そんなに酷評されるほど悪いアルバムではないと思った。 今までのymoと比べるとジメッと湿った感じがするから人によって好みが分かれると思った。 個人的には BE A SUPERMAN DOLPHINICITY I TRE MERLI SILENCE OF TIME CHANCE が良いと思った。とても安いので、買って損はないと思う。
YMOの音楽に共通していることはなんといっても「痛快さ」だと思っています。もちろんカリフォルニアの青い空的な「爽快さ」からは縁遠く、もっとくぐもったロンドンの曇り空の様な陰鬱な部分を持ち合わせたもので、ソリッドステートサバイバーですらも、パブリックプレッシャーというアルバムタイトルやその中のジエンドオブエイジアの坂本のソロ(スタジオでミックスした音源)からも感じとれたし、だから坂本のB2-Unitときて、高橋のニウロマンティック、BGM....という流れは全く必然と感じていました。当時高校生で悶々としたものを抱えていた自分にとってはそれが、いってみればモヤモヤしたふくらはぎのウラあたりのツボにドンピシャで指圧でもしてもらう様な「痛快さ」に感じられ、未だに3人でもソロでも彼らの創り出す音に求めるのはこの「痛快さ」です。前置きか長くなりましたが、そういった意味でこのTECHNODONは私にとって申し分ない作品となっています。しかも、散開までのYMOの魅力を自分たちで解析し直し、'93年時点での成長した彼ら自身と成長した音楽シーンの視点からそれぞれバージョンアップしたと言った感じ。BE A SUPERMAN、FLOATING AWAYは文句無くライディーン、KEY、リンボ、マッドマン的なグルーブ感による「痛快さ」、NANGA DEF?は時代の先端ファッションを意識したという意味で増殖の中の曲に通じるし、HI-TECH HIPPIESは、体操や磁性記-開け心-(スネークマンショー)のような洒落っ気、I TRE MERLI / NOSTALGIAはBGM,テクノデリックで自分の様なYMOオタクを多く創出した例の陰鬱さ。SILENCE OF TIMEはバレエをさらに透明にした様な感じ。WATERFORDはCUEやワイルド・アンビションズにもあるような大きな何かへの期待感、O.K.ではテクノ以前のロック、ポップミュージックへのかわらぬ愛着を吐露し、CHANCEには実際にライディーンはじめ来たるべきもの,LIGHT IN DARKNESS/灯など過去の作品が引用されています。そしてPOCKETFUL OF RAINBOWS、「日本語で歌うこと」を課題のひとつとして「浮気な僕ら」を作ったことへのアンサー、しかもBGMまでは必ずカバー曲を入れてきた(BGMでは千のナイフがカバー。)という宿題も果たしています。BGM,テクノデリック同様、細野/坂本の確執葛藤を抱えながらもこれだけの遊び心を忘れず、当時の音楽やアートシーンをまるまま飲み込んで俯瞰し、きっちりと自分たちの作品に仕上げる。彼らの姿勢そのものがまさに「痛快」です。