200年後、世界の人口は半分になる!?

少し前から、インドや中国、ブラジルやメキシコでも、生まれる子どもの数が減ってきている。世界の人口増加のスピードは鈍っていて、計算によると70〜80年後には増加が止まり、200年後には世界の人口が半分になるかもしれない。
200年後、世界の人口は半分になる

“Crowd” BY James Cridland (CC:BY)

アメリカ合衆国国勢調査局の計算によれば、2012年に地球の人口は70億人を超えたという。さらに人口は増加し続けていて、主要な環境問題のひとつだと考えられている。食料や原材料、エネルギー、飲料水はすでに足りなくなりつつあり、危機にある。

しかし、「Slate」が報じているように、実は50億人から60億人になるのに12年かかったのに対し、60億人から70億人に達するのには13年かかった。つまり、人口増加のスピードは遅くなっているのだ。そして専門家たちの推測では、増加スピードは落ち続けて、最後には止まるだろうと見られている。おそらく70〜80年後にはそうなるはずだ。そこからは、人口減少が始まるだろう。

先進国では、以前から出生率が問題となっていることは知られている。この数十年、平均的な出生率は、人口の均衡を維持するのに必要な女性1人あたり2.1を下回っている。最新のデータには多少変化もあるが、本質は変わっていない。

2011年度、イタリアはヨーロッパで4番目に出生率が低い国になっている。最も低いのはずっとドイツで、出生率はわずか1.36だ。これに続くのがポルトガルとスペインだ。イタリアは、女性1人あたりの子どもの数が1.42で、10年の1.41からわずかに増加している。

もしこのまま続けば、ヨーロッパ全体の人口は、今世紀の終わりには現在の4億6,000万人から3億5,000万人になるだろう。しかし、もっと大変な国もある。ロシアと中国は、同じ時点で人口の半分を失うだろうと計算されている。

アメリカは、以前からずっと世界一の移民先の国であり、このため移民がもともとの住民よりも多く子どもを産むというよく知られている傾向によって有利な立場にあるが、それでも事態は変わりつつある。

実際、1カ月前にピュー研究所(Pew Research Center)によって発表された研究は、アメリカの移民における出生率が、07年には女性1,000人あたり102人だったのが、12年は87.8人に低下したと報告している。このデータによると、アメリカ全体の出生率は、人口の均衡を保てる限界以下に下がっていて、全体では女性1,000人あたり64人にとどまっている。

世界の人口増加の原因となってきた貧しい国々を見てみよう。ここでも出生率は低下傾向にある。1960年から2009年の間に、メキシコでは女性1人あたり7.3人の子どもが生まれていたのが、2.4人になった。インドでは6人から2.5人になった。ブラジルでは6.15人から1.9人だ。サハラ砂漠以南のアフリカ諸国でも、現在は女性1人あたり4.66人の割合だが、70年には2.1の限界を下回るようになると予想されている。

このことが、先進国におけるさらなる出生率の低下をもたらすのは明らかだ。こうした国々は、出生率が低いことを移民によって維持している。科学者たちは、この現象を「人口転換」と名付けている。

「何十万年もの間、人類は、飢饉や戦争を生き延びるために、非常に高い出生率を必要としてきました」と、ニューヨークのストーニーブルック大学の経済学の教員、ウォーレン・サンダーソンは語っている。言い換えれば、わたしたちは「高い死亡率と高い出生率から低い死亡率と低い出生率」への移行を経験しているところなのだ。すでに現在、世界の人口の半分以上は、最小限(女性1人あたり2.1)以下しか子孫を残していない。

国際応用システム分析研究所(IIASA: International Institute for Applied Systems Analysis)の計算によると、世界の人口が90億人に達するのは、ようやく70年のことになるだろう。ただ、このニュースはまったく落胆するようなものではない。これは人口過剰へのブレーキとなる。まさに地球が必要としていることなのだ。

唯一の問題は、誰が年金を払うかだ。労働力人口よりも年金生活者の方が多い社会が、経済の停滞を避けるために、少なくとも仕組みを見直さなければならないのは明らかだ。このような経済の停滞は、特にいま、日本に打撃を与えている。

もうひとつの可能性は、人類が消滅していくというものだ。IIASAはこのことを確信している。08年のリポートによれば、もし現在のヨーロッパの出生率(女性1人あたり1.5人)が世界中でも定着すれば、世界の人口は2200年には半分になるだろう。さらに、2300年には10億人をわずかに下回ると考えられている。

TEXT BY MICHELA DELL’AMICO

TRANSLATION BY TAKESHI OTOSHI