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ハインリッヒ・ナウマン博士の見た日本の絶景…。。。

普通の人が見れば、ただの見栄えのする風景が、ある人から見れば、特別な意味をもった絶景であるという例を一つ紹介したいと思います…。。

ハインリッヒ・ナウマン博士は、日本における近代地質学の基礎を築くとともに、日本初の本格的な地質図を作成した人なのですね…。またフォッサマグナを発見したことや、ナウマンゾウに名を残したことで知られる地質学者ですよ…。1875年(明治8年)8月から1885年(明治18年)、東京開成学校の金石学・地質学・採鉱学の教師として招聘され、日本に滞在…。東京帝国大学地質学教室の初代教授に就任…。地質調査所(現、産総研地質調査総合センター)の設立に関わり、調査責任者として日本列島の地質調査に従事。日本で初めて象の化石を研究したことで知られています…。。。

以下の内容は、「フォッサマグナ 日本列島を分断する巨大地溝の正体」藤岡 換太郎 著、の内容から、再編集・再構成して記事にしたものです…。。。

ナウマン博士は来日後まもなく、明治8年の11月4日、最初の地質調査旅行に出かけたのですよ…。それは従者と通訳を従えただけの簡単な旅行でした…。馬車で東京を出たナウマンは、高崎から碓氷峠を越えて、追分(現在の軽井沢町)の宿場で数日滞在して、浅間山へも登りました…。その後、現在のJR小海線に沿って進み、野辺山から南下して、獅子岩を越えて平沢という小さな集落に泊まったのですね…。。。下記位置図の赤丸のところ…。

富士・南アルプス位置図sa

その夜は、嵐に見舞われ粗末な宿の壁はガタガタと揺れて、不安な一夜を過ごした彼は、夜が明けるとともに宿を出たのですね…。風は止み、青空がのぞく峠から南西を見下ろしたとき、ナウマンは言葉を失ったといいます…。彼の目に飛び込んできたのは、はるか眼下に 釜無川の流れる平坦な台地の向こうに、2500mを越える南アルプスの鳳凰山や駒ヶ岳が、ちょうど壁のように突っ立っている姿だったのですね…。そして、その南南東の奥には富士山がさらに高く威容を見せつけていたのですよ…。。。

「こんな光景がこの世にあるのだろうか。こんな大きな構造は見たこともない…」ナウマンは言い知れぬ感動をおぼえたといいます…。と同時に、なぜいきなりあんなに高い山が聳(そび)え立っているのか、なぜこのように大きな構造ができるのだろうか、という疑問も抱いたに違いないのですね…。そして彼は、いま自分が見ているのは地面にできた巨大な溝のような場所ではないかと考えたのですよ…。。。

平沢から南アルプス概略図sa

1885年、ドイツに帰国したナウマンは、日本の地質についての論文を出版しました…。その中でこの地形を、ドイツ語で「大きな低地帯」という意味の「grosser Graben」と名づけたのですね…。西南日本から続いてきた古い地質が、この地形との境界のところで急に低くなるので、この地帯を低地または凹地と考えたのです…。しかし、Graben(グラーベン)は地質学では、「断層で両側が切られて落ち込んだ凹地」のことをいい、ナウマン博士はそのような地形であるとは考えていなかったので、翌1886年にラテン語の「Fossa Magna(フォッサマグナ)」に変更したのですね…。「Fossa」は「地溝」、「Magna」は「大きな」という意味です。これが、この地形の命名のいわれになったのですよ…。。。

フォッサマグナに興味をもった彼は、引き続き3度の調査履行を行ったのですよ…。。。

ナウマン博士の旅行行程図a

これらの調査の結果、彼はフォッサマグナの領域(オレンジのライン)を下図のように考えたのですね…。。。

フォッサマグナa

現在では、フォッサマグナの構造は下図のようなものだと考えられているようですよ…。フォッサマグナ地域の東西では約1〜3億年前の古い岩石が分布しているのに対し、フォッサマグナ地域の内部は、約2000万年前以降の新しい岩石でできているのです…。。。

フォッサマグナ構造

フォッサマグナの部分で古い地盤が6000mも落ち込んでいるとはすごいですね…。ナウマン博士が見て感動したという平沢からの風景を見てみたいものですよ…。ネット上に適当な写真がなかったので、地図ソフトでシミュレーションしてみましたよ…。。。

画面中央を横切るのは平沢のすぐ下にある大門川による浸食地形ですよ…。この地形も見えたので、ナウマン博士は「地溝(フォッサ)」というイメージが浮かんだのかもしれませんね…。。。

平沢からの南アルプス風景

いゃ~、ナウマン博士が見た歴史的・地質的風景、ぜひ見てみたいものです~。。。
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コメント

FC2ブログ更新お疲れさまです。

横町
フォッサマグナの命名の由来についてご教示頂きました。ドイツから来たナウマン博士が驚くのも無理はない気がします。プレート同士のぶつかり合い💥⚡が日本列島を生んだわけですが、地質学的に考えれば地質変動の度合いが尋常でないと映るのでしょうね。
そこに住む我々ですが、奇跡が生んだ成り立ちと言えるのかも知れません。フォッサマグナが、ほぼ西日本と東日本の境界🗾になるとは何たる偶然なのか!驚嘆すべきものがあります。
⭕御礼⭕
お陰様で本日も示唆にあふれた記事に触れさせていただきました。boubouさん、今日もいい一日をお過ごしください。ありがとうございます。

ミスタープロ
日本列島は大陸から分離して島国になりました。

当然、そこには大変大きな力が働いた結果ですが、日本列島を東西に分ける地殻変動もあったという
事ですね。長い年月の間には、人知の及ばない力が働きますが、現在に住む我々は現状を理解して、
それを観光として楽しむ事しか出来ませんね。

boubou
横町利郎さん、いつもありがとうございます…。

普通の素人には、こんな小さな島国で、どうしてこんな雄大な地形ができるのだろうかと思ってしまいますが、日本は、4つのプレートがぶつかり合う世界でも稀有な地域であることを考えると、さもありなんと思ってしまいますね…。

しかし、プレートテクトニクス理論もまだなかった時代にこのような大地溝を見出したナウマン博士の慧眼には驚かざるを得ません…。博士を始祖として、日本の地質学が始まったといっても過言ではありませんね…。

boubou
ミスタープロさん、観光資源のなかには地質の働きによる、珍しい地形が売りのところがたくさんありますが、そういうことを理解して観光を楽しむと理解が深まりますね…。
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