を検証し報道することは倫理規範となり得るが、これを怠ると違法行為というには無理がある 《原告は上告したが、最高裁が退け、確定》 |
《15年2月提訴》
原告 | 一審は在米日本人ら国内外の2557人、二審62人 |
原告側主張 | ・朝日の誤報や、訂正義務を尽くさないことで、誤った事実が世界に広まり、国連勧告や慰安婦碑・像として定着、多くの日本人が名誉を侵害された |
東京地裁判決 | 《原告の請求を棄却》 ・記事の対象は旧日本軍や政府で、原告ら特定個人ではない。原告ら個々人の国際社会から受ける社会的評価が低下したとの評価は困難 ・原告が受けた嫌がらせなどの責任が記事掲載の結果とは評価できない ・記事が、国際社会に対し、何らの事実上の影響も与えなかったとはいえない。しかし、慰安婦問題には多様な認識や見解が存在し、いかなる要因がどの程度影響したか特定は困難 ・「クマラスワミ報告」における強制連行に関する記述は吉田証言が唯一の根拠ではなく、元慰安婦からの聞き取り調査も根拠。クマラスワミ氏自身、「朝日が吉田証言記事を取り消したとしても報告を修正する必要はない」との認識を示している ・米下院決議案の説明資料に吉田氏の著書は用いられていない ・韓国において「日本軍による慰安婦の強制連行」は1946年から報じられ、45年ころから60年代前半までは「挺身隊の名のもとに連行されて慰安婦にされた」と報道されていたこと、「慰安婦数20万人」についても70年には報道されていたと認められる |
東京高裁判決 | 《原告の控訴を棄却》 ・報道内容は当時の日本軍や政府に関するもの。原告の名誉が毀損されたとは認められない ・吉田証言が慰安婦問題に係る国際世論に対してどのような影響を及ぼしたのかについては、原告らとは異なる見方がある ・クマラスワミ報告は、吉田証言を唯一の根拠とはしておらず、元慰安婦からの聞き取り調査等も根拠▽米国下院決議案の説明資料には吉田氏の著書は用いられていない▽米国各地で韓国系住民が慰安婦の碑等の設置を各方面に働きかける運動を展開▽韓国ではすでに昭和21(1946)年ころから慰安婦について報道されていた ―― ことから、記事が(慰安婦)20万人・強制連行・性奴隷説の風聞形成に主要な役割を果たしたと認めるには十分ではない ・記事と在米原告らの被害との間の因果関係を認めることはできない 《原告が上告せず確定》 |