我々市民は情報が少ないので事件を軸にして見ていた。ここでは近隣住民が一番近いだろう。
その近隣住民の他、警察、報道陣、右翼とそれぞれの思惑が交錯する中で多角的に広がりを見せるが、
纏まりはなく、歪んだ泡がどんどん膨らんでいくようだ。どこへ向かっているのか。
そんな中、前作とは違い荒木氏の出番は少ない。
前作ではオウムとはなんぞやという観点なのかフレンドリーに打ち解けながら荒木氏の動向を追っていった。
窮地に追いやられながらも信仰に希望を持っていた荒木氏にも陰りが目立つようになる。
今回はいつまでも現実逃避している荒木氏をやや突き放すスタンスになっている。
内側では寝耳に水の信者がほとんどで便宜的な謝意を示すのみで少し他人事のようにむしろ自分たちも被害者のような態度にも映る。
今回は事件に少し触れて河野義行氏が出演している。松本サリン事件で最初に疑われた被害者である。
オウムの幹部信者が謝罪に訪れる設定だが、何しにきたんだかという態度で、宗教以前に世間擦れしている。
しかも謝罪に来ているはずが肘をついている。このあたりがカルトの怖いところである。
それと宗教の怖いところは聖戦という概念があること。
色々見えてくるとオウムが戦っていた敵が存在していたと仮定して、オウム側からはそれが何者であるか言えないようだ。
抵抗の証としてサリンを撒いたのか。いずれにせよ世論を敵に回すのは目に見えていたはずが、
他に選択肢がなかったのか。実行したのは間違いない。しかし動機が不明でそこは焦点になっていない不思議な事件だ。教団がらみの死亡事件が多すぎるのも不自然です。
後継団体の中で、殺人部隊として引き継いだのがケロヨンクラブで、
このケロヨンクラブのみがオウム新法から除外されていたというのもなんだか。
そもそも敗戦国にある宗教団体で監視がないのは不自然である。誰かが潜り込んでいるのが自然だと思う。
教団の幹部であった元死刑囚達は何と戦っていたのか。
上祐氏が本当のことを話さないと真相は闇の中だと思う。上祐氏が話すことはないだろう。
おそらく作者も真相を追究するつもりはないだろう。好奇心を擽り近づけるところまで近づく。
永遠に迷宮入りだろう。その手筈は済んでいるはず。という印象を持ちました。