未公開シーンになったあの日
『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』の脚本家グレアム・ムーアは、自身を「チューリングおたく」と評する。チューリングの存在を知ったとき、「まるで伝説のように」感じた彼は、ティーンエイジャーのころからすでにスペースキャンプやプログラミングの合宿に参加したという。その生涯を映画化することが人生の目標になるほど、チューリングの生涯は、ムーアの心を揺さぶった。
「脚本家になったら、毎年でもエージェントの元へ行き、『第二次世界大戦後に自殺してしまった同性愛者のイギリス人数学者の映画を書きたいんだ』と言おうと思っていたんです」。ムーアはこう続ける。「そして彼らはこう答えるんです。『それこそがハリウッド大作だ!』と。しかし実際はそうはいきませんでした。代わりに『お願いだから書かないでくれ。そんな映画に投資する人なんていないから』と言われました」
そんな経緯があったものの、プロデューサーであるノラ・グロスマンとイド・オストロフスキーが、アンドルー・ホッジスの著書『エニグマ アラン・チューリング伝』の映画化権を取得すると、ムーアはその脚本を書く契約をした。それも無報酬で。そして、彼はチューリングの正義のためにひたすら書いた。「敬意をもって、正しく書く責任がありました。歴史的な正確さは、とても重要だったのです」
しかし、正確さの追求は簡単なことではなかった。第2次世界大戦中のチューリングの記録は消されていたからだ。戦後、彼や彼の同僚の活動についてのあらゆる痕跡は歴史から抹消されるか極秘扱いにされてきた。

「ブレッチリー・パーク(訳注:大戦中に英国政府の暗号解読施設がおかれた)の関係者はみな、秘密を守ったのです。チューリング自身が、同性愛者だからという理由でわいせつ罪で法廷に立ったときも、彼は手を挙げて『わたしは戦争の英雄だ』とは言いませんでした。彼は、『事実について争うつもりはありません。しかしその上でわたしは無罪を主張します。わたしの行いが罪であるべきでないからです』と述べたのです」
チューリングについての数少ない情報のうち、よく知られているものといえば彼の死に関するものだろう。1954年6月7日、わいせつ罪による服役を逃れるため「化学的去勢」(女性ホルモンの注入)の施術を受けた後、彼はアパートの自室で青酸化合物中毒でなくなっているところを発見された。
自殺のために食べた毒入りりんごを持ったままで。この世を去ったチューリングの姿を、撮影チームは撮影した。しかし、実際に使うことはしなかった。
「この映画は、チューリングの人生とその素晴らしい業績に焦点を当てるものです。彼の自殺を描くよりも、その人生と業績に絞ったほうがより倫理的で、かつ責任を果たすことになるとわたしたちは考えました」
これはムーアが本作の脚本の執筆中に下した多くの苦渋の決断や、経験に基づく推察、そして歴史の発掘作業のひとつにすぎない。『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』についてあなたがまだ知らない事実はほかにもあるのだ。